第8話 ゲオルグの孤児院訪問
ゲオルグは歩く。
目的の場所に向かって。
それはつまり、あの女性に言われた孤児院だ。
迷うことのない足取りで進み、そしてゲオルグは辿り着いた。
ゲオルグの目の前にあるのは、質素だが、かなり頑丈に作られている建物で、ここにある限り、いつまでも中で生活する子供たちを守るのだろうという感じを受ける。
隣には、同じ設計者からなるものだろう、荘厳な佇まいの建物があった。
こちらは教会だ。
神々に祈り、世の安寧を願う信徒たちが集う休息所。
孤児院は、この教会がその教義に従い、各地で運営しているもので、その責任者は聖職者であることが多い。
今、ゲオルグの目の前にある孤児院も、教会の修道女が責任者だ。
とりあえず、扉を叩いてみる。
しかし、反応がない。
仕方なく中を覗くが、どうやら修道女は不在のようだった。
そうは言っても、勝手に侵入するのはさすがに気が引ける。
そのため、しばらく、きょろきょろと入り口で誰かが来ないかと待っていると、十歳ほどだろう、と思しき少年がこちらに歩いてきた。
少年はゲオルグの顔を見て、一瞬びくりとしたが、どうやら見覚えがあったらしい。
「……おじさんって、もしかしてゲオルグ?」
そう尋ねてきた。
名前を知っているのはともかく、ゲオルグは自分の顔を見ても驚かない子供の存在を珍しく思いつつ、頷く。
「あぁ……そうだ。良く知ってるな、坊主」
「そりゃあ、そうだよ! だってゲオルグって言ったら、アインズニールでも指折りの冒険者じゃないか! まさか会えるなんて!」
アインズニールではB級冒険者が最上位である。
指折りと言っても確かに間違いではないが、そこまで喜ばれるほどの有名人という訳でもない。
というか、仮に多少名前が知られているとしても、間違っても子供が会って喜ぶような存在ではない。
顔が顔だ。
鬼人に会って喜ぶ子供が一体どこにいるというのだ。
しかし、その稀有な例外が目の前にいるのも事実である。
普通なら確実に泣かれているところだ。
この孤児院で初めて出会ったのが他の子供ではなく、この少年でよかったと思ったゲオルグだった。
「おいおい、そんなに喜ばれたのは初めてだぜ。お前、俺が怖くないのか?」
この顔に泣かない子供はいないぜ、そんな意味を言外に込めた台詞である。
少年はこの言葉に、かなり心当たりがあるような顔を思い浮かべる。
しかし、それでも彼は首を横に振って、
「怖くなんてないさ! 冒険者ゲオルグは亜竜を倒したんだ。そんなこと出来る冒険者は、アインズニールじゃゲオルグただ一人なんだから!」
と意外なことを言った。
ここのところ、どこかで誰かが噂を流してるんじゃないかというくらい、その情報について触れられるが、そもそも大して有名ではない話だ。
冒険者組合長には、自分が倒したとは言い難いからあまり広めるなと当時言ったからだ。
それでも正規の手段で調べられれば分かってしまうのはマリナで証明されているが、しかし孤児院の子供にまで知られているとは……。
「……坊主。それは間違いでもないが、正しくもないぜ。あれは俺の前に亜竜をほとんど行動不能にしてくれた冒険者がいたから、出来ただけだ。俺じゃなくても倒せたさ」
実際、そうである。
ゲオルグが仮に真剣に戦った場合、無傷の亜竜を倒せるかどうかは正直わからない。
けれど、あのとき倒せたのは、間違いなく、自分の力ではなかった。
亜竜と戦い、そして散った冒険者たちの努力があって、初めて出来たことなのだ。
だから、はっきりとそう言った。
子供だからと嘘をつくことも出来ただろうが、ゲオルグは決して、あの冒険者たちの努力をなかったことにはしたくなかった。
たとえ、この、どうしてかゲオルグに憧れているような視線を向ける少年が、落胆したとしてもだ。
そう思ったゲオルグだったが、少年は意外なことに、少し目を見開いた後、
「……やっぱり、冒険者ゲオルグは偉大な人だと思うよ」
「……あ?」
「ううん、何でもない。今日はどうしてここに?」
そう言って、少年は話を大きくずらした。
不思議に思ったが、特に深く理由を尋ねる必要もないだろうと、ゲオルグは自分の訪問の目的を言う。
