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SWEET MEMORIES Ⅱ

作者: 佑紀

 SWEET MEMORIES Ⅱ

                                  佑紀


 紆余曲折を経て、私たちは一年前に結婚した。

 「ショウくん、今回の定期健診の結果も、問題なくって良かったね!」

 「ホント、良かったぁ。クルミのおかげだよ!ありがとな」

 ショウくんは、六年前に白血病になった。

 病気がわかった日、私たちは偶然病院で再会した。当時、私には結婚を約束したカレがいた。

 病気になった元カレをほっとくことなんて出来なかった私は、悩んで悩んで、

元カレを選んだ。それはそれは、辛い選択だった。

 ショウくんは、中卒で働き始めた。最初はとび職。でも、私と別れたあと、すぐに仕事を辞めてしまった。

 その後一念発起して、定時制高校に通い、無事卒業。大工の修行を始めた矢先、病気を発症してしまったのだ。そのときお世話になった大工の棟梁のご厚意で、今復職させてもらっている。

 私は、(けい)(おう)大文学部を卒業した後、翻訳の仕事をしながら、ショウくんの看病をしてきた。今は在宅で翻訳の仕事をしながら、調理師免許を取得する勉強もしている。

 私が家で仕事をするのは、ショウくんがヤキモチを焼かないようにするため。

 調理師学校は、仕方なく認めてくれている。それももうじき卒業だ。

 私には小さい頃からの夢がある。大好きな料理の仕事をすること。どんな仕事にするかはこれから次第。ゆくゆくは子供も欲しいし。

 「クルミ、今日行った現場のそばに、オシャレなカフェがあったんだ!今度の休みに行く?」

 「うん、行きた~い!」

 私たちの今の住まいは、私の祖父母が以前住んでいた家。タダで住まわせてもらっている。

 ショウくんは、病気のせいで全く貯蓄がないから、ありがたい。ゆくゆくは、ここを改築して、料理関係の仕事が出来たら最高だなと思っている。

 カフェをやるのもイイし、料理教室をやるのもイイし。そのためにも、今は働いてお金を貯めなくちゃ。


 念願の調理師免許が取れた。翻訳の仕事をセーブして、料理教室のアシスタントを始め、私は忙しくなった。料理教室は女性しか来ないから、ショウくんも認めてくれている。

 「クルミ、そろそろ子供欲しくない?」

 ある日、ショウくんが切り出した。

 「ん~、でもショウくんの体のこともあるし、お金もないしね」

 「クルミは欲しくないの?子供」

 「そんなことないよ、欲しいよ、もちろん。でも、まだその時期じゃないっていう意味」

 「じゃあ、あとどれくらい?」

 「そうだねぇ、もう少し様子をみて……」

 ショウくんは納得してない様子。でも、仕方がない。無計画には産めないからね。

 それからしばらくして、中学の学年同窓会の連絡がきた。行きたい!でも、ショウくん、行かしてくれるかなぁ。

 「ショウくん、今度ね中学の同窓会があるの。仕事の都合がつけば行きたいんだけど」

 「そんなん行かなくても、たまにアイカちゃんと会ってるじゃん」

 そうくると思った。だけど、あれから元カレのダイキには、一度も会っていない。やっぱり会いたい気持ちはある。向こうは会いたくないかも知れないけれど。

 私がダイキと別れてショウくんの元に戻ったことを、心良く思わない友達も中にはいた。

 応援してくれる人もいたけれど、あんなに理解ある優しい人をフルなんてと、軽蔑する人もいた。当たり前だと思う。

 私は最低かもし知れない。罪悪感はいまだにあった。

 ダイキが弁護士になれたことは、風の便りに聞いている。それから、今はどうしているだろうか。夢の国際弁護士にはなれたのか。結婚はしたのか。

 それとも、心配することすら、私には許されないことなのだろうか。

 私は出欠の返事を出せずにいた。


 「クルミ、久しぶり~!」

 親友のアイカと一緒に同窓会の会場に着くと、懐かしい面々が顔を揃えていた。

 「アイカちゃんの頼みなら仕方がない」と、ショウくんは同窓会に行くことを、しぶしぶ許してくれた。門限つきだけれど。

 私は受付リストの中に、ダイキの名前があるか調べる。

 「あった!」心の中がざわつく。もう、この会場内にいるのだろうか。キョロキョロ探すけれど、見当たらない。

 会が始まるアナウンスがあった。ダイキはどうしたのだろう。

 自然と当時仲が良かったグループで集まる。ダイキはみんなと連絡を取っていないようだった。そっか、中三で越してきたダイキと、一番仲が良かったのは私かも知れない。

 「あれ?アイツ、もしかして、ハットリじゃない?」

 誰かがそう言った。スーツ姿の人が、こちらに歩いてくる。ダイキだ!

