第26話 ゲオルグの協力
「……はぁぁぁ。心臓に悪いぜ! ゲオルグ……これだからお前って奴は油断できねぇんだよなぁ。戦いの時以外はハチミツ舐めてる熊みたいにのんびりしてるくせに、いきなりこれだ。ったくよぉ……」
ゲオルグの指摘に答えず、レインズは頭を抱えてそう言う。
これにゲオルグは自分の指摘が間違っていないことを確信した。
長い付き合いである。
少しの反応で相手の気持ちが直観的に分かるほどに。
「ほう……レインズ。お前ニコールと……何があったんだ? まさかお前……」
店主であるニックも、レインズの事情については聞いていないらしく、しかし興味津々のようで楽しげに尋ねた。
レインズはニックのそんな様子を睨みつけながらも、
「親仁ぃ……あんた、他人事だと思って楽しんでるだろ?」
「悪いか? まさに他人事だしな……まぁ、ニコールのことはガキの頃から知ってる。そいつをお前がぞんざいに扱っているようなら、俺としても一発やっとかないとならないのは間違いないがな」
「いやいやいやいや! 親仁の鉄拳なんてもらったら死ぬっての! おいゲオルグ! この物騒なおっさんを止めろ!」
慌ててそう叫ぶレインズに、ゲオルグは強い酒の入ったグラスを傾けてから一瞥し、
「……無理だな」
すげなくそう答えた。
「じゃあ、歯ぁ食いしばれ、レインズ」
ニックはそう言って腕をまくり始めた。
袖をきっちりと伸ばしている状態でもその腕の太さたるや尋常ではないと分かるニックの体つきだが、肌がはっきりと確認できるようになるとなおの事恐ろしい。
腕に見えるのは筋肉の筋と、いくつもの傷が刻まれた肌である。
一体どれだけ厳しい戦いを乗り越えればあそこまでの腕になれるのか、気が遠くなるほどだ。
もちろん、彼が味方であるならばこれほど頼もしい腕もないだろうが、レインズにとってはその反対である。
目を見開いて、勘弁してくれ、と神に祈りたくなる気持ちも分かろうというものだった。
しかし、レインズは思慮深く賢い男である。
この事態を打開するために一体何が必要であるのかをちゃんと理解していた。
「……わかった! わかったよ! 全部話すって! な!?」
そう言った瞬間に、ニックはその腕まくりをもとに戻し、体をカウンターから乗り出して、
「よし、話せ」
と、無慈悲に言ったのだった。
その変わり身の早さにゲオルグはつい、
「ぶふっ……」
と噴き出してしまい、レインズの恨めしそうな視線をその身に受ける羽目になったのだった。
◆◇◆◇◆
「……まぁ、別に隠すつもりはなかったんだ。どうせ、ゲオルグには話すつもりだったしな」
気を取り直して、レインズはそう、話し始めた。
「そうだったのか? ならあんなに渋らなくても良かっただろうに」
「いや、言ってもないのに気づかれたら焦るぜ。それに、俺もあいつも、そういうのは一切表に出してこなかったしな……」
レインズの言い方に、やはり、と思ったのはゲオルグだけではない。
ニックが、
「やっぱりお前、ニコールと付き合ってるのか?」
と、かつて剛力無双で知られた戦士らしく、はっきりと尋ねた。
これにレインズもまた、完全に観念したようで、特に誤魔化すことなく答える。
「……あぁ。一年くらい前からな……」
「レインズ……それ、ゾルタンは知ってるのか? 知らないとしたらお前……本気でその首を覚悟した方がいいぞ」
ニックがありがたくもない助言を送ったが、レインズはこれに首を横に振った。
「いやいや、組合長も知ってるぜ。いくら俺でも黙って付き合ったりなんか出来ねぇよ……」
思いのほか、誠実なレインズだった。
いや、ゲオルグは知っている。
相当な美男子であるレインズであり、そのモテ方は半端ではないが、それでも付き合う女性は今まで知る限り、かなり選んでいたことを。
相手に本気にさせないように、物の分かった女を選ぶ傾向があったのだ。
本当の意味でレインズを好きになり、そしてどこまでも着いていく、そんな覚悟を決めていそうな女からはあえて距離を取る。
その理由は、おそらくはレインズが冒険者であるから、だろう。
それも、普通の冒険者ではない。
冒険者の中でも上位、一流の証であるB級である。
これは収入がよいということ、またその腕がいいことを示すが、しかし残念なことに死なないと言うことを証明してくれるわけではない。
