顔盗り
おばあちゃんが死ぬ少し前、僕は鈴を譲り受けた。
鈴は風鈴のような形をしていて、風鈴じゃないのか? と聞いたけど、鈴だとおばあちゃんは言い張った。
もらった当時は小さかったので、そんなことくらいしか気にならなかった。
大体、風鈴みたいではあるけど、上の部分は普通の鈴なのだ。
なぜか下に短冊がぶら下がっているから、そう見えるだけだった。
けど大きくなってみると、その短冊は御札だということに気づいた。
正直気味が悪い。
これを僕に渡した一週間後に、おばあちゃんが死んだというのもあって、僕はあまり手をつけたくなかった。
しかしおばあちゃん曰く、この鈴は悪いものを祓ってくれるらしい。
これがないと死ぬことさえあるとまで脅された。
そんなことを言うものだから、僕はあまりこの気味の悪い鈴を遠ざけることはできなかった。
「おじゃましまーす」
僕は親戚の家に、家族と一緒に上がった。
ここは母さんの実家で、元はおばあちゃん一人で住んでいたけど、おばあちゃんが死んでしまってからは、母さんの弟の家族が使っている。
お盆になると、母さんの弟、つまりおじさんの家に遊びに行くことが、何年も前からの習慣だった。
この実家はものすごく広く、二階建てだ。
一階は広い居間に、トイレとキッチンとリビングがある。
二階には人が寝泊まりできる部屋が、四部屋あった。
僕の家は僕一人しか子供がいないし、おじさんの家も子供は一人しかいない。
それだけあれば十分だった。
「おお、来たんだ」
「あ、こんにちは」
僕は二階からやって来た自分より一つ年上の従兄に、手を振った。
従兄とは一人っ子どうし、仲がいい。
夕飯までは暇だったので、僕は従兄と遊んで過ごした。
「なあ、お前この村の言い伝えって知ってるか?」
「い、言い伝え?」
夕食を食べ終わって暇だったので、僕は従兄と二階の部屋で遊んでいた。
玄関のすぐ近くにある階段を上ると、四つの部屋が並んでいる。
僕と従兄がいる部屋は、階段側から二つ目の部屋だった。
「ああ、知らないか?」
「いや全然」
ちなみに僕と従兄はオセロをやっていた。
従兄の白に角を全部とられて、黒はもう三つしか残っていない。
従兄は最後の石をとると、パチンと置いた。
三つだけ残した黒も、全て無くなる。
「はい、俺の勝ち。知らないか、じゃあ教えてやろう」
従兄はオセロを片付けて、次は将棋盤を持ってくる。
「実は、この村には恐ろしい妖怪が住んでいるんだ」
は? 妖怪?
「なんだその馬鹿を見るような目は。言っておくが、さっきからお前全てのゲームで負けてるからな。チェスにオセロに人生ゲームに果てはテレビゲームまで。何か一つ勝ってからそういう目をしやがれ」
「ごめん」
「本当に馬鹿にしてたのかよ。まあいいさ。それより妖怪だよ妖怪。気にならないか?」
「まったく」
「冷めてんなぁ……。とにかく俺は気になるんだ。なぁ、今から一緒についてきてくれないか? 怖くてよ……」
なんで興味のない僕がついていかなきゃならないのか。
まぁ従兄は怖いものが苦手だからだけど、それなら行かなくても……。
いや、これは仕返しするチャンスだ。
さっきからやられっぱなしだったからな。
「それなら一人で行ってくればいいじゃん。夜でも暑いし、あまり外にはでたくないなぁ」
僕はニヤリと笑う。
「いや、そうだけどさぁ。お願いだよ。どうせならお前も怖い思いを味わった方がいいだろ?」
「えー。別に怖い思いなんかしたくないし。ほらほら、そんなに行きたいなら、一人で行ってきなって。それとも一人じゃ怖いの?」