 「いやぁ、遅くなっちゃった」

 そう言って、私たちのグループに加わるダイキ。そして、私を見て「久しぶり」と、ごく普通に言った。

 なんのわだかまりも無いの?私のこと、許してくれるの?今、どうしてるの?聞きたいことは沢山あるけれど、何も言葉にならない。

「仕事でバタバタしててさ」と、ダイキは周りにいた人たちに説明している。

 みんな近況を語りだす。結婚している人もいれば、出会いすらないと嘆く人も。ダイキは未婚のようだった。

 私はダイキを前にして言うのが嫌だったけれど、先輩と結婚したことを報告した。

「そう言っちゃなんだけど、本気で好きだったんだな」

「正直、似合わないってあのとき思っていたけど、まさか結婚するとはな」

「中学のときから結婚するまで、ずーっと付き合ってたの?」

 答えに詰まる私。笑ってごまかそうかな。

「クルミは先輩一筋だよな?」

 ダイキが言った。

「そんなことない。私は真剣にダイキとも付き合ってたよ」

 そう言いたかったけれど、言えなかった。

 会も終盤に差し掛かり、みんなでライン交換してグループを作り、このノリで二次会に行こうという話になった。

「私は行かれないけど、アイカは行ってきて」

「オレも仕事に戻らなきゃならないから、クルミ、途中まで一緒に帰ろう」

 私も、事情を知ってるアイカも、ダイキの言葉に驚く。

 でも、流れで、アイカは二次会に、私とダイキは帰路に向かうことに。

「クルミ、少し話せる?」

 二人になると、ダイキからお茶に誘われた。

 ダイキは来月、イギリスに旅立つという。向こうでの仕事が決まり、しばらくは帰らないつもりだと。

 だから、私に会っておこうと思ったと言い、「彼、元気なんだね。結婚おめどう」と言ってくれた。

「これでこっちに思い残すことはない」

 ダイキの言葉が胸に突き刺さる。ずっと私のことを気にかけてくれていたんだ……そう思うと、涙が自然にあふれてきて、「元気でね」そう言うのがやっとだった。


 ダイキは今頃、飛行機の中かな。空港に見送りに行こうかと迷ったけど、結局行かなかった。

「クルミ、ただいま。洗濯物が出したままになってるけど、何かあった?」

「あ……つい翻訳に集中しちゃって」

 慌てて立ち上がる私。もうこんな時間。

「珍しいな。急ぎの仕事か?」

 そう言いながら、一緒に洗濯物を取り込んでくれた。

「急ぎじゃないなら、今夜はどっかに食べに行くか。その様子じゃ、夕食の準備もまだだろ?」

「すぐ作るから、シャワー浴びちゃって」

「そう?」

 怪訝な顔をしつつも、ショウくんは浴室に向かった。

 ダイキのことを考えていたなんて知れたら大変だ。

 でも、そういうことに関して、ショウくんは感が良い。

「あのさぁ、聞こう聞こうと思ってたんだけど、この間の同窓会で何かあった?」

 夜、ベッドに入ってから、ショウくんが聞いてきた。

 病院でショウくんと再会したあのとき、私が同じ大学の人と付き合っていたことは、ショウくんも知っている。

 しかし、そのカレが同じ中学の同級生だという話はしていない。 

 ショウくんはヤキモチやき。話がややっこしくなること、要らぬ誤解を招くことは、極力避けたい。

「ショウくんと結婚したって言ったら、みんな驚いてたよ」

「ふう~ん。それだけ?」

 まだ探りを入れてこようとする。

「もう、寝ようよ」

 私は眠ろうと目を閉じた。

「やだ。寝かさない!何か隠してんだろ?」

 ショウくんが強引に抱こうとしてきた。

「やめてよ。今日はしたくない」

 そう言って拒んだのが、気に入らなかったみたい。今夜のショウくんは荒々しい。まるで、あのときみたいに。

「痛いよ。ショウくん、避妊してくれてる?」

「もういいだろ」


「おめでたですね。三ヶ月に入ったところです」

「あの……主人は白血病の治療をしていたことがあるんですが、大丈夫でしょうか?」

 お産には皆、何らかのリスクがあるかも知れないことから、大丈夫とは誰に対しても言えない、と先生は言った。

 懐妊を素直に喜んで良いのだろうか。ショウくんには、今日、産婦人科を受診することを伝えてはいない。

 家に帰ってからも心配で、ネットでいろいろ調べてみた。今回は諦めるっていう選択を、本当にしなくても良いのだろうか。

 結論が出るまで、ショウくんには話さないでおこうと心に決めた。それなのに、ショウくんは、ヘンなところで感が良い。

「クルミ、顔色悪いみたいだよ?あんまり食べてないみたいだし。どうした?」

「うん……」

 ごまかそうとしたのに、涙が溢れてきてしまった。

「どうしたんだよ?何があった?」

 我慢強くてめったに涙を見せない私を、ショウくんは本気で心配している。そうだよね……これは二人の問題だから、やっぱり話さなくちゃ。

「あのね……私、心配で」

 涙が止まらない。

「何が?落ち着いて話してごらん」

「今日病院行ってきたら、三ヶ月だって」

「え?……やったじゃん!オレたちの子供が出来たんだろ?やった~!」

 手放しで喜んでいる。

「何?何が心配?産むのが怖いの?大丈夫だよ!オレがついててやるから」

 ショウくんは興奮していた。私の不安な気持ちを、何もわかってない。

「お産が怖いんじゃなくて、その……ショウくん白血病だったから……」

「何か問題あるって言われたのか?」

「そうハッキリ言われてはいないんだけど、大丈夫か心配で」

「なんだよ!大丈夫だよ!オレ、もうとっくに治ってるじゃん」

 今、何を言ってもダメだろうと思った。完全に舞い上がってる。話にならない。

 私がそんな気持ちでいることに、ショウくんは気づいた。

「なんで?クルミ、嬉しくないの?」

 ちょっとイラつき始めたみたい。

「だって……喜んでいいのかな」

「いいに決まってるだろ!」

 ショウくんは声を荒げた。そして、慌てて「ごめんな~ビックリさせちゃって」と、私のお腹をさすった。


 もうじき予定日を迎える。お腹がかなり大きくなった。ここまでは何も問題は起きていない。あともう少しで、私たちの赤ちゃんに会える!

