第1話 プロローグ
「……もう二度とセシルに手を出すな!」
「ぐぼっ!」
直後、屈強な男が一人の線の細い少年に引き倒された。
周囲には、多くの見物人が。
しかし見物人たちは一切手は貸さず、倒された男を笑っている。
それも当然の話だ。
ここは地球とは別次元に存在する異世界メリースト。
メリーストには広大な大地と未開の土地が広がっており、そこにはヒトとは異なる生態系を持った強力な生命体、魔物が生きている。
そして、メリースト世界のヒトは、自らの力と肉体のみで未開の土地を開いていく職業の者たちをこう呼んでいる。
――冒険者、と。
ここはそんな冒険者たちの集う場所。
ありとあらゆる難易度の依頼が、その冒険者の資質と実力に応じて手渡される。
交渉では片付かない問題を冒険者の腕っぷしを頼って依頼を持ってくる商人。
権力の利かない強大な魔物の素材を求めて、お付きの者と共に訪れる貴族。
病床の妹のために、なけなしの小遣いを握り締めて依頼をする少年。
様々な者が、様々な事情でもって、冒険者たちを頼る。
冒険者たちは時に金のため、時に名誉のため、そしてなによりも冒険者としての矜持のために命がけで依頼をこなしていく。
冒険者に最も必要なもの。
それは勇気である。
冒険者は皆、他のどんな職業の者にも持ちえない、暴勇にすら近い勇気を持っているものだ。
それこそが、強大な魔物と相対するのに必要不可欠なものだからだ。
しかし、それは時として他人への無配慮へとつながる。
彼らは誰にも媚びない。何物も恐れない。
だから――
新人には時として厳しい。
◆◇◆◇◆
その日、B級冒険者であるゲオルグ=カイリーは、冒険者組合の依頼掲示板の前でぼんやりと自分の適正と実力に合った依頼を探していた。
オーガと見まがうような顔立ちと、無精ひげ。
見るからに粗野な彼の体を、固そうな鎧が包んでいた。
そんな彼に、ふと、声がかかる。
「おう、ゲオルグ。今日も依頼に出るのか。精が出るな」
振り返るとそこにいたのはゲオルグと同じくB級冒険者のレインズ=カットである。
ただ、その容姿はゲオルグとは異なり、よく手入れされた髪に、甘い顔立ち。
年齢はゲオルグと同様、四十手前だが、三十前後に見えるほどである。
ほぼ同期に冒険者組合に加入し、以来、ずっと抜きつ抜かれつしてやってきたので気安い仲であった。
ゲオルグは彼に答える。
「あぁ……まぁ、いい依頼があったらだけどな。ただ、最近、フリーデ街道の方で亜竜の目撃情報があるから、そっちは避けるつもりでいるが」
フリーデ街道は現在、ゲオルグが拠点にしている街、アインズニールから東の東照帝国まで続く長大な街道である。
商人や旅人は言わずもがな、冒険者も各地の狩場に行くためによく利用する街道で、だからこそ、様々な情報が集まりやすい。
ゲオルグの言葉にレインズは頷き、
「フリーデ街道か……そういや、緑の洞窟にこの間、新人が潜ってたぞ。あそこにはたしか亜竜もいたはずだ」
緑の洞窟はフリーデ街道沿いにある、アインズニール近くの洞窟だ。
迷宮ではなく、本当にただの洞窟なのだが、亜竜が住みついているとは有名な話だった。
そのため、それを知る冒険者は基本的には近づかないはずなのだが、その亜竜がフリーデ街道まで出て来たということのようである。
その意味を、ゲオルグは少し考えて理解し、ため息を吐いてぼやいた。
「あぁ……なるほど。そういうことか。自分の力を過信して挑んだはいいが、結局倒せずに逃げてきて、そうなったわけだ。これだから新人は……」
迷惑な話だが、よくいる類の馬鹿が亜竜に挑んだ結果の災害だというわけだ。
田舎から出てきたばかりの冒険者志望によくいるのだ。
冒険者登録をしようとしたが、それを断られたために、何か大きな成果を持ってくれば違うはずだと見当違いの考えで、強大な魔物に挑んで失敗する輩というのが。
今回もその口なのだろう。
「ま、そういうことだろうな。どうもその亜竜、少しは傷ついてたみたいだから、鱗の一枚や二枚は剥がせたのかもな。とすると……それを持ってきて登録、とか言い出す奴が犯人で決まりだ」