むしろ、通常の冒険者では対応できないような難しい依頼を、立場上、率先して受けることも強いられることから、その死亡率は決して低くはないのだ。
たとえば、この間の鬼人騒動。
C級以下であればあのような場合でも単なる露払いだけして、あとは後ろに下がっても何も言われないが、B級となるとむしろその中心に可能な限り近づくことを要求される。
それは、無理難題を押し付けられているのではなく、それが出来ると冒険者組合から期待されているからこそ与えられるランクが、B級だからだ。
もちろん、断ったとしても何か大きなペナルティがあるわけではないし、そういう者も少なくはないが、レインズは違う。
B級が必要とされていたら、その場所に自ら赴くことを彼は躊躇しないだろう。
そしてだからこそ、自分の命の潰える場所が、決して遠く離れたところではないだろう、と理解できてしまう。
そんな人生に、これから未来のある女性を突き合わせるわけにはいかない。
そう思ってしまう訳だ。
だからこそ、レインズの恋人たちはお互いがある程度楽しむと、後腐れなくレインズから離れていった。
それがレインズの望みであり、そして彼女たちがレインズの人生にずっとついていくことが出来ないことを知っている、賢い人々だったからだ。
そういう事情があるからこそ、今回のレインズは意外だった。
親にまで挨拶を済ませていると言うことは……つまり、そういうことだろう。
「……お前、レインズ……やっぱり、ニコールと結婚するつもりなのか?」
ゲオルグがそう尋ねると、レインズは気付けにか、火酒の入ったグラスを一息に空け、大きく息を吐いてから、決然とした様子で言った。
「……ああ。そのつもりだ」
その言葉は、今までレインズの口から出て来たことのあるどんな言葉よりも覚悟の籠もった者だ、あぁ、この男は本気なのだな、と一言で確信できてしまう。
そういうものだった。
そう感じたのはゲオルグのみならず、ニックも同様のようで、いつもは少し口の端を上げるくらいでしか笑顔を表現しない男なのに、見たこともないような温かい笑みを浮かべてレインズに言った。
「お前……良かったなぁ! とうとう、身を固める気になったか……。良かった。おい、こいつはサービスだ! いつか一人で飲もうと思ってた秘蔵の酒なんだが、お前のためになら惜しくねぇよ! ゲオルグも飲め!」
「お、おい、ニック……こいつぁ……フランエルスの赤ワインじゃねぇか! しかもこの年のは幻って言われてる奴だぜ……どうやって手に入れたんだ、こんなもの……白金貨何枚飛ぶ……?」
それは、赤ワインの名産地と呼ばれている地域でも特にうまいと言われるものを作る酒造家のもので、さらに現存していると言われているものの中でも一、二を争う出来だと言われている年代のものであった。
王侯貴族ですら金に糸目をつけずに買い入れることがあるもので、とてもではないがこんな田舎町の一酒場で軽く出てくるようなものではない。
「そんなもんはどうでもいい! とにかく、今日は飲むぜ!」
ニックはそう言って、コルクを流れるような仕草で抜き、よく磨かれたグラスにその血のように赤いワインを注いだ。
それからゲオルグと、レインズに配ると、ニックは自らのグラスを掲げ、
「……友の結婚に!」
と朗らかに宣言し、俺とに続くように視線で示した。
ゲオルグは苦笑し、それに応じ、
「友の結婚に!」
と言ったが、ふと、レインズの顔を見ると、なんだか妙に浮かない顔である。
どうしたのか、とニックと顔を見合わせ、首を傾げると、レインズが、
「……いや、あのな、二人とも……なんだかこんないいワインまで開けてもらって、すげぇ言いにくんだけどよ……」
「なんだよ?」
「……まだ、プロポーズが出来てねぇ」
そう言ったのだった。
◆◇◆◇◆
「……レインズ。いつも魔物と相対するのには一切の躊躇のないお前らしくない勇気の無さだな? さっさとプロポーズしろよ。というか、親にまで挨拶に行ってるならもうしたようなもんじゃないのか?」
ゲオルグがそう言うと、意外なことにこれにはニックが首を横に振って言う。
「おい、ゲオルグ。女って奴ぁ、結婚には幻想を求めるもんなんだぜ。親に挨拶に行ったからプロポーズしたも一緒だろう、なんて言ってみろ。ぶち切れられるし、もしそれで結婚できたとしてもだ。死ぬまでそのことについて言われ続ける覚悟をしなきゃなんねぇ」
