第5話 ゲオルグの仕事
迷宮【風王の墳墓】に辿り着くと、ぞろぞろと馬車から新人冒険者たちが降りていく。
ゲオルグはその一番最後に降りた。
別にそれほどの意味はないが、忘れ物がないか確認してやるためだった。
新人というのはとかく自分の荷物に無頓着で、あとで忘れ物に気づいて泣いたりするものだ。
普通の、たとえば帽子を忘れたとか、外套を忘れたとか、それくらいなら別に本人の責任だと笑ってやれるが、薬品類を入れたケースとか、自分の主武器を忘れたりする大呆けがまれにいるので油断できない。
荷台の中をきょろきょろ覗いていると、御者が見に来て、
「……何してるのかと思ったら、忘れ物の確認か?」
「あぁ……あいつらが舞い上がって何か置き忘れてねぇかと思ってよ」
ゲオルグがそう答えると、御者は笑って、
「お前はあいつらのおふくろかよ。低ランクだって冒険者だぜ、自分のケツは自分で拭くだろうさ」
確かにそれはその通りなのだが、ゲオルグとしてはこれも含めて仕事なのだと思っている。
だからゲオルグは言う。
「……今回、俺の仕事はあいつらのお守りだからな。こういうところも見てやらないとならねぇだろうよ」
「最近気づいたが、見かけによらずマメだよな……お前。ま、忘れ物はなさそうだぜ。この後来る新人たちの荷物は俺がしっかり確認しとくから、お前は本来の役目の方を頑張れよ……確か、鬼人に扮してあいつらを脅かす役だったよな?」
「俺はこれから一人魔物祭かよ、馬鹿野郎。お守りだっつってんだろ……」
冗談交じりにそんなことを言い合い、それからゲオルグは目的地である【風王の墳墓】に向かう。
馬車が止まったところから五分ほど歩くと、それは見えてくる。
道はしっかりと整備されており、冒険というよりはピクニックに来ているような気分になる。
新人冒険者たちは大分先にいるようだが、まだ後姿は見えている。
いざとなれば魔術でもって位置探知も出来るから、それほど心配はしていないが、血気にはやっておかしなことだけはするなよ、とその後姿に祈っておいた。
「……しかし、いつ見てもデカいな。よく作ったもんだぜ……」
迷宮【風王の墳墓】に辿り着くと同時に、ゲオルグは見上げながらそう言った。
【風王の墳墓】は、石段が何段も積み上げられた階層型の建物で、この建物全体が迷宮化していると言われている。
入り口はその最上部にあり、そこから潜り込んで下へ下へと進んでいく形だ。
最下層は未だ誰もたどり着いていないらしいが、完全踏破された迷宮などほとんどないのだからそれも当然だろう。
迷宮の最下層などという場所は、およそ人が生きていられるような空間でないことが大半で、しかも出現する魔物は尋常ではない強大なものであるという。
踏破など、ひと握りの英雄だけが可能にする夢でしかない。
もちろん、そうは言っても不可能ではないことは歴史が証明しているが、それを実際にやった人間などほとんどいない。
この【風王の墳墓】も、これから長い先、踏破されることはないのだろう。
噂というか、言い伝えによると最下層には風魔術を極めた風王と呼ばれる存在が魔物化したものがいるらしく、この迷宮を作り出したのもその存在であると言われているが、当然、確認など出来るはずがない。
しようとも思わない。
「それよりも、仕事だな……」
言いながら、ゲオルグは迷宮の入り口に立った。
そこには一人の男性冒険者組合職員が立っていて、ゲオルグの顔を見ると近づいてきた。
「ゲオルグさんじゃないですか。どうしてこんな迷宮に?」
と不思議そうである。
この【風王の墳墓】は下層はそれなりに強敵がいるとは言え、あまり高ランク冒険者にとって旨みのある魔物がおらず、そのため新人冒険者向けとされている。
B級であるゲオルグが来るのは少し不自然だったのだろう。
しかしゲオルグはこれに対する明確な答えを持っている。
「依頼を受けたんだよ、依頼を。お前だってそのためにそこに立ってるんだろ? 今日は俺の番だ」
組合職員の男性が入り口に立っていた理由、それは冒険者組合が出した依頼、低ランク冒険者の補助依頼のためである。
