最終章 夢よ、さようなら
夢が、壊れた。
三人称視点で僕を見つめる、という奇妙な体験は終わり、そして今は……。
「うわああああああああああ」
お、落ちている。世界の光景は無限の星空となっていた。宇宙なのか。しかし重力は恐らくあって、落下に対する凄まじい空気抵抗も感じる。
落ちてゆく下方面にも何もなく、ただ果てしない星空が広がっているだけだ。
何だ、これ。一体何がどうなって。
ヒュルルルルルル。
風を切る大音量の中に、微かに音が聞こえた。どんどんこちらに近づいてくる。
「朝登君!」
沓名の声。そして急に身体が持ち上げられる感触。気が付くと、僕は巨大化した彼女の操夢、キュイの背中に乗っていた。
隣には沓名もいる。
「落ちないようにしっかり掴まるのよ」
「沓名! 俺……」
「お喋りは後にして。来るわよ、キュイ!」
真っ直ぐ飛んでいたキュイの軌道が不規則で激しいものに変わった。危うく振り落とされそうになり慌ててしがみつく。
上下左右、前に後ろに斜めへと嵐のような飛行がしばらく続いた後、やがて元の体勢に戻る。
「あそこよ」
居た。再び相見える。アノニムだ。先ほどと同じ黒いシルエットに黒い瞳。マントが風に靡きながら、僕達と向かい合いながら平行に飛んでいる。
「少し予定が狂ったけれど、決戦よ。奴が作った夢に無理矢理押し入ったおかげで、世界は乱れ、少し弱体化しているはず。今が好機。訓練で教えたことは覚えているわね」
「お、おう。もちろん」
夢の中では想像が大事。彼女が訓練の際に教えてくれたことの殆どは、結局はこの一点に集約される。
そしてその中の一つ。まず武器をこの手に創りだすこと。武器は、自分が最も想像しやすい物が、最も使いやすかったりする場合が多いらしい。僕が選んだのは……。
「本当にそれでいくの?」
「いいだろ。今の俺に一番想像しやすい武器がこれなんだ」
僕が想像して作り出した武器というのは、木刀だった。真昼が修学旅行の際に買ってきたおもちゃの木刀と同じ形だ。
確かにこの決戦の場には、アノニムの姿には、些か不釣り合いな代物ではあるかもしれない。
「まあ……ね。斬ったり刺したりはできるみたいだしいいかな。……キュイ、お願い」
ヒュルルルルルルルルルルルルルルルル。
沓名の声を受けて一際大きく、長く鳴くと、はるか下方に床――例の2m四方に区切られた地面が出現していた。切れ目は見えず、遥か彼方、どこどこまでも続くようだ。
ゆっくりと降下し僕たちは地に下りた。アノニムは空気を読んだのか、なんなのか、その間に攻撃されることはなかった。10m程の距離を挟んで向かい合う。
一回目の戦闘の時は何も出来なかった。でも今なら少しは沓名の助けになれるはずだ。木刀を握る手が少し湿る。夢の中でも汗はかくのか。というよりは『緊張すれば汗をかく』と僕が無意識の内に決め付けているからなのだろう。
「先手必勝よ」
沓名は例の異常に刀身が長い日本刀を鞘に収めたまま柄を握りしめ、猛然とアノニムに向かって走りだした。任せてばかりではいられない。僕も慌てて彼女の後を追った。
瞬間、アノニムが動いた。
「うわ!」
僕の目の前に居た。即座に繰り出される触手を木刀で間一髪いなす。続けざまに真っ直ぐ槍のごとく飛んでくるのも寸前に予知し、斬り落とす。
僕の予想外の動きに怯んだのかアノニムの攻撃が止まる。
「やめろ!」
背後から沓名が飛びかかる。しかしアノニムは軽く彼女に眼を向けると触手の一撃で易易と弾き飛ばされてしまう。
その隙だ、と僕は木刀を突き出す。しかし、それも触手の先――いつの間にかただの鉄塊のような無骨な大剣に変化していた――に防がれてしまう。
夢中で剣を振り回した。かつて漫画に出てきた剣豪の戦いを想像しながら。しかしその剣撃全てが完全に見切られ受け止められる。
困窮し、バックステップで距離を取る。武器を変えるか……いやしかし……。
アノニムは悠々とこちらに歩を進める。力の差が分かり油断しているのか?
