第九章 嵐のような真昼
僕が帰ってきた時、父はまだ仕事から帰ってきていなかった。
ドアを開けてくれたのは妹の真昼で、修学旅行を目一杯満喫したのが目に見えるような、底抜けの笑顔で僕を迎えた。
日野真昼。中学三年生。僕より二歳年下である。僕からはよく判断できないが、昴によると『朝登の妹にしておくにはもったいない』ほど可愛いらしい。顔の特徴は……何と言ったらいいか、チワワと三毛猫を足して二で割ったような顔? 分かりづらいわ!
性格は後々の流れで分かっていくことになるだろうから詳しくは述べないが、とにかくテンションは高い。
早速僕をリビングへと引っ張り込み、お土産披露会を始める。
押し詰められ変形した旅行鞄からあれよあれよという間に様々な物が飛び出してくる。
「これが一日目の京都で買った金閣寺のキーホルダーに生八ツ橋! それでこっそり残して持ち帰ってきた鹿せんべいでしょ、夜に新京極で買った勾玉でしょ、えーとお次はうんぬんかんぬん……」
息つく暇もなく片っ端からエピソードを付け加えつつ説明してくれる。激しい身振り手振りで、ポニーテールが左右に振り回されている。
真昼が並べた大小長短様々なお土産のなかに、一際僕の目を引く物があった。
それは一番最後に、口の動きと同時並行で取り出され、端に置かれた長くて硬いそれである。
「えーと、これは……」
「あっこれ? これも一日目の夜に新京極で売ってた木刀だよ。かっこいいっしょ」
木刀……。中二の女子が買うような物か? すると突然真昼は立ち上がり、木刀を中段に構え、そして振りかぶる。
「めーん!」
「いてっ」
……。軽く頭を叩かれた。地味に痛い力加減で。
「我が兄よ。隙だらけでござるよ。なーんちゃって」
ニシシと笑う我が妹。別にこの奇行は、修学旅行のノリが続いているとか、はたまた変なクスリでもやっているとか、そういうわけではない。先程言ったように、これで普段の彼女のテンションなのだ。
その後も説明は続く。真昼の純粋な表情を見ていると、こちらも幾分か気が晴れる。
「そして最後にこれが兄ちゃんへの土産」
そう言われ、手渡されたのは白い厚紙でできた小袋だ。
「何これ」
「いいからー開けてみてよ」
折りたたまれていた口を広げると、中から緑色の布で出来た袋、お守りが出てきた。側面には金色で丸金という文字が書かれている。
「へー。真昼にしては落ち着いたチョイスじゃん。どんな効き目があるの」
「自由行動の時に行った安井金比羅宮ってところでね。紙袋の表側見てみて。有名な縁結び神社なんだって」
見てみると、確かにそこには『悪い縁を切り良縁を結ぶ 安井金日羅宮』とある。
「ほら、兄ちゃんって恋人とかいたことないでしょ。そろそろ浮いた話の一つや二つ、妹のあたしとしては聞きたいなーって思って」
「おっ大きなお世話だ! お前もないだろが!」
「ぎく!」
真昼の顔が固まる。「ぎく!」は別に効果音ではなく、実際に口から発された音だ。
そう。僕には分かっていた。可愛い可愛いと言われながらも、こいつはモテないのだ。恐らくは男のほうが真昼のについていけなくなっているのだろう。
素直に受け取る気になれず、思わずお守りを脇にどける。するとすかさず真昼はそれを掴み、
「こらこら! 鞄かどこかにつけといてね。約束だから」
と僕の手に押し付けた。その小さなお守はは、今の僕にはただの小奇麗な小袋にしか見えなかった。
「わかったよ。ありがとな」
観念し、制服の上着のポケットに突っ込んだ(帰ってすぐにお披露目会が始まったので、僕はまだ制服のままだ)。
真昼は満足気に頷き、
「それでいいのだ。素直な兄のことが妹は一番好きだぞ」
と、演技がかった口ぶりでひとりごちた。
説明も一段落つき、真昼は生八ツ橋などの食品類を隣のキッチンの戸棚にしまい始めた。
「そういえば、父さんへの土産は?」
何気なく尋ねると、たちまち真昼の身体は硬直した。お菓子の箱が戸棚に入るか入らないかのところで固まっている。何だ? 地雷でも踏んだか?
