第2話 ゲオルグの趣味
当たり前と言えば当たり前の話だが、女性が出ていったあと、ゲオルグはその場にいた顔見知りの冒険者たちに死ぬほどからかわれた。
と言っても、ひどく侮られたとか、馬鹿にされたというわけではなく、茶化すような、笑いにするような、愛のこもったからかい方だった。
「おい、ゲオルグ。お前よっぽど手加減してやったんだろ? あのガキの拳、俺から見ても相当なへなちょこだったぜ」
とか、
「とうとう嫁でも貰おうかと別嬪に声をかけたまではよかったが、すげなく振られたな、ゲオルグ。しかし二人とも見ない顔だったが……」
とか、世間話レベルだ。
ゲオルグとしてはどちらも否定したいところで、少年の拳は本気で避けたのだし、女性に声をかけたのは亜竜の鱗の入手先について尋ねたかったからだ。
まぁ、しかし、別に何がなんでも訂正しなければならないほどの話でもないのも事実だ。
あんな、冒険者になりたての子供にやられた、となれば普通の冒険者であれば傷になるため、火消しに躍起になったりすることも少なくない。
けれどゲオルグはそんなものが問題にならないくらいの武名を築いている。
その証拠に、今、冒険者組合でたむろしている冒険者たちは皆、ゲオルグが手を抜いた結果ああなったのだと信じている。
だから、別にいいといえばいいのだった。
それからしばらくの間、ゲオルグは彼らのからかいを存分に受けて、ついでに「お前らもガキには気を付けろよ、俺みたいな目に遭うぞ」と冗談交じりに殴られるジェスチャー付きで言って笑いを取りつつ、冒険者組合を出た。
二割くらいは本気の混じった台詞だったが、それを読み取れたものはほぼいないだろう。
「にしても、あれは何だったんだろうな……」
ゲオルグは自宅までの道のりで、先ほどの自分の身に起こったことを考えてみた。
少年の拳をもらってしまった、あの瞬間のことだ。
少なくとも、ゲオルグは、しっかりと避けたつもりだった。
当たるつもりなどなかった。
油断もしていなかったと思う。
それなのに、気づいたら当たっていたのだ。
これは、きわめて奇妙なことだった。
当たる瞬間のことを何度思い出しても、分からない。
拳は確かに外れた、そう思ったのに、気づいた時には頬に少年の拳がめり込んでいたのだ。
屈辱、というよりかはあっけにとられた、に近い感情だった。
そんなことあるはずがないのに、と。
「……俺も年を取ったってことかね? いや……」
確かにかなり年はとっている。
これくらいで引退を決意する冒険者もいるくらいだ。
身体の衰え、というのは考えられない話ではない。
けれど、ゲオルグは今のところ、自分の体にそういうものは一切感じていない。
むしろ、今が全盛期であると言ってもいいくらいに体の調子は良かった。
闘技大会なんかに出ても相当いいところまで行けるし、魔物を倒していても違和感を感じたことはない。
まだまだ、年をとった、という感じではないなと冷静に思う。
だが、やはりそこで先ほどの出来事が引っかかってくるのだ。
しかし、
「……ま、考えてもわからねぇことは置いておくか。あとでレインズにでも相談してみることにしよう」
ゲオルグはどうしようもないとさじを投げ、切り上げることにする。
一人で考えてもわからないなら、誰かと話してみればいい。
それまでは放置だ。
他の冒険者ならともかく、昔からの知り合いであるレインズ相手なら、自分の不覚を話すこともできる。
レインズはゲオルグよりずっと頭脳派であるから、よい分析もしてくれるとも思った。
ちょうど自宅も見えて来たし、考えをやめるにちょうどいいということもあった。
それから、ゲオルグは、自宅に戻り、自室に籠もることにした。
◇◆◇◆◇
ゲオルグは真剣な顔で自室の机に向かっていた。
もしかしたら、冒険者として、魔物に立ち向かっているときよりもずっと真剣かもしれない。
ゲオルグの手の片方には魔導バーナーを握られていて、魔力を細心の注意で送っていた。
もう片方は様々な器具を持ち替えて、器用に地金である魔導金の形を変えていく。
脇には冒険者組合から返却してもらった二角狼の角が絶妙な大きさに砕かれ、磨かれて置いてあり、たまにそれをピンセットで取り、地金に巻き込んだりしていく。
どう見ても、冒険者の手つきではなく、一端の彫金師・錬金術師の業である。
実際、ゲオルグはその鬼のような容姿とは対照的に、ひどく手先が器用だった。
