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第七章 嬉しき?誤解

 学校はいつも通りに進んでいった。科目を勘違いしたり、体育で大活躍することもなかった(サッカーではなく体育館でバスケットボールをした)。

 そして待ちに待った昼休み。断っておくが、別に僕は特段食べるのが好きというわけではない。勉強、運動、掃除など、いやな事ばかりのこの学校生活の中で「まだマシ」というだけだ。

 いつものように購買でパンと牛乳を買って昴の席周辺に何人かで集まって適当な事を喋りながら食べる。

 しかし今日の僕は、いや、向こう一週間は多分そうだろうが、パンではなくスポンジを噛み締めているような、牛乳ではなく真水を飲んでいるかのような、そんな面持ちで自分の心の奥の奥を覗こうと四苦八苦していた。


「あ、そーいえば朝登」


 不意に昴が僕に話をふる。

 何? とぶっきらぼうに返事し、牛乳を口に含む。無断欠席の件は、朝の時点で必死で誤魔化しておいた。


「お前の隣の席の沓名さんてお前のこと好きなの?」

「ブッ!」


 盛大に吹き出しそうになり慌ててごくりと飲み込む。


「急に何言い出すんだよ!」


 正に青天の霹靂。不意討ちもいいところだ。二人で通学するところでも見られたのか。いや、それなら「僕のことを好き」ではなく「付き合っている」と聞いてくるはずだ。

 周りのクラスメートもざわめくが、当の昴はからかうでもなくきょとんとしている。


「一昨日だっけかな。お前、用事あったのか知らないけど放課後誰とも話さずすぐに帰っちゃったじゃん。そん時俺も部活休みだったから一緒に帰ろかなって思ってたのにさ」

 昴の隣の席の三橋もああと腑に落ちたように続ける。


「あーあの時の話か。どうしたんだあいつ、って話してたよな。で、その時……」

「おい、俺が出した話題だぞ」


 おもちゃを取り上げられた赤ちゃんのように昴は口を尖らせる。

 僕は口をポッカリ開けたままはらはらしっぱなしだ。どっちでもいいから早く話してくれ。

 というか、やっぱり一昨日、操夢に侵食されていた僕は多かれ少なかれ不審な行動をしていたのか。危なすぎる。


「はいはい、前野昴くんどうぞ」


 三橋はひらひらと手を振って不貞腐れたようにした。「うむ」と頷き昴にまた話は戻る。


「他に方向合う奴もいないし、しゃーないから一人で帰ろうかってしてた、その時の話よ」


 そこで言葉を止め、にやけた顔で僕の顔をじっと見つめる。


「早くしろよ」


 あまりに回りくどく、もったいぶるので若干イライラしてきた。


「まあまあ、そう急くなって。丁寧に話してるんだから。その時、沓名さんが俺のとこに来て話かけてきたんだよ。授業以外で声初めて聞いたから、一瞬誰かと思ったよ。『日野君って何か悩み事とかある?』だってよ。

思わず、『何で?』って聞き返したら『じゅ、授業中なんか思い悩んでるような感じだったから』って慌ててやんの」


 うわーマジかよ、お前何かしたのか、などと周りが適当な事を言って囃し立てる。誰かが彼女の名前を叫ぼうとして慌てて三橋が制止する。

 ヒートアップする彼らと対照に、僕は漸く腑に落ちて安堵した。

 彼女は僕が夢迷病に罹っていると察してすぐに、朝、僕に語ってくれた〈闇〉が僕の心の中にあって、治療の妨げにならないかと危惧して事前聴取をわざわざしてくれていたのだろう。


「それで、お前はなんて答えたんだよ」


 白熱してる彼らに負けないように少し声を張り上げて尋ねる。


「えー? 正直こいつ、朝登に気があるんじゃねーかってことで頭がパンパンになっちまったから適当に『別に何も思い当たらないけど』って答えちゃったよ。何か、あったか?」

「いや、まあ、多分ないけどさ」


 僕はそう言うことしかできなかった。彼らにとっては僕に悩みがあるかどうかはどうでもいいのだ。ま、今のこの状況ならしょうがないか。

 その後も昼休み中、勝手な盛り上がり、僕への尋問のごとき質問攻撃は延々と続いた。早く終わって欲しいと心から思った昼休みは初体験かもしれない。

 予鈴がなって、固まって座っていたそれぞれがバラバラと別れて各々の席に戻る。

 僕も、冷やかしの声を背に浴びながら、自分の机に向かおうとしたところ、ある意味僕の操夢の副次的被害者となってしまった彼女と目があった。

 口を変な形、そう、日本地図で見るどこかの湖のような形に開き、顔をほのかに赤くさせている。

 僕は出来る限り眼だけで謝意を表しようとしたところ、ぷいと反らされてしまった。

 これも俺のせいなのか……な?