「んなわけねーよ。でも、ほら、その、あるだろ、あれがさ、そのさ、ほいさ。別に怖いわけじゃないんだけどあれがさ」
「意味わかんないよ。それじゃあ、逆立ちをしながら、怖いから一緒について来なきゃやだやだぷーって言ったら着いていってあげるよ」
「怖いから一緒について来なきゃやだやだぷー!」
冗談のつもりで言ったのだが、従兄は逆立ちをして本当に言った。
やっぱり馬鹿なのかもしれない。
「プライドがあるなら、最後まで貫きなよ。はぁ、まぁいいや。で、どこに行くの?」
「それは着いてからのお楽しみってことで」
従兄はそう言って立ち上がると、部屋を出る。
僕もそれに続いた。
コンビニに行ってくると言って家を出てから、懐中電灯で道を照らしながら少し歩いていくと、ぽつんと道端にお地蔵さんが立っていた。
「これだよこれ。ここに来たかったんだ」
従兄がしゃがみこんで、お地蔵さんに光をあてる。
「お地蔵さんがどうしたの?」
すると、従兄はチッチッチと言った。
「確かにお地蔵さんみたいだが、こいつは違う。本来こういうところにある地蔵は、町の守護神の意味合いなどがあるが、こいつはそうじゃない」
「じゃあ何だよ」
得意気に話す従兄がうざくなって、さっさと先を促す。
「こいつはある妖怪を封印してるのさ」
「妖怪?」
「ああ、顔のところに御札が貼ってあるだろ? これで妖怪をここに封印してるって話だぜ。まぁ詳しいことは全然知らないけどな」
「ふーん。それで、どんな妖怪が封印されてるのさ」
「顔盗り」
聞いたことのない妖怪だ。いや、聞いたことがあるようなないような……。
まぁそもそも妖怪なんて全く興味もないから、詳しくもないんだけど。知ってるのなんてろくろ首くらい。
僕がわからず黙っていると、従兄が口を開いた。
「なんでも夜中に顔を剥ぎ取りに来るんだってよ。でっかい包丁を持ってさ」
「剥ぎ取りに?」
「ああ、剥ぎ取った顔で仮面を作るらしいぜ。学校で聞いた話だけどな」
どこかで聞いたことのあるような話だった。
どこだっけ。思い出せない。
「それで……、その御札を剥がすの?」
僕は思い出せなくて何か気持ち悪い気分を紛らわせるために、ちょっとした冗談を言った。
「あ、あはは、まさか! そんなことしないって。ちょっとした肝試し気分で来ただけだよ。さ、帰ろうぜ」
従兄が立ち上がると、ぱさっという静かな音がした。
「「え?」」
従兄がゆっくりと、地面に懐中電灯の光を向ける。
そこにはさっきまでお地蔵さんの顔に貼られていたはずの御札が、地面に落ちていた。
「う、うわああああああああああ!」
従兄が大声を出して走って逃げていく。
「ちょ、待ってくれよ!」
僕もそのあとを追った。
「はぁ、はぁ、なんだありゃ……。いきなり剥がれたぞ……」
「なんだったんだろうね……」
家に駆け込んでから戸の鍵を閉めて、二人してぺたんと尻餅をつく。
「どうしたの? あんたたち……」
奥の方から母さんがやって来た。
「え、いや何も? コンビニに行ったんだけど、夜道が怖くてさ……」
僕が適当に笑って誤魔化すと、母さんは、そうと言って、また奥の方に引っ込んでしまった。
「とにかくさ……。これは誰にも喋らないようにしておこう」
従兄が震えながらそう言ってきたので、僕も頷く。
僕らはそのままさっさと風呂に入って、今日は寝ることにした。
「この村にはね、顔盗りっていう妖怪がいるんだよ」
「顔盗り?」
おばあさんが、子どもに話しかけていた。
これは……夢……?
