第10話 ゲオルグの直感
「どこから話したらいいんだかわからないけど、俺がアインズニールに向かって進んでたことは話したよな」
アーサーがそう言ったので、ゲオルグは頷く。
「あぁ。当たり前の話だが、フリーデ街道をってことでいいんだよな? それと、徒歩でか?」
「フリーデ街道をってのはその通りだ。徒歩っていうのもな。途中までは行商人の馬車に乗せてもらってたんだけど、アインズニールまであと少しってところで下ろされてしまって……。もともと、そこまでしか行かないって話だったから、仕方なかったんだけどな。一応、宿場町で下ろされたから、他に乗せてもらえる馬車がないか探したんだけど、とてつもなく運が悪かった。一台もなくて……仕方なく、歩くことにしたんだ。遠いが、無理な距離でもなさそうだったからな」
このアーサーの言葉に、一体どこから歩いてきたのかと尋ねれば、確かにアインズニールにほど近い宿場町からだということだった。
ただ、いくら近いとはいえ、わざわざ歩くのはかなり億劫になるような距離だ。
普通に進めば、二、三日かかるだろう。
足がない以上はそうするしかなかったのだろうが。
アーサーは続ける。
「路銀は十分にあったから、数日かかるにしても、どうにかなると思った。それに、途中で馬車に乗せてもらえる可能性もあったからな。ただで無理なら謝礼も払えるし……少し気楽過ぎたけど、無計画に進んでたわけじゃなかった。だから俺の旅路は順調……そう思ってたんだけど、ふっと、目の前をいかにもって格好をした奴が通ったんだ」
普通の、旅慣れていない者ののんびりした旅の話かと思っていたら、突然雲行きが怪しくなる。
いかにもって格好ってどんなだ。
素直に疑問に思ったことをゲオルグは尋ねる。
「……どんな格好だよ」
「こう……真っ黒いローブを身に纏って、フードを深くかぶってて……口元だけ覗いてて、なんだか気味悪くにやにや笑ってる感じ……」
「なるほど、いかにもだな」
ゲオルグは深く頷く。
何か後ろ暗いことがあるにしても、いくら何でも目立ちすぎな変装である。
いや、変装かどうかは分からないが、十中八九、変装だと言いたくなるような格好だ。
これには、アーサーもセシルも同感のようだった。
「今時、暗黒教団ですらもっと普通の格好をしているぞ。まるきり怪しんでくださいと言っているようなものだ」
セシルがそう言って呆れた。
アーサーは頷き、
「俺もそう思うんだけど……ただ、なんだったのかな。集中していないと見失いそうな気配の奴だったんだ」
と気になることを言う。
ゲオルグには、その言葉に心当たりがあった。
「……隠密系の魔道具でも身に着けていたのかもしれねぇな。その黒いローブこそがそうだったのかもしれねぇ。だとすれば、その目立ちそうな格好でいたのも説明はつく」
言われて、アーサーは納得した顔で、
「そんなものがあるのか。確かに、何か変な感じだった……見ようと思っているのに、意識を反らされているような感じがして……」
「決まりだろうな。認識阻害の魔道具だ。しかしあれはかなり作成の難しいものだ。高位の錬金術師でなきゃ作れねぇし、購入するとしたら白金貨がいる代物だからな……」
相当な資産家かなのかもしれないが……。
まぁ、そこは今考えることではないだろう。
とりあえず続きだ、と思ってゲオルグは促す。
「悪いな、話を止めちまった。続きを」
「あぁ。どこまで話したっけ……そうそう、変な奴を見たところだな。それくらいなら、そんなにおかしくはなかった。街にだってなんだあいつってやつはたまにいるからな。ただ、そいつがやばい奴だったってわかったのはその直後だ。とことこと、森の奥から出てきたそいつを俺はじっと見てたんだけど、しばらくして、すっと空気に融けるように消えてしまったんだ。そしてその直後、何か恐ろしい、耳をつんざくような咆哮が聞こえて……」
――気づいたら、目の前に亜竜がいたんだ。
◇◆◇◆◇
アーサーが言うことをすべて信じるのなら、アーサー自身は亜竜の巣である緑の洞窟には行っていないということになる。
むしろ、一番最初の亜竜騒動の被害者ということだ。
そして、それは事実なのだろう。
アーサーは続ける。
「まさか、街道を普通に歩いていて亜竜なんかに出くわすとは思わなかった。けど、だからと言って諦めるわけには行かないだろ? どうにかして生き残ろうと思って……俺は戦うことにした。逃げることも考えたけど、亜竜は飛べるし、地上を走っても人間の足の倍は速いって聞いたことがあったから……」