 右を向くことができず、首を硬直させながら残りの授業を耐え忍ぶこととなった。

 SHRが終わり、帰る支度を始める。帰るといっても沓名の部屋へだ。よくわからないが『訓練』をするらしい。

 昴がこちらにやってくる。沓名の席の前を通る際に薄ら笑いをして彼女に目配せをするという余計なことをしながら。


「帰ろうぜ」

「え? お前部活は? 火曜日も休みだったんだろ?」


 僕は焦った。沓名と一緒に帰らなければならないのに。藪蛇になるようなことは絶対にしたくないし、彼女も嫌に違いない。


「今日はサボる。今日『も』と言うべきかな」


 と、自嘲的に笑う。

 昴は小柄な身体に関わらず、バスケ部に所属している。運動神経は抜群で、身長のハンデをものともせずに主力として活躍しているらしい。

 その割に、よくサボる。気分屋なのが彼の良いところでもあり悪いところでもあるのだ。


「いやあ、試合近くないのか? 練習したほうがいいんじゃね」

「ん? 別に近くないけど?」

 

 苦し紛れに放った僕の策はあえなく撃沈した。

 悟られないように一瞬沓名の方を横目で見る。聞こえてるだろうに、知らん振りして彼女は普段していないはずの読書をしていた。


「早く帰ろうぜ。最近ゲーム買ったんだ。中古のやつだけど」

 

 彼女のそれをどう受け止めればいいのか。僕の脳はフル回転し、そして一つの結論を導いた。


「それが面白いんだって。中毒性っつーのかな」


 まず通学路を思い浮かべ、僕と昴と沓名の家を考える。幸運なことに昴の家は僕達二人の家より遥かに近い位置にある。

つまり、とりあえず昴と一緒に学校を出て、彼の家の前で別れてから、後ろを気付かれないようについてきた沓名と合流すればいいというわけだ。


「ミスって死んだら『もうやんね!』ってなるじゃん。でも五分後にはまたコントローラーを握ってるんだよなあ」

 問題は沓名がその思惑を察してくれるかだが……。まあ彼女なら大丈夫だろう。


「悪い、行こうか」

「今週の土日はずっとその繰り返しだったよ……ってお、おう」


 僕達二人はそうして学校を出た。昴の目が気になり、沓名がついてきているかは確認することができない。

 夕暮れの空は綺麗に辺りの風景を赤く着色している。何故人は、この風景に物悲しさを感じるようになっているのだろうか。来る夜を畏れているのか。

 昴は僕がそんな物思いに耽ているのに気づかず、様々なことを喋り散らす。


「でさあ。お前沓名さんと付き合うの?」

「はあ?」


 そしてまたその話題に戻ってきた。やめてくれ、その後気まずいじゃないか。


「そこまで不機嫌になるかー? 確かに無口で暗くてちょっと冷たい感じするけどさー。なんだかんだ可愛いじゃん。ツンとしたクールな感じ?」

「いや、そういうことじゃなくって」

「じゃあ何で機嫌悪くなってんだよ。ああ、それより」


 突然、さっきまでニヤニヤしてばかりだった昴が真剣な顔つきとなる。思わずこっちも身構えてしまう。


「沓名さんがお前に悩み事は何か無いかって聞いてきたって言ったじゃん。あん時は俺も舞い上がっちゃってたけどさ。その後ちょっと冷静になって考えてみたんだ。そしたら一つ思い出したんだ」