僕はその光景を真上から見ている。
子どもがわからなさそうに、首を傾げていた。
「顔盗りってなに?」
「顔盗りっていうのはね、人の顔を剥ぎ取る恐ろしい妖怪だよ。こういう夏の日にやって来てね、人の顔を取ってのっぺらぼうにしちゃうの。こうやってね」
おばあさんはそう言うと、子どもをくすぐり始めた。
「きゃははは、くすぐったいよきゃははははは」
子どもは身をよじりながら、笑っている。
そうだ、あれはおばあちゃんだ。
声といい顔といい、おばあちゃんそっくりだった。
ということは、子どもは僕だろう。
そっか、さっきどこかで聞いたことがあると思ってたら、おばあちゃんに聞かされたことがあったんだ。
「とまぁこんな風にね、顔を剥ぎ取られちゃうんだよ」
「はぁ、はぁ、怖いね……」
「だけどね、そんなときはこれ! この鈴さ。悪いものを何でも祓ってくれるのさ」
「鈴? 風鈴に似てない?」
「見た目はね。でもこれを使えば、顔盗りなんか一発さ。この鈴、普通なら2000円はする鈴だけど、今ならなんと! 20000円! 2000
0円だよ!」
え?
「安いねおばあちゃん! 僕もそれ欲しい!」
え?
「そうかい、ならさっきおじさんやおばさんに貰ったお金を全部持っておいで」
「うんわかった!」
え?
とっとっとと、小さい僕は走ってどこかに行ってしまう。
すぐに封筒らしきものを持ってきて、おばあちゃんに渡した。
「ひーふーみー、ぐふふ、はいこれね。大事にするんだよ」
「うん!」
「下衆かよ!」
僕はばっと身を起こす。
ひでえ、なんだあれ。詐欺じゃん。
そういえば母さんと父さんに怒られたことがあったな。貰ったお金はどこだって。
まさか本当に?
最低だ。
まだ夜だった。
部屋は扉が障子だ。
障子の向こうは廊下になっていて、廊下を挟んだ向こうに部屋はない。窓があるだけだ。
窓から月の光が射し込んだのか、障子に窓の影がくっきりとついていた。
はぁ、悪夢だ……。
僕はもう一度体を倒す。
床に布団を敷いているので、ごつごつとした感触がした。
次はいい夢見れますようにと願って、目を閉じると、廊下の方からぺたん、ぺたんという音が聞こえてきた。
どうせ誰かがトイレに行ったんだろう。
僕は気にせず目を閉じる。
しかし、ぺたんという足音は、段々僕の部屋の方に近づいてきた。
僕の部屋は、階段から一番離れた場所にある。
寝ぼけてるのか?
どんどん近づいてくる。
ゆっくり、ゆっくりと。
僕はこっちに来たら教えてやろうと、障子をずっと見ていた。
とうとう、障子に影が映る。
腰が曲がっていて、髪がボサボサで長い。
僕の部屋の前まで歩いてくると、そいつは止まった。
なんか変だ。
僕は布団から身を起こして、身構える。
ず、ずずずずずと障子がゆっくりと開いていく。
出てくるのは誰だ?
従兄か親かおじさんかおばさんか。
しかし、その誰でもなかった。
ものすごく醜い顔に、長い包丁を持った、髪の長い女だった。
服は赤く染まっている。
血の臭いがした。
「ねぇ」
女が口を開いた。
地獄の底から響くような、ものすごく低い声だった。
僕は恐怖で固まっている。
「私、醜いでしょ? だから、顔をちょぉだい?」
女はそう言うと、包丁を振り下ろした。
僕は後ずさって、包丁が空を切る。
「く、来るな! あっち行け!」
僕はさらに下がった。
すると、右手に当たるものがあった。
チリ……という音がする。
鈴?
僕は無我夢中で鈴を鳴らすと、女は苦しがった。
「な、なんでそんなものをぉぉ」
僕は鳴らし続ける。
すると、女は煙のように消えた。
「くそ……」
僕はそこで意識を失った。
翌朝、鳥の鳴き声で目を冷ました。
どうやらあのまま寝てしまったらしい。
「はぁ……ひどい目にあった……というか本当に効果があるなんてなぁ……」
障子を開けたままになっている。
僕はパジャマを着たまま、一階に降りてリビングのドアを開けた。
「おはようございます」
全員揃っているようだ。
しかし、昨日と一つだけ違うことがあった。
僕以外、みんなのっぺらぼうになっていた。