 二人で病院の先生と話し、両親とも相談して、産むことを決意した。もしも、問題が起こっても二人で乗り越えようと、もう迷いは無かった。

 産婦人科の健診日には、いつもショウくんはついて来てくれた。エコーを見るたび、我が子の成長を二人で喜んだ。ショウくんは母親学級にも積極的に参加して、出産準備は整っていった。

「明日、ショウくんの、検査結果を聞く日だよね」

「そうだけど、明日はクルミは来なくていいよ。大丈夫に決まってるから」

「そんなお腹でついて来て、何かあったら困る」とあんまり言うから、今回はついて行かないことにした。

 ショウくんの定期検査の結果は、今回も問題が無かった。その夜、遅くに私の陣痛が始まった。予定日より一週間早い。

「ねぇショウくん、起きて」

「ん~どうしたぁ」

「あのね、陣痛が始まったみたい」

「ええ~っ!ついにきたか!どうしよ。病院に行かなきゃ!」

 ショウくんは、慌ててとび起きる。

「そんなに急がなくても大丈夫だから。まだ十分間隔にもなってないし」

 そう言いつつも、二人で着替え始めた。

「痛たた~。そろそろ病院に行こうかな」

 十分間隔になり、私たちは病院に向かった。

「初産だから、お産はまだまだだね~」

 病院に着いて診てもらうと、そう言われた。

「ショウくん、まだ時間かかるから、今のうちに寝ておいて」

「しっかりしてるな~クルミは」

 ショウくんは落ち着かないらしい。私は陣痛がくるたび目が覚めるけれど、五分間隔を過ぎるまでは結構眠れた。

「トイレに行ってくる」

 そう言って立ち上がったら、あ、歩きづらい。ショウくんの手を借りて、ゆっくりとトイレへ。

 それから陣痛の間隔が狭まり、痛みも強くなっていった。

「そろそろ分娩室に行きましょうか」

と言われた。もう歩けない。車椅子で移動する。ショウくんも、ビデオとカメラを持ってついて来た。

 私は立ち合い出産は嫌だと言ったけれど、ショウくんがどうしてもと譲らず、私たちは立ち合い出産を希望していた。


「退院おめどとうございます」

 2950グラムの元気な女の子が生まれた。病院で一週間過ごし、無事に今日、母子共に退院。

「さぁ、バァバとジィジが待ってるから、行きまちゅかぁ」

 さっそく、ショウくんは娘にメロメロのパパの顔になっている。

 里帰りはしないつもりでいた。以前私の祖父母が住んでいた家に私たちは住んでいるから、何かあればすぐに敷地内に住む両親を呼べる。

 けれど、家に帰ると「床上げまでは実家で過ごすように」と、ショウくんに言われた。

「もう、ベビーベッドも運んでおいたから」 

「なんで?」

「話さなきゃならないことがあるんだ」

 ただならぬ顔をしているショウくんを見て、急に不安になる。

 母が来て、「二人でゆっくり話しなさい」と、娘を連れていった。両親の方が先に事態を知っているんだと悟った。

「どうしたの?」

 恐る恐る聞いてみる。

 覚悟を決めたように、ショウくんは口を開いた。

「ごめん。オレ、クルミに嘘ついた。あのとき問題無かったって言ったけど、本当は……」

 ショウくんが肩を震わせて、やっとの思いで言った。

「再発しちゃったんだ。ごめん……」

 私は言葉を失った。もう白血病は完治したものと思っていた。それなのに!

「ごめんな、クルミ」

 二人で散々泣いた。運命を呪った。でも、これが現実。受け止めて、前に進まなければならない。

「ショウくん、入院しなきゃ。早く治療を始めなきゃ!」

「うん。先生に事情を話して、クルミたちが退院したらってなって。だから、明後日、オレ入院することになった」

 生まれて間もない娘を残しての入院。私も不安だが、一番辛いのはショウくんだ。私がしっかりしないで、どうする!分かっているけれど、頭がちゃんと作動しない。

「それで、子供の名前を決めて、明日届けを出しに行きたいんだけど」

 ショウくんは、名前の候補を書いた紙を私に見せた。私もいくつか考えてあった。けれども、そんなのどうでもいい。ショウくんの候補から決めようと思った。

「愛美と書いて、マナミ。愛弓と書いて、アユミ。心愛と書いて、ココア」

 一通り読み上げて、私は言った。

「ココアがいい!」

「そっか?ココアか?じゃあ、ココアで決定な!」


「ココちゃん、お誕生日おめでとう!」

 娘のささやかなお誕生日会。私の両親が開いてくれた。

 ショウくんは、娘の一歳の誕生日を待たずに逝ってしまった。再発からあっという間に。三十一歳になったばかりだった。

 周囲の愛情に助けられ、娘はここまで無事に育ってきた。ココア三歳。おしゃべりでおませな娘は、来年には幼稚園児になる予定だ。

 両親共働きで、幼い頃保育園生活を送ってきた私は、在宅での翻訳の仕事を今でも続け、なるべく娘と一緒にいるようにしている。父親がいない分、少しでも多く私がそばにいてあげたい。

