第22話 ゲオルグの後始末
「うわぁ……マジかよ」
アーサーが顔をゆがめながら見ているのは、ゲオルグが鬼妃の腹に手を突っ込んで、その中に見える影――つまりは、鬼妃の孕んでいた鬼人を引き出している様子である。
いくら冒険者になって、何度か狩りに出た経験があるとはいえ、率先してグロいものに関わりたいという精神をしていないアーサーにとって、もはや死んでいて動かないとは言っても鬼妃の腹に直接手を突っ込む、というのは狂気の沙汰に感じるのだ。
まぁ、それでも魔物の解体をした経験は何度かすでにあるから、冷静にそれと比べるとどっちもどっちな話なのだが、なんとなく嫌だ、というのは理屈ではない。
それに比べて、ゲオルグの表情は不動である。
ぬらぬらとした粘液を出すよくわからない生き物の腹に潜り込んでそこから攻撃を加えたり、などと言った経験が山とあるゲオルグにとって、これくらいのことは何でもない。
特殊な能力を持った存在であるアーサーとは言え、駆け出しとはそもそもの経験の数が違うのだ。
そして、どうしてゲオルグがそんなことをしているのかと言えば、アーサーの横に浮いているエレヒアが、鬼妃の腹を指さして、そこに自分の求める者がいると言ったからだ。
エレヒアが、
「さぁ、アーサー。そこからそれを引き出してください」
とアーサーに言ったのだが、アーサーは面食らった様子で、
「えぇ!? 俺が!? この気持ち悪いのから!?」
と叫び、さらに何度も逡巡して、
「いや、無理だって……気持ち悪すぎだろ……だってさ……無理無理無理!」
と完全拒否するに至って、エレヒアが、
「仕方ありませんね……セシル、貴女なら……」
と水を向けた。
しかし当然と言うべきか、セシルも顔を青くして、
「いや、あの、わたしはちょっと鬼妃アレルギーがあってな。触るのは無理なんだ、申し訳ないな……いや、アレルギーさえなければ、良かったんだがな、残念だ。実に残念だ……」
と非常に嘘くさい言い訳をし始めた。
ことここに至って、エレヒアは、ゲオルグの顔を見て、
「では、よろしくお願いします」
と言い出した。
ゲオルグが突然の台詞に、
「……何がだよ……」
とげんなりした様子で訪ねるも、エレヒアは、
「え? もちろん、それを取り出すことについてですよ。慣れておいででしょう? ベテラン冒険者さん」
という。
確かに慣れていないわけではない。
ただ、なんで自分なんだ、と思わずにはいられなかった。
しかし、ここにいるのはアーサーとセシル、エレヒアとゲオルグだけであり、うち二人は拒否、エレヒアは透ける体である。
一応ものに触ったりは出来るようだが、継続的に実体化し続けるのは難しいらしく、こういう作業は出来ないのだということだった。
そういうことなら、もはや仕方がないだろう。
何の義務もないが、ゲオルグはその人の良さを発揮して、
「……仕方ねぇな」
そう言いながら、作業に取り掛かり始めたのだった。
エレヒアの話によれば、この鬼妃の腹の中にいる存在はアーサーと同質の存在であり、世界を救うために必要な一人なのだという。
大切に扱ってくださいと言われ、剣で腹を切り刻んで出すという訳にも行かず、遠い部分を切り裂いて、そこから腕を突っ込んで取り出すという世にも悍ましい方式になったのだった。
それからしばらくして、ずるり、と音がして、鬼妃の腹の中にいたそれは引き出された。
ゲオルグはそれを見て、驚く。
「……こいつぁ、なんだ。鬼人って言うより、人族みてぇな……?」
ゲオルグがそう言ったのも無理はない。
鬼人と言えば、大概が巨体を持っていて、また人とは異なる体色をしている異形なのである。
しかし引き出したそれは、まるで人族の少女のような容姿をしているのだ。
十四、五歳の若干華奢な少女。
顔立ちもほぼ人族そのもので、頭の辺りに鬼人であることを少しだけ主張するように、角らしきものが見えるくらいである。
服も着ていないが、その状態でも体のどこにも鬼人らしさが感じられない。
「それは当然ですよ、その子は鬼人であって鬼人でない、特別な存在ですからね」
