第四章 夢の中へ
「ちょっといい?」
「何でも聞いて。私とあなたはこれから長い付き合いになるのだから」
沓名はベッドに寝そべったまま返した。相変わらずの鋭い目つきとそのだらしがない姿に言いようもないギャップを感じた。
「沓名の話によると、今の僕は沓名のおかげで意識を保ててるってことだよね。ってことは――」
突然彼女は小気味良い音を響かせて手を叩き、飛び起きた。そして慌てて洋服ダンスへと向かった。洋服ダンスはベッドの隣、部屋に入った時は真左に位置するので、死角に入って見えなかった。そのタンスも飾り気なく、高校生の女子が使うようには見えない。
「忘れてた。寝てる場合じゃないわ。今が最高のチャンスなのに」
そう呟きながら、勢い良く引き出しを開ける。僕は、見てはいけないような気がして反射的に眼を逸らした。
何かを取り出すと、僕の方へと向かってくる。
「こっち向いて」
彼女は三本、輪ゴムのような形―髪を結うための物? を左手の指で伸ばしたり縮めたりしている。
そしておもむろに両手を天(というか天井)に掲げた。
「バンザイして」
「え?」
「腕を上げて」
わけのわからないまま僕は言われたとおりにする。更に手首をくっつけるように注文をつけられたのでその通りにする。
すると彼女は、三本の内に一本を手に持ち、僕の両手首にかけたのである。
「な、何だよこれ」
いきなり拘束されて、当然僕はうろたえる。今の姿はどう考えても罪人のそれのように見えるだろう。
沓名は両口角をくいと上げて笑みを浮かべた。
「治療よ。患者さんの」
この女、Sっ気があるな。
僕はそう確信した。
「ちゃんと説明してくれよ。患者には適切な説明を受ける権利があるはずだろ。インフォームド・コンセントってやつだ」
すると彼女は露骨に面倒くさそうな顔をした。
「……。まあ確かに。じゃあ準備しながら話すから両足も上げて」
どうすればいいのか分からず戸惑っていると、沓名が見本を見せてくれた。
腰を支点に両足を腹筋の力で上に持ち上げる。
おっと!
その時、彼女のスカートから見てはいけないものが見えそうになり、僕は慌てて眼を下に向けた。
沓名はそんなことに意を介さず、顎をしゃくり早くしろと促す。
何をされるのか半ば理解しながら足を上げると、案の定である。両足にもゴムを掛けた。もう身動きができない。
「今から私達はあなたの夢に行くの」
彼女はまた立ち上がり、次は学習机に向かった。
「僕の夢?」
「そう。朝登君の夢。私も昔、夢迷病に罹ってひどい目に遭った。だけどそれを乗り越えると、自分の操夢を逆に支配できるようになるの。そうすると、色々なことが可能になる。その一つが、他人の夢に侵入できる能力なの」
今度はガムテープを取り出し、僕の手足をゴムの上からぐるぐる巻きにする。
「これぐらいでいいでしょう。後の話は夢の中で」
いやいや、と僕は慌ててツッコミを入れる。
「それで何で俺は縛られなければいけないんだよ!」
「さっき言ったでしょ。私達は今からあなたの夢に行くの。その間は肉体は操夢の好きがままにされる。暴れまわって変なことになっ
ても困るから。少し我慢してね」
そして、ビリビリビリっとまたガムテープを十センチぐらい切り取った。
それを僕の口に近づける。
抵抗してわめく僕にまた、悪どい笑みで見つめながら容赦なくガムテープを押し付けた。
「これは騒がれないようにするためね。ここ、壁がすかすかでちょっと大きい声で話すと建物の端から端まで聴こえちゃうほどなの」
芋虫のようになった僕をまだ薄笑いを浮かべたまま、上から見下ろす。
「あ、また忘れてた」
沓名は自分の鞄の中から何かを取り出した。
カプセルだ。何かの薬っぽい。
そして一度貼った口のテープを半分ほど剥がした。
アタタタタタタ。
躊躇なく勢いよく引っ張られ、唇まで一緒に持っていかれそうに思えた。配慮ってものがないのか。
不平を言おうと開いた口に何か……粒? のような物が押し込まれる。
口の中で転がしていると、次いで水が流し込まれいつの間にか、カプセルは口内から消え失せてしまった。
「な、何の薬を飲ませた」
彼女は薬の入っていた袋を掲げた。それに書かれている小さな字を読もうとしたが突然視界がぼやけてきた。
「超強力な睡眠薬」
「す、睡眠薬?」
その言葉を聞いたから……というわけではなかろうが、意識が急激に薄れていくのを感じる。
「安心して。組織が開発した極秘のもので、副作用はないから」
ソシキ? ソシキって何だ……? 何故か僕の頭のなかはその三文字でいっぱいになりぐるぐるぐるぐる回って……消えた。
※※※
眼が覚めると、当然ながらそこは沓名の部屋の中ではなくなっていた。
周り一面、地面から大小異なる無数の黄土色の突起物が、地面から生えている。僕の足元はどちらかと言えば平坦に近いが、小さい突起が確認できた。
