第32話 ゲオルグの鈍感
息を殺してその時を待つ。
しゅるしゅると近づく、それが目の前の餌にかみつくその時を。
待つ、という作業は意外なほどに神経を使うもので、それはカティアの人生の中で比較的経験の少ない行為である。
いつだって、カティアは攻めてきた。
冒険者として強くなるため、上のランクに上がるため、そうしなければやってこれなかったからだ。
他の冒険者とは大きく異なる特殊な武器を手に、女である自分がA級になるためには、普通のやり方ではどうにもならなかったのだ。
だからこそ、一般的な冒険者であれば後込みする依頼にも率先して挑んできたし、前に出るべき時は躊躇せずにいの一番に突っ込んできた。
たとえ命の危険があろうとも、冒険者である以上、それは誰だって同じだ。
必要な注意とリスクの勘案さえ終われば、その後には一切のためらいを捨て、立ち向かう猪になる。
愚かだと、死に急いでいると言われても……それでもカティアはその信念を曲げてこなかった。
そんなカティアに、待て、と言われても大きく首を傾げることになってしまうのは当然の話だ。
今まで、待ちに徹したことなどなかった。
そういう依頼は、もしかしたら無意識的にも避けてきたのかもしれない。
突っ込み、倒す。
それで最上の結果が得られる。
早く片付く代わりに、リスクも高い。
そんな無謀な依頼ばかり受けてきたような気がする……。
金鱗蛇を待つ間に、カティアはそんなことを考えた。
そして、気づけば目の前にそれはいた。
小さな土鼠に大きく口を開き、腹に収める。
膨れたお腹に、満足そうな顔で去って行こうとする金鱗蛇。
その首筋を狙い、短剣でもって首を飛ばした。
本来、銀鱗蛇にしろ金鱗蛇にしろ、その鱗は極めて強靱であり、普通の武具が簡単に通るなどということは希だ。
にも関わらず、すっと、驚くべき滑らかさでその首に短剣が入るのは、腹に獲物を収めてからほんの数分の間だけなのだという。
獲物の消化や魔力吸収のために、体に通している魔力を一時、その胃に集めるから、ということらしい。
ゲオルグに聞いた話だ。
そうは言っても、金鱗蛇に狙っていることがばれれば、その瞬間、鱗の堅さは元に戻ってしまうのだという。
つまり、このやり方は、極めて高い隠匿能力を持ち、蛇に気づかれることなく、その首を切り落とせる技量との両方を持つ者以外には決して出来ない狩りの仕方だ。
だが、ゲオルグはその剣術に関してはB級冒険者として十分なものを持っているし、隠匿技術に関してもその副業に基づく修飾品によって問題なくクリアすることが出来る。
カティアもまた、本来の武器は《魔銃》とはいえ、短剣術くらいはなりたてのB級冒険者を相手に出来るくらいには身につけているし、隠匿技術に関してはゲオルグから借り受けた首飾りでなんとか出来た。
つまり、この二人にとって、銀鱗蛇も金鱗蛇も狩りやすい魔物に過ぎない、というわけだ。
「……やりました! ゲオルグ!」
倒した金鱗蛇が確かに絶命したのを確認し、その体と首を確保してゲオルグに示す。
ゲオルグはよく出来た弟子を見るような表情で、
「おう、完璧だったな。切断点も絶妙だ……重要な鱗にもほぼ傷が入っていない。流石A級冒険者だぜ」
と手放しで褒め称える。
「そんな……ゲオルグがしっかり教えてくれて、しかもこんな魔導具を貸してくれたからですよ」
隠匿能力をくれる首飾りのことだ。
「そいつをつけてたって、あんまりにも動きが五月蠅い奴は結局ばれるからな。空気の動きや音を完全に消せるわけじゃない。元々の能力が道具の効果を最大限に発揮させただけだ。お前の実力だよ、カティア」
「そこまで言って頂けると嬉しいです……あ、金鱗蛇もやっぱり、目は素材になるのですか?」
「そうだな。やっぱり売れたことはなかったか?」
「ええ……薬にはなるらしい、というのは聞いたことがあるのですけど、よほど高位の錬金術師や魔法薬師でない限りは扱えないということで、引き取ってくれないのですよね。鮮度も大事だと……」
「鮮度については確かに正しいな。方法は知っていればそんなに難しい技術じゃないんだが……こうなると俺の師匠たちが俺に教えてくれたもんはかなり特殊だったらしい。一般的ではないのは分かってたが、そこまで珍しいとは意外だったな……そういうこと、一言も言わずに教えるんだからひどいもんだぜ……」
「技術というものは、難しいとか簡単だとかを始めに言ってしまうと、先入観で身につけるのが困難になってしまうこともありますからね。その辺り、配慮されたのではないでしょうか?」
「……確かにそうかもしれねぇな。まぁ、教えられた当時は山奥の小屋に住んでたんだ。比較する相手もいなかったし、難しいか簡単かなんてのは分かりようがなかったってのもある。兄弟弟子でもいれば違ったんだろうが……」
「いなかったのですか?」
「あぁ。一人もな。いや、厳密に言えばいたのかもしれねぇが、会ったことはないんだ。師匠たちはふらっと小屋に来て、しばらく滞在して自分の家に戻って行ってたからな。あの人たちは高名な技術者だったから、弟子の一人や二人、いや、十人や二十人は当時もいたはずだ」
「会いに行ってみても良かったでしょうに」
「それが気軽に出来る距離じゃなかったんだよな……かといって、今更、兄弟弟子のところに顔を見せるのも、なんだか隠し子が実子に会いに行くみてぇで気まずいじゃねぇか。だから余計に師匠たちに会いに行けなくなっちまってな……」
「その気持ちは分からないでもないですが……そうですね。弟子だと名乗らずに会いに行けばいいのでは? ただの知り合いだといって……」
「なるほど……師匠たちにも事前に手紙か何かで言い含めておけばいいか……ちょっと考えてみることにしてみるぜ。ありがとうな、カティア」
「いえ……」
急に感謝されて、カティアはどう返答したら良いのか分からなくなる。
鬼のような顔だが、しかしやはりカティアにとっては好ましいそれだ。
機嫌良さそうに笑顔を向けられると、少し、頬が熱くなったような気がした。
カティアは慌てて、
「あっ、あのっ!」
「あ? なんだ?」
「次は何をすれば……」
話をずらすことしか出来ない自分を罵りながらも、これは一応依頼なのだからと正当化しながら尋ねるカティア。
ゲオルグはこれに答える。
「ああ。次は精霊玉だな……とりあえずここは水場だ。水精霊の奴の方を取りに行くから、湖の……そこの浮島に行くぜ」
そう言って、目の前にある湖の真ん中にぽつりと存在する小さな陸地を指さした。