第6話 ゲオルグの励まし
後ろで座り込んでいる魔術師の少女を安心させるように微笑みながら、ゲオルグは考える。
果たして、自分が笑顔を向けて人に安心など与えられるのだろうか、と。
一応、こういうときはこうするのがいいだろうと思ったからやってみたのだが、自信が全くない。
冒険者になって、いつのころからか顔かたちを鬼呼ばわりされてきた。
笑ってもまるで威嚇しているようで全く安心感がないとも。
だから正直まるで自信はなかったが、ちらりと見える少女の表情を見れば、安心しているかどうかは分からないにしても、その瞳にはゲオルグに対する感謝の色がある。
どうやら、少なくとも敵ではないと分かってもらえたようだと明後日の方向で安堵するゲオルグ。
しかし、いつまでもそんな確認に時間を割いている暇はなさそうだった。
ゲオルグの目の前でぎりぎりと拳を大剣に押し付けている鬼人。
ゲオルグがいつもそっくりであると言われる張本人である。
人には持ちえない強靭な筋肉、巨体、それになにより、世界中の怒りを塗り固めたような顔立ちを見ると、俺はこんなのに似てるのか……?と疑問を抱かざるを得ない。
もう少し、人間染みた顔を自分はしているはずだが、しかし、似ているといつも言われるだけあって、妙な親近感も感じないではなかった。
「……ま、そっくりさんでもやらなきゃならねんだが、なっ!」
そう言って、ゲオルグは大剣を振り、拮抗していた鬼人を吹き飛ばした。
鬼人の体は、よく似ていると言われるゲオルグのそれよりもさらに一回り大きく、その体についている筋肉の量も同様だ。
それだけに、その剛力はゲオルグのものを上回っているのだが、だからと言ってゲオルグは力負けしない。
そこは色々と方法があるのだ。
人間は、自分たちより遥かに強大な力を持つ存在である魔物に対抗するため、そのための技術を生み出し、磨いてきた。
ゲオルグの体には、不自然な光が纏われている。
それらはゲオルグの心臓の鼓動に合わせ、脈動し、発光していた。
人間の身に付けた、魔物に対抗する技術、それはつまり、魔術。
数多くの種類があるそれのうち、ゲオルグは自らの体を直接強化する、身体強化魔術を使用していた。
これは、非常に単純ながら、大きな威力を発揮するものである。
たとえば、先ほどのように、自らよりも大きな力を持つものと真正面からやりあえる力を手に入れることが出来る。
ゲオルグは自らの体にかかっている身体強化の効力がまだ続いているのを確認し、鬼人に向かって地を蹴った。
しかし、吹き飛ばされた鬼人の方も、すでに体制を整えていて、ゲオルグを迎え撃つ体勢になっていた。
客観的に見れば、ゲオルグと鬼人の実力は、今のところ、拮抗しているように見える。
しかし、鬼人はあくまでもC級の魔物である。
そもそもB級でもベテランのゲオルグにとって、さほどの強敵ではない。
十分な余裕があるのだ。
もちろん、油断すれば負ける可能性もないわけではないが……。
それに、
「後ろで後輩が見てるんだからな……かっこ悪いところは、見せられねぇ!」
そう言って大剣を振り上げたゲオルグ。
鬼人はそれを視認し、先ほどのように、その拳でもって受け止めようとした。
鬼人の体皮は固く、生きている個体のそれは金属に比肩すると言われている。
だから、その鬼人の行動は正しいものだったと言える。
しかしそれはあくまで、ゲオルグの実力を考慮しなければの話だ。
結果として、鬼人の意識は、ゲオルグがその大剣を振り下ろしたところで完全に終わる。
その理由は至極簡単なものであった。
ゲオルグが振り下ろした剣は、鬼人の体を脳天からそのまま二つに割ってしまったのだ。
◇◆◇◆◇
「……嬢ちゃん。大丈夫か?」
ゲオルグは鬼人が完全に沈黙したのを確認すると、改めて振り返り、座り込む魔術師の少女にそう尋ねる。