「父さんへの土産」
すると真昼はこちらを向き、
「内緒!」
と怒るように返してきた。顔が赤くなっている。
「内緒?」
「内緒。野暮ってものだよ。違う人へのお土産の中身を聞くのは。お土産っていうのは贈る相手への想いがこもってるんだから、おいそれと他の人に教えられません。知りたければ、直接お父さんに聞いて」
断言しよう。現在真昼はまず間違いなく焦りを感じている。昔から彼女は何か自分に都合が悪いことになると、早口で適当な正論らしき言葉をペラペラまくし立てる癖があるのだ。
一体どんな代物を父さんに買ってきたのか。気にはなったけれど、このモードになった真昼は絶対に口を割ることがない。
渋々諦め、僕は部屋に行こうと立ち上がった。
「わかった、わかった。それより晩御飯はもう食べたのか?」
「え? ああ、帰ってくるの遅いから先食べちゃった。台所に兄ちゃんの分置いてあるから。コンビニ弁当だけど」
話が反れたからだろうか。今度は露骨に安堵している。もしこれが漫画だったら「ホッ」という文字で表現されるに違いない。
部屋に戻り、部屋着に替え、リビングに戻り弁当を摘み始める。
只今、午後の八時半。普段は七時辺りに真昼と一緒に夕食を食べ始める。その日によって僕が作ったり、妹が作ったりする。
平日はいつもそんな感じで、父と食卓を共にすることはまず無い。父が仕事から帰ってくるのはいつも日が変わってから三十分ほど経ってからで、その時にはもう、僕も真昼も、寝てしまっているのだ。
たまの休日ですら、休日出勤と言って出て行くこともざらにあり、ろくに家族の時間を過ごすことはできない。
それでも真昼と父の間の関係は良好であり、様々な会話をしているのをよく目にする。
つまり、問題は、僕の方なのだ、多分。
テレビをじっと見つめている真昼と別に会話もすることなく、黙々と食べ、そして部屋へと引き上げた。
そのまま、特に何もすることもなく、宿題やゲームをしたりして過ごした。いつもの夜だ……。
いや、違う。勉強をしている時もゲームをしている時も、その後風呂に入った時もずっと全く落ち着かず、邪念に支配されていた。
ゲームもそこそこにし、扉の上の掛け時計を見上げる。
午後十一時半。普段なら布団に入っていてもおかしくない時間だ。
しかし当然ながら寝てる場合ではない。やるべきことがある。
あまりにも手持ち無沙汰でじっとしていることが出来なくなってしまったので、たまらず一階におりる。
リビングには、同じくいつもならもう寝ているはずの真昼が寝そべってテレビを見つめていた。なんだよ、今日に限って。
背後に立ち、声をかける。
「まだ起きてたのか」
内心、僕は焦っていた。父が帰ってくるまでここに居られれば話が切り出せなくなってしまう。
焦ったのは真昼も同じらしい。
びくんと身体が跳ね、慌てて振り返る。
「ちょ、兄ちゃんこそ起きてたの!? 早く寝なよ」
「そっちこそ今日まで修学旅行で疲れてるだろ? 明日はまだ金曜、学校だろ」
すると、たちまち真昼は得意げな表情を僕に見せた。
「残念でしたー。明日は修学旅行の次の日ということでお休みですー。そっちこそ、学校なんだから早く寝れば?」
「そっちこそ……」
こそこそこそこそ……と続く言い合いはどうみてもこっちの惨敗だ。
真昼が夜更かししている理由はすぐ察せられる。父さんに土産を渡すためだ。しかしそこまで僕に内緒にしたいのか。
仕方ない。実力行使だ。
我ながら性格が悪いな、と思いつつ、僕はわざとテレビと平行に並んでいる真昼の身体を跨ぎ越してどさりと腰を下ろした。
「何するのよ! 見えないじゃん!」
真昼は視界の邪魔をする僕の背中をどけようとする。さらさら動いてやる気はない。
渋々真昼は座り直し、横にずれた。やはり二階の自分の部屋に戻る気はないらしい。ちなみに部屋は僕と隣同士だ。
そのまま僕はひたすらにテレビの画面を見つめ続けた。馬鹿馬鹿しい内容のバラエティで、芸人達がスタジオで無茶苦茶にはしゃぎ回っている。とてもではないが深夜にあわない騒々しい音楽やら効果音やらが、僕の心を紛らわせてくれる。
このまま真昼が部屋に上がらないとすれば、仕方ない。彼女のお土産と違い、絶対に真昼の前で持ちだしてはいけない話というわけでもない。
僕がそう腹をくくった時だった。
掛け時計が零時の鐘を打つ。
「あっ」
真昼が小さく声を発する。それが日が変わったことに対してのものではないことが鐘との微妙なタイミングの違いから察せられた。 それと同時だったろうか。微かに低い機械音。徐々にこちらに向かってくる。
聞き慣れたその音は間違いない。
父さんだ。
「兄ちゃん」
非難するような声が僕の背中に浴びせられる。恐らくは鋭い視線も。
知らん振りをしてやると、諦めたのだろう。立ち上がり、部屋を出て行った。
「貸し一つだからね。おやすみ」
と、捨て台詞を残して。
顔を向けないままおやすみ、と返す。父さんを巡る天下分け目の戦いに勝ったのだ、という安堵と共に、少しの罪悪感が芽生えてきた。
ごめん、今度何か買ってやるから。




