第27話 ゲオルグの味見
「……あら、ゲオルグ。そんなに依頼票を持ってどうしたのですか?」
次の日、冒険者組合の依頼票掲示板の前でそんな風に話しかけてきたのは、言わずと知れた王都を拠点として活動するA級冒険者、カティア・コラールだった。
水色の長い髪が今日もさらさらと揺れる。
穏やかな物腰。
しかしその内実はゲオルグよりも強力な冒険者、A級冒険者である。
決して侮ってはならない人物だ。
とは言え、ゲオルグと彼女は知り合いである。
どこまで仲がいいのかはゲオルグ自身も今一掴めないところだが、会うと同時に殺し合いに発展するほど仲が悪いわけでもない。
ゲオルグは話しかけてきたカティアに返答する。
「あぁ、全部受けるんだよ。ちょっと仕事が入っちまってな」
「仕事……と言いますと、もしかして……」
カティアはその滑らかな顎に細く長い指を添えて少し考え、それからずい、とゲオルグの耳元に距離を詰めて、彼にしか聞こえないくらいの音量で、
「副業の方の、ですか?」
と尋ねた。
確かに冒険者組合の誰にも言っていないことである。
副業……つまりは、細工師としても活動していることは。
しかし、そこまで何が何でも守らなければならない秘密だ、というよりはそれを公言することで面倒なからかいの種を避けたいというくらいのことだ。
長年活動することで思いの外、名前が売れてしまい、今ばれるとカティア曰く貴族女性が殺到するらしいから、今となっては別の意味でも内緒にしたいことだが、ここまで厳重に秘密を守ってくれずとも怒りはしない。
ただ、そうまでしてくれるからこそ、目の前の女性に対し信用のようなものを感じているのは事実だった。
彼女は誰に頼まれてもゲオルグの秘密を明かしはしないだろう、そんな信頼を。
もしかしたらそれは、自分の武器――魔銃の修理業者を混ませたくないというだけかもしれないが、それでもありがたい話では合った。
ゲオルグは、そんなカティアに頷きながら答える。
「ああ。そういうこった。見るか、依頼票」
そして、カティアにたった今、掲示板から剥がした依頼票を手渡す。
カティアはそれを受け取り、一枚一枚丹念に読み始めた。
いくらなんでもじっくりと読み過ぎではないか、と慣れた冒険者なら思ってしまうだろうこの行動。
しかし、これも、A級冒険者として必要な資質だろう。
冒険者になりたての頃は、誰だってこれくらいしっかりと依頼票を読んでいるものだが、徐々に慣れが出てくると、もうそれは分かっていると流し読みのようなことをし始める。
それで大抵の依頼は確かに問題がない。
だが、ごくまれに、大きな落とし穴が存在する場合があるのだ。
それは、後々考えてみると、依頼票の一部にしっかりと記載されていたりして、あぁ、もっとしっかり読んでいれば、と思うものだ。
生きて帰って来れれば、の話だが。
場合によってはそんな詰まらないミスで命を落とすこともありうる。
だからこそ、依頼票はしっかりと読むべきだ、というのは高位冒険者の義務の一つなのだった。
すべての依頼票を読み終わったらしいカティアは呆れた顔でゲオルグに言う。
「これ、本気で全部受けるつもりですか……?」
「なんだ、何か問題があるか?」
「いえ、ゲオルグなら無理ではないと思いますけど……どれも非常に難儀するものばかりではないですか。銀鱗蛇に金鱗蛇の討伐、それに火精霊と水精霊の精霊玉、それに香木亀の背の香木の採取……? これ、王都のA級でも躊躇するような依頼ですわ……」
実際、どの依頼も難易度が高いのは事実だった。
しかし、である。
ゲオルグは言う。
「確かにその通りだが、A級が躊躇するのはそれら魔物たちの戦闘能力が高いから、じゃないだろう?」
「そうですね。たとえば銀鱗蛇と金鱗蛇についてはその生息地を見つけるのが大変だから、ですし、精霊たちについては会うことは出来るでしょうけれど、精霊玉なんて絶対にくれません。彼らは非常に気まぐれですもの。それに香木亀……これって幻ではありませんの? あまりに大きく鈍いから、目ぼしいものは狩られ尽くされて、実用に耐える香木を採取できるようなものはもう残っていないだろう、とまで言われてたと思うのですけど……」
