第19話 ゲオルグの集り
「……おいおいおいおい、マジかよ!!」
やっと辿り着いた鬼人の巣の深部、そこには、事前に予測していたよりもはるかに膨大な数の鬼人がいた。
それに加えて、鬼将軍までいて、それら全てが鬼妃を守る様にゲオルグたちの前に立ちはだかっていた。
その場所、迷宮の中でも《広場》と言われる、たまに存在するぽっかりと開いたホールのような空間の中に、二百体はくだらない数の鬼人がいるのである。
しかも通常個体だけではなく、鬼将軍や鬼妃以外にも、鬼騎士や 鬼魔術師もまるで当然のような顔をしてそこにいる。
いくらゲオルグたちが冒険者としてそれなりに経験を積んだ熟練冒険者であるとはいえ、この数を突破した上で、鬼妃を討つのは至難の業だった。
「これは諦めた方がいいんじゃないのかねぇ?」
わらわらと蠢く鬼人たちを前にして、アインズニール冒険者組合長の娘、魔法剣士ニコールがそう言った。
しかし、口で言うほど本気ではないことは、その表情と構えでわかる。
むしろ、煮えたぎる闘志を深く内に貯めているかのような力の入り方で、今すぐにでも突っ込もうと言っている方が似合いの顔だ。
「俺も同感だ……ここは逃げ帰って酒場でエールでも飲むことにしようぜ。奢るからよ」
そう言ったのは、美貌の剣士、レインズである。
彼はニコールとは異なり、表情も口調も本気で言っているように見えるが、長い付き合いのゲオルグにはすぐに分かった。
これは、ただの演技であると。
むしろ、絶対に引くわけには行かないと心を決めた時の顔だ。
今ここで、ゲオルグたちが戻ったら、アインズニールの街が一体どうなるかよく理解している彼らしい冗談の飛ばし方である。
いつだって涼しそうな表情を崩さないレインズ。
しかしその心根は真っ直ぐで、いつでも守る者のために命を捨てることを惜しまない本物の冒険者だった。
「逃げ帰るのは却下だが、エールの奢りはたった今決まったからな、レインズ。全部片付いたら、打ち上げだぜ」
「お、おいっ!」
ゲオルグの言葉に慌てだすレインズ。
しかしゲオルグは言葉を撤回しようとはしない。
そんなやりとりを見て、女性陣は笑い、それから、魔銃のA級冒険者カティアが言った。
「ふふっ。何だか冒険者になったばかりのころを思い出して楽しいです……こんなに愉快な冒険者は王都にはいませんよ。みなさん」
と本気なのか冗談なのか分からないセリフだ。
「確かに、こんなのがわらわらいられては困るね。鬼人と貴婦人の敵が群れをなしてやってくるようなもんなんだからさ」
ニコールがカティアの言葉に同意してそう言った。
確かにゲオルグの顔は鬼人によく似ているし、レインズはその顔立ちから数多くの女性と浮名を流す女の敵であるが、ひどい話だ。
ただ、否定できないことは本人たちも認めていて、
「……ま、さっさと仕事を終えてエールを飲むことにしようぜ、ゲオルグ」
「そうだな。これ以上ここで話してると二人に何言われるかわかったもんじゃねぇ」
と話をずらして前に進んでいく。
そんな二人を見て、再度くつくつと顔を見合わせて笑った女性陣であったが、鬼人たちの気配が変わり、警戒を向けられることに気づくと同時に、すでに武具を抜き放ち、そして攻撃に移っていた。
ゲオルグたちも同様であり、そこから目にもとまらぬ速さで鬼人たちを屠り始める。
その動きは個々人が全く関係なく、好きに戦っているように見えて、細かく見れば非常に合理的に敵を倒していっていることが分かる戦いぶりだった。
「うらぁぁぁ!!!」