 ♪♪ピンポーン♪♪

 ある日の午後、我が家のインターホンが鳴った。

「はぁい!」

 勝手にチャイムに出る娘。

「ママ~!ママいますか、だって~」

 誰かな?私はインターホンの画面を見た。

「え?ダイキなの?」

 白いユリの花束を抱えたダイキが立っていた。

「久しぶり。いきなりでゴメン」

 私は玄関のドアを開けて尋ねた。

「どうしたの?」

「うん。その……ご主人にお花を」

 誰から聞いたんだろう。疑問に思ったけれど

「あ……それはわざわざありがとね。上がって」

 戸惑いながらもダイキを通した。

「可愛いお嬢さんだね」

 私の後ろにいた娘を見て、ダイキは言った。

「だぁれ?」

「ママのお友達だよ。お名前は?」

「ココア」

「ココアちゃんっていうんだ~いい子だね」

 長いこと仏壇に手を合わすダイキ。そして「少し話せるかな」と聞いてきた。

「ちょっと待ってね」

「ココア、ママたち大事なお話があるから、そこでいい子にビデオ観ててくれる?」

「うん。いいよ」

「ありとね、ココアちゃん」

 ダイキが娘に言った。

 リビングのテレビを少し小さめな音でつけて、私は急いでお茶を入れ、ダイキとダイニングで向かい合って座った。

「いつ日本に帰ったの?」

「昨日だよ。帰ったって言っても、一時帰国。また、来週にはイギリスに戻るよ」

「そうなんだ。お仕事は順調?」

「おかげさまで。それでね、今日は……」

「うん。どうしたの?」

 花を手向けに来ただけではなそう、そう思った。

「クルミを迎えに来たんだ」

「……!」


「ココアちゃんは何の動物が好き?」

「ココアはね~パンダさん!」

「そっか~じゃあ明日、パンダさん一緒に見に行かない?ママと三人で」

「ちょっと、ちょっと!」

 慌てる私。娘は私とダイキの顔を交互に見ている。

「ダメかな?一緒に過ごしたいんだけど」

「ダメかなって……」

「さっきの話は、ゆっくり考えて。とりあえず明日また会ってよ」

「ココア、パンダさんに会いた~い!」

「うん~、そ、そうする?ココア、ママのお友達と一緒に動物園行く?」

「うん!行く~」

「じゃあ、決まりね!明日、九時に迎えにくるね」

 そう言って娘の頭を撫でて、ダイキは帰っていった。

 ショウくんの訃報を知らせたのはアイカだった。

 ショウくんの三回忌を過ぎた頃、アイカから突然連絡があったという。まだ独身なら、クルミを幸せにしてやって欲しいと。

 すぐに私の所へ連絡をしようと思ったけれど、離れているから今は何もしてやれないと、思いとどまったらしい。ただ、答えは出でいたんだと。

 それで、仕事を片付けて、今回一時帰国を果たしたということだった。

 私と別れてから今までに、何人かの女性と付き合ったけれど、どの人とも長く続かなったと、どうしても私と比べてしまったと言っていた。私しかいないって。

 そんなこと言われても……再婚するなんて考えてもいなかった。ましてや、ダイキとだなんて、それは虫が良すぎる話だ。

 私たちは今、三十三歳。ダイキはこれからだって、十分新たな人と巡り会えるチャンスがある。何も子持ちで未亡人の私を選ばなくたって。

 この話はやっぱり断った方がいい。そうに決まってる。私はアイカに連絡を入れた。

 ダイキが今日来たこと、プロポーズがあったこと、断ろうと思っていること、そして、気遣ってくれてありがとうと。

 私と別れた後、ダイキは数人と付き合ったと言っていたが、その最初の女性がアイカだと、初めて知らされた。

 アイカが言った。

「クルミのためだけじゃない。ダイキにはクルミしかいないの」

 よく考えるように言われて、電話は切れた。

 全く結論が出ないまま翌日を迎えた。

 最初は私と手をつないでいた娘だったが、ダイキに慣れてきたら、肩車をしてもらって喜んだ。

 帰り際にパンダのぬいぐるみをダイキに買ってもらって、今は大事そうに抱えたまま、車の中で眠っている娘。私たちは、その間よく話し合った。

 翌日も、娘を親に預けて、二人で話をした。

 そして、あっという間にダイキがイギリスに戻る日になった。

「またね~バイバイ!」

 空港に見送りに来た私と娘。娘は元気に別れを告げる。

「夏休みが取れたらまた来るから、そしたらまた会おうね!」

 パンダのぬいぐるみを抱えたココアに、手を振るダイキ。

「向こうからも連絡するから、じっくり考えて」

 そう私に言って旅立った。

 その後、あの別離からの歳月を感じさせないくらい、違和感なく、私たちはテレビ電話で話すことを繰り返した。他愛もない話や仕事の話、ココアの話、これからの話。

 そう、話すうち、だんだんと私たちのこれから(将来)の話へと進んで行った。一緒になることが前提のように。

 私が心配していた、ダイキのご両親の承諾。これも、もうクリアしていると言った。私の両親、それからショウくんの母親にも話すときがきたのかも知れない。


 ダイキの夏休みを利用して、私は一人、イギリスのダイキの元へと向かった。 二人の意思の最終確認、住まいや環境を知ること、行ったことのない国での子供を連れての移住は、いろいろと大変なハズだ。

 日本で暮らしたいのなら、今すぐはムリでも、今の仕事を辞めて、日本で弁護士事務所を立ち上げると、ダイキは言ってくれた。

 そこまでしてもらっては申し訳ない。それに、イギリスに住めない理由なんて特に無かった。心配なのは、この結婚が果たして正解なのか、という一点に尽きる。

 空港まで迎えに来てくれたダイキ。会うのは久しぶりだけれど、テレビ電話で顔を見ているから、そんな気がしない。

 ダイキの住んでいるところは、とても素敵な街だった。カフェもたくさんある。こちらに住んだら、紅茶の教室に通ってみたいな。 

 こんな感覚はどれくらいぶりだろう。夫を失った悲しみと初めての子育てで、いっぱいいっぱいの日々だった。

 ここから始まる新しい生活が、より良いものとなりますように。私たちは近くのチャペルで祈った。

「ここで、式を挙げないか?」

「えっ?」

「これ、最後のプロポーズ。オレと結婚して下さい」

 指輪を差し出すダイキ。

 私は、学生のときにダイキがプレゼントしてくれた指輪を、今回久しぶりにつけてきた。その指輪の上に、重ねるようにはめてくれた婚約指輪。

 二人に迷いは無かった。

 それから、二人で日本に帰国。揃って両家に挨拶をして、ココアにもなるべく分かりやすく説明した。アイカにも時間を作ってもらって、報告をしたら、泣いて喜んでくれた。

 ショウくんのお墓参りも済ませた。「幸せになりなさいね」と涙ぐむショウくのん母。 

 私は、「日本に来たときには必ずココアを連れて伺います」と、深々頭を下げた。

 準備が出来たら二人で向かうからと、仕事が立て込んでいるダイキには、先にイギリスへ戻ってもらった。

 ダイキにも私にも、やらなきゃならないことは沢山あった。一つずつ片付けていくしかない。

 ココアにも毎日のように説明して、段々と向こうで済むことが楽しみになってきたようだった。ダイキと暮らすことは理解しているが、パパになることは受け入れてくれたのだろうか……。

 秋が近づく頃、向こうの準備も、私たちの出発の準備も整った。


 イギリスに旅立つ日。空港には沢山の人が見送りに来てくれた。しばらく日本には帰らない。みんなと涙でお別れした。

 娘にとって初めての飛行機。機内でいい子にしていてくれて助かった。私の娘は本当に手がかからない。

 無事着陸。空港にはダイキが待っていてくれた。日本と違う雰囲気に、娘は完全に驚いている。その中で、知った顔のダイキを見つけ、少し安心したようにも見えた。

「二人ともよく来たね。お疲れ様」

「ダイキ、お待たせ。ココア、ご挨拶は?」

 ココアは黙ってダイキを見つめている。

「いいよ、いいよ。そんな他人行儀な」

「…ココアのパパ?」

「え?うん…今日からココアちゃんのパパになりたんだ。いいかな?」

「でも、ココアのパパは天国にいるよ?」

「そうだね。天国にいて会えないから、代わりにボクがココアちゃんのそばにいてあげたいんだけど、だめかな?もう一人のパパとして」

 ダイキはココアの目線にしゃがんで、ゆっくりと話す。

 今、ここでそんな話をしなくても……と思ったけれど、きっとココアはずっと気になっていたのかも知れない。

「パパが二人?」

「そう。天国のパパとボク、ココアちゃんには、パパが二人」

「ヘンなの~」

 この話はいったん切り上げた方がよさそう。私は「さぁ、新しいおうちにいきましょう」と言って、二人を歩き出すように促した。

 それから数日間ダイキは仕事を休んでくれ、私とココアの時差ボケが直ったところで、私の大好きな『くまのプーさん』のゆかりの地、ハートフィールド村に行った。私の影響でプーさん好きになった娘も、これには大はしゃぎ。

