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第十五章 融解

 目が覚めると僕はベッドの上で横になっていた。

 見覚えがない場所だ。自宅ではない。白を基調とした、殺風景だが清潔感に満ちている部屋だ。

 ここは……病院か。

 辺りを見渡そうと首を動かすと、存外近くに人がいた。


「あ! 兄ちゃん起きた! 沓名さん、兄ちゃ……兄が起きました!」


 真昼だった。僕が寝ているベッドのすぐ脇のところに座っていたのだ。

 彼女の呼びかけに応じてやってきた沓名は隣に立ち、例の冷静な瞳で僕を見る。心なしか微笑んでいるようにも見えた。


「驚いたわ。真昼さんの夢を力ずくで破って目覚め、外に飛び出してしまったんだもの。底知れない力を持っているかも」


 いつの間にか現実世界に戻ってしまっていたというわけか。それで納得できてしまう自分もどうかと思うが。


「じゃあ、ひょっとして俺はスーパーマーケットで」

「そう。場所は見当ついてたけど、私が追いついた時は既に気を失ってた。〈闇〉に負けて事切れちゃったかと思ったけど」

「ちょっと、笑えない冗談だよ沓名さん」


 一瞬微妙な間が空き、そして沓名と真昼は顔を見合わせて笑った。二人のこの関係に違和感を覚えた。


「あれ、お前達いつの間に……」

「あなたが眠っている内に色々お話させてもらったわ。中々面白い妹さんね」

「沓名さんから聞いたよ。そんな変な病気に罹っているんなら言ってくれればよかったのに」

「沓名、話したのか!? あんなに秘密だと言ってたのに」

「だって」


 沓名は目を逸らした。代わりに真昼が


「よっぽど兄ちゃんの彼女って思われるのが嫌だったんだろうね」


 と笑いながら答えた。

 それで察した。真昼はその洞察力と話術であの沓名から情報を引き出してしまったのだ。


「詳しいことは混みいったことだからって教えてもらえなかったけど、明日で全て解決するって。えーと、そーむだっけ」

「そう、操夢。ってか、お前沓名の説明だけで簡単に信じちまっていいのか?」

「分からないけど沓名さんの言っていることは一本筋が通ってて嘘には見えなかったからね。それに私も夢を見ていた気がするんだ」

「夢……まさか」


 背筋が寒くなった。やっぱりあのことを……。

 真昼は顔の前で手を振った。


「ほとんど覚えてはいないんだけどね。ただ凄く嫌な夢だったような、そんな印象はあったけど。それが〈闇〉っていうのだったの?」


 どう答えるものか迷っていると何かを察してくれたのだろう。慌てて


「それにしてもこの私が一服盛られちゃうなんてね。もっと鍛錬せねば」


 と付け加え、とう! と剣を頭から振りかざす真似をした。


「ごめん、真昼さん。少しだけ席を外して欲しい。二人でちょっと話がしたいの」


 えー? と不服そうに頬を膨らませる。


「頼むよ、真昼」


 そう、沓名とは話したいことがあった。『明日で全てが終わる』? 彼女は真昼にそう言ったらしい。それは本当なのか。僕の〈闇〉はついに消えたのか。あるいはただの気休めの言葉か。

 真昼はまるで吹き矢を撃つかのように鋭く頬に溜めた息を吐き出した。


「しょうがないなあ。じゃあ二人に条件を出します」

「何だよ」

「まず一つ、沓名さん。歳下の私に『さん』なんて使わないでください。せめて『ちゃん』で。そして兄ちゃん。今度、近くに出来たフランス料理店に連れて行くこと。当然兄ちゃんの小遣いからね」