少女は完全に腰が抜けてしまっているようで、立ち上がることが出来ないようだ。
あれほどの命の危機に瀕していたのだから、さもありなんという感じだが。
ただ、会話できないという訳ではないようだ。
未だ緊張の抜けない様子ではあったが、少女は口を開く。
「……だ、大丈夫です。助けていただけたので……。本当に、危ないところを、ありがとうございました。貴方がいなければ、私も、皆も死んでいました……」
殊勝な様子で頭を下げてそう言った少女に、ゲオルグは笑って言う。
「なんだよ、馬車の時みたいに普通に話してくれよな。俺は別にそんな大層なことをしたわけじゃねぇんだ」
あの時は、確か敬語じゃなかったよな、と思っての台詞だった。
あの時とは、もちろん、酔い止めの薬をくれたときのことである。
しかし、少女はそれに対して、首を振った。
「いえ、だって、命の恩人に向かって、失礼な口は利けません……」
どうやら礼儀を気にしているようだが、そんなものはゲオルグにだってほとんどない。
せいぜい、貴族と話すときは自己防衛のために敬語を使うくらいだ。
冒険者同士なら、そんなもの気にする必要はない。
それに他にも理由はある。
ゲオルグは、
「今はそうかもしれねぇが、そのうち逆の立場になることだってあるかもしれねぇ。冒険者ってのはそんなもんだぜ、嬢ちゃん。だから気にすんな」
ぽん、と肩を叩いてそう言った。
すると、少女はびっくりしたような顔でゲオルグの手を見、それからぽろぽろと大粒の涙を流し、泣き始めた。
「……そ、そん……そんなことっ……ぜったいにないです……だって、私たちはこんなに弱くて、貴方はあの鬼人を一撃で倒せるくらいつよくて……あんなふうになんて、私、なれないよっ……!!」
思いがけない突然の涙に、ゲオルグは中年の親父らしく、慌てる。
若い女を泣かせたことが今まで全くなかったとは言えないが、そう言うのとは違う、純粋な涙に対する対応をゲオルグは身に付けていなかった。
どうしたものかわからず、先ほどまで余裕で鬼人と相対していた冒険者とは思えないほどにおろおろとして、思いついたかのように、言う。
「い、いや……嬢ちゃん、その、なんだ、そんなことはないぞ。俺だって、嬢ちゃんくらいの年頃のときは大したことなかったんだからな……嬢ちゃんは今……十五、六か?」
「……十四です……」
よりによって、その年齢かと思ったゲオルグである。
自分が十四のときなんて一番思い出したくないからだ。
しかし、慰めるためには口を開くしかない。
自分の娘でもおかしくないくらいの年齢の少女でも、女は泣かせた男はそれなりの責任をとらなければならないと思っているからだ。
それは、あの女師匠の教えでもあった。
「そうかよ……だったら余計に立派だぜ。俺が十四のときなんか、まだ修行中の身だったからな。剣も魔術もへっぽこのへっぽこ。魔物に遭えばとりあえず逃げてたくらいだぜ。それに比べりゃあ、なぁ?」
じゃなければ死んでたからな、とまでは言わない。
あの危険地帯で、ゲオルグは戦わずにとにかく気配を隠し、身を隠して魔物と相対しない方策をとったのである。
幸い、というか、間違いなく師匠の計画通りなのだが、そう言った技能ばかり妙に特化して鍛えられていた。
そんなゲオルグの告白に、少女は驚いた顔をして、
「貴方が……そんな、だって、こんなに強いのに……」
「おいおい、確かに俺は強いがな……ここは笑うところだぜ。冗談はさておき、当然、昔からこうだったわけじゃねぇ。毎日修行を繰り返して、何年、何十年と戦い続けてこうなれただけだ。そもそも、俺は才能はなかった方だからな……十四まではひょろひょろの村人だったし」
「えっ……?」
まるでそんなわけない、初めから貴方はその体とその腕力で生まれて来たんじゃなかったの、とでも言いたげな視線だった。