 娘はまだダイキのことを、「パパ」と呼ばない。それでも、二人とても仲良くしてくれているから、それだけでも良かった。

 そして、娘は私よりも先に、イギリスでの生活に慣れていった。昔の私がそうだったように、きっと言葉もあっという間に覚えるんだろうな。

 私も負けてはいられない。早くこちらでの生活に慣れなくちゃ。何より、ダイキとの“家族”というカタチに。


「お父さん、お母さん、クルミとココアをよろしくお願いします」

「お任せ下さい。心配しないで、しっかり向こうのお仕事を片付けてきなさい」

 ココア六歳のお正月。私たちは日本に帰国した。これからは日本で暮らす。ダイキはまだイギリスでの仕事が少し残っているから、しばらくは離れ離れに。

 私に第二子ができた。私とダイキの初めての子。この子の出産もあるし、ココアが春から小学生になることもあり、ダイキは日本で事務所を立ち上げる決断をした。

 また私の祖父母が住んでいた家に住まわせもらうことになった。家の中は母がキレイに掃除をしてくれていて、必要最低限のものは準備してくれてある。

 出産は三月中旬予定。安定期に入ったので帰国を果たした。これから出産準備と入学準備をしなくちゃならない。と言っても、母が勤める病院で私は出産する。すでに話しが通っているから安心だ。入学の手続きも両親がしてくれている。

「ココちゃん、はい、ランドセル」

「わーい!おばあちゃん、ありがとう」

「よかったね、ココア。背負ってパパに見せて」

「うん!写真も撮って~」

 いつしか娘はダイキをパパと呼ぶようになった。すっかり懐いている。私がいなくても、二人でお留守番もお買い物もできる。本当の親子になったようだ。

 二人目が生まれたら、娘はどうなるだろう。妹(弟)と父親が違うことを、どうとらえるだろうか。赤ちゃん返りはするのかな?

「二人目が生まれたら、オレがココアをみるから、クルミは赤ちゃんをみて」とダイキに言われている。実の子よりココアのことを愛そうとしてくれているのだ。ダイキの優しさが嬉しかった。夫に両親に支えられ、私はショウくんの死から立ち直れた。