 異常に僕の代償大きすぎないか……? とはいえこれ以外にも真昼には色々迷惑かけたからな。


「あいよ、わかった」

「了解。真昼ちゃん」


 それを聞くと満足気に病室から出て行った。

 途端に部屋が静寂に包まれる。少し気まずさを感じたのか、僕が寝ているベッドの向かい側にある姿見の前まで歩いてゆき、鏡越しに僕を見据えた。


「とりあえず、貧血っていうことにしてもらった。ここは組織のコネがある病院なの。じゃないと、こんな個室に通してもらえないわ」

「へえ、凄いな」


 正直、この返事は上の空だった。


「頭は大丈夫? さっきまで大分頭痛が酷かったみたいだけれど」

「あ。うん。何ともないみたいだ」


 聞かれて初めて気づいた。まるでさっきまでの痛みが嘘のようにすっきりとしていた。

 しかし……。と同時に真昼の夢の中での出来事を思い出してしまい、非常に暗い気持ちになってしまう。


「母さん……」


 おっと、思わず小さいが声に出してしまった。赤面する。


「あなたのお母さんのことは大変だったわね。覚えているか分からないけれど、大分苦しんでた。それこそ精神が崩壊してしまうんじゃないかと……。無事耐え切れてよかった」

「うん……全部覚えてる」

「どう客観的に見てもあなたは悪くない。運命がそれを導いてしまっただけ。こんな月並みな励まししかできないけど」

「いや、ありがとう。もう大丈夫だと思う……多分。〈闇〉もこれで克服できたんじゃないかな」


 それは半分、願望が混じっていた。もう勘弁してくれ。二度は耐えられないような気がする。


「そうね。私も信じたい。ただ、朝登君にはやらなきゃいけないことがある」

「やらなきゃいけないこと?」


 一体何だろう。しかし沓名は答えずすたすたと出口の方へ歩いていってしまった。


「おい、急にどうしたんだよ」


 ドアまで辿り着くとくるりとこちらを振り返り、


「頑張ってね」


 と言い残しそのまま出て行ってしまった。

 たった一人で取り残される。真昼も戻ってくる気配はない。

 とりあえず僕はまた枕に頭を載せた。彼女の口ぶりからするとそんな深刻なものではないと思いたいが……。

 このままで僕は何をしていればいいんだ。携帯も何もないので気を紛らわせることも出来ない。

 嫌だ嫌だとは思いつつ、母さんのことについて想いをはせずに居られない。そういえば、アノニムが見せる夢の中に出てきた女の人の声。あれは母さんのだったんだ。アノニムはやはり〈闇〉のヒントをくれていたということなのか。

 そのまま十分ほど経過した頃だった。不意にドアが開かれる。

 入ってきた人物を見て、僕の心臓は跳ね上がった。


「と、父さん……」


 布団を跳ね除けガバリと起き上がる。

 ひと目で分かるほど顔は青く白く変貌している。沓名が呼んだのか。僕に全ての決着をつけさせるために。

 後ろには真昼もいた。彼女もまたさっきとは打って変わって神妙な面持ちだ。ということは、先ほど沓名が出て行ってから、二人に僕の〈闇〉の正体について話したということか。そしてそれを僕が完全に思い出したということも。

 父さんは脇に立つなり、すぐに膝をつき僕に土下座した。


「すまなかった」

「やめてくれよ!」


 思わず僕は声を荒げた。何だってこんな……。父さんは頭を上げない。


「そこの女の子……沓名さんか? から聞いた。思い出したんだろ? 真弓の……母さんの事故、そして私がお前にしたことを」


 父さんのひたすらに床にうずくまる姿を見ていると次第に腹の虫が悪くなってきた。突き放した態度を取ってしまう。


「ああ、思い出したよ。何、も、か、も、な」


 父さんは弾かれたように顔を上げ、悲痛な面持ちになる。しかし僕の口は止まらない。


「やめてくれよ、土下座なんて。昨日まで嘘をついてでも俺から隠そうとし続けていたじゃないか。なのに、いざバレたら誠心誠意土下座までして収めようとする。そんなのおかしくないかよ?」


 何も答えなかった。術もなかったに違いない。こんなことを、ただ父さんを痛めつけるだけのことを言いたいわけではないのに。


「わかってる、わかってるよ! 父さんはそんな人じゃない。母さんが死んだショックでおかしくなっただけなんだ。俺はそんな謝罪なんて求めてないよ!」

「兄ちゃん、落ち着いて!」


 真昼が父さんの横に立ち、僕の激しく上下する両肩を後ろから腕を回し抑えた。

 しばらく全員何も言わず、沈黙が続いた。やがて父さんが言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。


「でも私は最低なことをした。自分の息子にあんな仕打ちなんて、どんなことがあってもしたら駄目なんだ」


 押し殺したような暗く、低い声だった。


「しかもお前がショックでその記憶を喪失したことをいいことに、この十年間俺はそのことを隠し続けていた。忙しいことを口実に会話をすることさえ避けてきた」

「だからそれが……!」

「やめてよ。二人とも」


 真昼は、こんな状況の時に陥りがちであるヒステリックな言い方ではなく、静かに、しかし力強い声で僕ら二人を押しとめた。いや、ヒステリックになっていたのは僕か。


「兄ちゃんの言いたいことはわかる。あの時のお父さんの兄ちゃん、そして兄ちゃんほどではないけど私への仕打ちは言葉では言い表せないほどひどいものだった」

「え? 真昼お前……」


 父さんは愕然とした表情をした。僕と恐らく同じ気持ちだ。まさか……。


「そう。私は全部覚えてた。十年前、お母さんを亡くした事故も、その後の事も。ほら、昔から私記憶力良いほうだったじゃん? 覚えてるよ、五歳の頃の事ぐらい。

 私は小さくて、お母さんが死んだことなんて理解できなかった。ただお父さんが泣きながら兄ちゃんに暴力をふるう。そのことが私には怖くて、悲しくて、ただ泣くことしかできなかった」


