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第三章 操夢

 彼女は『話がある』といって、僕を自分の家に誘った。何が何だか分からなかったが、そのまま学校に行く気にもなれず僕は彼女の後ろを着いて行くことにした。

 彼女の名前は(くつ)()(ゆう)。知っているのは、それと、もちろん同い年であること、運動が全くできないこと、そして超がつくほど無口であること。それぐらいだ。

 歩いている間も、彼女は全く口を利かなかった。話があるのなら、歩きながらでもできるだろうに。

 

 やがて僕達二人は人影がない、ひっそりとした住宅街に出た。あまり新しくないアパートやマンション、一軒家が軒を連ねている。

 彼女はその中でも最も古いのではなかろうかというアパートに入っていった。少し驚きながらも、僕もそれに続く。

 二階建てで各階にそれぞれ三部屋ずつという小さめのアパートである。階段を上がり、一番奥の部屋が彼女の部屋らしい。

 ひび割れたコンクリ、錆びついたドアノブ、柵には無数の蜘蛛(くも)の巣。ともすれば廃墟に見えかねない様相である。


「ここが一番都合が良いの。家賃三万円よ」

 

 面食らっている僕を見かねてか、そう説明してくれた。大して効果はなかったが。

 鍵を挿し、グルリと回す。そこも老朽化しているらしく、どこかで引っかかったようで中々開かないようで、最後は無理やりこじ開けたようだった。

 部屋はいわゆるワンルームだった。入ってすぐ、左にすりガラスでできたドア。恐らく風呂場だろう。右には洗面所とシンクと一口コンロ。殆ど使っていないのだろう。料理器具や調味料の類は何一つ置かれていなかった。近づいてみると、薄っすらと埃が積もっている。

 そこを抜けると畳の床の居間に出る。ここにも物はほとんど無い。しかし、向かって左側奥に一際目を引く物があった。


「ベッド?」

 

 白い壁は黒ずみ、至るところにセロハンテープの跡が付いている。畳も所々が黒ずみ、傷みかけている。

 そんな、見るだけでこちらの気持ちまで荒んでしまいそうな彼女の部屋には、まるで不釣り合いとも思える巨大なベッドが堂々たる重量感を見せつけながらそこに鎮座しているのだ。

 僕にはそのベッドが正にこの部屋の主であるかのような感じがした。

 掛け布団は白銀の羽毛布団のようだ。見るからに軽そうで、少し宙に浮いているようにさえ思える。


「ベッドがどうかしたの」

「いや……」


 部屋と合ってないけど立派なベッドだね、とは流石に言えなかった。


「これが、私の唯一の楽しみなの」

 

 彼女はベッドの端に腰掛けた。優しい弾力で、身体が一瞬ふわりと跳ねた。

 言っている意味は、よく分からなかった。」


「そっちの椅子に座って。悪いけどベッドには他人には触れさせないことにしているの。

言うなれば、命の次に大事なものってところね」

 

 僕は促されるままにベッドと反対側、向かって左にある学習机の付属品であろうキャスター付きの椅子に座った。


「さて……何処から話そうかしら。この仕事にはつきものの作業なのだけど、ペラペラ話すのは嫌いなのよね」

 

 彼女は顎に手を当てて迷う素振りをする。

 この仕事、とは一体何の事なのだろうか。


「あ、……。えっと……。沓名さん」

 

 彼女の名前を呼ぶのは当然初めてで、少し詰まってしまった。彼女が僕の方を見る。


「沓名さんが俺を助けてくれたのか? ……あ、何言ってるのか分からなければ流して」 

 

 慌てて付け加える。全て僕の勘違いという恐れもある。


「あなたが救われたと思ったかどうかはわからないけれど、少なくとも私にあなたを助けたいという意志があったのは確実。そしてこれからもね」

 

 そしてぎこちなく微笑んだ。彼女のその表情と言葉を聞き、初めて僕の中の不安や絶望といった負の感情が少し氷解するように感じた。


「と言っても、あなたは多分ここ一連の、自分の身体に何が起こっているのかわからないでしょう」

「うん、分からない。何が何だか、俺、もう怖くて」

 

 氷解すると同時に、涙が湧き出てきた。情けない。恥ずかしくて、僕は頭を下げ、手で覆った。


「無理もないわ。常識の崩壊には痛みが伴うもの。そのままでいいから話を聞いて。長くなるとは思うけど」

 

 僕は頷いた。助けてくれるならどんな話でも聞きたい。


「ここからの話は、間違いなくあなたのこれまでの人生から得てきた世界観を崩壊させてしまうことになる。覚悟して聞いてね。あなたの中に起こっている現象は、それほど一般人からしたら考えられないことなの。


