第21話 ゲオルグの再現
「さて、まず私のことですが、エレヒア、とお呼びください」
向こう側の透けている金髪の少女がそう言った。
「エレヒア、ねぇ……。分かった。それで? まず……これはどういうことなのか説明してくれるのか」
周囲を見て、完全に静止している状況にあるレインズ、ニコール、カティアに視線を示しつつゲオルグはそう言った。
こんな技術を、ゲオルグは知らない。
確か、時空魔術というものもこの世には存在していて、それを身に付ければある程度、時間と空間を操る術を得られるということだが、それにしてもここまで大規模かつ強力に人の動きを完全に静止させることは出来ないだろう。
それが出来るのは、神か悪魔の所業であり、目の前の少女がそのどちらかであるのかもしれないとゲオルグは考え始めていた。
そして、案の定、というべきか少女は、
「ええ、構いません。と、申しますかそれほど長い説明があるわけではないのですが、一言で申しますと、私がやった、ということになるでしょうね」
と、こともなげに言い放つ。
「やっぱりか……まぁ、さっき後ろで話しているのも聞こえていたことだし、それほど驚きはしないが、問題はその手段だ。どうやってこんなことを……?」
「あなたのご想像通り、普通ならばできません。が、この世界を管理する存在の一人である私には出来るのです」
ゲオルグの質問に少女は特に秘密を語る風でもなく、端的に答えた。
とても分かりやすく、そうか、なるほど、という気分に一瞬陥りかけたゲオルグだが、
「いやいやいやいや、ちょっと待て。嬢ちゃん。“この世界を管理する存在”だって? つまり、嬢ちゃんは神だとでも?」
頭が回りだして、その言葉がおかしいということに気づく。
というかそんなことがありうるのか、と率直に思った。
ゲオルグの質問に少女は、
「神ではありません。どちらかというと、その概念で言うなら天使とかでしょうね。まぁ、細かいことはいいのです。ともかく、この状況は私が起こしたということをご理解いただければ」
「……細かいことって」
細かくはねぇだろ、と言いたくなったゲオルグだが、これに対してはセシルとアーサーが仕方のなさそうな顔で注釈を入れる。
「……初めからこんな調子なんだ、こいつは。とにかく世界に危機が迫ってる、だから救世主が必要で、そのうちの一人が俺だって。その他については些末な話だってのらりくらり……」
「アーサーから話を聞いたあと、色々あってな。私もエレヒアと話すようになったのだが、私が話しても同じだ。堂々巡りというか、核心については話す気がないようだ」
それが事実だとしたらとんだ救世主の押し売りもいいところだ。
それに、もしそうだとしたらアーサーとセシルはなぜこんなものを信じているのだろうか。
本人は天使だとのたまっているが、悪魔とかそういうものである可能性もあるはずだろう。
そう言うと、アーサーは、
「……おっさんはもう分かってるだろうけど、初めて会った時のあれだよ、あれ。あれがあるから信じるしかなかったんだ」
「あれってぇと……俺がお前に殴られたときの、あれか?」
「そうだ。うーん……試しに、もう一回やってみていいか? それで分かると思うんだけど」
「殴られるのは御免なんだが……」
あのときは売り言葉に買い言葉みたいなもので、殴られても構わないくらいの心境だったが、今この場で改めてぶん殴られるのはいやすぎる。
しかし、アーサーが説明に必要だという以上、受けないという選択肢もないだろう。
アーサーも申し訳なさそうな顔で、
「気持ちは分かるんだけど、これが一番分かりやすいだろ? ベテラン冒険者のおっさんには最適だと思う」
「……はぁ。仕方ねぇ。どんと来いや」
アーサーの言葉にはゲオルグの過ごしてきた年月や、冒険者として積んできた経験に対する敬意のようなものが感じられ、そこまで評価されて首を振るのは男の沽券にかかわるな、とゲオルグは思った。
だからこその返事だったが、セシルは若干うんざりとした顔で「……男は皆、拳で分かりあえると認識してるのか……?」と首を傾げている。
まぁ、間違いではない。正解でもないが。
それから、アーサーの間合いらしい数歩分を開けて、ゲオルグとアーサーは向かい合って立つ。
そしてアーサーが拳を振り上げながら、ゲオルグに向かってきた。
やっぱりというべきか、相変わらず、ゲオルグから見れば遅い拳だ。
駆け出し冒険者としてはそう悪くもないのだが、ゲオルグにとってはそれこそハエが止まる速度でしかない。
なのに、ゲオルグは驚くべきことにアーサーの拳に身の危険を感じた。
――こいつは、当たる。
そう確信できる何かが、アーサーの拳には宿っていたのだ。
今回は前回と異なり、しっかりと身構えて、どんな攻撃が来ようとも避けるか受けるかするつもりでいたゲオルグ。
当然、前回かすかにあったかもしれない油断など、今回はまったくなかった。
にもかかわらず、である。
実際に、アーサーの攻撃を避けるべく、体を捻ってみたのだが、気づいた時にはアーサーの拳はゲオルグの頬に命中していた。
とは言え、今回はしっかりと足を踏ん張っていたので吹き飛ばずに済んだがそれにしても驚くべき結果だったのは間違いない。
「……なんだ、これは。俺は確かに避けたぞ。それなのに……」
困惑しきりのゲオルグに、アーサーも頷いて、
「その気持ちは分かるよ。俺も一番最初はエレヒアにやられたからな……まぁともかく、その身をもって分かっただろ。俺の攻撃は、外れないんだ。絶対に《命中》する。そういうもの、らしい……。とは言え、何の制限もないわけじゃなくて、日に三回までしか使えないんだけどな。今のところ」
そう言った。
《命中》。
それは魔術か何かか、と思ったが、そんな単純かつ強力な魔術などこの世に存在しない。
命中率を上げるために一時的に動体視力を上げる、とか、身体操作能力を上昇させる、とかそういうものはあるが、結果だけ約束するような魔術はこの世にはないのだ。
それなのに、アーサーが使ったのは、まさにそういうものなのである。
今は単純に拳だけで来られたからまだいいが、考えてみれば、アーサーが武器を持っていた場合は恐ろしいことになるだろう。
顔を狙われて、かつ真剣で来られたらそれだけで死ぬ。
そうでなくとも、たとえば毒を塗った針でもいい。
そういうものを確実に当てられるのならば、その時点で少なくとも相手が人間である場合は終わりだ。
「……ちなみに、武器を持ってたら使えないとか、そういう制限はないのか?」
気になって尋ねてみると、アーサーは、
「ないな。剣を持って使ったこともあるし、他の武器とか、あとは投擲なんかにも試しに使ってみたことがあるが、《命中》の効力は全部に効いた」
なんと投擲武器にも活用できるらしい。
となれば、弓などにも効くのだろう。
活用の幅が広すぎる。
回数制限があるとしても、一日に三回も使えれば十分な切り札になることは想像に難くなかった。
とは言え……。
「……すげぇけどよ、世界の危機を救うとかいう大層な目標を掲げてるにしては、微妙な能力じゃねぇのか」
ゲオルグはふと、そう思った。
人間のような相手との一対一ならほぼ無敵に近い能力だろう。
しかし、救世主になるために使えるのか?