 真昼の目には涙が浮かびだしていた。必死でこらえようとしているのが手に取るようにわかった。


「それから何年か経って、物事の分別がつくようになった頃、話の節々の中で気づいたの。兄ちゃんはお母さんのことをほとんど忘れてしまっているって。それも記憶喪失みたいにスッポリとその期間の記憶がなくなっていた。 だから兄ちゃんとお父さんは、多分兄ちゃんには理由もわからないままギクシャクした関係になっちゃった。お父さんもひたすらに隠し続けていたし、私もどうしても言い出すことができなかった。下手に触れると、もっと家族が壊れてしまうような気がしていて。

 今日沓名さんと出会って、何かわからないけれど兄ちゃんが病気みたいのに罹って……それで昔のことを全部思い出してくれて……やっと本当のことを二人が話し合えて仲直りできると思ったのに……」


 ついに真昼の言葉はそこで途切れてしまった。真珠、と形容してもそこまで誇張ではないだろう、極大の涙をボロボロとこぼし、そして……。


「うわーん! うわーん!」


 感情が、爆発した。鼻水が流れるのもお構いなし。天井を仰ぎ、こちらの脳まで届きそうな大声で泣きわめく。昔から変わらない。

 僕は呆気に取られてその姿を見つめていたが、すぐ気づいた。

 この一連の出来事を一番辛く感じていたのは実は真昼だったんだ。〈闇〉だの何だの言っても、僕はほんの数時間前、図書館で記事を読んで初めて自覚した程度のものなんだ。十年間、悩み続けてきたのであろう彼女の苦しみとは比になるまい。

 ひとしきり叫び終わった後、また何かを言おうと口を無理やり制御しようとする。


「お父さんも……多分……どうすればいいのかわからなかったんだよ……できれば……できればでいいから……許してあげ……うわーん!」


 今度は顔を伏せてしまった。やはり実はよっぽど思いつめてたんだろう。彼女の今までを想像すると僕まで……。

 見ると父さんもそのようだった。右手で目頭を押さえ唇を噛み締めている。

 悲しかった。僕のことだけじゃない。父さんも、母さんも、真昼も、悲しかった。全てが、ただひたすらに……。

 そのまま一分ほど一人の泣き声と二人のすすり泣きが夜の病室に響き渡った。

 一段落してから、父さんが意を決したように僕をひたと見つめた。


「朝登、真昼」

「うん」

「うズルル……うん」

「この十年間、お前達を苦しませてきた。私は父親失格だ。いや、父親ですらなかった。ただの同居人同然だ。

 今までのことは許さなくていい。恨み続けてもいい」

「そんなこと……!」と真昼。

「ただ、もし私に少しでも罪を償うチャンスをくれるならば、頼む! 真弓が、母さんが居た頃の、あの時の家族に戻す努力をさせてくれないか? この通りだ!」


 父さんは、立ち上がり頭を下げた。

 僕に選択肢などあるはずもなかった。


「わかった。俺も、ちょっと意地張ってた。随分昔の話だってのにさ。……これからも、真昼と俺をよろしく頼みます」


 ベッドに座りながらではあるが僕も首を傾ける。


「よかった……ありがとう、兄ちゃん……ずるる……うわーん!」


 またもや爆発した真昼を見て、僕と父さんは顔を見合わせて笑った。

 泣いてしまえば今日一日を覆っていた鬱々とした空気は消え去り、太陽が差し込んでくるような気持ちが僕の心に訪れた。

 僕達三人はその後色々な話をした。父さんの仕事のこと。僕の進路のこと。真昼の修学旅行のこと。


「お守りの効果、テキメンだったね」

「お守り?」

 

 僕と父さんの声が重なった。


「ほら、お土産に買ってきたやつ。実はお父さんと兄ちゃんでお揃いのにしたんだよー。いつか、二人の仲が元に戻りますようにって」

 

 あれはそういうことだったのか……。通りで父さんに土産を渡すのを見られたくなかったわけだ。


「それで縁結びのお守りというわけか。えらく妙だと思ったよ」

 