「迷惑な話だな……会ったら注意しとかねぇと」
そうしなければ、そういう奴は何度でもやる。
レインズも頷いて、
「そうだな……おっと、俺はこの依頼にするかな」
そう言って掲示板から依頼票を剥がす。
実のところ、それはゲオルグが先ほどから取るか取るまいか悩んでいた依頼だったのだが、こういうのは早い者勝ちである。
レインズも分かっていたらしく、
「いや、悪いな」
と言ったので、ゲオルグは、
「早く決めなかった俺が悪いんだ、俺はこっちにするぜ」
そう言って別の依頼票をとった。
二択で悩んでいたのだ。
一つの選択肢が奪われたなら、自動的にもう一つの選択肢に決まる。
レインズも、そのつもりで取ったのだろう。
「お互い、今日も一日頑張ろうぜ」
「そうだな」
そして二人は受付までいき、それぞれの依頼受注を伝えて、別れたのだった。
◆◇◆◇◆
ゲオルグ=カイリーは、メリーストの広大な海洋に浮かぶ五つの大陸のうち、南西に位置する奉天大陸に生まれた。
ゲオルグの生まれた村は、小さくて貧しく、生まれた時点で彼の行く先はほとんど決まっているに等しかった。
ゲオルグの村では、生まれた子供は数が多ければ間引かれるか、奴隷に売られる。
村の養える人口には限りがあり、それもまた厳しい土地で生きる人間には仕方のない選択だった。
しかし、ゲオルグは運よく、カイリー家の次男として、長男を助けるものとしてそれなりに重宝される立場に生まれることができた。
もちろん、長男ではないから、カイリー家の持つ資産を継ぐことはできないが、間引かれることもなく、また食料も健全に育つことが出来る程度には与えられた。
ただ、家族は決してゲオルグを甘やかしはせず、どんなものでも最初の選択は長男にさせ、ゲオルグは余りものを与えられるという関係にあったが、それでもその村ではただ生きていけるだけでも十分に感謝すべきだという事をゲオルグは子供心に理解していた。
村の裏には、墓場があった。
間引かれた子供の、墓場だ。
ゲオルグは時たまそこに行っては、自分が生きていることを感謝した。
奉天大陸は厳しい土地だ。
他の大陸では大国が国民全員の生活を保障することもあるらしいが、ゲオルグの村においてはそんなことはなく、人々の生活は全て自己責任で行われていた。
世界には様々な国々があり、政体も色々ではあるが、自分のことは自分で責任を持たなければならないというのは、ゲオルグの村においては当然のこととされていた。
それは人生においても同じことで、ゲオルグは次男であるから家の資産は与えられない。
兄が結婚するか、ゲオルグが独り立ちが可能な年齢になれば、幾ばくかの生活資金を与えられ、あとは自分で勝手にやれと言わんばかりに家を追い出されることになることを、ゲオルグは知っていた。
そしてその場合、村において、一定の年齢に達した人間が進むべき道は、街に出て働くことしかない。
街に行けば、とりあえず、ある程度の仕事を得ることは出来る。
もちろん、街に出た人間の全てが仕事にありつけるわけではないし、むしろあぶれる人間も多く、スラムを形成して鼻つまみ者になってしまっているという現実もあった。
けれど、それでも他に採れる選択肢など、ゲオルグにはなかった。
いつでも、ゲオルグが選べる道は、少なかった。
兄がとある春先に村長の娘と婚約をしたことが、きっかけとなった。
そのときには、ゲオルグは十分に独り立ちが可能な年齢になっており、家族の視線も辛くなってきていた。
ある晩、兄は幾ばくかの金を袋に詰めてゲオルグに渡した。
それが合図だった。
次の朝、ゲオルグは家族の誰も目が覚めないうちに、家を出た。
ゲオルグがいないことに、他の家族が気づいても、対してさびしがりはすまい。
そのことが安心であり、また少しの寂しさをゲオルグの胸に運んできた。
街までの道は、険しかった。
山を越え、森を抜けて、河を渡る必要があったからだ。
