第4話 ゲオルグの傷
「さて、行くか……」
依頼の受注受付も済ませたゲオルグ。
それからしばらくの間、目的地である迷宮【風王の墳墓】に向かう馬車の出発を待つため、冒険者組合併設のカフェ兼酒場でつまみと茶を頼んでぼんやりしていた。
やはり、飲み物が酒でないのは寂しいな、と思いつつも、これから仕事なのであるから飲むわけにはいかないと自制する。
この辺り、真面目で見た目に反する繊細さを見せているのだが、誰も注目しないので気づかれていない。
改めて周囲を見ると、冒険者組合内部は、先ほどまでとは異なりこれから依頼を探す冒険者たちで混み始めていた。
これ以上ここでぼんやりしているのは彼らの邪魔になるし、依頼が依頼である。
早めに現地に到着しておくべきだろうと立ち上がった。
もともとが非常に目立つ筋骨隆々の巨体の持ち主であるゲオルグである。
立ち上がれば周囲に強大な威圧感を与える存在感があるために、周囲の冒険者たちが驚いたように彼を見る。
先ほどまでは、ゲオルグが意図して気配を小さくしていたので、注目されなかったのだ。
今はそんな必要はないし、朝、他の同僚冒険者たちとの挨拶は円滑な仕事を行うために必要なので、あえて気配を隠すのをやめたのである。
「げ、ゲオルグ!? いたのかよ。全然気づかなかったぜ……」
冒険者の一人がそんなことを言って目を見開いたので、ゲオルグは言う。
「おう、だいぶ前にな。そこで静かに飯を食ってたから目に留まらなかったんだろう」
「そうだったのかね? ……しかし、お前にしては珍しいな? いつもは依頼受注したらすぐに冒険者組合を後にするじゃねぇか」
確かにそれはその通りである。
今日それが出来なかったのは、依頼が依頼だからだ。
時間がきっちり指定されている依頼を受けることは、ゲオルグは少ない。
「今日は新人のお守りをする予定なんだよ。ボランティアだ」
その言葉の意味を対面の冒険者は少し考え、はっとして言う。
「お前が新人の補助を受けるなんて何年ぶりだよ? そもそも、お前の顔見たら新人ども腰を抜かすだろ」
「俺もそう思ったんだけどなぁ……あの若ぇ受付嬢がいけるってよ」
親指で新人受付嬢マリナを指さしながら言う。
マリナの受付カウンターは今、恐ろしいほどごった返している。
並んでいる冒険者の数は、ざっと二十人ほどだ。
他の列は十人行かないというのに。
そしてその全員が、全く脈のなさそうなマニュアル接客をされている。
愛すべき馬鹿とは奴らの事なのかもしれないな、とくだらないことを考えたゲオルグである。
ゲオルグの対面の冒険者は、
「……何を思ってお前にそんな依頼をすすめたんだかね?」
「さぁ、俺にもわからん……ただ、受けた以上はしっかりとやるさ」
「そうか……実力的には申し分ないだろうし、いいのかもしれねぇな。新人たちも度胸を鍛えられるし」
「抜かせ」
そんな軽い会話とあいさつをそこここで繰り返しながら、ゲオルグは冒険者組合の入り口にまでたどり着く。
そして、外に出よう……と思ったその時、ゲオルグはその腕を掴まれた。
「ちょっと待ってくれ!」
一体何事だ……?