 親友アイカの存在も大きい。アイカもダイキが好きだったのに、私たちを繋いでくれた。だから今の幸せがある。

 アイカは結婚して、新婚旅行先にイギリスを選んでくれ、私たちに会いに来てくれた。中学時代の同級生として、アイカとダイキの仲は、今や普通に良い。

 今回、ココアが入学するまでの三か月間、アイカが勤める保育所で面倒をみてくれる手はずを整えてくれた。

「ココア、ランドセルはおじいちゃんとおばあちゃんが買ってくれたから、パパと今日、机を見に行かないか?」

「そうね、ベッドも買わなきゃならないし、ママも一緒に行くわ」

 翌日、一人ダイキはイギリスに旅立った。


 二月の末にダイキが日本に帰国し、私は予定日近くに、無事第二子を出産。十日前に退院した。

 今日はココアの入学式。私もダイキも出席し、赤ちゃんは、私の両親とアイカがみてくれている。

 赤ちゃんは元気な男の子。名前はユウマと名付けた。ココアはさっそくお姉ちゃんぶりを発揮してあやしてくれる。このまま姉弟仲良く育っていって欲しい。

「ハットリココアさん」

「はい!」

 大きな声で返事をする娘。短い期間でも、日本の保育園に通わせたことは正解だった。ココアは物怖じせず周囲にも馴染んでいる。

 その姿を、ショウくんの母親も見守っていた。私がお呼びしたのだ。「ココアにはおばあちゃんは三人いるのよ」と教えてきた。

 式が終わり、私たちは満開の桜の木の下で写真を撮った。それから、ショウくんのお墓へ。

 ショウくんの母から「今日はお誘いをありがとう。床上げ前の体なのに、こうしてお墓参りまでしてもらって……」と、お礼を言われた。

 家に帰るとココアは真っ先に弟の元に。

「ただいま~ユウマ!」

「ココア、先に手洗いうがいをしなさい」

 私が注意すると

 「今するところだよな~」

と、ダイキがココアの肩を持つ。

 「ユウマくん、いい子にお留守番出来ましたぁ」

 「ありがとうね、アイカ。助かったわ」

 「クルミ、疲れたでしょ。私は帰るから、ゆっくり休んで」

 「サンキュー、アイカ。ダンナによろしくな」

 「うん!またね」

 アイカが帰ると、手伝いに来てくれていた両親も敷地内の自宅へと帰っていった。

 「ユウマとママはネンネするから、ココアはパパと公園に遊びに行くか?」

 「ココア、自転車に乗りた~い」

 「OK!じゃあ自転車に乗ろう」

 二人仲良く出かけていった。今夜は実家でココアの入学祝いのパーティをしてくれるから、それまで眠ろう……

 「ただいま」

 「あれ?何か忘れ物?」

 「ううん、ココアの保育園のときの友達とそこで会って、一緒に遊ぶって言うから、オレは帰ってきた」

 「ふられちゃったのね」

 「そーゆーこと」

 「じゃあ、可哀想なパパに、美味しい紅茶を淹れて差し上げましょう」

 私たちはお茶をしながら、今後の話しをいろいろとした。ダイキの仕事のことや、私の仕事のことなどいろいろ。


 ダイキの法律事務所が軌道に乗り、ユウマが小学校に入学したのを機に、私たちは駅の近くに、小さな五階建てのビルを建てた。

 一階は私が経営するカフェ、五階はダイキの法律事務所、二階から四階はテナントを募集した。

 「ダイキ、夢みたい!私、こんなに幸せでいいのかしら?」

 「これから頑張って借金返さないとな~」

 「なによ、夢のないこと言って。でも、ホント、そうよね。ダイキの方はいいとして、カフェにどれだけお客様が入ってくれるかしら?」

 「事務所のスタッフ全員が、ランチ食べに行って貢献するから!」

 「サービス価格にさせていただきます!」

 カフェの店内レイアウトはもちろん、食器や装飾品に至るまで、ものすごくこだわった。

 〝大人がゆっくりお茶する場を提供する〟をコンセプトに、紅茶はイギリスの知人から取り寄せ、種類も多く扱うことに。

 ミルクに合う紅茶、レモンティーにおすすめの紅茶、ストレートで飲む紅茶、香りを楽しむ紅茶。茶葉の販売もする。

 コーヒーにも同様のこだわりようだ。コーヒー豆を厳選し、自分でブレンドして提供する〝オリジナルブレンド〟の他に、アメリカン、カフェラテ、カプチーノ、エスプレッソ、そして、妊婦さんに優しいノンカフェインコーヒーもおく。