この才能を最初に発見したのはゲオルグの師匠である“彼女”であり、ゲオルグが食事番のときだけ妙に美味しく、飾り切りなども器用にこなしていることから気づいたのである。
“彼女”はそれが分かると、どこかから知り合いの彫金師や錬金術師を呼んでその技術をゲオルグに教え込ませ始めた。
当時、ゲオルグは、自分は冒険者になるのだからこんな技能は必要ないだろうと言ったのだが、“彼女”は、手に職を持つというのも悪くはあるまいと聞く耳持たなかった。
さらに、それでも“彼女”は決してゲオルグの修行の手を抜かず、苛め抜いてくれたのだから酷いものである。
修行の疲れを彫金で癒すという謎の生活サイクルが出来上がり、その感覚は今でもゲオルグから抜けていなかった。
また、ゲオルグが彫金師と錬金術師から一端の職人としての技能を認められ、職人としてどこに出しても恥ずかしくないと言われた頃から、“彼女”はよくゲオルグに自分が身に着ける宝飾品の製造を命じた。
材料は目玉が飛び出るくらい高価な品物であったりすることが少なくなく、どうやって手に入れたのかと聞けば、自分で採ってきたという。
あぁ、そういえば、この人は一流の冒険者だったな、とそういうときに思い出した。
当時、“彼女”は普段はめったに冒険者稼業をこなさなくなっていて、冒険者であるという事実がゲオルグの頭に容易には浮かばなくなっていたのだ。
ひどい修行を自分に課するサド趣味の凄腕武術家、という感覚で、同時に姉のような存在にも感じていた。
そんな彼女に、宝飾品を作れと言われて断れるはずがなく、ゲオルグの腕はどんどん上がっていた。
今でこそ思うが、あのときに沢山のよい材料を扱わせてくれたことが、今のゲオルグの技術の中に生きていた。
結果、ゲオルグは当時、駆け出しの職人に過ぎなかったが、今では超一流の細工職人になっている。
ただ、そのことは冒険者仲間でもレインズくらいしか知らないことだ。
こんな顔で、さらに腕力にものを言わせて戦うようなB級冒険者なのに、実は細工師ですなどと言ったらそれこそ笑われるに決まっているからである。
「……こんなところか」
ゲオルグはいくつも作り上げた部品を丁寧に組み上げ、“それ”を完成させた。
“それ”は複雑な文様の刻まれた金地金と、涙のように垂れる赤い宝石が絶妙に組み合わされた美しい簪であった。
ゲオルグの持つ彫金師の技術と錬金術師の技術の両方が惜しげもなく注ぎこまれたその簪は、当たり前のように魔力を帯びていて、身につければかなりの効果を得られるものと思われた。
ゲオルグもそのつもりで作り上げたもので、目に片眼鏡をはめ込んで簪を見る。
簪から、その効力を示す淡い輝きが浮き上がって見えた。
「……まぁまぁの腕力強化に、毒と麻痺の無効化……それと、全般的な魔術の強化か。それなりの出来だな」
ゲオルグはそれなりと言っているが、これはとんでもない話だった。
通常の錬金術師が出来るのは、せいぜい一つの効果の付与くらいである。
それを複数、しかもかなり強力な効果を付与するなど、一握りの職人のみが可能にしていることだ。
「じゃあ……売ってくるかね」
ゲオルグはそう言いながら、机の端に重ねてあった、これまたゲオルグの手製の銀細工のケースを手にとり、そこにちょうど今作った簪に合うように赤い光沢のある天鵞絨生地を張り込んで、簪を収める。
そしてそのケースを、無造作に皮袋に突っ込み、自宅を出た。
彼がこれから向かう場所は、知人の店である。
ゲオルグがこの街に来てから、レインズと並ぶ、長い付き合いを築いている知人の店だ。
◇◆◇◆◇
まず、ゲオルグが向かったのは、アインズニールの目抜き通りだった。
この国でも比較的大きい街であるアインズニール。
その目抜き通りであるから、日が暮れて街灯の光が点っている時間帯であるにもかかわらず、かなりの数の人が行きかっている。
身分も様々で、見ているだけで賑やかで楽しい気分になってくる場所である。
しかし、並んでいる店の性質によって、身分の偏りが出てくる場所もある。
ゲオルグがまっすぐに向かっているのは、その中でも代表的な、高級宝飾品店の並ぶ区画だった。
見るからにお貴族様にしか見えない者や、そうでなくても大店の主なのだろうと思しき者ばかりが道を歩いている。
このようなところを、こんな闇が支配する時間帯に、ゲオルグのような風体の男が歩いているのは怪しいにもほどがあり、これから強盗でもするの?と突然治安騎士に尋ねられても文句が言えないほどだ。