そう思ってゲオルグが振り返ると、そこには先日いろいろあった、女性冒険者が立っていた。
その顔を見て、そう言えば後日謝罪がどうとか言っていたな、と思い出したゲオルグ。
しかし、今は忙しい。
馬車の時間が迫っているのだ。
「少し、時間はないか……?」
案の定、そのことが目的らしい少女に、ゲオルグは、
「いや、今から依頼なんだ。時間がない……」
するとあからさまにがっかりとした顔をしたので、ゲオルグは仕方なく、
「依頼が終わった後でいいなら時間が取れる。夕方過ぎになるが、いいか?」
すると少女はぱっと花が開いたように笑い、頷いた。
「あぁ! すまないな!」
正直なところ、謝罪なんてもう必要ないし、大して気にしていないゲオルグである。
なにせ、あの騒動の原因はしっかりと自分にあることを認識しているからだ。
もちろん、それでいきなり殴りかかっていいのかと言われるとそれはダメだろう、とは思うが、誤解されるような態度でいた自分に責任がないとは言えない。
だからもう、お互いさまということでいいのだが、少女からするとそう言うわけにはいかないらしい。
まぁ、ゲオルグの方からは一切手を出していないのだから、一方的な加害者は向こうということになる。
わからない話ではない。
そこまで考えてから、ゲオルグは少女に言う。
「で、依頼が終わったらどのあたりに行けばいい?」
「……冒険者組合で構わない。貴方が帰ってくるまで待っている」
少女の言った言葉は、前半はともかく、後半は勘違いが誘発されそうなものだったが、特に突っ込まずにゲオルグは言う。
「別に待ってる必要はねぇ。あんたの好きなところでいいんだぜ」
少女の言い方が、まるで日がな一日、冒険者組合で待ち続けるような感じだったのであえてそう言ったゲオルグである。
少女のどこか四角四面な雰囲気からも、おそらくその推測は正しいだろう。
実際、少女は、
「私の勝手で頼んでいるのだから、貴方の事情に合わせるのが正しいと思うのだが」
などと言う。
しかしそんな待ち方をされると却って気が急いてしまう。
適当な時間に適当な場所で適当に待ち合わせるのが一番、お互いに気楽だ。
「その本人がどこでもいいっつってんだろ。ほれ、早く決めろ」
少し怒鳴り気味に聞こえるがなり声で言ったゲオルグに、少女は慌てて、
「わ、わかった……では、そうだな、12区の教会に併設されている孤児院は分かるだろうか? あそこで頼む」
待ち合わせ場所に孤児院とは随分と変わった話で、ゲオルグは首を傾げた。
「孤児院? またなんでだ」
「……私の出身なんだ。たまに訪ねて孤児院の仕事を手伝っている。今日もそのつもりでな。一日あそこにいる予定だったんだ」
女性はそんな風に言ったので、ゲオルグは素直に謝った。
「悪いな。そんな話を聞くつもりじゃなかった」
「いや……」
妙な空気が流れ始めたので、ゲオルグはそれを払拭するようにあえて明るい雰囲気で、
「じゃ、俺はそろそろ行くぜ。今日は新人どものお守りなんだ。あんたも子供の世話してくるんだろ? お互い大変だろうが、頑張ろうぜ」
その台詞は、新人冒険者と子供を同一視するもので、新人冒険者からすればたまったものではないだろうが、ゲオルグからすればどちらも似たようなものだ。
むやみやたらに迷宮の奥に突っ込んでいかないだけ、子供の方が分別があるとすら思うくらいである。
そんなゲオルグの意図を理解したらしい女性はふっと笑って、
「あぁ、そうしよう。では、また夕方に」
それから、ゲオルグは冒険者組合を出て、馬車乗り場に向かう。
【風王の墳墓】まで行く馬車は、アインズニール東の馬車乗り場にある。
亜竜の影響を受けていない街道を通っていくのだ。
馬車の乗車賃についてはすぐに話がつき、ゲオルグは身軽な足取りで馬車に乗り込む。
するとそこには【風王の墳墓】まで向かうのだろう新人冒険者たちがかなりの数、乗っていた。
全部で、八人ほどだろうか。
荷台の広さからして、ゲオルグを入れてぎりぎり定員、という感じである。
それぞれが四人ずつ固まっているので、おそらくはパーティなのだろう。
持っている装備からすると、真新しいものや、それほど値の張らないものが多く、全員新人なのだと分かった。
ゲオルグはソロであり、目的地にたどり着くまで若干居心地が悪いかもしれないな、と思ったが、それもまた仕事であると割り切ることにして、むっつりと座り込んだ。
新人冒険者たちは、ゲオルグの巨体に目を瞠っていたが、思いのほか、ゲオルグが静かに座ったので、すぐにパーティメンバーとの会話に戻った。
楽しげに会話している新人冒険者たちに、ゲオルグは自分が同い年くらいだったころを、ふと、思い出す。
◆◇◆◇◆
「別に死にはしないだろう」
奉天大陸の最奥、【悪夢の熱帯林】と言われる地帯にそう言われてぶん投げられたのは、ゲオルグである。
十四歳になって数か月ほど経ち、修行もある程度進んで、冒険者になるために悪くない実力になって来た、と言われたころのことだ。
ゲオルグの師である女冒険者は、ゲオルグをここに連れてきて、そう言って崖から突き落としてくれたのだ。
ガラガラと、ほとんど垂直の岩の壁を転げ落ちながら、自分はいったいどこで選択を間違えてしまったのかと思わずにはいられなかった。
しかし、そんなことを考えるよりも、まず今の状況をどうにかしなければならない。
とりあえず、死なずに崖を降りることだ。
それに加えて、師匠から言われたポイントに、決められた素材を持って指定期日までにたどり着く必要がある。
当たり前の話だが、【悪夢の熱帯林】とは尋常ではない危険地帯で、当時のゲオルグが戦った場合、即座に肉塊へと変わるような魔物が少なくない数いた。
そんな環境で、数日生き残り、しかもしっかりと探索して、その上で、これ、一日で移動するとなると睡眠時間やばいんじゃないのかな、と思うような距離を移動しなければならないのだ。
十四歳の子供にする要求にしては高すぎるにもほどがあった。
しかし、彼女はそう言い募るゲオルグに、
「私は十の時に同じことをして、成功させている。女の私にできるのだ。お前に出来ないはずがない」
とにべもなく言い放った。
貴女は本当に女なんですかね?
