第25話 ゲオルグの勘
「……で、そのあとはどうなった?」
アインズニールの大通り、その裏路地にあるこじんまりとした酒場の主、ニックがカウンターの向こう側でグラスを拭きながら、ゲオルグにそう尋ねた。
一仕事終えたあとに日も暮れて、流石に自分で食事の用意までする気の起きなかったゲオルグが、今日は楽をするかとここを訪れたのが少し前。
それからしばらくしてレインズもやってきて、今、店にはニックも入れて三人の男がいることになる。
どの男も明らかに普通に生きてきたとは言い難い雰囲気と視線を持つが、それでも店の中に漂う空気は穏やかだった。
ちなみに、ニックとレインズには、カティアと話した内容をある程度話している状態だ。
ある程度、というのはつまり裏の事情については言っていないと言うことだ。
言ったのは、王都の冒険者組合がいわゆる《研修》のために、地方の冒険者組合から冒険者を募りはじめている、というくらいである。
そしてそれは数年に一度くらいの頻度であることで、特に不思議な話ではない。
「そのあと? そのあとは……カティアが戻ってきたあとにきっぱり断ったさ。手元に夢中で上の空だったって謝ってな」
ゲオルグがそう答えると、
「……かあっ! バカだねぇ! お前は。別にいいじゃねぇか。王都くらい、ちょろっと行ってこいよ。減るもんじゃねぇんだ」
レインズが額を大げさに叩きながらそんなことを言う。
その仕草は、容姿には似合わない三枚目の風情を漂わせているが、彼のこんな行動はこの店の中や、ゲオルグの家、それに昔からの馴染みと一緒にいるときなど、限られたところでしか見られない。
普段、冒険者組合にいるときは、周囲の期待に応えて洗練された仕草と言葉遣いをする男なのだ。
それでも、親しみやすさはレインズの本質なのか、常にどことなく感じられ、若い冒険者にもよく話しかけられてはいる。
……女性が多いのは、きっとそういう理由だろうが。
「減るもんじゃないって……確かにそうだけどな。ああいうのはもっと将来有望な奴が行くもんだろ……」
「たとえば誰だよ?」
「俺やお前は冒険者としてけっこう薹が立ってるからなぁ……ニコールとかどうだ? あいつならまだ若いだろ」
「……あぁ、まぁ……わからんでもねぇが、そいつはダメだな」
「あ? なんでだよ」
ゲオルグが即座に否定したレインズに首を傾げると、レインズはすぐに、
「ま、それはいいんだよ。ともかく……俺やニコールがダメなら、ゲオルグ、お前が行ってきたって別にいいだろう? 冒険者組合としてもB級出せって言われたらそんなに選択肢はねぇんだ。かといって本部に腕のいいのをって言われてんのにC級を出すのも面子に関わる。となりゃな……」
これに店主のニックも頷いて、
「……前回の本部研修は五年前だったから俺が行ったが、悪くない生活が出来るぞ? 宿泊はB級には王都でも上から数えた方が早い宿があてがわれるし、王都にいる間は依頼もかなり便宜を図ってくれるからな。そのかわり、断りにくい指名依頼も少なくなかったが……」
ニックは、ここでこんな店を始める前は、冒険者だった。
それも、かなりの腕利きである。
引退したときはB級だったが、あと二年やってれば確実にA級になっていただろうとまで言われていたほどだ。
かなり惜しまれての引退で、その気になれば他の地域で冒険者組合長や武術師範、それに貴族の家庭教師などの口もあっただろうに、そういった勧誘の全てを断って、ここで酒場を開いたのだ。
しかし、その理由を彼に尋ねても答えてはくれない。
けれど、若い頃、ニックがパーティーメンバーをこの街で亡くしていることをゲオルグは知っている。
触れることはないが。
「だから、そういうのがいやなんだよ。指名依頼なんざ、肌にあわねぇ」
ゲオルグがそう言えば、レインズは、
「依頼の好き嫌いをすんなって。だいたい、イヤなら別に断れねぇわけでもねぇんだしよ。きっとお前なら王都でもうまくやれるぜ?」