こうやって入り口で待ち、ちゃんと受注した冒険者が現地に来て、迷宮内部に入るところを見届けるのが彼の仕事だ。
そこまでしなくてもいいだろう、とゲオルグは思うが、しかし現実問題、悪徳冒険者というのも存在していて、依頼を受けたはいいが来ずに、しかも行ったということにして報酬を請求する、ということはないではないらしく、ここまでやらなければならないというのは冒険者組合では共通認識らしい。
依頼を受ける冒険者も実は選んでいると聞くが、自分が薦められたあたり、それは流石に眉唾かなと思うゲオルグであった。
職員の男性はゲオルグの言葉に驚き、
「あなたが受けるとは……依頼票は……はい、確かに。では、今日は一日、新人たちをよろしくお願いします」
そう言って、頭を下げた。
ゲオルグはその言葉に、
「おう、今日は誰も死なせねぇぜ」
鬼のような笑顔でそう言って、【風王の墳墓】の中へと気負いなく進んでいった。
◇◆◇◆◇
私の名前はカレン・ステイル。
ついこの間、冒険者組合における試用期間に該当するG級冒険者を卒業し、晴れて正式な冒険者としてF級になった魔術師である。
F級冒険者はG級とは異なり、討伐依頼を単独で受けることも許されている。
つまり、一般的に冒険者として思い浮かべる仕事が出来るのはここからだ。
それまでは指導者付きとか、街の中でそれこそ雑用をこなすとか、そういうことしかできない。
パーティも冒険者組合に正式に登録することは出来ないし、G級を問題なく勤め上げることが冒険者になるための一番最初の試練だと言われている。
もちろん、私がF級になるまでにも、それなりに大変な成り行きや事件があったのだが、それは割愛しておく。
晴れてF級になれた私は、それまで非公式な形でパーティを組んでいた、故郷を同じくする友人三人と、正式なパーティを組み、そして念願の討伐依頼を受けることにした。
冒険者組合で聞いた話によると、今はフリーデ街道の方で亜竜が暴れまわっており、普段出ている依頼が出ておらず、F級の依頼は少ない、ということだった。
けれど、魔物の素材収集依頼というのは常時出ており、特に依頼として受けなくとも、しっかりと魔物を倒して素材をもって来れば、冒険者組合が買い取ってくれる。
そのため、単価の高い素材を持っていけばそれなりに稼げるという話も聞いた。
単価の高い素材がある場所、と言えばいろいろあるけれども、低ランク向けで、しかも討伐の効率を考えると迷宮が一番だろうということだった。
今は、ほとんどの低ランク冒険者がそうしているらしく、結果として私たちもそうしよう、ということになった。
私が拠点にしている街、アインズニールの周りにはそれなりに迷宮が点在している。
低ランク冒険者でも浅層なら攻略可能なところがいくつかあるのだ。
だからこそ、迷宮の攻略をすすめられたわけである。
その中でも、【風王の墳墓】は、浅層に関しては内部のマッピングがほぼすべて終わっている古い迷宮で、出現する魔物も対応が容易なものが大半であることが知られているらしい。
組合職員のお姉さんにそう説明された私たちは、素直にその説明に従って【風王の墳墓】へと向かった。
探索自体は、それほど問題はなかった。
浅層に限っての話になるが、あまり複雑なつくりをしている迷宮ではなく、罠もほとんどない、本当に初心者向けの迷宮であるからだ。
F級は魔物を相手にする冒険者としては最低ランクであり、俗に新人冒険者、と言われるのはこのFランクと、Eランクに限られる。
そんな新人冒険者である私たちに大した実力があるわけはないし、迷宮も初級向けであるが、それを考えても自分たちはうまくやっている方だと思うほどだった。
けれど。
そういう油断が、往々にしてのちの大惨事につながることを、私たちは自覚していなかった。
それは、小さな緑小鬼と思しき魔物を私たちが見つけたことから始まった。
なんとなく、普通の緑小鬼とは色合いが違っていて、赤みがかってはいたが、個体差だろうとパーティメンバーの誰も気にせず、追いかけたのだ。
すぐに追いつけるだろうし、そこまで苦戦せずに倒せるはずだ。