その判断は、正しいだろう。
ゲオルグも同じことをした。
ただ、戦うとすれば、勝てないにしても生き残れる程度の実力はどうしても必要だ。
けれど、アーサーにそれがあったのか、ゲオルグは疑問だった。
あの冒険者組合で見せた実力、あれがアーサーのそれだというのなら、亜竜に対してはとてもではないが通用しないだろう。
ゲオルグに一撃入れたことは中々であるし、仮に偶然であったとしても、それを引き寄せる何かがあるということだ。
けれど、あの一撃の重みでは、亜竜は倒せないし、怯ませることも無理だ。
ゲオルグが人間であり、かつ、身体強化もせずにただ突っ立っていたからあれくらい吹っ飛んだだけであり、亜竜に同じ一撃を入れても、びくともせずにそこに存在し続けるだろう。
つまり、焼け石に水をかけるに等しい。
けれど、現実に、アーサーは生き残っているのだ。
いったい何が、アーサーを生き残らせたのか……。
ゲオルグにはひどく気になった。
単に知りたがりというわけではなく、もしアーサーに特殊な武術や魔術などの切り札があるなら、それはそれでいい。
隠すのも構わない。
けれど、少し、その力を過信しているような、そんな雰囲気も感じるのだ。
そうだとすれば、それはいつか、アーサーの命取りになるかもしれない。
だから、忠告というか、油断をしないように、ということを伝えたかった。
ただ、アーサーは、その力について口にしないだろうということは、先ほどのやりとりですでに分かっていることだ。
かくなる上は、抽象的に注意するくらいしかできない。
いつか、危機に陥った時、一瞬でも思い出してくれればいいが、と思い、ゲオルグは言った。
「立派な覚悟だとは思うが……あまり自分の力を過信するなよ。魔物を相手にしている者は、それがどんなに手練れであっても案外つまんないことでぽっくり逝っちまうもんだ。逃げられるときは、逃げるようにな」
するとアーサーは、少し驚いた顔をしたが、素直に頷いて、
「……あぁ、分かってる。人間、簡単なことで死んでしまう。ただ、あの時はどうしようもなかった。他にやりようはなかったんだ……」
そう言った。
その表情は何か、後悔をしているように見えたが、その感情はすぐに引っ込む。
アーサーは、
「……それから、亜竜と少し戦ったんだ。もちろん、ほとんど傷なんて与えられなかったけど、何とか死なないでいられた。しばらくして……亜竜の後ろの方から叫び声が聞こえて……」
と、そこでセシルが、
「それは私だな。私は馬車でアインズニールに戻る途中だったんだが、前方で亜竜と人が戦っているのが見えて、加勢するつもりでそこに向かったんだ。馬鹿なことをしたと思うが……あの時は必死だった」
と言う。
二人の出会いはそこだったのか、と納得したゲオルグ。
しかし、そのあとは……。
「一体どうやって逃げたんだ? その状態で……こういったら侮っているようで悪いが、お前たちが亜竜から逃げられるとは俺には思えない」
正直にそう尋ねた。
この二人に迂遠な聞き方をしてもあまり意味はないだろう。
今までのやりとりでそう思ったからこその言葉だった。
これに、二人は顔を見合わせて、何かを視線で語り合う。
そしてそのあと、アーサーが、申し訳なさそうに、
「……それについては、勘弁してくれないかな。これは、俺たちの生命線なんだ。人に知られると……正直、怖い」
そう言って、語るのを拒否した。
つまり、何か秘密があるのは認めるわけだ。
それくらいが、彼らの譲歩という訳だろう。
本当ならもっと突っ込んで尋ねたいところだが、今のゲオルグと、彼らの関係からすれば、ここが限界だろう。
ゲオルグが、アーサーたちの立場だったとして、ここまで語るかどうかも微妙なところだ。
なにせ、ゲオルグはすでに、アーサーたちに何かあると確信してしまっている。
そこまでのものを抱かせる話を、他人にすることは、ある程度信用がある相手でなければ無理だ。
そしてそう考えると、ゲオルグにそこまで語ってくれた彼らに、これ以上吐け、というのも酷な話だと思った。
いつか、もっと親交を深めたら、話したくなる時が来るかもしれない。
それまでは、聞かないでおく。
それが、冒険者としての義理だろうとゲオルグは考え、アーサーの言葉に頷くことにした。