そう考えると、それほど使えなさそうだという結論がすぐに出る。
なにせ、世の中には強大な魔物がたくさんいて、そういう奴らには毒が効かない場合も少なくないし、ただ当たるだけではどうにもならないことも多いのだ。
これにはアーサーも同意して、
「俺もそう思ってエレヒアに聞いてみたんだ。そしたら、やっぱり俺一人の力じゃダメなんだとさ。他にもこういう、特殊な力を持っている奴らが世界には出現していて、全員で協力して始めて救世が成就するだろうって。本当かよって感じだよな」
この言い方に、空中に浮いているエレヒアは心外そうに、
「本当ですよ。まぁ、信じなくともこの世界が亡びるだけなのでそれでもいいというのなら……」
「待て待て、そうは言ってないだろ……というわけで、信じているというより、信じざるを得ないってところなんだよ。こんな力、普通なら存在しないってことも俺みたいな田舎者でも知ってるからな。何かあるだろうって考えるのは別におかしくないだろ? こんなわけわかんない奴もいることだし、同じ力を使えるみたいだし」
エレヒアを見ながら、アーサーは言った。
たしかに、アーサーの置かれている状況を見ると、彼の考え方も納得は出来たゲオルグである。
仮に全く納得できないにしても、これ以上の説明を求めても仕方がなさそうでもあった。
アーサーもセシルもこれ以上のことは分からないようだし、エレヒアについては語る気がなさそうだからである。
無理に聞き出す、という手段もなくはないが、そう思ってエレヒアに視線を向けると、彼女はジトッとした目で、
「……握手でもします?」
そう言って手を差し出してきた。
突然どうしたのかと思い、それでもゲオルグが手を差し出し、エレヒアの手に触れようとすると、
「……なんだこれ、触れねぇ……」
ゲオルグの手はするりとエレヒアの手を透過してしまった。
透明な時点でこの結末はなんとなく予想は出来ていたが、実際に確認すると何とも言えない気分になる。
幽体系の魔物であればこういうこともあるが、別に今は戦闘中でもなんでもないのだ。
幽霊だという感じでもないし、彼女から触れようと思えば触れられるようだし、一体どういう存在なのかさっぱりわからない。
にしても、これで一つ分かったことがある。
無理にエレヒアから聞き出すのは無理、ということだ。
ゲオルグから触れられない以上、それはどうしようもない事実だ。
幽体系の魔物用の武具を持って脅せば何とかなるのかもしれないが、そこまで戦闘態勢を整えて会いに行けば向こうも何か察するはずである。
逃げられて終わりだろう。
普段アーサーの傍で見なかった時点で、ずっと一緒にいるわけでもないようだし、こうなったらどうしようもない。
「……ったく。おかしな者に出会っちまったな……ところで、そういえばお前たちはどうしてここに来たんだ? 鬼人退治はほとんど終わった。残りはここだとあと一匹位しかいねぇが」
ゲオルグが思い出したようにアーサーたちに尋ねる。
彼らの奇妙な事情については理解したが、わざわざここに来た理由が分からない。
鬼人退治は確かにある意味で世界を救うための行っていると言いうるかもしれないが、それだってもう終わるのだ。
彼らがここに来ても仕方がないような気がする。
そう思っての質問だったが、これにはエレヒアが答えた。
「それは、先ほどアーサーが申し上げた、彼と《おなじもの》を探しに来たから、ということになります」
「そいつぁ……あの《命中》の力が使えるやつがここにいるってことか?」
「あれはアーサーだけの力ですので、他の能力ですが、何にせよ特殊な力を持つものの気配がここにあるのですよ」
それは一体。
ここにいる人間など、アーサーとセシルを除けば、レインズ、ニコール、カティア、それにゲオルグだけだ。
まさかその中の誰かがアーサーのような特別な力を……?
そう思っていると、エレヒアはふい、と視線の向ける方向を変え、そして指さした。
「そこに、います」
「……そこにって、こいつぁ、お前……」
ゲオルグが目を見開く。
アーサーもセシルも同様だ。
彼らからしても予想外だったらしい。
そう、エレヒアが指さした場所。
それは、ゲオルグが今にもとどめを刺そうとしていた、鬼妃の腹、そこに未だに残る、最後の一匹に他ならなかった。