ふと、動きが止まる。いかにも面倒くさそうに振り向く。
そこには再び沓名。空中を疾走し、剣を振り上げる。
迎え撃つアノニムの触手。今度は華麗に身を捻って避ける。
剣筋が煌めく。暗黒のシルエットの頂点、多分頭なのだろう位置に刃が深々とめり込んだ。
アノニムの動きが止まった。やったのか?
しかし沓名は怪訝そうな顔をした。
刹那、アノニムの身体から悪魔的な勢いで触手が飛び出した。
僕の何かが、凍りつくように停止した。
それは呆気無く沓名の華奢な身体を食い破り、貫いた。
沓名は一瞬その細い目を目一杯開き驚愕の顔貌となり、やがて脱力したように頭を垂れた。
「あ……」
全く動かない。
死んだ……死んだ? 馬鹿な! そんな簡単に? そんな……?
アノニムが触手を振ると、沓名の身体は無抵抗に空に投げられそのまま地面に落ちた。
全く動かない。
つまり、それは沓名が死んだということか。
沓名が死んだ。
「貴様が感じているのは絶望か? それとも破滅への期待か?」
沓名が死んだ。沓名が死んだ。沓名が死んだ。沓名が死んだ。沓名が死んだ。
「……どうやらもはや声が届かないらしいな。情けない、やはり人間とはそんなものか」
沓名が死ん……。
! アノニムがこちらへゆっくりと向かってくる。僕は我に返った。
「もう抗わなくてよい。貴様の身体は我が貰い受け、そしていつしか人間の希望とならん」
沓名の剣がめり込んだ地点は何事もなかったかのように元通りに治っていた。そもそも異形の化物なんだ。人間と同じように考えてはいけないのだ。
「人間の希望? どういうことだよ」
「我は人間の王となるのだ。不完全な存在を抜け出し、貴様の身体をもって、世界を救済する」
「……お前が何を言ってるのか分からない。けれど、お前が沓名を殺したのは事実だ!」
僕はひたすらにアノニムに飛びかかった。しかし触手に防がれ弾き飛ばされる。
「貴様、そして我の存在はいつしか世界の終幕のキーとなる。だから我が救わねばならぬのだ」
受け身を取り、何とか立ち上がる。しかしその時二本の触手が伸びてきて、僕の身体は雁字搦めにされた。腕も巻き込まれ、木刀は動かせない。
「ぐっ……!」
ゆっくりと触手は縮んでゆき僕の身体はアノニムの元に引き寄せられていく。あまりにも強い力で抵抗する余地もない。
「我と同化せよ」
アノニムの暗黒がじわじわと広がり僕を包み込もうとする。『捕食』は、沓名の比喩じゃなかったのだ。僕は、食われる!
「離せ! 離せよ!」
無駄な足掻きだった。唯一自由に動かせる足をばたつかせるも虚しく空を切るばかり。
星空は暗黒に塗りつぶされ、わずかな光が消えてゆく。死ぬのか、結局。最後に母さんに会えて良かった。たとえそれが偽物だとしても。
しかし次の瞬間だった。
暗黒を切り裂き、鋭い光が目に飛び込んできた。同時に僕を抱く触手の力が緩み地面に落とされる。
死に際に、飛び込んできたのは光ではなく白く鋭い刃だった。これは!
暗黒を広げつつあったアノニムの身体が急激に縮み、元のシルエットに戻る。そして、激しい痙攣。
僕は咄嗟に、取り落としていた木刀を掴み直し無我夢中で突き出した。
操夢に心臓があるのかは分からないが、僕の木刀は確かにアノニムの左胸を貫いた。その感触は、やはり生肉のそれと同じだったかもしれない。
「斬り裂いて!」
沓名の声! 生きていた!