 だから説明するためには、少し遠回りする必要があるわ。朝登君、あなた夢遊病に悩んでいるって言ってたよね」

 

 僕は思わず顔を上げた。


「どこでそれを?」

 

 沓名はあ、と口をあんぐり開けた。


「え、えー。昨日、あ、火曜日ね。朝、前野君と話してるのを聞いたの」

 

 何も言っていないのに、言い訳をするように、両手を前で振り、顔を赤くした。


「別に普段寝たふりして聞き耳立ててるとかじゃないから! キュイが教えてくれただけだから!」


「キュイ?」

 

 聞きなれない単語に、思わず僕は聞き返した。


「あっ……。えーと……。それについては話が前後するから一旦保留させて」

 

 ここで大げさにエヘンと咳払いして普段の落ち着きを取り戻した。


「さて……。話を戻すと、とりあえず私はたまたまあなたと前野くんの話を聞いて、その中に『夢遊病』という単語が入っていることが気になったの。

 夢遊病自体は別にどうということもないの。一般に認知されてるほどメジャーな現象で、よっぽどじゃない限りは特に問題視されることはない。ただしそれが幼児期の場合に起きた場合だったらの話。

 普通夢遊病というのは子供の頃に発症することが多い症状で、脳の成長過程における一種のバグのようなものなの。

 しかし、あなたの場合のように高校生にもなって未だに発症する場合が問題。……ここで少し話を変えるわ。朝登君、人間は何故夢を見ると思う?」

 

 夢。今の僕を狂わせている全ての元凶だ。 それが何かは全く謎だ。毎日見るほど身近なのに、正体は一切不明だ。しかし……。


「わからない。でも昨日今日の経験で、なんとなく感じたことがあるんだ」


「感じたこと?」

 

 沓名は何かを予期したかのように目を鋭くさせた。


「僕の中に、もう一人、別の意識があるような気がするんだ。そしてそれが僕をどこかへ消し去ってしまうんじゃないかって」


 初めて言葉にする、僕の中の得体のしれなかった不安。しかし口にしてみると、それが途方も無い絵空事に思えてきた。

 しかし、沓名は真面目な顔で何かに納得したように頷いた。


「あの時の私と一緒ね。そう。あなたの感じた通り。あなたの脳内にはもう一人、いやもう一匹、根付いているの」

 

 ぞわり。その言葉を聞いた瞬間、僕の頭のなかで何かが蠢いたような気がした。錯覚か。それとも、その生物の身震いか。

 続く彼女の言葉は僕を見たことも考えたこともない、新たな世界へと連れて行く。


「生物の名は(そー)()。『操る、夢を』と書いて操夢。あなただけじゃない。わたしも、そして、この世界に生きている人間、そして脳を持つ生物ならば多分全て、その内部に操夢という名の怪物を飼っているの

 その名の通り、操夢は睡眠中の私達に夢を見せ、夢を操っている。夢の正体というわけね。普通の人間にとってはただそれだけの存在。むしろ夢で現実逃避をさせてくれるありがたい存在とも言えるわ。

 しかし極稀にそれだけじゃなくて、邪悪な欲望を持つ操夢が現れることがあるの。その欲望こそが、あなたを苦しめ、意識を無くしてしまおうとする理由なのよ。

 初期段階ではそれが夢遊病として現れる。

 といっても、さっき言ったように幼児期に起こるそれは、邪悪な操夢による物じゃない。

 その後、成長してから起きる夢遊病。これが危険。ストレスや苦痛によって引き起こされた、幼児期と同じようなバグの可能性もある。家の中をさまようだけのような状態ではまだ判別はできない。

 ここまで、操夢によって操られることも、同じく夢遊病と説明してきた。だけど、これを一過性のものと区別するために、私達は『夢に迷う病』と書いて『夢迷病(むまいびょう)』と呼んでいるわ。夢遊病と夢迷病は最初の症状は似ているけれど、完全に異質の物だから混同しないようにね。

 

 夢迷病には段階が三つあるの。

 まず一つ目。これは夢遊病の症状と何ら変わらない状態。この状態ではまだ普通のそれと判別不可能。

 そして第二段階。ここで夢迷病であるか否かの判断ができようになる。

 これは、現実の生活にまで操夢が干渉してきている状態のことを言うわ。

 あなたは昨日の数学の時間、先生に当てられた後うたた寝してたのは覚えてる?」


 僕は頷いた。


「それから先が夢じゃないかと思ってるんだ。どう考えても、俺にとってはあり得ないことが起きたから」

「そう。でも他の人、私も含めてあなたは現実世界でおかしな行動は全く取らなかった。普段通りそれからの授業を受け、先生に当てられれば答え、昼食は前野君達と一緒に食べ、学校が終われば帰宅の道についた。操夢があなたの意識の代わりに身体を動かし、あなたの振りをしていたの」