「あぁ、そうだった。ここに女冒険者が来てねぇか? 16、7の娘だ。そいつに呼ばれてな。名前はたしか……セシル、って言ったと思うが……」
記憶力が減衰しかけている頭で、ぶん殴られたときのことを一生懸命思い出してやっと出てきた名前である。
それを聞いた少年は、あぁ、という顔で頷き、
「セシル姉ちゃんなら礼拝堂にいるよ。呼んでこようか?」
「いや、迷惑でなければ俺が行くぜ」
「迷惑?」
「……言わせんなよ。ここは孤児院だろ? お前はよっぽど度胸が据わってるのか平気みたいだが、他の子供が見たら泣くだろう」
自分の顔を指で示しながら言うゲオルグである。
少し切ない。
少年もゲオルグが何を言いたいのかはそれで理解したらしい。
「あー……流石に僕ぐらいの年ならもう泣きはしないと思うけど、もっと小さい子はわかんないな……。先に行って、皆に注意しとくよ。鬼が来たってさ」
そう言って、少年は走って孤児院の奥に消えていった。
鬼って。
自覚しているが、改めて子供から言われるとちょっぴり落ち込むゲオルグである。
とはいえ、これで中に入る許可は得たと言っていいだろう。
ゲオルグは、孤児院の中に足を踏み入れ、廊下を歩き始めた。
◇◆◇◆◇
しばらく歩くと、左側の壁についている扉の一つが開く。
そしてそこから、一人の老女が現れた。
格好を見れば明らかに修道女である。
この孤児院を任されている責任者だ。
普通ならば、この状況でそんな人物と突然出くわしたら驚くか慌てるところだが、ゲオルグも、そしてその修道女も全くそんな感情を抱かなかった。
それどころか、修道女の方はゲオルグを見て、にっこりと微笑みかける。
「あら、ゲオルグ。こんな時間にいらっしゃるなんて、珍しいですわね。いつも、貴方がここに足を向けるのは皆が寝静まってからだというのに……」
ゲオルグの方も、修道女に、客観的には威嚇しているように見える笑顔を向け、言った。
「婆さん。しばらくぶりだな。今日はちょっと、セシルって冒険者に招かれたんだ……こんな昼間っから来るつもりなんてなかったんだが、断るのもおかしいしよ」
「……婆さんはやめろと言っているでしょうに。しかし、セシルにですか、なるほど。それにしても、遠慮せずにいつでも来なさいと会うたびに申し上げているではありませんか。この孤児院がこうして経営できているのも、ゲオルグが多額の寄付をしてくれるお陰なんですから」
と、他の冒険者が聞けば驚くようなことを言う。
そしてそれは事実だった。
ゲオルグは、かなり前からこの孤児院に寄付をしている。
その資金は主に、細工物を売却したときの利益から出ている。
生活費は冒険者としての稼ぎから出しているから、それで全く問題がないのだ。
だから、この孤児院に来たのも初めてではない。
ただ、いつも、必ず子供たちが寝静まった夜に、ひっそりと身を隠してやってきているため、ゲオルグの顔をこの孤児院の子供は誰一人知らない。
別に、彼らに慕われたくてやっているわけではないから、これでいいと思っている。
しかし、そのことをこの修道女――カタリナは少し寂しく思っているようで、昼間にも来て、子供たちと触れ合うように言うことが多い。
その言い分については分からないでもないが、やはり、自分が訪ねてきては、子供たちが驚くだろうと遠慮していたゲオルグである。
ただ、今日は、その遠慮を少しばかり緩めて来てみた。
最近、あまり怖くはない、と言われることが増えてきたことが、ゲオルグにここに来る勇気を与えたのだった。
もちろん、セシルからここを指定されなければ来ることもなかっただろうが。
自分にここに来る資格があるとは、今でもあまり思えていないゲオルグであった。
「寄付は俺がしたくてしてることだからな。別に子供に好かれたくてしてるわけじゃねぇんだ……ところで、礼拝堂ってのはあっちでよかったよな? セシルはそこにいるって、さっき目端の利きそうな坊主が言ってたんだが」
その表現で、カタリナには誰のことかわかったらしい。