そのことはゲオルグ自身もよく分かっており、直接高級店区画には向かわずに、裏道を通って、目当ての店の裏口を叩いた。
「……どちらさまでございましょうか?」
上品で知性的な老人の声が扉の向こうから響いた。
少々の警戒のこもった声でもあったが、ゲオルグは慌てずに答える。
「……俺だ。ゲオルグだ。新作を届けに来た」
唸るような、まるで獣のようであると思ってしまうような迫力のある低い声だ。
こんな夜中にこのような声を聞けば、高価な品を扱う店であればまさに強盗がやってきたと勘違いしそうなものである。
しかし、意外なことに、扉の向こうにいるだろう老人の声はとても弾んでいて、
「……ゲオルグ様!? これはこれは、ようこそおいでくださいました。今、カギをあけます。どうぞ、少々お待ちを……」
そう言って本当にすぐに、カギを開けてしまった。
強盗であれば、カギが開くと同時に扉を開き、店内に押し入るところだろうが、ゲオルグはカギが開く音がしても黙って立っていた。
それから、老人が扉を開き、中に入る様に示したので、頭を下げてひっそりと店内に入っていった。
◇◆◇◆◇
中に入り、しばらく廊下を歩くと、ゲオルグは執務室に案内された。
そこはこの店の主である老人ジョイアの執務室であった。
中にはジョイアのための執務机と、革張りのソファセット、それに水晶づくりのテーブルがある。
ゲオルグは慣れた様子でソファセットに腰かけ、ジョイアもまだ同様の様子でゲオルグの対面に座った。
それと同時に、計算されたようなタイミングで執務室の扉が開き、店員と思しき女性が紅茶セットを持って入ってくる。
彼女はよく教育された、流れるような仕草でジョイアとゲオルグの前にカップを置き、紅茶を入れると、深く頭を下げて静かに部屋を出ていった。
「……さて」
まず、ジョイアが口を開く。
「本日、当店にいらっしゃいましたのは新作をお作りになったから、ということでよろしいでしょうか?」
ジョイアの質問に、ゲオルグは頷いて答える。
「あぁ。今日、いい材料が手に入ってな。創作意欲が刺激されたんでちょっと作ってみた。出来る限り、いい値で引き取ってもらいたいんだが、まぁ、ダメなら捨て値でも構わん」
そう言って、ゲオルグは皮袋から銀細工のケースを取り出す。
それを見てジョイアは、
「……いつ見ても美しいケースですが、扱いがあまりに無造作に過ぎると愚考するのですが……」
と眉を顰めるが、ゲオルグは、
「この皮袋はこれで結構な品なんだぞ。中に入っているものに関しては完全に振動をカットするし、空気にも触れさせない」
「いえ、それは以前もお聞きしましたからわかってはいるのですが……」
単純に、どこにでもあるような皮袋から“商品”が出てくるのが心臓に悪い、ということらしい。
まぁ、その気持ちはゲオルグにもわからないではなかった。
とはいえ、これ以上に丁寧な扱いもないのだから、そこはあきらめてもらうしかない。
それから、ゲオルグは銀細工のケースをテーブルの上に置き、そしてゆっくりと静かに開いた。
すると、冷静な色を浮かべていたジョイアの瞳が、強い興味の色にきらりと輝く。
「お、おぉ……これは……また、素晴らしいものをお作りになりましたな。魔導金の地金に、この宝石は……?」
「二角狼の特殊個体の角を砕いて加工したものだ。かなり珍しくてな。付与素材としても最高峰に近いし、宝石としても滅多にない」
「二角狼の……。通常個体の宝石水晶も高級品ですが、特殊個体の……。聞いたことはありますが、滅多に見ませんね」
「よっぽど山奥に行かないと普通は手に入らねぇからな。街の近くでとなると、運がよくねぇと」
「と、言いますと?」
「二角狼はまぁまぁ危険な魔物だから、定期的に駆除されてるんだよ。特殊個体は通常個体がある程度、年を経たものがなるんだが、そうなる前に街の近くだと狩っちまう。だからだな」
「なるほど……ですから流通量があまりなのですね。それで、いかほどでいただけるのでしょうか?」
商人の顔で、ジョイアがそう尋ねてくる。
しかし、それほど厳しい表情でもない。
それは、ジョイアとゲオルグが長年の付き合いを持っているからであった。
そもそも、ゲオルグには大して金に対する執着がない。
正直なところ、いくらで譲ってもらえるか、と言われても……。
「言い値で譲るぜ。材料費さえもらえりゃ、俺はそれでいい。利益はお前がとればいい」