 それから、紅茶やコーヒーに合うお菓子も手作りし、軽食のメニューも考えた。案は子育て期間中にたくさん温めてきた。

 スタッフも一人雇うことにした。料理アシスタント時代知り合った方のつてで、良い()が見つかった。

 店名やお店のロゴ、価格設定、仕入れ先交渉、営業時間や定休日、細かなことも決まった。

 ダイキの協力があり、着々と開店準備が整っていく。駅に近いこともあり、テナントも入った。

 二階はビューティーサロン。ネイルやフェイシャルマッサージ等をするらしい。三階は英会話スクール、四階はIT関連の会社だ。


 ココア中学一年生、ユウマ小学一年生の秋、ついにカフェがオープンした。

 営業時間は十時から十五時。ユウマがまだ小さいから時間は短め。それでも、営業時間外に、買い付けや仕込み、清掃をやらなくてはならない。意外と大変だ。

 定休日は、ダイキの事務所と同じ、日・月・祝。仕事をしていても、家族との時間は大切にしたい。

 「ユウマ、学校と学童保育は慣れた?」

 「大丈夫だよ、ママ」

 「心配し過ぎなのよママは」

 年頃になったココアに言われた。

 「ココア、部活はどうだ?」

 「なによ、パパまで。私、一年生の中で一番テニス上手いのよ!」

 「それは、パパの指導が上手かったからだな」

 無視しようとする娘に、「そーいうことにしといてあげなさい」と、私は笑って言う。

 「ひどいなぁ」

 ダイキも苦笑い。

 家庭が良好なのはもちろんのこと、カフェも順調な滑り出しだ。

 「すみません、二階のサロンで割引チケットをいただいたんですが、使えますか?」

 「クルミさん、今日のランチは何ですか?」

 「地元紙ですけれど、取材させていただけますか?」

 毎日嬉しい忙しさ。でも一番嬉しいのは

 「美味しい!」

 「また来ますね!」

 そういった言葉だ。

 このカフェの雰囲気や味を、気に入って下さるお客さまが次第に増えていく。

 「ダイキ、今日ね、貸し切り依頼があったの」

 「すごいね。受けたの?」

 「一日考えさせてって言ったわ」

 小学校の役員さんたちの親睦会として、十二時から十四時までを貸し切りで使いたいとのことだった。

 でも、私たちのビルで働く人たちは、カフェでランチをする人が多い。事前にその日だけ断るという手段もあるが……。

 「定休日の月曜日に受けたら?」

 ダイキが提案してきた。

 「でも……」

 「先方がそれでイイって言ったら、オレは構わないよ。家のことはオレがやるし」

 「ありがと。そうね、月曜日ならって言ってみるわ」


 「ママ~バレンタインデーに渡すお菓子を作りたいんだけど、何がイイかなぁ」

 私の本棚にあるお菓子の本をめくりながら、ココアが聞いてきた。

 「それって、本命?友チョコ?」

 「両方!」

 「え?ココア、好きな人がいるの?」

 「うん。でも、パパには内緒ね。知れたらうるさそうだから!」

 「秘密にしてあげるけど、パパとユウマに、今年もプレゼントしてあげてよね」

 「うん。それもママと作る」

 ココアにも好きなひとができたんだ。いつの間にか、そういう年頃になったのね。私はそっと昔を思い出す。

 「そうだ!ココア、好きな人って片想い?両想い?それによって作るものが違ってくるでしょ」

 「あっ!そうだよね。両想い!」

 「え?ココア、彼氏いるの?」

 「うふふ~いるんですぅ」

 「あら~全然知らなかったわ!今度家(ウチ)に遊びに連れていらっしゃいね」

 「うん!パパがいないときにね」

 ダイキに言えないのが歯がゆいところ。ショウくんには言ってもイイかな?お墓参りして報告しちゃおうかしら。

 バレンタインデー間近の週末、私とココアは、定休日のカフェでプレゼントを作ることにした。

 カフェの方がダイキに見られないし、大きなオーブンや材料もある。

 カフェにはすでに、二種類のチョコレートビスケットと、二種類のチョコレートケーキを販売していた。

 「お友達には、チョコチップクッキーにしたのよね?何人にあげるの?」

 「部活も含めて、二十五人分かな」

 「ずいぶんいるのね!ママもこのビルで働く方たちにプレゼントするから、たっくさん焼かなきゃ!急ぎましょう」

 休みの店内に娘と二人。いつもはクラシックをかけているけれど、今日は特別、J―POPを流す。

 ココアに指示を出しながら、二人で分担してクッキーを作っていく。

 次は本命チョコと、パパとユウマのチョコだ。ココアと相談して、ハート型のガトーショコラを焼くことにした。

 娘が素敵な恋をするように祈りつつ。