「おい、なんだか俺が行く方向で話をしているだろう、ニックもレインズも」
会話の流れに気づき、ゲオルグがそう言うと、二人は視線をそらした。
「お前らな……はぁ。確かに、正直なところを言えば、本当は別にいいんだけどよ。行っても行かなくても。ただ、今更って感じがしてなぁ……」
「そいつは俺にもわかるぜ。十年前なら素直に行ってただろうな?」
レインズが頷いてゲオルグの言葉に理解を示す。
そしてそれは事実だった。
もう少しで不惑。
冒険者としては未来よりも過去が、栄達よりも引退の方が近しく感じる年齢である。
若い頃は違った。
昔を懐かしく思い出すことなどほとんどなく、いつか自分は英雄になるのだと思っていた頃がゲオルグにもあった。
だが、今は……。
「ま、そういうこった」
別に今は夢も希望もない、なんて言うつもりはない。
この年にはこの年なりの、夢と希望がある。
が、それは別に都会での華々しい栄達ではないというだけだ。
「お前の気持ちは分かったぜ。だが、そういうことなら尚の事、行ってこいよ。どうせ誰かは行かなきゃならねぇんだ。それに《研修》なら、高位冒険者の他に、下位冒険者も何人か行かなきゃならねぇはずだぜ。そいつらのお守りはしっかりした奴がやらねぇと。その点、お前は適任だぜ、ゲオルグ。なぁ、ニックの親仁もそう思うだろ?」
レインズがそう言うと、ニックは視線を宙にさまよわせる。
昔のことを思い出しているらしい。
「……そうだな。俺のときは、二人パーティーの新人のガキたちと、三人パーティーの中堅も一緒だった。こう言っちゃなんだが、田舎もん丸出しでな……王都でもいろいろあったぜ。一応、一番ランクが上の俺がお守りしなきゃならなかったからな……下位冒険者とは言え、冒険者組合が推薦した奴らだからな。そこそこしっかりしてるはずなんだが、それでも王都にいるともめ事が絶えなくて……駆けずり回って、ぎりぎり、なんとかなったが、変な奴が行くとアインズニール冒険者組合の名が落ちかねねぇ……だが、ゲオルグなら、やれるんじゃねぇか?」
遠い目をしているニック。
その瞳に映っているのは、王都での思い出だろうが、話を聞いているうちにゲオルグは少しげんなりしてくる。
「……本当にそんなお守り……俺が出来ると思うか?」
もし仮に、万が一ゲオルグが《研修》に行くとして、その場合、ニックがかつてやっただろうそのお守りの役目を引き受けると言うことに他ならない。
それが出来る、とはとてもではないがゲオルグには言える気がしなかった。
けれどこれにレインズは、
「出来るって。お前、この間の鬼人退治でC級パーティー励ましてただろうが……それに聞いたぜ? それこそ新人のお守り……迷宮での新人冒険者の補助依頼も受けるようになったらしいじゃねぇか? あんなに嫌がってたのに。しかもよ、評判いいぜ、お前」
と、意外なことを口にする。
ゲオルグは、
「……お前、耳が早いな」
とレインズに尋ねる。
確かに、以前、冒険者組合新人職員であるマリナに薦められ、受けたことがあった。
一度受けて以来、迷宮に鬼人の巣が出来てしまったから、その後、受けることは出来ていないが、落ち着いたらまた受けてみてもいいかもしれない、とも思ってはいた。
とはいえ、実際に受けたのは一度切りなのだ。
ゲオルグがそれを受けたことを知っている者は多くないはずなのに、レインズが知っていることに少し驚いた。
「ガラの野郎が話してたからな」
そして、そんなレインズの答えにゲオルグは納得する。
依頼を受けた後、迷宮に向かう前に話した冒険者がいたが、その男こそ、ガラである。
奴に聞いたのなら、それは知っていて当然であろうと。
さらにレインズは続ける。
「それだけじゃねぇぜ。結構な数の新人どもが話してくれたからな。『迷宮で助けられて助言までしてもらったんですけど、肝心の名前を聞いてなかったので知っていたら教えてくれませんか』って」
「あぁ……」
確かに、ゲオルグはあの依頼のときにあまり名乗らなかった。