 納得しきったように父さんは言った。   一体真昼はどう言い繕って父さんに縁結びのお守りなんて渡したんだ。流石に新しい母さんうんぬんなどとは言わなかっただろうが。

 僕と父さんは正直まだまだぎこちなくしか言葉を交わすことは出来なかったけれど、きっと時間が解決してくれることだろう。

 病室には時計がなかったのでどれくらい話し続けていたかはわからない。話題が一段落したちょうどその時に、ノックの後沓名が入ってきた。どうやらもう病院の消灯時間らしい。


「えー! 消灯時間って九時なの? 早すぎ」

「じゃあ、私と真昼はもういくよ。体調はもう問題ないらしいが明日の午前中は病院にいてもいいそうだ。今日は早めに寝るんだぞ」

「うん」

「兄ちゃん、おやすみー」


 二人は帰っていった。沓名がベッドに寄ってくる。


「良かったわね。仲直りしたみたいで」

「ありがとう、沓名」


 口に出してから気づく。そういえば、こうやって面と向かってしっかりと感謝の意を表すのは初めてじゃないか。

 沓名は顔を赤くして腕組みをしながらそっぽを向いてしまった。恥ずかしがり屋かつ、照れ屋でもあるというわけだ。

 今更ながらそんな彼女の姿を見て可愛いな、と感じてしまった。全てが上手くいったからって浮かれすぎているぞ。


「れ、礼を言うのはまだ早いわ。夢迷病完治への第一関門を突破したにすぎないのよ」

「わかってる。俺を惑わす張本人、病魔アノニムとの決戦、だろ?」

「そういうわけ。最後にして最大の関門。敗北すれば、結局全てが水の泡。ここからが本番よ」


 そうだ。僕は一昨日、アノニムとの最初の戦いを思い出す。〈闇〉によってどれだけ強化されていたかはわからないが、今までの沓名の口ぶりからして弱体化してなお油断できる相手ではないのだろう。ましてや、アノニムは他の操夢よりも圧倒的に強力らしい。平穏はまだまだ遠いのだ。


「とはいっても今日は色々あって疲れたでしょう。いくら夢の中では体力を使わないといっても精神はくたくたのはず。精神の疲労はそのまま夢の中での身体の調子に繋がるのよ。

 操夢との決戦は明日。事前に軽く訓練してから、万全の状態で挑むことにするわ。えーと……」


 沓名は背負っているリュックサック(機能性重視のどでかい物だ。正直、少しダサい)から例のキャンドルとライターを取り出し僕に手渡した。

「病院の方には許可はとってあるわ。じゃあ、ゆっくりおやすみなさい」


 キャンドルに火を点ける。この香りはなんだろう。柑橘系の爽やかな香りだ。

 沓名が電灯を消してくれた。そしてそのまま出て行くのかと思ったが、またこちらに来て僕の顔をじっと眺め始めた。


「あの……見られると寝れないんですが」

「仕方ないわ。アノニムが暴れだしてもいいように近くにいなきゃならないんだもの。二つベッドがあるわけじゃないから隣で眠るわけにもいかないし」


 それでもじっと顔をまるで囚人の監視でもするかのように見つめる必要はなくないか。 それに一つ疑問点が。

 沓名は確かアノニムがいつ襲ってきてもいいようにずっと僕の側に居てくれるという話ではなかったか。一昨日僕が自宅に帰ってから次の日の学校の二限目まで彼女の姿は見えなかった。どういうことなのだろうか。

 それとなく沓名に尋ねるとニヤリと例の不敵な笑みを浮かべ、


「バレてなかったみたいね」


 という。


「どういうことだよ」

「私達組織の人間が入って最初に教わることは、気付かれずに夢迷病患者に近づくための隠密行動とピッキングなの。これだけ言えば分かるでしょう」


 隠密行動とピッキング。ふと思い出す。昨日の午前中、調子が悪そうだった沓名。授業中に眠るとある程度回復していた。つまり……。

 僕は考えることをやめた。仕方ない。事前に彼女はちゃんと『ずっと側にいる』と言ったではないか。仕方ない仕方ない仕方ない……。


「どうしたの? 顔が青いけれど。悪い病気にでもかかったのかしら」


 まるで真昼かのように演技がかった口調で僕を追い込んだ。最近のシリアスな展開で忘れていたが、彼女はそういえばSだった。

 彼女の視線から逃れるように布団を被り目を閉じた。

 しかし、何か変なことをしでかしでもしなかったかと不安で不安でなかなか寝付くことは出来なかった。

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