なにせ、ここに来るまでの間に、二体ほど、緑小鬼は倒せている。
体力も魔力もそれなりに使ってしまってはいたが、もう一匹位は、と誰もが思っていた。
けれど、その色の変わった緑小鬼が迷宮の角を曲がり、それに続いて私たちも角を曲がった時、自分たちが大変な思い違いをしていることを理解した。
小さな緑小鬼が駆けていく。
そして、ひしりと、何か大きなものにしがみついた。
その大きなものが何か、私たちは一瞬、判断に迷い、そして見上げると同時に、理解した。
「……鬼人だ! まずい! 逃げるぞ!」
そう叫んだのは誰だっただろう。
もはや覚えていない。
しかし、その声は余りにも警戒心に欠け、大きすぎた。
鬼人はその声に気づき、即座にこちらに視線を向け、そして襲い掛かって来たのだ。
もはや、逃げることなどままならない。
そんな状態に陥ってしまった。
もちろん、私たちだってランクは低いとはいえ、冒険者だ。
単独で立ち向かえるのはC級からと言われる鬼人が相手とは言え、戦った。
しかし、櫛の歯が欠け落ちていくように、私たちは一人ずつ、昏倒させられていった。
昏倒で済んだのは、当たり所が良かったことが大きい。
それに、殺されるわけには行かないと、残りのメンバーで意識を失った者を守る様に戦ったことも。
けれど、戦況は一向に良くなることはなく、最後には私一人だけが、鬼人と相対することになった。
私は、魔術師であると同時に、治癒術も扱える神官でもある。
自らを回復し、障壁を張りながら、立ち回ることで、何とかある程度の時間は耐えた。
けれど、それもすぐに限界に来た。
そもそもが、低ランク冒険者、しかも経験も実力も恐ろしく欠けているのだ。
無理なものは、無理だったらしい。
気づいた時には、鬼人の巨大な腕が、私の障壁を思い切り叩き、割っていた。
ばりん、という絶望の音が鳴り響き、私は、悟る。
私たちの冒険は、私たちの命は、ここまでだったのだと。
夢があった。
田舎を、親にも言わずに勝手に出てきた四人だった。
アインズニール行きの馬車の中で、都会にどんな楽しみがあるか、ずっと語り合った。
そしてそれぞれのポケットに、泥で汚れた銀貨と銅貨が入った皮袋がいつの間にか入っていたことに気がついたとき、親たちが私たちの計画を知っていたことに気がついた。
彼らは知っていて、黙って私たちを行かせたのだと。
そう言えば、村を出る前の日、妙な顔つきで「頑張っておいで」と言われたと、みんな言っていた。
親たちは、分かっていて見送ったのだ。
それを理解したとき、私たちは、きっと、いつか、皆に憧れられるような英雄に四人でなると誓った。
託されたお金を使って装備を整え、冒険者組合が開く新人向けの講習にもたくさん出て、一生懸命勉強し、G級の依頼で日銭を稼ぎながら、戦える技能を身に付けた。
ここまで来るのに、一年かかった。
やっとの思いでなれた、F級だった。
やっと、これから私たちの夢への道筋が見えてきたところだった。
それなのに。
あぁ、こんなところで終わるのか。
走馬灯が目の前を流れていく。
そして、酷く引き伸ばされた時間の中、再度振り上げられる鬼人の剛腕が、振り下ろされるのをぼんやりと見つめた。
せめて、最後まで目はつぶらずにいよう。
始まりは、四人だった。
終わるときも、この四人で。
ただ、皆が殺されるところを見たくはないから……。
そう思って。
けれど。
最後の瞬間。
心の底からそう確信した、その時。
――ガキィン!
と硬質な者同士がぶつかる音を、私の耳が聞いた。
気づけば、目の前に、巨大な背中が見えていた。
鬼人と見紛うような巨体、太く張り詰めた筋肉が躍動する腕、私の体重よりもずっと重そうな大剣が、その腕に支えられて、鬼人の鉄のような拳を軽々と防いでいた。
一体、誰が……。
驚いて私がその背中を見つめると、その人物の横顔がちらりと覗き、そして口元がわずかに笑う。
彼は、言った。
「よう、嬢ちゃん。遅くなったが、酔い止めの礼をするぜ」
そこにいたのは、あの馬車の中で辛そうな顔をしていた熟練の冒険者と思しきおじさんだった。
魔物祭=現地風ハロウィンもしくは現地風なまはげ