言葉にしてしまえば簡単な道のりも、ただ歩くだけでなく、魔物に出会う危険性があることを考えれば難しいものだと言うことが分かる。
当時、ゲオルグには戦う術はほとんどなかったから、ひたすらに魔物に出会わないことを願った。
ただ、それでも一応、武器は持っていた。
一本の錆びた鉄剣だ。
あの例の墓場の端に、まるで墓標のように突き刺さっていたそれ。
それはもしかしたら、過去に村に来た剣士の墓標だったのかもしれない。
それを、村を出るに当たって誰にも言わずにもらってきた。
持ち主がいないのだから、別にかまわないと思った。
剣も命ない者のために置かれているより、命あるゲオルグが振るう方が喜ぶだろうと言い訳して。
代わりに、ゲオルグは家にいたときに自分が使っていた青銅の鍬を墓標代わりに突き立ててきた。
鍬は、ゲオルグの資産ではなくカイリー家のものなので、家族は気づけば怒ったかもしれない。
けれど、ゲオルグはもう家には戻ることはない。
だから、別にそれでよかった。
山を越えて、しばらくした頃。
上流から流れてきた二つの川が合流するように、一本の大きな道にゲオルグの歩いてきた道と、もう一本、同じ細さの道が接続しているのが見えた。
大きな道は、街まで続く街道であり、ゲオルグの歩いてきた道ではない細い道は、遠く、“天虎の山”と呼ばれる危険な魔物が大量に発生する地帯への道であった。
そのため、ゲオルグが歩いてきた道には人――ゲオルグの村の人間や行商人――が踏みしめた跡が多く確認できたが、もう一本の細道にはいくつかの深い足跡があるだけで、あまり人通りがないらしいことが分かった。
足跡が深いのは、重鎧を着た魔物退治を専門にする職業の人間が通っていたからだろう。
それにしても、“天虎の山”の危険性は、そう言った職業の人間にとってもずば抜けていると行商人から聞いたことがある。
そんな場所にわざわざ行こうなどと考える人間の気がしれないと思いながら、ゲオルグは自分が進むべき大街道へと歩を進めた。
街道に近づくに連れ、隣に伸びる細い道もよく見えてくる。
すると、意外なことにそこに人が歩いていることに気づいた。
しかも、その人はこれから“天虎の山”方面に進もうとしているのではなく、帰ってきている様子なのである。
おそらくは、魔物退治を職業とする人間その人なのだと思ったが、そういう人間は粗野であり、また強大な力を持つがゆえに傲慢だと聞く。
魔術なども行使できるらしいと聞いたことがあったが、ゲオルグは村で魔術を使える人間を見たことが無かった。
それは特殊技能なのだ。
街では一般人も使えることがあるらしいが、ゲオルグが住んでいるような村ではそのような教養を持つ者はいなかった。
ゲオルグにとって、向こう側に見える道を歩く人間は、猛獣と変わりがなかった。
だからゲオルグは出来る限り、その人間とは顔を合わせないように、下を向きながら街道に入った。
しかし、それがいけなかった。
ゲオルグは街道に入ると同時に、何かに鼻から顔面をぶつけた。
鼻先に微かに匂ったのは明らかに鉄の香りであり、それは先ほど遠くから見えた魔物退治人にぶつかったことを推測させた。
まずい、と思った。
機嫌を損ねたら、殺されるかもしれないと。
しかし、意外なことに現実は優しく、また驚くべき出会いをそこに運んできてくれたのだ。
ゲオルグがぶつかったその相手は、ゲオルグを鎧の隙間から一瞥した。
それから、僅かに見える瞳を開いて驚きを示し、それから一言、顔をぶつけた拍子に転んだゲオルグに手を差し伸べて言った。
「……こんなところに子供が? おい、大丈夫か? 怪我はないか?」
その声は、ゲオルグが思っていたものとは異なる響きをしていて、優しく、そして高かった。
明らかに、それは女性の声であり、重鎧の中にいるのは女性であることがその時分かった。
差し伸べられた手を掴むか掴まないか悩んで、その手を凝視していると、その重鎧の差し出した手がさらにずい、と差し出される。
もはや、否やはないだろう。