そういう話になる。
ジョイアはこのゲオルグの言葉に呆れたような表情で、
「あなたは……。こういうときは出来るだけふんだくるのが商人というものですよ。しかも、これほどの品となると……白金貨10枚出せと言われても惜しくないでしょう」
白金貨一枚が、金貨百枚に相当する。
つまり、金貨千枚分の価値がある、と言っているわけだ。
しかし、いくら二角狼の特殊個体の素材を使っているとしても、原価で言うと金貨五枚程度である。
魔導金の地金まで入れると金貨十五枚程度か。
それを白金貨などとは。
ゲオルグからしてみると、その値段はぼったくりだろうと言いたくなる値段に思える。
「白金貨って……」
「あなたは自分の腕を過小評価しすぎです。ここまでの細工物はクレアードの最高峰の職人が作り出すレベルですよ。それを……」
クレアードは細工職人の都と言われる街で、それこそ一つで軍艦一隻購入できるような宝飾品を作り出す職人が何人もいるところである。
ジョイアは、ゲオルグの腕がその街の最高峰の職人の腕に匹敵すると言っているのだ。
そしてそれは事実なのであった。
「褒めてくれるのはありがたいが、そこまでじゃねぇよ。で、いくらで買ってくれるんだ?」
ゲオルグはジョイアの言葉を軽く流して言う。
ジョイアは呆れた顔で、
「……昔から変わりませんね、貴方は。いいでしょう。白金貨一枚で購入します。店頭では白金貨五枚で出すことにしますよ」
「それで売れるのか?」
そんな大金を出して買ってくれるような気はゲオルグにはしなかった。
しかし、ジョイアは、
「見る人が見れば、間違いなく。ここが王都であれば白金貨二十枚でも三十分で売れたでしょうね」
そう豪語し、実際、数日後には見事に売れてしまったということだった。
◇◆◇◆◇
ゲオルグとジョイアとの出会いは、二十年は遡る。
当時、冒険者になりたてだったゲオルグは、一つの護衛依頼を受けた。
複数のパーティで、隣町に商品を運ぶ馬車を一台護衛するというものだ。
その依頼主がジョイアだった。
中に積まれていた商品については教えられなかったが、ジョイアの職業は当時から宝石商だったことから、宝飾品だったのだろう。
だからこそ、複数パーティで厳重な護衛を依頼したというわけだ。
しかし、このジョイアの行動はそのときは裏目に出た。
というのも、妙に厳重な警戒をしている馬車がある、これは金目のものがよほどたんまりあるのだろう、と盗賊に目をつけられてしまったからだ。
襲われて、戦闘になり、結果として盗賊は全員撃退したのだが、商品の方に問題が出てしまった。
依頼主であるジョイア、それに彼が連れていた従業員たちには怪我一つなかったのだが、積んでいるものが積んでいるものだ。
襲ってきた盗賊たちの中に魔術師がおり、馬車が何度か揺れることとなって、重要な品物が損傷してしまったのである。
これは、別に護衛を受けていた冒険者たちの失態、ということにはならなかった。
それは、ジョイアが積み荷の内容を言わず、また依頼内容はあくまで依頼主とその連れの安全確保を優先するようにとのものだったからだ。
当時の状況を鑑みるに、積み荷を優先すれば積み荷は無事だっただろうが、ジョイアとその連れの従業員の誰かが怪我をしたり死亡したりした可能性は否定できなかっただろう。
ただ、そうはいってもジョイアがかなり困ったことになったのは事実だった。
どうやら、損傷した品物、というのは向かっている街を治める領主が、婚約相手に贈ろうとしていたもので、相当な値のする一流品だったということだ。
しかし、見せてもらったそれは無残に壊れてしまっており、もはやその用途には使いようがなさそうだった。
せいぜいが、無事な宝石を取り外し、地金は鋳つぶして再利用する。
それくらいが関の山、といった感じだった。
見せてくれたのはそれくらいに壊れていたからだったのだろう。
しかし、このことが、ジョイアにとって運がいいことだったとは、ジョイアも気づかなかった。
ゲオルグは、途方に暮れて、憂鬱な表情をしているジョイアに言った。
「完全に同じとはいかないが、まぁまぁの品ならその残骸をもとに作れなくもないぞ」
と。
これをジョイアは笑ったが、ゲオルグが腰に下げた皮袋から「俺が作った見本だ」といくつかの宝飾品を出すや、その目の色が変わった。
「あなたが……これを? 冒険者なのでは?」