カティアのいう事はどれも圧倒的に正しく、ゲオルグは苦笑する。
けれど、別に依頼票を元通りに張りなおそう、などとは思わなかった。
「まぁな。だが、俺はちょっとしたコツをいくつも知ってるんだ。それに、香木亀の香木についてはは大きさは問わないって書いてあっただろ? 本当に小さくても構わんのさ……」
「ゲオルグがそう言うのならそうでしょうけど……でも、一体またどうして突然こんな高難度依頼ばかり? こう言っては何ですが、ゲオルグはそこまであくせく働くタイプではないと思っていたのですが。もちろん、一般的な冒険者と比べればずっと勤勉なのは分かっていますが、これらの依頼全て、というのは期限も見る限り……一度に受けるのは無茶だと思ってしまいますわ」
これもまた、正しい指摘であるが、ゲオルグにはゲオルグの事情がある。
別にカティアに言う必要はないが……彼女の顔をちらりと見る。
……心配そうな表情だった。
必要はなくとも、言ってはならないというわけでもない、だろう。
たぶん。
言ってもカティアなら秘密を守ってくれるのは間違いないだろうし……。
問題のある部分は、伏せておけばそれでいい。
ゲオルグはそこまで考えてから、
「……そうだな。カティア、ちょっと待て。まず依頼を受けてくる。その後、少しいいか?」
そう言った。
この言葉に、カティアは首をかくりと傾げるが、特に予定があったわけではなかったのか、最後には、
「……はい。分かりました」
と素直に頷いたのだった。
◆◇◆◇◆
「それで、ゲオルグ。どういうことなのですか?」
アインズニールでは珍しく、大分小洒落た店にやってきたカティアとゲオルグの二人である。
店に入り、席に通されると早速、カティアが待ちきれない、と言った様子でゲオルグにそう尋ねた。
ゲオルグは苦笑しつつメニューを手に取って、
「そう焦るな。まずは、注文しようぜ」
「……そうですね。それにしても、ゲオルグはよく、こんなお店を知っていましたね? あまり来そうには見えないのですが……」
実際、二人が来たこの店の主要な客層は、若い女性とカップルである。
それ以外に少し年がいった、品のいいおばさま方が少しいるくらいか。
ゲオルグのような見るからに敵を力でなぎ倒すことを得意とする冒険者らしい冒険者にはまるで似合わない空間である。
例えていうなら、可愛い子ウサギのぬいぐるみに囲まれているような感じというか。
ただ、ゲオルグもカティアに指摘されるまでもなく、客観的に自分がどう見えるのかはよくわかっていた。
そして、だからこそカティアと話す機会を利用して、この店に来たのである。
ゲオルグはその辺りの事情をカティアに説明しようと思った。
「普段なら絶対に来ないぜ。というか、俺みたいなのが一人で来たら客がみんな逃げちまうだろう。流石にそんなことは出来ねぇさ」
「……普通にお客として来る分には自由かと思いますが、ゲオルグがこの店に一人で……というのを想像すると……なんだかやっぱり不思議な光景ですね」
馬鹿にしているわけではなく、ふふ、と柔らかな笑みを浮かべるカティアであった。
ゲオルグが店に一人で来て、客たちがありえない場所で鬼人に遭遇した村人のように一目散に逃げるところでも想像してしまったのだろう。
そして、実際にやれば本当になりそうだ。
だからこそ、ゲオルグは一人ではこの店には来ないわけだ。
けれど、ゲオルグにはこの店に足を一度は向けたい理由があった。
「だろう? だけどな……この店のタルトは絶品だって話だ。俺としては一度食ってみたくてな……機会をうかがってたんだが……相手がいなくてな。困ってたのよ。そこにカティア、お前がいた。ちょうどいいと思った。流石にレインズと二人で、ってのも気持ち悪いだろ?」
「……タルト、ですか?」
カティアはゲオルグの言葉に、首を傾げる。
彼女は、ゲオルグが料理を趣味としていることをまだ、知らない。
だからこそ、この発言を奇妙に思ったのだろう。
ゲオルグは頷いて答える。
「ああ。俺も自分でケーキの類はたまに焼くんだが、そのときに参考にしたくてな。出来れば料理人にレシピも聞いてみたいが……流石にそれは教えられねぇだろう。冒険者に切り札を聞く様なもんだぜ。俺もそれは答えられねぇ」