ゲオルグは諦めて、その手をそっと掴んだ。
立ち上がり、体についた土ぼこりを払ってから、ゲオルグは改めてその重鎧を見つめた。
重そうな、それこそゲオルグなら、身に着けたら二度と立ち上がることも出来なさそうな代物である。
なのに、その中にいる女性と思しき人物は非常に安定した姿で立っているのだ。
体の動きから見ても、まったく鎧の重さを感じさせず、相当な技量と膂力のある人物であることを思わせる。
けれど、彼女は女性なのだ。
女性にしては相当な長身に思えた。
少なくとも、ゲオルグの住んでいた村には、これほど大きな女性はいなかった。
彼女は、ゲオルグに尋ねる。
「それで、君は? どこの子だ?」
その言葉にはっとして、ゲオルグは彼女に説明した。
自分の名前、出身の村、どうしてこんな道を歩いているか、これから自分は仕事を得られるかスラムに行くかの二択を選ばなければならないのだということも……。
彼女はそれらをゆっくりと咀嚼するように聞き、それから、
「なるほどな、ここ十年、この辺りの村は不作だと聞く。口減らしという訳だ……まぁ、そのようなこともあるだろう。しかし、そういうことなら、私のところにでも来るか? 冒険者になるといい。もちろん、修行は必要だが、私が稽古をつけてやるぞ。これからしばらく休業しようと思っていたところだしな」
そう言って、手を差し伸べて来た。
ゲオルグは、それがどういう意味か、なんとなく理解した。
それは、話に聞く、魔物退治人に自分がなる、ということだ。
それが貧弱な体しか持たない自分に可能なこととは思えなかった。
けれど、女性は本気で言っている。
鎧の隙間から覗く、目の輝きでわかった。
だからゲオルグは頷いた。
どこまでやれるのかはわからない。
ただ、力がないことで、これ以上落ちぶれていくのは耐えられなかった。
◆◇◆◇◆
「どうした? ぼーっとして」
声をかけられ、ゲオルグははっとする。
そこは馬車の中だった。
冒険者組合で受けた依頼である魔物を倒し、討伐証明部位を収納袋に入れて街に向かって歩いていたところ、馬車に乗った知り合いに出会って乗せてもらっていたのだった。
馬車の主は兄弟二人で行商人をしてアインズニール周辺の村や町をまわっていて、今は弟の方が御者をしている。
荷台の中にいるのは、ゲオルグと、行商人の兄の方、ヤズーであった。
「……いや、ちょっと昔のことを思い出してな」
ゲオルグがそう応じると、ヤズーは興味深そうに身を乗り出して尋ねてくる。
「昔のこと? なんだ、女か」
「女っちゃあ女だが……」
顎を擦りながらそう言ったゲオルグである。
ただ、ヤズーが言っているのは、恋愛関係にあった女のことで、師匠と弟子の関係にあるそれではないだろう。
ヤズーの望むような話は出来そうもなかった。
「へぇ、浮いた話ひとつ聞かねぇお前にしては珍しいじゃねぇか。B級冒険者なんだし、稼ぎもいいだろ? 嫁の一人や二人、娶ってもいいだろうにって言われて十年は立ってるお前にしてはさ」
確かに、そうだ。
もちろん、たまに女が欲しくならないわけではないが、そういうときは商売女でどうにかしている。
それでなくとも、ゲオルグの腕を知って寄ってくる女というのは少なくない。
特に困ってはいなかった。
けれど、真剣に付き合う女となると別だ。
ずっと、人生を共にするような、そんな女は、一度も持ったことがない。
考えたことすらなかった。
「別に昔の恋人とか思い出してたわけじゃねぇよ。俺を冒険者にしてくれた師匠のことさ」
その言葉に、ヤズーは意外そうな顔をして、
「お前、女に鍛えられたのか? それなのにそんな腕に?」
身分や出自をまるで問われない冒険者とは言え、女の立場は弱い。
なにせ、そもそも腕力が違うからだ。
腕力の要らない魔術師であっても、やはり体力の不足で最終的に足手まといになることは少なくないし、女冒険者はやはり少ない。
対してゲオルグは、屈強な、見るからに荒くれの冒険者、という雰囲気の男である。