エレヒアがそう答えるも、今一納得できないゲオルグである。
なにせ、こんなものは初めて見たのだから当然だ。
それをあっけらかんと説明されても納得できるわけがない。
けれど、そんなゲオルグの心境などどうでもいい、と言わんばかりにエレヒアは、
「では、ゲオルグさん。ありがとうございました。アーサー、運んでください」
と指示する。
アーサーは未だ粘液でべたべたの少女を見て困った顔をして逡巡していた。
その間にセシルが自分の外套で少女を包む。
それからしばらくして、決意が決まったらしく、アーサーは、
「よしっ……」
そう言って、少女を肩に背負った。
未だ駆け出しとはいえ、それなりの力はあるらしく、十四、五の少女を抱えるくらいは十分に出来るようだ。
それから、アーサーは、
「おっさん、なんか色々迷惑かけたな。俺たちは行くよ」
そう言って、広間の出口の方に向かっていく。
セシルも軽く会釈をし、
「では、また街でな」
と言い、最後にエレヒアが、
「あぁ、ゲオルグさん。ここであったことは秘密ですからね。じゃないと世界が滅ぶので」
と嘘か本当かよくわからない口調でいい、去っていった。
ゲオルグはそんな三人を何とも言えない心境で見送ったが、全員がいなくなってから頭をばりばりと掻いて、独り言を言う。
「……わけわかんねぇな。っていうかこいつらになんて説明したら……」
エレヒアがかけたらしい、時間停止により動きを停止させているレインズたちを見て、ゲオルグはそれが解けるまでの間、頭を悩ませたのだった。
◆◇◆◇◆
「では、最後の一匹に止めを刺した瞬間、こうなったと言うことですか……」
カティアが難しそうな顔でそう、答えた。
ゲオルグはその言葉に頷き、
「あぁ。お前らは意識が一瞬飛んでたみたいだが、たぶん、腹の中の一匹の最期のあがきみたいなもんだったんだろうな」
そう答える。
自分でも苦しい説明だと思うし、そもそもエレヒアの忠告を馬鹿正直に聞いてやる義務もないのだが、あえて乗ることにしたゲオルグであった。
それに、別に絶対にありえない話でもない。
ゲオルグも過去の鬼人の巣の討伐例は調べて知っているが、その中で、鬼妃の腹の中にいた鬼人の子供の魔力が暴走して、一瞬、幻惑状態になった、という話はいくつかあった。
今回のもそういうことだった、という話にすれば、ここにいるゲオルグ以外の三人はほぼ一流どころの冒険者しかいないため、逆に納得するだろう、という計算だった。
実際、ゲオルグがその事例に言及しなくとも、レインズが、
「……そういや、西レントスの鬼人の巣の討伐のときは、そういうこともあったと聞いたことがあるな。他にも同様の事例がいくつかあったはずだ」
と話し、それに同意するように、カティアとニコールも、
「それは私も知っています。ですから注意していたのですが、実際になってみると全く意識が出来ませんでした。これは恐ろしいものですね……」
「話に聞いてたよりやばい奴だった、ってことだろうね。最後まで気を抜いたつもりはなかったんだが、もっと気を引き締めなければ……修行が足りなかったよ」
と言っている。
ゲオルグとしてはお前らちょろすぎだろ、と言いたくなるような反応だが、三人ともゲオルグの人柄を知っているため、むやみやたらに人をだますことなどあり得ないと思っているがための反応だった。
他の、あまり知らない冒険者がこんなことを言い出せば、それなりに疑って話を聞いて、場合によっては詰問すらしていただろうが、今回ばかりはゲオルグの積み重ねが良い方向に作用した。
これによって、レインズたち三人が、これから間違った判断をしたりするようなことがあればゲオルグとしても問題を感じるが、三人とも今のランクに上るまでに痛い目にはそれなりにあっている。
何があっても、油断したり気を抜いたりする方向で話がまとまることはないだろう、と思って話したため、問題はないだろう。
ともかく、これで全ては終わった。
後は残党狩りが残っているだろうが、それはもうゲオルグたちの仕事ではなく、C級以下の冒険者たちの仕事だ。