料理の作り方と、冒険者の物騒な技とがどうして同列に並ぶのか、よくわからないが、ゲオルグにとってそれは並行して存在するものらしい、ということはカティアにも理解できた。
それかあ、ゲオルグが料理をする、それもお菓子を……という事実がすっかり頭に染み込んだ辺りで、やっと驚きの感情がカティアの心に浮かんでくる。
「……ゲオルグ、貴方、お料理を……?」
つい、そう尋ねてしまったのも無理もない話だろう。
これにゲオルグは、
「ん? 料理くらい誰だって作るだろう」
「いえ、もちろんそれはそうでしょうけど……ケーキは誰だってとは。しかも、ちゃんと始めから焼くんですよね?」
「あぁ。確かに、そこは誰だってとは言えねぇか。レインズも簡単なつまみくらいしか作らねぇしな」
妙なところに納得して頷くゲオルグである。
それから、カティアが、
「いえ、そういうことではなくてですね……!!」
と言い募ろうとしたところで、ゲオルグがふっと笑い、
「分かってる分かってる。冗談だ。そりゃ、俺みたいなのがそんなもの作ってたら意外だと思うのが普通だろうな……だから、カティア、これは秘密にしておいてくれよ」
そう言った。
その緩急の付け方に、ふっと足元を踏み外したような妙な浮遊感を感じたカティアである。
しかし、困惑しつつも、
「え? ええ……」
と頷いた。
少しの間、カティアは無言になり、話がすべて脳に染み込んでから、思う。
ゲオルグが、お菓子を……。
自分は、お菓子どころか一般的な家庭料理すら怪しいと言うのに。
作れるのは、冒険者として必要な、その辺の動物の肉と森の木の実なんかを適当に鍋に突っ込んで塩味をつける煮込み程度のものだ。
それなのに……。
何か、妙に負けたような気分がしたカティアだった。
とはいえ、矜持あるA級冒険者として、その点について認めるわけにはいかなかった。
また、本当にゲオルグがケーキなど作れるのか、確認する必要も感じた。
これは別に、ゲオルグの作るケーキが食べたいわけではない。
真実を確かめたいだけであって、実に美味しそうなケーキを作りそうだ、と半ば確信しているからではないのだ。
そう心の中で考えてから、ゲオルグに言う。
「あの、ゲオルグ……」
「ん? なんだ」
「貴方の作るケーキを、そのうち私も食べさせていただくことは可能でしょうか?」
「そりゃ、もちろん構わないが……そうだな、亜竜を倒したそのときに、祝いに作ってやるぜ」
「本当ですか!?」
そう言ってゲオルグの方にテーブル越しに身を乗り出すカティアに、少しゲオルグは焦りつつ、言う。
「ほ、本当だって……それくらい、なんでもないことだしな。亜竜倒す方がよっぽど骨だぜ……」
カティアからすれば、亜竜討伐の方がずっとハードルが低い。
ケーキを一から作る?
迷宮を踏破する方がまだ可能性がありそうだ。
「……お、店員が来たな。すまねぇが、このタルトを二つと、飲み物は……何にする? ってか、タルトで良かったか? おすすめなんだが」
ゲオルグが注文を取りに来た店員にてきぱきと注文しながらカティアに聞いてくる。
カティアは頷いて、
「ええ、それでもちろん構いませんわ。ゲオルグのおすすめなのですから。飲み物は……そうですね。紅茶でも」
「俺もだ。とりあえずはそんなとこで」
「かしこまりました」
メモに書きつけることなく、店員はそのまま下がっていく。
しっかりと注文を記憶しているのだろう。
行き届いた店員に、ゲオルグはタルトを楽しみに待った。
それからしばらくしてタルトと紅茶が運ばれてくる。
ゲオルグは王都の礼儀に従い、カティアが先に手をつけるまで待った。
先んじて食べたい、という気持ちはあったが、女性には気を遣うべし、ということを何だか先日、ニックの酒場で色々話したからか意識してしまう。
カティアはしばらくの間、なぜかタルトを親の仇を見るように睨んでいたが、フォークを手にし、切り分け、そして口の中に運ぶと、その顔には幸せそうな笑みが浮かんだ。
どうやら、評判通りの味らしいな。
そう思ってゲオルグもフォークを持ち、口に運ぶ。
確かに良い味だ。
他人と一緒に食べると、尚さらに美味しい気がしたゲオルグだった。