「あぁ、トリスタンですね。確かに目端は利くのですが、少しせっかちというか……案内もせずに置いてったようで。あとで少し言い聞かせなければ……」
少しだけ据わった目になったカタリナに、ゲオルグはまずいことを言ってしまったか、と思い、心の中で後で絞られるのだろうトリスタン少年に謝罪をする。
「ま、まぁ、あんまり強く言う必要はないと思うぜ。置いてったのも俺に気を遣ってくれたからだしな」
出来る限り、トリスタン少年の負担を減らそうと弁護する。
自分の強面で驚く子供がいるはずだから、注意してくれるつもりなのだということも含めて。
するとカタリナは顔を和らげて、
「そういうことでしたか……。でしたら、良いのです。私の方が早とちりでしたわね……おっと、少し話し込み過ぎたようです。礼拝堂は確かにあちらで合ってますよ。少し進めば両開きの扉が見えると思いますので、すぐわかります。私はこれから教会に参りますので、何かありましたらそちらの方にご連絡なさいな。では……」
そう言って、カタリナは去っていった。
相変わらずマイペースで、彼女との会話でゲオルグが主導権を握れたことなど一度もない。
しかし、そういう人だからこそ、ゲオルグと長年付き合えているのかもしれない。
ゲオルグの昔からの知人はそれほど多くなく、その誰もが、ゲオルグよりも一枚も二枚も上手の人だ。
カタリナもそのうちの一人であるのはもちろんだ。
「……あの婆さんにはいつまでも頭が上がらなそうだぜ……」
カタリナの後姿が完全に見えなくなってから、そうぽつりとつぶやいたゲオルグ。
見かけの割に、かなり慎重で、肝が小さかった。
◇◆◇◆◇
カタリナの言う通り、その扉は分かりやすかった。
両開きの可愛らしい扉である。
木製のもので、教典に書いてある説話をモデルにした浮彫が施されており、中々に凝った装飾であった。
やはり、礼拝堂に続く関係で、他の部分よりも多少、力が入っているのだろう。
扉を開くと、天窓から斜めに光がきらきらと差し込んでおり、その光の中で、子供たちがセシル、それにゲオルグに殴りかかって来た少年と一緒に遊んでいるのが見えた。
扉を開いた気配に気づいたらしく、セシルと少年がゲオルグの方を見たので、ゲオルグは軽く手を振る。
すると、二人そろってゲオルグの方に歩いて来ようとしたが、少年の方は子供たちに両手を引っ張られてその試みに失敗していた。
セシルの方はうまいこと子供たちの関節技じみた拘束を解いて、軽い足取りでこちらに向かってくる。
「……よく来てくれた。私たちのわがままだというのに、わざわざ……」
深い感謝の籠もったような視線で、そんなことを言うセシル。
ゲオルグとしては、もうそれだけで十分謝罪の気持ちは伝わった、という感じである。
子供たちにまとわりつかれている少年の方にしても、こちらをちらちらと見て気にしているようではあるが、冒険者組合で会った時のような敵意は感じない。
行き違いがお互いにあったことを、セシルからすでに説明されているのだろう。
なら、問題ない、というのがゲオルグの感覚だった。
であれば、ゲオルグは、どうしてこんなところに来たのか。
それは、セシルの持っていた亜竜の鱗のことを詳しく聞きたいからに尽きる。
どうして、あれを持っていたのか。
どこかで拾ったのか、それともやはり、彼女かあの少年が今回の亜竜騒動の犯人なのか。
それを知りたかった。
別に怒鳴りつけて説教をしてやりたい、と思っているわけではないが、今回のことでかなり多くの人が迷惑をこうむっている。
もしもセシルたちが犯人であるのならば、その現実を理解し、今後このようなことがないように反省してもらいたかったのだ。
解決はおそらくはまだ駆け出しに近い彼女たちには出来ないだろうから、そこまで求める気はもちろんない。
後々A級冒険者が来ることが決まっているのだから、それはいいだろう。
だから、ゲオルグは言った。
「いや、別にいいさ。それは、もう、な。あいつとのことはお互い様だ。すべて水に流そうぜ。ただ、一つだけ聞きたい。あの亜竜の鱗、どうやって手に入れたんだ?」
ゲオルグは、鋭い目でセシルを見つめる。
嘘を認めるつもりはない、と視線で語っていた。