「分かった……だが、最後に一つだけ聞いておきたい」
「なんだ?」
「亜竜と遭遇した経緯は、本当なんだな? 実はお前たちが……ってことは、絶対ないな?」
そう、念を押して尋ねる。
これにアーサーは、
「誓って」
と短くも、はっきりとした口調で答えた。
ゲオルグはそう言ったアーサーの目をしばらくの間、じっと見つめていたが、直後、ふっと破顔して、
「よし、俺はお前たちを信じよう。冒険者組合には俺の方から報告しておく」
「……いいのか?」
その顔が少し不安そうなのは、先ほど彼らが話した話はところどころ抜け落ちている部分があり、そういうところについての突っ込みを、ゲオルグが報告時に受けることが分かるからだ。
本来、それはアーサーたち自らが負わなければならない責任だが、それをゲオルグが代理すると言っているのだ。
ゲオルグはそんなアーサーに頷き、
「構わないだろう。そもそも、お前は冒険者組合に聞かれたら俺に話そうとしなかったことも話すのか?」
この質問に、アーサーは顔をしかめて、
「それは……」
と言いにくそうな表情をする。
つまりはどちらにしろ言う気がないのだ。
それほどまでに隠したい秘密とは何なのか、またもや気になって来たゲオルグだが、その好奇心は抑えて言う。
「だろう? なら、お前たちが報告してもこじれるだけだ。俺からなら、多少融通が利くからな……あまりいいことではないが、今回はまぁ、話の内容からして、それほど問題はないだろう」
そう言ったゲオルグに、アーサーとセシルはそろって、
「あんたには迷惑かけたのに……悪いな」
「重ね重ね、申し訳ないことだが……頼む」
そう言って頭を下げた。
しかし、ゲオルグとしても、まったくの親切で言っているというよりは、彼らとつながりを作っておくことは、後々、何か意味があるのではないかと思ってのことだ。
別に利用しようとか、そういう訳ではなく、ゲオルグの直感が囁いているのだ。
彼らと関わっておくように、と。
理由は分からないが、そういう直感を、ゲオルグは大事にしてきた。
その結果、この年まで生きて冒険者でいられているのだから、馬鹿には出来ない。
「あんまり気にすんな……気まぐれみたいなものだからな。じゃあ、聞きたいことは聞けたし、俺はそろそろ行くぜ……」
そう言って立ち上がろうとしたら、セシルが、
「ちょっと待ってくれ。これから夕食なんだ。よかったら、貴方もどうだ?」
と夕食に誘われた。
いや、食事って孤児院の、つまりは子供たちとする夕食な訳だろう、そんなものに俺が出席した日には……。
と、色々考えて拒否しようとした矢先、
ばたん、と礼拝堂の扉が開いて、一人の少年が入って来た。
それは見れば、孤児院に来て、最初にゲオルグが会った少年、トリスタンであった。
彼はゲオルグの方に近づき、言う。
「話は聞いたよ。ゲオルグ、今日の夕食は楽しみにしてるよ!」
そう言った。
ゲオルグは慌てて、
「おい、俺は出席しねぇ……」
と言いかけたのだが、トリスタンは、
「子供たちにもよくよく言い聞かせておいたんだ。冒険者ゲオルグは、アインズニールでも指折りの男で、怖い顔してるけど心根はすごく優しい人だって! みんなゲオルグの話を聞きたいって言ってるよ!」
と信じられないことを言う。
はぁ?
という顔をトリスタンに向けたゲオルグだが、トリスタンが礼拝堂の入り口を指さしているのでそちらを見てみると、十数人の子供たちが、ゲオルグの方を遠目に見ているのが見えた。
怯えているような雰囲気もあるのだが、同時に近づこうとしているような感じもある、妙な様子である。
ゲオルグにはどんな気持ちで彼らがそこにいるのか分かりかねたが、アーサーとセシルにはよくわかるようだ。
「……夕食ぐらいいいんじゃないか? 子供たちみんな、あんたのこと気になってるみたいだぞ」
アーサーがそう言い、
「子供たちの楽しみを奪うのはよくないと思うぞ」
セシルもそう言ったので、おそらくあれは楽しみにしている雰囲気、ということなのだろうと、ゲオルグにも理解できた。
まさか自分の存在を楽しみにする子供などこの世に存在したのか、と一瞬愕然とし、しかしそう言うことなら……と思ったゲオルグは、魔物に立ち向かうよりも勇気を振り絞って、言ったのだった。
「……分かった。謹んで出席させてもらうぜ」