大事なのは新人たちの探索を助けることだからだ。
加えてあまり長居すると怖がられるんじゃないかと思って必要な助言をしたらさっさとその場から去っていたというのもある。
「……しかし傑作だぜ。どんな奴だ? って聞いたら、『あの、すごい……鬼人みたいな人です』ってだいたいが言ってたからな」
「……名乗らなくて正解だった……と言いたいところだが、名前、教えてしまったんだよな?」
「ああ。ダメだったか?」
これで新人からも鬼人扱いされるのが確定したようなものだ。
ダメに決まっている……と言いたいところだが、見た目はどうにもならない。
まぁ、しかしそれでも、別にわざわざ鬼人扱いするために名前を聞いたわけではなく、どちらかと言えば恩人の名前を聞きたいニュアンスであることはわかるので、これは良しとするほかない。
ゲオルグは首を横に振って言う。
「……いや。構わねぇよ」
「ならよかった。ともかく、そういうことだからよ、お前、若いのから慕われる素養はあるぜ。お守りも出来る出来る」
軽く言うレインズである。
これにゲオルグは、
「それならレインズ、お前の方がずっとそういう素質はあるだろう? たまに見るぞ。お前が若い奴らに囲まれてるところを」
実際、たまにゲオルグが冒険者組合で、新人が依頼を受けに集まる時間帯に来ると、その新人の一部から熱烈に囲まれているレインズを見ることがある。
レインズもレインズで、ゲオルグとは違う理由で冒険者組合に新人が多く集まる時間帯は避けているようだが、寝坊とか、受ける依頼の性質とかで、仕方なくそういった時間帯に来ざるを得ないこともある。
そういうときに、見るのだ。
そんなゲオルグの言葉に応えたのはレインズではなく、ニックだった。
「レインズの場合、新人に慕われてるってよりも、若い娘にもててるってのが正しいだろう。まぁ、男に好かれねぇって訳でもねぇだろうが……」
確かに、いつもレインズを囲んでいるのは、新人の中でも若い娘である。
自分のパーティーをほっぽりだして、レインズに話しかけに……。
そんなパーティーメンバーを見ながら、同じパーティーに属する少年たちが恨めしそうな目でレインズを見ているのも何度か見かけた。
罪作りな男である。
「……色男はつらいぜ……」
「抜かせ」
レインズの言葉に軽くつっこみを入れて笑ったゲオルグ。
レインズもすぐに笑顔を返し、ニックも鼻で渋く笑った。
「……へっ。とにかくだ、こんな色男がいたら、王都が騒ぎになるだろうが。だから、俺は行けねぇってわけだ。おまえなら大丈夫だろ」
「俺の場合、鬼人が王都に入ってきた! とかなりそうじゃねぇか?」
「ありそうだ……ってそんなわけねぇだろ。だいたい、王都くらい行ったことあるだろう」
王都までの護衛依頼、とかそういう依頼は確かに受けたことはある。
だから行ったことはあるし、当然、いくら人間にしては似ていると言っても、本当に鬼人が……なんてことになったことはない。
あくまでただの冗談だ。
「まぁな……なんだ、やっぱり俺が行く感じで話がまとまってしまってるな……」
ゆっくりと話していくうちに、なんとなく足が向かない、という気分も晴らされてしまった感じもある。
そもそも《研修》自体も、永遠に王都に、というわけではなく、ある程度の期間、というだけなのだ。
いずれアインズニールに戻ってこられるのだから、そこまで深刻に考えなければならない話でもないのが実際のところだ。
ニックとレインズがここまでゲオルグが行った方がいい、というのなら、それに乗るのもいいか、という気もしている。
とはいえ、ゲオルグには気になることが一つあった。
ゲオルグが王都に行くのはいい。
それはいいのだが……。
「……おい、レインズ」
「ん? なんだよ……」
ほろ酔い気分のレインズがぼんやりそう答えた瞬間に、ゲオルグはその開いた懐を突き刺すような質問をする。
「お前、ニコールとなんかあったな?」
レインズの口元に運ばれようとしていたグラスが、その瞬間、氷のように停止した。