それを奪うのは、彼らの稼ぎを奪うことになり、よくない。
そう思って、ゲオルグは言う。
「それじゃ、あとは適当に素材を回収して戻るか。特に鬼妃と鬼将軍のものは持てるだけ持っていきたいな。他のは……まぁ、質もあれだし、無視でもいいだろう」
通常の鬼人の素材に関しては、かなり乱暴に戦ったためそのほとんどが使い物にならないようなレベルで傷ついている。
特にゲオルグが倒したものはその傾向が強い。
レインズやカティアが倒したものは傷も少なく、十分に素材として活用できるものだが、いかんせん数が多すぎてすべてを回収する気にはならない。
ただ、カティアは、
「鬼魔術師の角だけは必ず確保しますよ。というか、ゲオルグさん、どれがいいか見ていただけます?」
とゲオルグの耳元でこそりと言った。
彼女がそう言うのも最もな話である。
なぜなら、カティアの【魔銃】を修理するために必要な最後の部品が、鬼魔術師の角であるのだから。
そして修理する技術者がゲオルグであり、修理するために最も適切な逸品を選ぶのにこれ以上の適任は他にいない。
小声なのは、レインズとニコールに聞かれないようにするためだろう。
レインズはすべて知っているが、ニコールはゲオルグの副業については何も知らない。
しっかりとした配慮だという訳だ。
「おぉ、そうだったな……。ま、鬼魔術師や鬼騎士なんかの希少個体の素材は流石に確保するつもりだから安心しろ。俺はそれなりの容量のある拡張袋を持ってるからな。カティアもあるだろ? レインズとニコールも確か持っていたはずだ」
拡張袋は錬金術によって作り出すことの出来る、内部空間を拡張した袋のことだ。
見た目よりもずっと物が入るため、冒険者にとっては垂涎の品であるが、職人の腕によって性能が大幅に異なり、また生産数も少ないために中々手に入れることは出来ない。
ただ、ゲオルグは自作が出来、レインズはその伝手で持っていたりする。
ニコールについては父親が手に入れたものを譲り受けた形だ。
ゲオルグ自身は師匠二人がその持てる技術すべてを注ぎ込んだ最上級品を持っており、ゲオルグが作るものは流石にそこまでの品ではない。
そんなわけで、ここには普通ではありえない、一パーティの全員が魔法の袋持ち、ということになる。
ちなみに、ゲオルグは、カティアがそれを持っていることを、ハリファの店で希少な素材をいくつも取り出したことから察していた。
ああいった素材を劣化させずに保持することは通常難しく、それを忙しいA級冒険者であるにもかかわらず可能にしているのは拡張袋の効力であろうと。
時空魔術それ自体を使うことが出来ないゲオルグであるが、錬金術師には拡張袋にそれを付与するのは素材の組み合わせで限定的にだが可能とする技術がある。
つまり、拡張袋の中には、内部空間の時間の経過を止める効力を付与されたものがあり、ゲオルグとカティアの持っているものがまさにそれである。
そう言うものは、当然一部の錬金術師しか生産を可能としていないので、頭が痛くなるほどの値段がつくものだが、カティアのようなA級冒険者なら買おうと思えば買える品であった。
ちなみにゲオルグが作り、レインズに譲ったそれにはそこまでの性能はない。
技術の問題というより、そもそも素材の問題でどうしようもなかった。
時空魔術を限定的とはいえ実現するために必要な素材は、それこそそう簡単に手に入るものではない。
B級冒険者程度の伝手ではどうにもならない品ばかりなのだ。
カティアはゲオルグの言葉に若干驚き、しかしすぐに納得するように苦笑して、
「……そうですよね、一流の細工師となれば、見ればわかりますか……」
「というより、少し不注意だったな。興奮していたのかもしれねぇが、あの素材を綺麗に保存するのは本業でも簡単じゃない。忙しい冒険者にゃ、何か特殊な手段でもないと無理なのさ」
「そういうことでしたか……【魔銃】が直ると思って浮かれすぎましたね。今度からは気を付けることにします」
そう言ったのだった。