 怪物が、僕の振りを……。


「どうして沓名は僕に意識がないってわかったんだ?」

「私の操夢が教えてくれたの。これについては、さっき言った理由と同じで保留させてもらうけど」


 つまり、沓名がもしいなければ、そのまま誰にも僕が僕でないと気づかないまま、いや、周りの人間からしたらそれも完全な僕なのか?

 僕の「僕」という意識がないということは僕だけの問題なのであり、他の全ての人間に関するものではないのだろうから。


「まとめると第二段階というのは、発病者の現実と夢の境目が操夢によってあやふやにされる状況なの。寝ている間も、無意識の内に普段通りの生活を送る。

 だから、夢迷病が誰か他人によって気づかれることは殆どない。そして操夢は発病者の精神を弱らせつつ、機会を蛇のようにひっそりと伺っているの。

 そしてついにその時が来る。意識の捕食、喪失。第三段階。

 こうなってしまうともう手は付けられない。最早意識は完全になくなり、操夢が作り出す無意識が発病者の身体を完全に支配する。

 そして彼の意識は、様々な夢を見た後、完全に消滅する。これで操夢の乗っとり計画は完全成功と共に幕を閉じるの。

 そして現実の世界で自由に動き回れるようになった操夢は、今まで隠し続けていた本性を現し、人間離れした悪意を孕む事件を起こす。

 殺人事件についてのニュースでよく伝えられる、『犯人の心神喪失が認められます』っていうのは8割ほどが操夢に乗っ取られた者の仕業ね。精神科医は操夢の存在を知らないから適当な精神病の名をつけてお茶を濁すけど。


 ここであなたの話に戻るわ。私はあなたが夢迷病に掛かっているんじゃないかと思って、火曜の放課後から尾行を開始した。

 私は何度か接触を試みたのだけれど、叶わなかった。

 というのも、操夢が二体以上普通とは異なる状態で近くに居る時、互いに察知しあうという性質があるの。

 あなたの操夢は私の操夢が私に支配されているということ、そして私があなたの夢迷病を疑っていることに気づいたわけね。だからひたすらに距離を取られ続けた。

 でもその時はまだ、あなたは第二段階の症状までしか現れていなかった。一般的に、第二段階から第三段階に移るには半年ほど掛かると言われているの。だから時間は十分にあると思った。私もそこまで焦らず、気長にチャンスを待とうと思っていた。学校もあるしね。

 しかしその時は異常に早く訪れた。

 次の日、つまり水曜日ね。私は朝からあなたを見張ろうと、家の近くで張り込んでいた。ごめんなさい、ストーカーみたいなことをして。

 あなたは制服を着て何食わぬ顔で家を出た。……いや、顔は青ざめてたわね。あの時は覚醒していて、異変に気づいていたのでしょう?

 おかしいと気づいたのは大通りの交差点にさしかかった時。あなたは学校への道を外れ始めた。

 正直私は焦った。発病者が日常行動を外れるイコール、第三段階への移行を示すというわけだから。

 操夢を支配している私が干渉すれば移行を中断させることができる。何とかギリギリ間に合ったみたいでよかったわ。……それにしても、移行が異常に早すぎる。一体どういうことなの……。


 あ、以上でとりあえずあなたに起こった減少の一応の説明は終わり。長くなってごめんね。わからないことがあったら何でも聞いていいわよ……あー疲れた」


 沓名は思いっきり背伸びをして、その後ベッドに横から倒れこんだ。

 僕は、彼女から聞いた話を整理した。

 僕達の脳内には操夢という名の怪物が住んでいる。それで僕の中の操夢は邪悪な心を持ち、僕の身体を乗っ取ろうと企んでいる。そして、段階を踏んでいよいよ操夢が行動に移そうとしたところを間一髪、沓名に救われた。

 こんなところか。

 信じられない。操夢だって。ファンタジーの漫画かアニメかに出てきそうな奴だ。

 だけど、僕の頭は比較的冷静に沓名の言葉を受け入れた。

 実際に僕の脳内に起こった出来事だからなのか、あるいは既に操夢に脳を蝕まれ、無理やり信じさせられているのか。

 と、ここで僕はそんなことよりもっと大事な事に気づいた。

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