いや、そもそも人間なんですか?
と尋ねたくなったのは言うまでもないことだが、そう心に浮かべると同時に竜も逃げ出しそうな眼光を向けられたので即座に口を閉じたゲオルグであった。
……あれに比べれば、魔物がどれほどのものだろう。
ふと、そう思い、そして、大したことないな、と考える。
あんな危険生物と毎日稽古をし続けてきた自分だ。
この程度の危険地帯など、簡単に踏破できるのではないか。
そう、思った。
もちろん、本当に心の底からそう思っていたわけではない。
どれほどここが危険な場所か、それは骨の髄まで分かっていた。
しかし自分を鼓舞しなければ一歩たりとも進めない気がしたのだ。
だからこそ、そう思うことにした。
そういう話だ。
実際、その作戦は功を奏し、ゲオルグは歩き出すことが出来た。
それからのことは、出来ることなら思い出したくない。
何度死にかけ、何度もうダメだと思っただろう。
結果的に師匠指定のポイントに、目的の素材を持ってたどり着けたが、一つ間違えたら死んでいた。
もう二度とこんな経験はしたくない、と心から思った。
けれど、その後も似たような経験を何度も繰り返した。
その結果、ゲオルグの人相は当時とはまるで異なる鬼のようなものへと変わってしまったのだった。
しっかりと冒険者にしてくれたことはいくら感謝してもしたりないが、今にして思う。
あれは、果たして十四の子供にするような訓練だったのか、と……。
◇◆◇◆◇
「……」
酷い出来事を思い出した。
そう言えば、自分には今、この馬車に乗っている少年少女たちのような、淡く甘い日々など存在していないのだった。
「……おじさん、なんだか随分と辛そうな顔してるけど、大丈夫? 酔い止めあるよ」
心配して、馬車に同乗している少年少女たちの一人、魔術師と思しき少女が錠剤を差し出してそんなことを言ってくれた。
そこまで自分は酷い顔をしていたのだろうか。
……いや、していたのだろう。
あれはそれだけきつい思い出だったような気がする。
しかし、それを認めてしまうのは、自分の肝の小ささを改めて確認するようで嫌だった。
ゲオルグは少女の差し出した薬に手を伸ばし、
「わりぃな、嬢ちゃん。ありがたくもらっておくぜ」
そう言って素直に受け取ると、自己暗示にかかる。
きっと、今自分の感じている眩暈は、馬車の振動に酔っているからだろう。
そうに決まっている。
などと。
けれど、ゲオルグは大荒れの海を渡る船の揺れですら、一切の酔いを感じたことがない。
眩暈の理由が何なのかははっきりしていたが、それを認めてどんよりした気分に陥るのは勘弁だった。
そう、それに、あの頃がそんな厳しい思い出ばかりであるわけではない。
大体……五割、いや、六割……八割くらい?がそういう思い出だが、残りの二割は……違うな、一割くらいは楽しいこともあった。
彫金と錬金術の師匠たちは、あの女師匠と比べるととてつもなく優しかったし、自分たちの技術をすべて教え込む、という気合を入れて指導してくれた。
技術を一つ身に付けるたび、うまい飯屋に連れて行ってくれたり、良い道具をプレゼントしてくれたり……。
故郷の村にいた親から受けたことのない愛情を、彼らからもらったのだ。
女師匠も、なんだかんだ言いながら誕生日を祝ってくれたり、武具の手入れについては丁寧に、歌うように教えてくれた。
それは、とても幸せなことで……。
「……なぜ、もういないんだろうな。あんたは……」
あの女師匠はもう、いない。
どうしてか、その事実に、ゲオルグは目頭が熱くなる。
何年たっても癒えない傷が、ゲオルグの心の深いところで疼いていた。