そこは、幼いころに家族旅行で行った鍾乳洞のようである。
もっとも、鍾乳洞とは異なり空は開けており、酸素不足の血に似た臙脂と闇の如き漆黒がまだらに混ざったような色をしていて、何となく「死」を想起させる、薄い絶望感に包まれてはいたが。
これは僕が見ている、いや、見せられている夢なのだろう。操夢が司る世界なのだろう。
僕は慌てて沓名を探した。どうやってなのかは分からないが、彼女は他人の夢に侵入できると言っていた。
情けないことに、僕は彼女に頼り切ること
しかできなかった。無力なんだ。
「沓名?」
反応はない。辺りを見回した。しかし、少なくとも僕の見える場所には居ない。というか、この世界には鍾乳石のような突起以外には他に何もなく、はるか遠く、180度、黒き赤と黄土色が混ざり合う、地平線まで確認できる。
静寂。何も起こらない。
そういえば、今まで数えきれないほど夢を見てきたが、夢の中でそれを夢と自覚したことはなかったかもしれない。なんだかファンタジーの世界に迷い込んだようで不思議な気分だ。
コツ。
地平線をぼうっと眺めていると、不意に後ろから物音がした。
コツコツコツコツ。
「くつ……」
沓名が来たのかと思い、僕は気軽に振り向いた。
しかし違った。
そこに立っていたのは、紛れも無い、僕自身だった。
鏡ではないのはすぐ分かった。
彼は恐ろしいまでに無表情なのだ。眉一つ動かさず、僕を見据えている。
どうしてか僕は彼の瞳から目を離すことができなかった。
暗黒。それは、虚無への入り口のようにさえ思えた。
目を反らさなければ。壊れてしまう。本能的にそう感じた。
それは僕か。僕だ。いや僕なのか?
ここは夢? ならば誰の夢? 僕の夢? ならば何故僕は、僕の夢の中にいるんだ?
前に立っている君は誰? 明らかにそれも僕だ? でもそこの僕は僕じゃない。何故なら、その僕は僕の意識がないから。
「ゴメンネ」
僕、いや彼? は口を開いた。
「ゴメンネ。クルシイオモイヲサセテ」
どうして謝るの?
「コッチニオイデ。ワタシハココニイルカラ」
僕の足は勝手に動き出した。いや、違う。これは僕の意思なんだ。
いつの間にか、僕の姿は変わっていた。
瞳の暗黒が、身体まで染み出し、全体が一つのシルエットと化している。マントを巻いているようにも見える。
少しずつ、少しずつ、僕の元へと近づく。
これでいいんだ。これで……。
僕は、両手を広げて待ち構えている。
暖かい。
彼女の抱擁。やっと会えたね。
光が全身を包む。
……。
……。
……。
あ!
その刹那、僕の身体は宙に舞っていた。
「失敗した。少し遅れただけでこれ……」
沓名がいた。僕がさっきまでいた場所に。女神の抱擁を受けようとしてたところに。
まさか、彼女に放り投げられたのか。
僕は当然受け身なんかとれず、そのまま地面に激突した。
痛かった。背中が焼けそうな痛み。現実と同じだ。
「心配しないで。すぐ終わらせるから」
そう言った途端、沓名の身体が舞った。 僕と同じ弧を描き、少し前に着地する。
さっきまで僕だと思っていたそいつの髪や腕が変形し、触手のようなものとなり沓名を襲ったのである。
彼女の手には刃が身長ほどもある――おそらく日本刀だろう――得物を握っている。
髪はさっきのゴムで後ろに束ねられ、背中には刀を収めるための柄を背負っている。
もう一人の僕、恐らく操夢はその本性を現したかのように正に異形へと化していた。
身体の四方八方から先ほどと同じ触手が生え、吹いていないはずの風に揺れている。
いつの間にか瞳に白目が現れ、暗黒のシルエットの中に黒目だけがその特徴として浮かび上がっている。
下半身は消え失せ、本体は胴体と顔だけになり、数十センチ地面から浮いている格好となる。
こんな化け物を女神と見間違い、あろうことか身を委ねてしまったのか。改めて、操夢が見せる夢の恐ろしさを知った。またもや、間一髪のところを沓名に救われた形となるわけだ。……。しょうがないんだ。これは病気なんだ。もう何も思うまい。
向かい合う両者はどちらも動こうとしない。ただじっとお互い見つめ合っているだけだ。
沓名は下段に刀を構えている。僕を夢迷病から助けてくれるということはつまり、夢の中に具現化した操夢を直接倒すということなのか。
「朝登君」
前を向いたまま、沓名が叫ぶ。
「夢の中では想像が大事。何とか生き残るのよ」
先に動いたのは沓名だ。空を駆けるかのように、凄まじいスピードで操夢に迫る。
対抗するために繰り出した触手を一刀の元に斬り落とす。
操夢が動く。後ろにスライド移動し、斬撃を躱す。そして再び、今度は無数の触手を伸ばす。
沓名もそれを防ぐために乱舞のように刀を振り回し、斬る、斬る、斬る。
しかし操夢の触手は尽きない。
最初は互角だった両者の攻撃も、徐々に操夢が押し出し始めて来た。
沓名の表情にも曇りが見え始める。
なんで僕は見てるしかできないんだ!