数体の鬼人が、ゲオルグの振るう大剣の一振りでまとめて屠られたかと思えば、その後ろから現れた鬼魔術師の集団に素早く近づき、魔術の詠唱が行われる前にその首をすべて切り落とすレインズ。
「……ふん、いい盾使ってるじゃないか?」
鬼騎士の盾に攻撃を防がれ、剣が通らなかったニコールは無理に突っ込まずに下がり、後ろから、
「右へ!」
というカティアの掛け声に忠実に従い、右方向に体を動かすと、今までニコールが立っていた場所を掠めて魔銃に込められた魔術が小さく圧縮されて鬼騎士の盾を貫く。
ぐらりと体制を崩した鬼騎士の首を狙って改めてニコールは剣を突き込むと、一撃でもってその命を奪った。
そんな連携が、ほとんど打ち合わせなくぶっつけ本番で行われ続けているのに、誰一人としてしくじることは無い。
もしこの場に他のC級以下の冒険者たちがいれば、これがB級、それにA級の実力かと恐れおののいただろう。
それほどに彼らの戦いは洗練されていて、無駄がなかった。
徐々に減らされていく鬼人たち。
そしてついに、
「……あとは、こいつと、あれだけか」
ゲオルグがそう呟いた。
彼の目の前には、今まで戦ってきた鬼人たちより二回りほど巨大な体を持つ、強大な圧力を放つ鬼人がいた。その後ろには、鬼妃が大きなお腹を抱えて、通常の場所より一段高くされた台のようなところに腰かけている。
鬼妃を守る様に立つその巨大な鬼人が身に付けているのは重鎧であるが、その重さをまるで感じさせないのは、彼にとってその重量が人間にとっての皮鎧よりも軽いものだからに他ならない。
頭の上には、三本の長い角が見え、そのどれもが紫電を帯びてぱりぱりと音を立てている。
手にはおよそ人間のために誂えられたものとは思えない、とてつもない大きさの斧槍を持ち、油断のない構えでゲオルグたちを鋭く見つめている。
「鬼将軍、か。十年ぶりに見たな……相変わらず、すげぇ迫力だ」
ゲオルグがそう呟く。
そもそも、鬼人の巣が発生しない限り、通常の場所ではほとんど確認できない幻に近い存在である。
会ったことがあるだけ、運がいい、と言えるようなものだ。
いや、運が悪いのだろうか。
通常の冒険者なら、まず会いたくないと思う魔物なのだ。
「私は初めて見たが……やっぱり、強いんだろうね?」
ニコールが冷汗をかきながらそう口にすると、
「B級上位、もしくはA級相当の魔物だと言われているな。単独討伐は一般的なA級でも厳しい、と」
レインズが答えた。
カティアがこれに同意して、
「……私も戦ったことはありません。肉体的武術的に非常に優れていて、一部魔術も行使するとのことですが……」
「何でもできるタイプなわけだ。顔の割に器用な奴だな……どっかの誰かに似てるよ」
レインズが苦笑しながらそう言った。
ゲオルグとしてはこんなものと一緒にされてはたまったものではないが、微妙に親近感を感じないでもなかった。
もちろん、だからと言って戦わないわけにはいかないだが。
「……ぐる、ぐる……」
鬼将軍が息をするごとに、低い唸り声のようなものが響く。
どうやらあちらも準備完了だということらしい。
正直言って、もう少し休憩していたかったが、そうも言っていられない。
「さて、みんな、もうひと頑張りだぜ。レインズの財布を軽くするために、さっさとこいつを倒すことにしよう」
「ちょ、お前!」
俺がそう言うと同時に、レインズが慌てた声を出すが、その直後、鬼将軍がその構えた斧槍を引き、俺たちに向かって足を踏み出した。
それを全員が確認し、その場から飛びずさると次の瞬間、
どがぁぁぁん!!