そんなことを。
ゲオルグは余りにも細かいニックの台詞に首を傾げ、尋ねた。
「随分と詳しいな。あんた……」
するとニックは、
「……俺が実際に経験した話だからな。当然だ」
と言った。
ニックはこれで、結婚している。
奥方はこの存在感満点のニックと並んでも見劣りしない迫力のある美人であるが、決して女性的ではないと言うことはなく、むしろ細やかな気遣いの出来る女将さんタイプだ。
まれにこの店を手伝っていることもあるが、それほど多くはない。
普段は家で、冒険者の妻たちと交流を深めつつ、その心得を説いたり、また夫を亡くした冒険者の妻に仕事を紹介したりするなどの活動をしているらしい。
ニックと同じく、この街で冒険者を陰から支えている、ということだ。
そんな彼女が、なぜニックと結婚したのか、どういう経緯だったのかについては詳しく聞いたことはないが、今のニックの言葉からするに、あまりスマートな結婚だったと言う訳ではなさそうだ。
「……未だに言われているわけか? プロポーズされてないって」
「いや。もう言われてねぇ」
「話が違うぞ?」
「そうでもねぇ……ちょっと前までは言われていたがな。少しここを空けたときがときがあったろう。そのときに二人で旅行してな……贈り物を揃えて、跪いて……で、改めてしっかりとプロポーズしたんだよ。そしたら、ぴたりと止まった。俺はあのとき思ったね。女にとって、それは一生大事にしたい瞬間なんだってよ。俺はなんてイベントを素通りしちまったんだって。で、謝った。そしたら別に良いって言ってくれたぜ。いや、ほんといい女をカミさんにしたもんだぜ、俺はよ」
最後の方はほとんど惚気である。
ただ、ためになる話ではあった。
ゲオルグにその知識を活用する機会が訪れるかどうかは謎だが、あって損はない知識だろう。
それに、その知識をこれから役立てられる男が今、ここにいる。
ニックの話を頷きながら聞いていたレインズは、口を開いた。
「そう……そうなんだよ。俺だって、それくらい知ってるぜ。だからプロポーズする予定もしっかり立ててたんだ。それを、どっかの誰かが依頼を入れちまうから……」
そう言って、ゲオルグを恨めしそうな目で見る。
「あ? 俺が……あぁ! 思い出した。あれか……アーズ渓谷の用事って奴か!?」
「そうだよ……ったく」
がっくりと頷いたレインズであった。
アーズ渓谷。
それは、アインズニールにおいて小金を持っている者のほとんどが別荘を構える温泉地である。
レインズは、鬼人騒動の前に、そこに一週間ほど籠もる計画を立てていた。
今にして思えば、あれは、プロポーズをするために恋人と共に温泉地に行く、ということだったのだろう。
それをゲオルグが台無しにしてしまったと言う訳だ。
――これは、まずいな。
とゲオルグは思う。
レインズに恨まれる程度ならいいが、ニコールの一生の問題にもなるらしい。
あれで結構頑固な女であることは、子供の頃から知っている。
ゲオルグのせいでレインズのプロポーズの予定が不意になった、と彼女に知れればどんなことになるか。
恐ろしい。
ニコールは鬼人の討伐に普通に参加していたことから、レインズが誘う前だったのだろうから、まだ知られていないという推測は立つが、知られるわけにはいかない……。
「……おい、レインズ」
ゲオルグは、自らの危機を知り、レインズの方をがっつりと掴んで、その顔を見つめる。
「……なんだよ。お前からのプロポーズはいらねぇぞ? まぁ、嫁にするにはお前の料理も家事も完璧だとは思うが」
「そうじゃねぇよ。絶対にプロポーズはしろ。出来るだけ早くだ。そのためなら、俺は何だって協力してやるぜ」
そうでなければ命が危険だと思っての台詞だった。
話の成り行きでこうなったのだから、レインズはこんなことを言われるとは考えていなかっただろう。
そのはずなのだが、奇妙なことに、この台詞を待ってましたと言わんばかりにレインズは頷き、
「――言ったな?」
そう言った。
それはまるで自分の望むように話が進んだ、と言っているようだったが……そうだとしても、ゲオルグの気持ちは別に変わらない。
親友の結婚。
そのために力を貸すことに、何の躊躇が必要なのか。
だからこそゲオルグは、レインズの反応に不思議に思いつつも深くなずいたのだった。