 カフェのオープンから一年が経った。ロスが無いように工夫して、売り上げも人気の方も、まずまずだ。

 ユウマはサッカーを始め、ココアは部活で忙しい。日曜日は、どちらかの練習や試合を観に行くことが多くなった。

 月曜日、子供たちが登校した後、ダイキと一緒に日ごろできない家事をしたり、仕事も兼ねてランチをしに行ったり。忙しくも充実した毎日を過ごしている。

 そんなとき、カフェの空いている時間を貸して欲しいという要望があった。十七時から二十三時まで、イタリアンのお店として使いたいという。

 確かに、お店が空いている時間が長いから、もったいないと言えるだろう。貸せば収入につながる。良い話かもしれない。

 でも、私なりに使いやすいように作り上げたキッチンスペースを、他人が使うのには抵抗を感じる。店内の空気も変わってしまうと思う。迷った。

 結局、ダイキの「嫌だと思うなら迷うことないよ、断りなさい」の言葉で、せっかくのお話しだけれども、お断りをした。

 ユウマが大きくなれば、カフェの営業時間を延ばすことも可能になるだろう。それまでもう少しだ。

「ねぇダイキ、ココアを塾に入れた方が良いと思うんだけど、どうかしらね」

「本人が行きたいって言ってるの?」

「ううん。言ってはいないけど、ココアは数学が苦手みたいなの。中三になってからじゃ遅い気がして」

「勉強は基礎が大事だからな。早く対処した方が良いかもしれないけど、まずは本人の意思を聞いてからだな」

 ダイキはいつだってココアの気持ちを大切にした。ものすごく愛してくれている。ココア自身もそのことをよく理解しているようで、今のところ反抗期も無い。

「ココアは数学苦手か?」

「うん。嫌い!」

「嫌いでも分かるならイイけど、分からないなら考えなきゃならないんじゃないか?」

「考えるって?」

「塾に行くとか、パパが教えるとか?(笑)」

「塾に行きま~す」


 カフェのオープン二周年。お店はここまで順調にきた。固定客も増えたし、定休日の貸し切りもたまに請け負う。

「こんにちは。ランチA、ドリンクはホットコーヒーをお願いします」

「いらっしゃいませ。今日は早いのね」

「これから裁判所に行くんですよ。ハットリ先生も一緒です」

 ダイキの事務所スタッフは、全員カフェでランチをする。広くはない店内なので、気を利かせていつも時間差で来店してくれていた。その代わり社員割引を適用している。

 あとからダイキもやってきた。

 「今日は、Aがミートソーススパゲティで、Bがキーマカレーか。じゃあBで。あと、ミルクティー、ホットで」

 「このあと裁判所だってね」

 「そうなんだ。帰りは少し遅くなるかも」

 「了解!」

 「裁判所の前に寄る所があるんだけど、このパウンドケーキを持って行こうかな」

 ダイキは、テイクアウト用に売っている、パウンドケーキを指さす。

 「すぐに包むわね」

 テイクアウト用のお菓子は他に、ビスケット、フィナンシェ、マドレーヌを置いている。

 賞味期限が近づくと、ここのアルバイトの()に持たせたり、ダイキの事務所スタッフに差し上げたりしていた。

 娘は年頃だから、私の作る新商品の試食以外、最近は甘いものを食べない。太りたくないらしいのだ。

 娘の数学の成績は、部活を引退した頃から、メキメキと上がってきた。このまま頑張れば、私とダイキの母校に受かるかもしれない。

 「ココア、(けい)(おう)大付属高も見学に行けば?」

 ある日、娘に言ってみた。

 「受かるかなぁ」

 「最後まであきらめないで頑張れば、分からないわよ」

 「そうかな。受かるかなぁ」

 ひそかに行きたいと思っていたらしい。その後、彼と一緒に(けい)(おう)の文化祭に行った娘は、すっかり校風が気に入ったみたいで、勉強を真剣に頑張りだした。

 「最近、ココアは頑張ってるな」

 「だって、彼氏と一緒に(けい)(おう)に行くんだもん」

 「彼氏?」

 「あ!」

 うっかり口を滑らせたココア。どこの誰なんだと騒ぎ出すダイキ。

 「クルミ~ココアが彼氏だって!知ってた?」

 「え~っと、どうかなぁ」

 「あ~知ってたんだ!」

 すねるダイキをよそに、ココアと私は苦笑する。その様子を見ていたユウマも笑い出す。

 なんてことのない穏やかな日常。でも、血は争えない。ココアも好きな人と同じ学校に行こうとしている。

 頑張れ、受験。

 頑張れ、恋愛。

 ショウくんも天国から応援してあげてね。


              END


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