という音がして、鬼将軍の斧槍が今までゲオルグたちがいた場所に振り下ろされた。
とてつもない轟音であり、どれだけの力で振ればあれほど巨大な音が鳴るのか想像もつかない。
また、斧槍の破壊力もただならないもので、叩きつけられた地面は完全に抉られてしまっている。
もしも人があの一撃をくらえば、切り裂かれるどころか破片となって飛び散り、跡形もなくこの世から消え去ることだろう。
さらに、それだけには留まらず、鬼将軍は即座に切り返してゲオルグたちに迫る。
そして、鬼将軍が初めにその狙いをつけたのは、最も華奢に見えるカティアであった。
身に付けているものも、魔銃を素早く撃ち込み倒す、という戦い方をしている関係で軽装であり、防御力が一番低いのは彼女だった。
それを一瞬で理解して詰めているとすれば、鬼将軍の戦いに対する思考能力は、熟練の戦士のそれと何も変わらないと言える。
魔物というのは、その多くが人間のような論理的な思考をしないものだが、高位のものになると必ずしもそうは言えないと言われる所以である。
とはいえ、見た目が軽く見えると言っても、カティアはこの中で最も実力の高いA級冒険者である。
その事実を知らず、また彼女の強さを認識できない点で、やはり鬼将軍といえども、所詮は魔物に過ぎないと言えるのかもしれなかった。
カティアは迫る鬼将軍から離れるのではなく、むしろ積極的に距離を縮めたのだ。
これに驚いたのはゲオルグたちだけではなく、鬼将軍もであったようだ。
一瞬動きが不自然に止まった。
ただ、それはあくまで一瞬であり、普通の冒険者なら容易に突けるようなものではなかった。
しかし、カティアは並ではない。
むしろ、数多いる冒険者のうち、篩に長くかけられても残った、極上の一粒である。
そんな彼女がせっかくの隙を見逃すはずがなかった。
「がら空きですよ?」
そう言いながら、鬼将軍の巨体の懐に入り込み、そしてその腹に二発の銃弾を撃ち込む。
発砲音が鳴ると同時に、鬼将軍はよろめき、数歩下がった。
しかし、その巨体は見せかけではなく、耐久力もまた、通常の鬼人とは一味も二味も違うらしい。
すぐに体勢を立て直し、改めて斧槍を構えなおすと、今度はゲオルグたちの中から一人を狙わずに、全体に向けて回転するように斬撃を放った。
カティアとニコールはこれを避けることに成功したが、ゲオルグとレインズは鬼将軍の背後にいたため、幾分か反応が遅れた。
結果としてゲオルグは近い位置で回転切りを受けることになったが、直撃はすんでのところで避け、剣でパリィすることに成功する。
とは言え、その衝撃は、地面を丸ごと抉るほどのものだ。
いくら大剣で受けたとはいっても、まったくのノーダメージという訳にはいかない。
「ぐっ……」
呻くゲオルグに、
「大丈夫ですか!?」
そう叫んだカティアだったが、
「いや、問題ない!」
ゲオルグはそう叫び、それから斧槍を振ったあと、もとの位置に戻そうとする鬼将軍の腕を狙って大剣を切り上げた。
「ぐおぁぁぁぁ!!」
ゲオルグの試みは成功し、鬼将軍の腕に大きな傷をつける。
ただ、それでもまだ浅いようだった。
鬼将軍の腕からは血が噴き出しているが、まだ斧槍を把持することが出来ているし、まだ斬撃を放つことが出来ているのだ。
しかし、かなり動きは鈍くなっており、そこを見逃すようなものはここにはいない。
いつの間にか鬼将軍の後ろ、足元の辺りに辿り着いていたニコールが、その剣に炎を纏わせて切り下す。
鬼将軍はそれに気づき、斧槍で防御しようとするが、腕の痛みに耐えられずに途中で動きを止めてしまい、そのまま背中をまっすぐに切られることになった。
さらに、レインズがバランスを崩した鬼将軍の足を狙って、強烈な斬撃を加える。
すると、鬼将軍の体のバランスがさらに崩れ、がくりと膝をついた。
「よし、ゲオルグ! 今だ!」
そうレインズが叫ぶ前に、すでにゲオルグは行動に移していた。
長い付き合いになる友人である。
一体何をやろうとしているか、その動きを見てすぐに理解できた。
つまり、あの膝をついて、首を前に差し出した体勢の鬼将軍、あれをゲオルグに切り落とさせる的として現出させようとしたわけだ。
レインズにうまいことやられたような気がするが、勝てばいいのである。
「……これで、最後だ!」
そして、ゲオルグはそう叫んで大剣を振りかぶり、そして何が起こるか直前に察する鬼将軍が顔を上げる前に、その首を、思い切り切り落としたのだった。