そんな男が、遥か昔とはいえ、女冒険者に鍛えられたという話はヤズーには恐ろしく意外に聞こえるらしかった。
「あぁ……ま、昔の話だがな。言っておくが、とんでもない腕をしてる女だったぜ。俺は死ぬほど扱かれた。だからこそ今があるわけだが……」
実際、彼女の教えは厳しかった。
基本を教わったあと、修行という名目で何度、魔物犇めく森やら山やらに単身で投げ込まれたことか。
生き残れば強くなる、といつも言っていたのだが、死んだらどうするのか。
しかし、腹の立つことに、現実に今、ゲオルグは生きている。
彼女は確かにいい教師だったのだと認めざるを得なかった。
「お前がそこまで言う女か……会ってみたいもんだな」
しみじみと言うヤズー。
それは掛け値なしの本音なのだろう。
しかしゲオルグはそんなヤズーに、
「もう死んだよ」
と、即座に、しかし特に感情のこもっていない声で言った。
ヤズーは、
「……そりゃ、悪かったな」
とバツが悪そうな声で肩をすくめて言い、会話はそこで一旦終わった。
◇◆◇◆◇
「やれやれ、やっとついたな」
アインズニールの街に着いたので、ゲオルグがそう言って馬車から降りると、御者台に座っている男――行商人兄弟の弟の方、グルーが手を振って、
「ゲオルグ! 兄さんが余計なこと言ったみたいで悪かったよ! また今度、街の外で会ったら乗せてあげるから許してね」
と言って、馬に鞭を入れて馬車を走らせ始めた。
兄とは似ても似つかない美少年だ。
兄の方は、ほとんど山賊のような顔立ちであるからなおさらである。
これから、兄弟は商人組合に向かうのだろう。
商品の仕入れと、村や町から仕入れて来た品の引き渡しという訳だ。
「気にしてねぇよ! またな!」
ゲオルグが手を上げてそう言うと、荷台の後ろからちらりと顔を出したヤズーが「悪かった!」と叫ぶ。
少し気に病んでいたらしい。
しかし行商人や冒険者などやっていれば、こんな程度の間違いはよくある。
お互いに気の合う相手を失うのは惜しく、だからこそ、ゲオルグは彼にも苦笑しつつ手を振ったのだった。
そのまま、ゲオルグは冒険者組合の中に入っていく。
まだ日は落ちていない時間帯だ。
依頼を完遂していない冒険者も多いようで、中はわりあい、閑散としていた。
ゲオルグは早速、依頼達成の報告をしようと、空いている受付に行く。
「依頼達成の報告をしたいんだが」
ゲオルグの言葉に、受付を担当している若い女性組合職員が頷く。
「承知いたしました。冒険者証をご提示ください……はい、ありがとうございます。二角狼の討伐依頼でございますね。討伐証明部位の方はお持ちですか……?」
「あぁ。こいつだ」
収納袋から尖った細長い水晶のような棒を十本、それに真っ赤なルビーのような棒を二本出す。
それは、今回受けた、C級冒険者向けの依頼の二角狼の角であり、それこそがこの魔物の討伐証明部位であった。
ただ、女性職員は赤いそれを見た時に少し目を見開く。
「……特殊個体が出現したのですか?」
その赤く突き通った角は、二角狼の中でも特に成長し、群れを率いるようになった個体に稀に生えているものだ。
中々お目にかかれるものではない。
ゲオルグは頷く。
「あぁ。別に狙ってたわけじゃねぇんだが、見つけちまったからな。ここで倒しとかねぇと後々困る奴が出てくるんじゃねぇかと思って、やっといた。素材もまるまる確保してある」
赤い角を持つ二角狼は通常のものよりも強い。
群れになれば、A級冒険者でも単独では難しいのではないかと言われるほどだ。
それを放置しておくのは、C級依頼だと思って受けた他の冒険者には冥界への切符になってしまうだろう。
それを理解してゲオルグはわざわざ追いかけて倒してきたのだ。
そんなゲオルグの気遣いを理解し、職員は微笑んで言う。
「なるほど……それは非常に助かります。素材は全て冒険者組合で売却されますか? 今回の事情だと、二割ほど色をつけて買取しますが」
「いや、赤い角は個人的に使いたいから、確認が済んだら渡してくれ。それ以外は売却する」