 僕は思わず息を呑んだ。あの忘れっぽい昴が覚えているなんて……。


「そ、それって?」

「今のことじゃないから沓名さんの質問にはそぐわないしお前も覚えているかわからないけどさ。確か俺達が保育園だった頃かな。何でか忘れたけど、お前すげー落ち込んでる時があったんだよな。どうしてか分からないけど不意にその時のことが頭に浮かんだんだよ。何でだったっけ?」

僕達が保育園に通っていた頃……。ということは十年前ぐらいか。ってことは……。


「俺の母さんが死んだ時かな」

「あ……それだったか」


 不謹慎な話を持ちだしてしまったと思ったのだろう。口を噤んでしまった。

 そう、僕の母親は僕が幼い頃に亡くなってしまった。物心がついたかついてないかの時だったのであまり詳しくは覚えていないが父さんによると買い物に行く最中に運転を誤った車に轢かれたらしい。


「なにやっちまった! みたいな顔してるんだよ。今となっては顔も声も覚えてないし気にするなよ」


 そのように慰めると、昴は露骨に安堵の表情を浮かべた。しかし刹那に神妙な顔に戻る。


「ま、まあそうだよな。でも……」

「でも……なんだよ」

「うーん、思いだせねーや。とにかく、あの時先生からお前の母さんが亡くなったとは聞いたけど、それ以外に何かお前の様子がおかしくなったことがあったような気がするんだよな」

「昴の思い違いじゃないか? 母親っ子だったから確かかなり長い間泣いてばっかいたんだよ」


 しかし彼は納得していないようだった。


「まあ、そうかな……」


 ちょうどその時、昴の家の前に到着した。すると瞬時にいつもの脳天気な彼に戻る。


「暗い話になっちゃってスマンな。じゃ、また明日」


 別れを告げ、また歩き出すと案の定つけてきてくれたのだろう、沓名が早歩きで追い付いてきた。


「や、やあ」

 

 学校での出来事の手前、どう接していいのかわからずしどろもどろしてしまう。


「臭うわね、彼の言葉」

「え? 何が?」


 彼女はその小さく薄い顎に手を当てて何やら思案している。


「さっきの彼の話。要約するとあなたのお母さんが事故で亡くなった時、あなたはそれ以外に何か違う要因で心がおかしくなってしまっていた、ということね。だけどあなたはそれについて何の心当たりもない」


 鋭い目つきが僕を捉える。


「うん、確かにそうだけど。もしかして、それが俺の『闇』だと?」

「一つの可能性。その程度だけどね」

「まさか……」


 僕は彼女の思いつきを一笑に付そうとした。しかし今朝の言葉が思い留まらせた。


『闇』は人間の決して自我では届かない深い深いところにしか存在しない。


「あなたのお母さんが亡くなっていたことは初めて知った。『闇』っていうのは死とか罪とか別れとか。強い負の感情の中に産まれるということがほとんどなの」


 母さんの死、その同時期に他のトラウマとなるような出来事があった?


「まあ当然前野くんの思い違いという可能性のほうが高いわ。昼のアレみたいにね」

「うっ」


 彼女の言葉の最後に若干の怒気が混じっていた。せっかく上手く流れてくれるかと思ったのに。


「まあ迂闊なのは私だった。あれぐらいのことであそこまで盛り上がる噂になるなんて。思春期の恐ろしさってやつね」


 そして大きく溜め息をついた。どこまで達観すればここまで大人びた考え方ができるのだろうか。操夢との関わりの中できっと想像もつかない経験を積んできたのだろう。


「とりあえず『闇』を探すのはあなたに任せるわ。あなた自身でしかわからないことだし。今私と一緒にするべきなのは訓練」

「訓練って一体何の」


 ずっと気になっていたことをやっと尋ねることができた。沓名は少し考えて、


「具体的にどうこうっていうわけではないけれど、夢の中での動き方を少し訓練するつもり。悪いけれど、後の決戦ではあなたにも戦ってもらわなければならないと思う」


 戦う。あの悪魔・操夢と。

 それはそうだ。当然だ。〈闇〉を暴いたからって無条件に夢迷病が治るわけではない。

〈闇〉はいわば奴の餌のような物。本体を直接叩かなければ救われることはないんだ。


「わかってるよ。任せっきりになんてしてられないことなんて」

 

 僕は額に手を当てた。

 そう、全ては僕の中の出来事なんだ。

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