「趣味で彫金と錬金術をやってる。彫金はショハムに、錬金術はビリュザーに学んだ。どちらからも店を出す許可をもらってる。当分、そのつもりはないけどな」
と言うと、ジョイアは目を見開いた。
当時、ゲオルグは世間知らずでよく知らなかったが、ゲオルグが彫金と錬金術を学んだ師は、二人ともその道に置いて右に出る者なしとまで言われた第一人者であった。
その二人に、二十歳をいくつか過ぎた程度で店を出していいとまで言われるというのは、とてつもないことだと、ジョイアは語ったものだ。
ただ当時、確かに、彫金と錬金の師はすごい人たちだったが、弟子だったからと褒められるほどではない、とゲオルグは思った。
当時のゲオルグでは足元に及ばない高みにいる二人だと知っていたからだ。
店を出していい、と言われた時は誇らしかったのは間違いないが、それはあくまで最低限の技術を認められただけで、あの二人の作るものには遠く及ばないことはゲオルグが一番よく分かっていた。
けれど、ジョイアはそんなことを言うゲオルグに、
「いえ……この見本を見る限り、あなたの技術は大したものです。もちろん、技術料は出しますので、ためしに作ってみていただけますか。もしダメでも、違約金などは請求いたしません。その場合は、どうにか他の品を収められるよう努力しますので……」
そこまで言われて断る理由はゲオルグにはなかった。
技術料、と言ってジョイアが提示してきた金額は、当時のゲオルグにとって一年は生活できるほどの大金だったし、細工は冒険者と同じくらい好きで、時間が空いた時はよくやっていたから技術は鈍ってはいなかった。
ただ、金銭的に貴金属を購入するのは厳しく、頻繁に扱うわけにはいかなかった状況下で、久しぶりに質のいい貴金属を扱える機会が得られることもあって、ぜひやりたいと思った。
結果として、ゲオルグはその当時の自分の腕だとこれ以上は無理だろう、という出来の首飾りを作ることが出来、ジョイアも満足して貴族に収めることが出来た。
本来なら、事前に購入したものと異なる品を収めるのはかなり難しいことのような気がするが、ジョイアはその貴族に「素晴らしい品が手に入ったので、そちらに変更してはどうか」ということを言葉巧みに説明したらしい。
結果として、貴族は変更を受け入れ、婚約も滞りなく行われて、今でもその貴族の奥方の首には当時の首飾りが下げられている。
今でも、たまに洗浄や接合部分の調整などをする際にその貴族のところをジョイアに連れられて訪ねにいくこともあるので知っているのだ。
もちろん、その際にはゲオルグは無精ひげを剃り、髪を撫でつけて、ゆったりした服を身にまとって、全く冒険者に見えない格好で行く。
言葉遣いもできる限り丁寧にして、である。
だから知り合いがジョイアと一緒にいるゲオルグを見てもそれと気づかない。
気づくのは、レインズくらいのものだ。
貴族と対面するときも、ほとんどはジョイアが喋るため、ゲオルグのすることと言えば引きつった笑顔を維持することくらいだ。
他にも、ジョイアと共に受けて来た依頼は色々あって、細工師として、昔の自分の仕事に出会うことは少なくない。
そういうとき、昔の自分の仕事を手直ししたくなる時もあるが、同時にこれはこれでいいのだ、という気分になる。
それに、おそらく今作ろうとしても同じものは作れないとも。
何年も前の仕事の中に、若い時分の拙い技術を感じると同時に、若い時にしか注げない情熱と輝きを感じるのだ。
それを下手にいじくりまわしてひどいものにしたのでは目も当てられない。
それに、首飾りを持っている奥方がいつも嬉しそうにそれに触れ、旦那を見ている様子などを見ると、やはりあの仕事はあのままが一番いいのだろうという気分にさせてくれることも少なくない。
そういうわけで、自分の技術に、未だ納得がいっていないゲオルグであるが、そうやって誰かの幸せのために貢献できていると思うと、それだけで嬉しくなってくる。
冒険者の仕事も同じで、自分が魔物を狩ることによって、その被害に遭う人間が確実に減っているという実感があるからこそ楽しい。
だから、細工師も、冒険者も、どちらもずっと、出来るところまでやり続けていこうとゲオルグは思っている。
どちらも、人の縁を繫ぎ、人の未来を輝かせる素晴らしい職業なのだと知っているから。
今日ジョイアに売却した簪もまた、そうやって人と人の縁をつないでくれれば。
そう心の底から思って、ゲオルグは帰宅し、目をつぶった。