討伐証明部位は基本的には魔物の部位の中でも使い出がない部分を設定されているのが通常だが、二角狼の場合は、最も有用な部分が設定されていた。
理由は簡単で、それが最も判別しやすい部分だからだ。
とはいえ、あくまで確認のためなので、それが終わった場合、所有権はあくまで冒険者側にあるので返却を望めば返却される。
望まない場合は値段が付く部位の場合は売却ということになる。
今回、ゲオルグは角を自分で使うつもりだったので返却を選んだのだ。
職員はゲオルグの言葉に残念そうな表情をするも、納得はしたようであった。
「……これだけの品ですと、確かに珍しいですからね。ご自分でお使いになりたいというのが普通でしょう」
「まぁ、そうだな」
それから、ゲオルグは解体で得た素材のうち、自分で使わないもの全てを冒険者組合に売却し、依頼料と売却益を得た。
金貨二十枚程と、かなりの額になったので懐が温かい。
これなら当面の生活費と酒代に十分だな、と思って冒険者組合を出ようとしたところ、一人の女性とすれ違った。
おそらくは、16~20前後の女性だろう。
女にはまるで困っていないゲオルグである。
いつであれば、ゲオルグは何も思わずにそのまま冒険者組合を出ていたことだろう。
けれど、そのときは違った。
それは、その女性の手に、ついこの間、レインズと話した亜竜の鱗が握られていたことが大きい。
女性はそのまま、まっすぐ受付に行き、手に持った鱗を差し出して言った。
「この鱗を売却したいのだが」
「はい。素材の売却でございますね。冒険者証はお持ちですか? はい、ありがとうございます……それで、こちらは……亜竜の鱗ですか。二枚だけでしょうか?」
職員がそう尋ねたのは、亜竜を討伐しているならばもっと枚数があるのが普通だからだ。
それに、亜竜の鱗となれば、貴重な素材であり、冒険者組合もぜひ確保しておきたい品である。
在庫があるなら出してくれと言うことだろう。
しかし、女性は首を振った。
「いや、これだけなのだ」
「さようでございますか……では、引き取り額を査定いたしますが、亜竜の鱗は私には鑑定できませんので、担当者を呼んできます。少々お待ちを」
そう言って、職員は一旦席を外し、冒険者組合の奥に行った。
亜竜に限らず竜の鱗というのは鑑定が難しく、特殊な技能が必要な素材の一つだ。
どの街の冒険者組合でもこの特殊技能を持った職員が一人はいる。
それを呼びに行ったのだろう。
その間、女性は手持無沙汰になる格好だが、一部始終を見ていたゲオルグはこれをちょうどいい間だと捉えた。
というのも、レインズとの会話で出た、亜竜の寝床を荒らしたらしい冒険者。
彼女がそれに違いないだろう、と思ったからだ。
そしてそうであるならば、注意しなければならないだろう、と。
旅人や行商人が亜竜のせいで迷惑をこうむっているのだ。
冒険者たるもの、そういうことも考えて活動しなければならない。
先輩として、言うべきことは言わなければならないだろう。
ゲオルグはそう思って、女性のもとに近づき、そしてその肩に触れた。
「ちょっといいか、お嬢ちゃん」
「……む。私に何か?」
振り返った女性は首を傾げて警戒の視線をゲオルグに向けた。
それは当然だろう。
ゲオルグとその女性に面識はない。
いきなり話しかけられる理由が見えないのだろう。
身に着けている武具を見るに、冒険者として駆け出しなのだろうと思われた。
冒険者組合の中にいること自体、あまり慣れていないような様子である。
まぁ、それはいいか、とゲオルグは早速話を始めることにした。
「あぁ、ちょっと聞きたいことがあってな。その亜竜の鱗、どこで手に入れたんだ?」
至極穏便に尋ねたつもりだった。
ゲオルグの顔立ちの恐ろしさや、オーガと見まがうような筋肉の付き方さえ度外視してみれば、普通の会話にしか感じられないような。
実際、女性も普通の様子で、口を開いたのだ。
「あぁ、これか? これは……」
けれど、女性が答える前に、ゲオルグに声がかかる。
