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正義の鉄槌と書いてロケットパンチと読む‼

「はぁはぁ、もう許してよ。充分でしょ……」


 髪の毛を振り乱して、床に突っ伏したままエマが言った。


「ひぃ、まだ第一ラウンドだからねっ!」


 とか言いつつ、レイチェルも疲れて果て、尻餅をついたまま両腕を後ろに放りだして、仰ぎ仰ぎ呼吸をしていた。


「もう許してあげて下さいよ。エマだって悪気があったわけじゃないんですから」


 勇んで襲い掛かって、エマのブラウスの袖を破いてしまったヴェラは静観しつつ、ばつが悪そうに、ややエマ側の立ち位置にいる。


「まだまだ、夜はこれからだかんねっ」


 寝不足の峠を越えたレイチェルは変なテンションだった。瞳がいつも以上にギラギラしている。


 確かに、エマのせいで昨晩は寝不足だったが、それは半分だけ。したがってそれはもう発散した。

もう半分は、愛おしいアンリエッタを篭絡しようとたくらむ叔父へのうっぷんなのである。叔父へ直接、制裁を加えられたなら、最上なのだが、多忙な叔父を捕まえるのはなかなかどうして難しい。


 それに、エマのわき腹を抓んだり、揉んだりするのは気持ちがいいのである。


カラン カラン


 閉店時間近く、ドアベルが鳴り、ドア口には初老の男性が立っていた。


「おやおや、これはどういった状況なのだろうね?」


 シェラン・バーナードがドーナツをお土産にウィスパー寄稿文店を訪れたのは、宵の口前のことであった。


 整えられた口ひげを、黒い皮手袋をした手で撫でながら、とてもにこやかに「お土産を持ってきたよ」と言った。


 店先から、賑やかなかしましい乙女たちの声が漏れ聞こえていたので、丁度良かったとドアを開けたのだが……


 床に突っ伏してプルプル震えている店主。ブカブカで衣服がずれ落ちないように押さえるのに必死な少女。そして、肩で息をしながら肉食獣のような目をギラつかせたレイチェル。


 新しい遊びなのかな?


 とも思ってみたが、それは、やや苦しいようである。


「バーナードさんっ‼いいところにっ‼」


 懇願するように、エマが潤んだ瞳で見つめてくる。


「あ、どうも、はじめまして、物書きをしておりますヴェラ・クリスティと申します」


滑り落ちそうになったスカートを慌てて押さえながら、ヴェラは会釈をする。


「これはご丁寧に、私は、シェラン・バーナードと言う。この店の前店主だった者だよ」


 シェラン氏が、物腰柔らかく落ち着いた物言いで、話すと、なんだか、部屋の中に立ち込めていた殺気が浄化されて行くようであった。


「カモがネギしょって来たよ。うん。日頃の行いだね」


 レイチェルは、ひひひひっと不敵な笑みを浮かべながら立ち上がると、右指の関節を鳴らしながら、シェラン氏に向きなおり、右拳を突き出した。


「どうしたんだいレイチェル?お前の好きな、ハーニーモンブラン味も買って来たよ」


 横長のドーナツの箱を顔の高さまで持ち上げながら言うシェラン氏。


「うおおおおぉぉっ、くらえぇぇぇっ‼正義の鉄槌と書いて、ロケットパァァァンチッッ‼」


 突然、レイチェルは咆哮を上げながら、シェラン氏に向かって突進した。


「なっ、えっと、これは…」


 苦笑を浮かべるシェラン氏。


「逃げて下さいっ‼」


 悲鳴のように叫ぶエマ。 


 レイチェルは、拳の間合いに入る直前に大きく腰を捻って振りかぶると、ダンッと力強く左足を踏み込み、


「ドッカァーーーーンっ‼」と哮けって全体重を乗せた拳をシェラン氏の鳩尾にを炸裂させた。


 店内に響く鈍い音と舞い上がる埃……


 シェラン氏は勢いを殺せずそのまま、ドアを突き破って外に倒れ込み、レイチェルは壁に顔から突っ込んで、その場にうずくまってしまっていた。


「レイチェルはなんてことをするんですか……」


 ヴェラが恐る恐るドアのところへ歩いてゆくと、ドアを背に眼を回しているシェラン氏が見えた。


 足元には、ぐちゃぐちゃになったドーナツの箱が無残に落ちている。箱がこれでは中のドーナツはもはや期待できまい。


「ドーナツには罪がないのに……」


 ヴェラは泣きそうになりながら、ぐちゃぐちゃになったドーナツの箱を持ち上げた。


「あ」


「ヴェラっ‼なんで真っ先にドーナツの介抱なの⁉バーナードさんが一番でしょ‼って、なにしてんのよ、なんでパンツ丸見せにしてるの⁉お尻も半分見えてるから、早くスカートあげなさい‼」


 慌てて起き上がり声を張るエマはイの一番に猛ダッシュでヴェラの元へ駆けつけると、ずり落ちたスカートに手を掛けた……


「あの……エマちゃんこれは……一体何がどうしたのかしら……」


 ドア枠の端から覗くようにネイマールの顔が現れた。


 なんて最悪なタイミングなのだろう。これでは、私はヴェラのスカートをずらした以外に他はない。


「ちっ、違うのよネイマールっ‼ヴェラが自分でずり落としたんだからねっ。ほら、両手がふさがってるから、私がスカートを上げようと……」


 助け舟を出すように見上げた先にはニヤニヤととても悪い顔をしたヴェラがいた。


「ネイマールさん助けて下さい。私がドーナツの箱を拾い上げたら、『全部、私のよっ!こうなったらパンツ丸見せにしてやるっ‼』と、私のスカートを無理やり力ずくで剥ぎ取ったんです」


 と言った。


「なんでよっ‼なんでそんな誤解を生むような言い方するのよっ‼それじゃまるで私が変態みたいじゃない!」


「エマも道ずれです!私はエイミーさんに変態だと思われたままなんですよっ‼今頃、スコットランドヤード中で、私の変態っぷりが噂になってますよ‼それを考えたら、ネイマールさんに痴態を晒すくらいなんだって言うんです‼」

 

「やっぱり、根に持ってるんじゃないっ!そんなこと言うんだったら、そのブラウス弁償してもらうもん‼バーゲンで買ったやつだからいいかなって思ってたけど、弁償してもらう‼」


「なっ、バーゲンって、スーパーのですか?」


「違うわよ、デパートのバーゲン」


「うっ……つい出来心でした。すみません。悪気はなかったんですよ、本当です。」


 破いてしまったブラウスがデパートのバーゲン品だと知って、急にしおらしくなるヴェラ。


「ダメっ。もう謝ったって許してあげないんだからっ」


 スカートを上げてから、手を腰にやって言うエマ。お姉ちゃんみたいだなぁとネイマールは思った。


「あの、エマちゃん。そんなことよりも、バーナードさんを介抱してあげないと……」


「あぁ、そうだったっ‼大丈夫ですかバーナードさんっ⁉」


 駆け寄ったエマは、ネイマールと一緒にシェラン氏の介抱をはじめた。


 手前には、頭を抱えて唸っているレイチェルが居て、足元には割れたガラスやら、砕けた木片やらが散乱している。


「んー」


 ヴェラは少し考えてから、ドーナツの箱を開けると原型を留めていないドーナツの欠片を掴みあげて口へと運ぶ。


「あ」


 その際、またスカートがずれ落ちたが、今度はドーナツの箱で隠したので事なきを得た。

 シェラン氏が気が付くまで、ドーナツを食べていよう。


 そう決めたヴェラであった。



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