しかしそれこそありえない話である。
ゲオルグは言う。
「嬢ちゃん……俺は鬼人じゃねぇんだぜ? 生まれた時は普通の人間だったし、若いころはそこで転がってる奴らみたいだったこともあるんだ……」
言われて、少女は後ろで気絶している自分のパーティメンバーを見る。
ゲオルグの見る限り、彼らは本当に気絶しているだけだ。
深刻な怪我を負っている者はいない。
放っておけば病気などにかかって危険だろうが、そのために必要な処置くらいは、ゲオルグにも出来る。
話していくうち、徐々に少女が落ち着きつつあったので、ゲオルグは倒れている少女の仲間たちに近寄り、腰に下げた拡張袋から薬品類を取り出す。
ゲオルグの持つこの拡張袋は内部空間を空間魔術によって広げている魔道具であり、収納袋とか無限収納とも呼ばれているものだ。
そのため、見かけからは想像できないほどの数のものが入るし、袋の口の大きさとそぐわない大きさのものを入れることも出来る。
もちろん、作る職人によって容量は異なってくる。
ただ、ゲオルグのこれはゲオルグの師にあたる二人が、その持てる技術のすべてを注ぎ込んで作って送ってくれた最高級品なので、かなりえげつない収納力を持っている。
見かけは至極普通に見えるため、誰にも目をつけられてはいないのが救いだ。
取り出した薬品類は、外傷の治癒と、魔力の回復を目的としたものだ。
小さな瓶に入れられた、水色と黄色のそれを、四つずつ取り出し、少女に二つ渡す。
「体力と魔力の回復薬だ。嬢ちゃんも飲みな……まぁ、色々と苦しい時期なのは、わかる。まだ駆け出しだろう? だが、こつこつやっていけば、必ず強くなれる。だから頑張れよ」
と、かなり月並みな慰めの言葉だった。
少女はそれを真面目な顔で聞き、それからゲオルグに尋ねた。
「……本当にそう、思いますか?」
この質問は、ゲオルグの耳にはひどく重く感じた。
なぜなら、少女になんと答えるかによって、少女の人生が変わってしまうような、そんな類の質問に感じられたからだ。
しかし、答えないということは出来ない。
この少女とは今回初めて言葉を交わしたが、こうやって関わりを持った同僚であり、後輩である。
その人生に少しでも希望を与えてやりたい、と思うのは、先にある程度、道を歩いた者の義務ではないだろうか。
そう思ったからだ。
ゲオルグは、未だ意識のない少年少女たちの口に水薬を少しずつ注ぎ込みながら、ゆっくりと口を開き、言う。
「思うさ……そうだな、いい冒険者には条件がある。それが何か、分かるか?」
「……強いこと、でしょうか?」
「それは間違いでもないが、正解でもない」
「じゃあ……」
「いい冒険者はな、仲間を見捨てないんだ。そして最後まで、諦めない。出来ることがあるうちは、戦う。そういうもんだ……こいつらを見れば、分かるさ。嬢ちゃんには、それが出来ていた。そうだろう?」
ゲオルグがそう言ったとき、少女ははっとした顔する。
どうやら、心当たりがあったようだ、とゲオルグは安堵する。
もし間違っていたら、どんなフォローをすればいいかと思っていたからだ。
ゲオルグは、続けた。
「……そういうことだぜ。そして、結果として嬢ちゃんも、こいつらも生きている。これから先、まだまだやっていける。なぁ、嬢ちゃん。冒険者ってやつは、面白いんだぜ。いろんなところで、いろんな景色が見れるんだ。誰かのために戦うことも出来るし、誰も見たことがないものを見ることもできる。俺は一人だが……嬢ちゃんはこいつらとそういうことがしたくて、冒険者になったんじゃねぇか? だったら、出来る出来ないじゃない。やろうぜ。大事なのは、ここよ」
そう言って、ゲオルグは自分の胸を叩く。
それから改めて少女の顔を見つめたゲオルグ。
すると、少女の涙はいつの間にか止まっていて、ゲオルグの言葉に深く、何度もうなずいていたのだった。