「おい、お前! セシルに何をするつもりだ!?」
若い声だった。
少年のものだろう、と振り返る前からわかった。
そしてセシル、とはこの女性の名前なのだろうとも。
ゲオルグが振り返ると、予想通り、そこには少年が立っていて、ゲオルグを睨みつけていた。
ゲオルグは少年の様子に首を傾げつつ、しかししっかりと答える。
「あぁ? それがお前に何の関係があるんだ? 今は俺はこのお嬢ちゃんと話してるんだ。ガキはすっこんでろ」
言うほどガキではなさそうだった。
こちらも、女性と同じくらいの年代だろう。
そして、言い方が悪いのは、いつものことだ。
そもそも、喧嘩腰で話しかけられれば誰だって言葉に険が入る。
ただそれだけの話だった。
しかし少年はそうは捉えなかったらしい。
「な……ま、まさかお前、セシルに何かするつもりか!?」
確かに、捉えようによってはそう聞こえるかもしれない。
しかし、ゲオルグにはそんな気はまるでない。
そもそも、冒険者組合にそんな奴がいたら誰かしら止める。
だからまるきりの見当違いだったが、ひどい勘違いにゲオルグも少しばかりイラついて、ちょっとからかってやろうという気になってしまった。
「だとしたら?」
嘲笑するような視線である。
それを受けた少年は、
「……だとしたら、ただじゃおかない」
と、意外なほど力のこもった視線でゲオルグを見た。
「ただじゃおかない? お前に何が出来るんだ?」
大した筋肉もついていないひょろい少年だった。
とてもではないが、B級冒険者であるゲオルグに対抗できそうには見えなかった。
しかし少年は、
「なんだって、できるさ」
迷いのない声でそう言ったのだ。
面白くなったゲオルグは、煽る様に言葉を返す。
「たとえば?」
「たとえば……こうだっ!!」
そう叫びながら、少年はゲオルグに向かってくる。
あまり早くない動きだった。
ゲオルグから見れば、まぁ、まだ冒険者になりたてだな、という程度の遅い動きだ。
だから、ゲオルグは簡単に避けられると思い、かつ簡単に避けたつもりだった。
それでも、油断は、したつもりはなかった。
ほとんどありえないだろうが、仮に毒針などを持っていれば、かする程度でも危険だからだ。
だから、ゲオルグはしっかりと避けたつもりだったのだ。
けれど、少年の拳は不思議なことに、次の瞬間、ゲオルグの顔面に思い切り命中した。
「ぐふっ! な、なにっ……」
その拳は、ゲオルグと比べて相当軽いはずの少年のものとは思えないほどに、重みがあって、ゲオルグは後ろに一歩下がった。
ありえないことが起こっていると驚いて目を見開くゲオルグ。
そんなゲオルグに少年はさらに向かってきて、
「……もう二度とセシルに手を出すなっ!」
そう叫びながら、ゲオルグの頬にもう一撃叩きこんできた。
これもまた、避けたつもりのゲオルグの頬をえぐりこむように命中し、
「ぐぼっ!」
と情けない声が喉から出て、吹っ飛ばされた。
それから、少年は、
「セシル! こんなところにいると危ない。さっさと出よう」
そう言って冒険者組合を出ていく。
女性の方は、きょろきょろと周りを見て、まずゲオルグに近づいて、
「も、申し訳ない。いろいろと勘違いがあったようだ……この謝罪はまた後日必ず。何か話もあった様子だったのに……」
どうやら女性の方はゲオルグに特に悪意があったわけではないことに気づいていたらしい。
ゲオルグと少年の会話の最中も何か言いたそうにしていた。
ゲオルグがあえて黙る様に視線を向けていたから何も言わなかったわけだが。
全面的に自分が悪いな、と思ったゲオルグは、
「……いや、俺の言い方も悪かったからな。まぁ、話はあとでいい……」
「恩に着る。そして、本当に申し訳なかった……」
女性はゲオルグに頭を下げた。
それから、受付に向かい、
「査定結果は後日聞きに来るので、そのときに教えてくれ。では」
と言って、冒険者組合を出ていった。
ゲオルグはその後姿を見ながら、直後、ここにいる冒険者連中に何を言われるだろうかと酷く不安になった。