勢いは止まらず、強く念じながら木刀を一思いにスライドさせる。
血は出なかった。がアノニムは明らかに力を失い、そのまま僕の方に倒れこむ。今度は致命傷だったようだ。
仰向けになった奴の瞳は血走り、真っ直ぐに僕を捉える。
「……ならば……貴様が救え……」
ゆっくりと眼は閉じられ、アノニムは物言わぬ暗黒の塊となった。
「沓名!」
僕は急いで彼女へと向かった。しかしその姿は、生きているのが信じられない程、痛々しい格好だった。
腹には巨大な風穴が空いていて、両端に僅かに残った皮で辛うじて身体を保てているという有り様だ。迂闊に彼女の身体に触ることも出来ない。
「生きててよかった……。でも、そんな大きな傷……」
思わず声を潜めてしまう。大きな音を出すだけで沓名の身体は崩れ落ちてしまいそうに思えたのだ。
顔は苦痛に歪んでいた。腹が失くなっているんだ。想像を絶する痛みに違いない。
しかし沓名は僕を安心させようとしたのか、口角を無理矢理上げ、笑うようにした。
「飛ぶと信じれば……空も飛べる……。生きると信じれば……どんな格好でも生きられる……。だから、私は……夢が好きなの」
その言葉を鍵に、不意に僕は数日前の彼女の言葉を思い出した。
『それが、私の唯一の楽しみなの』
僕が初めて沓名の家に行った時、ベッドを差してそう言った。あれは、つまりそういうことだったのだ。
「とはいえ……流石に意思も意識も途切れちゃいそう……。先に戻るわ……。キュイ」
ヒュルルルルルルルルル。
今までどこに隠れていたのか、彼女の声に応じてキュイが現れた。戦闘は得意としないとか、そういうやつなのだろう。
キュイは沓名の周りを渦を描くように飛んだ。速度はだんだん増していき、やがて無数の残像と化す。
そしてどういうタイミングか。残像が風に吹かれるように、沓名の身体と共に消えた。
現実に戻れば、勿論傷もなくなっているだろう。心配することは何もないはずだ。
残された僕と、無機質な床と、満天の星空。
アノニムの体も消えていた。操夢は不死身だ。どこかに隠れてしまったのだろう。
静かな世界。どこか違う星に来てしまっているかのよう。血みどろの戦闘の後だというのに、何故か心には平穏が満ちていた。今まで感じたことも無いほどの。
何となくまだ戻りたくなくて腰を下ろした。大丈夫、時間はいくらでもある。
何となく空を眺め、感傷的な気分に浸っていたが、ふと、気づいてしまった。
無数の星々には特徴はなく星座らしき並びも見えない。作られた、これもまた無機質な星空だということに。
今まで夢というのは正に夢のような世界だと思っていた。何にも縛られず、自由な希望を観られる世界だ、と。それが例え悪夢であったとしても。
しかし違った。夢は、希望は、操夢とかいう悪魔によって作られた偽物の世界だったのだ。
観る者を巧みに操り、病ませ、捕食する。その為だけの世界だったのだ。
そう考えると無性に悲しくなってきて、思わず涙を零した。一度流れると、中々止まってくれない。
「朝登」
その声は、母さんのものだ。振り向くと、確かにそこにいた。俯き、地面を見つめている。
「私……朝登にひどいことをした。油断させて、あいつに襲わせようとした。本当にごめんなさい!」
「何も母さんが謝るようなことなんてない。操られてたんだろ。操夢に」
「うん……だけど」
「じゃあ忘れてよ。気にしないでいいんだ」
僕の言葉を聞いて安堵したのだろう、顔を上げてこちらを向く。
慌てて涙を拭った。見られるのが恥ずかしかった。母さんは驚いたようにポカンと口を開けた。真昼とそっくりだ。
「どうして、泣いてるの」
「何でもない。何でもないよ」
顔を隠すようにそむけると母さんは微かに笑い声をあげた。
「一緒ね。あの頃の朝登と。泣いた時の言い訳が同じ」
僕は顔が熱くなった。恐らく赤く染まっていることだろう。
と、同時にさらに涙が溢れ出てきた。右手で目を抑える。
「なあ、母さん」
「なあに?」
これは、けじめだ。意を決して母さんの方に向き直る。
「助けてくれて、ありがとう。そしてごめんなさい」
「……。お腹を痛めて産んだ子だもの、当然じゃない。ってあの時の私は答えると思うわ」
「あの時の母さん」
「そう。私は所詮あなたの記憶の中の私。あなたを助けた私は……」
「解ってる。それでも言っておきたかったんだ。ありがとう」
「……また、会いに来てくれる?」
僕は即答した。
「もちろん。必ず、絶対」
「ありがとう。私はいつもあなたのここにいるから。真昼と、お父さんをよろしくね」
僕の左胸を軽く叩き、そして空を見上げた。
「そろそろ時間みたい。夢の終わり。私にとっても」
段々と、世界の色が薄くなっていく。全てが白へと収束し始めた。
母さんは微笑んで僕を見つめる。その姿も、やがて厚みを失っていく。
「母さん!」
「頑張ってね」
そして全てが消えた。
夢が、終わった。