「ぐ……!」
そしてついに、触手が彼女の顔に傷をつけた。薄い傷だが血が滲みだす。
苦し紛れに、今度は沓名が距離を取る。
あ! その瞬間だろうか。彼女の手には日本刀でなく、巨大な銃のようなものが握られていた。
銃口から激しく火が噴く。
ズバババババと凄まじい音が鳴り響き、触手を一瞬の内に爆裂させる。
沓名にも、極大の反動があるはずだが身体は微塵も動かない。怯むことなく引き金を引き続ける。
だが操夢本体に弾は届かなかった。
沓名を攻撃していない残りの触手の先端が、操夢の直前一点に集まり、輝く光の壁を発生させたのだ。
マシンガンであろうそれからの無数の弾丸は呆気無く弾かれてしまう。
「……バリアー、か。まさか」
何かを察したのだろうか。低い声で唸るように呟いた。
と、その瞬間マシンガンが沓名の腕から消えた。それと同時に次は巨大な口径を持つ、バズーカ砲が現れた。
先ほどの銃声とは比べ物にならない大音声。周りの鍾乳石も削れて塵粉が舞い上がる。
しかしそれも無駄だった。一点突破でバリアーを破ろうとの作戦だろうが、光の壁はその衝撃を全て防ぎかき消してしまったのである。
柄にもなく沓名が舌打ちする。バズーカ砲も消滅し、元の日本刀に戻る。
触手の一本の先端が5つに割れ、中身が光りだす。
風をきるような音と共に光が強くなっている。
「朝登君! 伏せて!」
光の強さが最高潮に達した時、それは発射された。
まさにSF映画に出てくるレーザービーム。
沓名を狙ったものなのだろうが、その射線上に僕もいた。
嫌な予感はしていたが、身体が動かなかった僕は沓名の声のおかげでギリギリ避ける事ができた。頭の上をよく分からない衝撃が掠める。
彼女も横っ飛びで難を逃れた。
眼にも止まらぬスピードで、当たったら即死するのだろうと用意に予想できる、冗談じみた攻撃だ。
ホッとしたのも束の間。すかさず第二射が避けた沓名に向けて放たれた。
第一射の衝撃音でチャージ音がかき消されていたのだ。僕にとってまったくの不意打ちで身体が凍りついた。
油断していた僕とは違い、沓名は予期していたらしく危なげなくそれも躱す。
しかし第三射、四射と容赦無い攻撃は続く。
なにせ砲台は操夢の身体から無限に生えているのだ。「攻撃は最大の防御」を地で行くような圧倒的火力だ。
沓名も超人的な反射神経と運動神経で毛一本のところを避けているものの、やがて少しずつレーザーが掠り始めてきた。制服に穴が空き、傷が見え隠れしている。
ジリ貧なのは明らかだった。
ついにレーザーが沓名の右太腿を貫いた。悲鳴を上げ姿勢を崩し、地面に崩れ落ちる。
「沓名!」
思わず身体が動いた。助けられる気はしなかったが、なぜか彼女のほうへと駆け出していた。
触手が光る。これではとても間に合わない。いや……。
『夢の中では想像が大事』
間に合う! 僕は間に合うんだ!
ふと身体が軽くなる。サッカーの時と同じだ。
何とか助けたい。その一心しかなかった。
眼には沓名と、耳にはうるさい発射音。
無我夢中。その四文字に尽きた。
そして気がつくと、僕は彼女の部屋に戻ってきていたのだった。




