7
助けがきた! と、リューンもマリベルも立ち上がって大声を出した。
「ここですわー!」「ここですー!!」と、必死に叫ぶと、すぐに上から光の魔法でピンポイントに照らされながら、ものすごい速度で人影が岩肌を駆け下りてきた。
影はある程度近くまでくると、ぴょんと跳躍し、リューンとマリベルのちょうど間くらいの位置に飛び降りた。
「ふたりとも、無事か⁈」
イオルドだった。彼は言いながら二人を目視で確認し、すぐにマリベルのケガに気が付いたらしい。「ケガしてるのか。すまない、回復薬は上だ」と、ひょいと彼女を肩に担ぐ。
そして視線をリューンにやると、片手をサッと上げ、表情で『すまない』と伝えてきた。
「マリベルが先でいいな」
「もちろんです」
リューンの声と同時に「……ちょっと、おなか、苦しい」とマリベルが文句を言ったので、イオルドはうんざりした顔で彼女を背に抱えなおした。
「じゃあ自力でしがみついてろよ。俺は支えないぞ」
「……腕は無事。余裕。それより、荷物みたいに担がれる方がよっぽどイヤ……」
リューンはひらひらと手をふって二人を見送る。
崖上からは青年が魔法で照らしているのだろう。岩肌は淡く光っているが、イオルドの手元を照らすその光はすぐに離れていき、光源を失ったリューンを闇に落とした。
「さむいですねぇ」
真っ暗な中、炎も失い、リューンはひどく冷えた。
そして一つの抱えた難題が、頭の中でぐんぐんと大きく育つ。
リューンは座り込むと、膝に頭をのせて下を向き、目をつぶった。
「ちょっと、思いあがってましたね」
自分だけは、特別なのではないかと思っていた己を恥じる。
イオルドは、自分のことだけは、好いてくれていると。そう、思っていたのだ。
「あんな素敵な人が、そんなわけないのに……私の補助魔法を、本当に良いと思ってくれてただけで……だから、せめて、役に立たないと」
しかし言葉とは裏腹に、『イオルドのそばにいたくない』という、敗れた恋心の嘆きがリューンの心を満たしていく。
ドラゴンが退治されたとなれば、西の森の戦況も好転するはずだった。そうしたら契約より少し早いが村に帰らせてもらおうかと、リューンは己をぎゅっと抱きしめる。
「やり残したことがあるとか言って……早めに、帰っちゃいましょうかね」
そんなことをしたら、補助魔法すら求められなくなって、もう二度と会えないかもしれない。そう考えればズキズキと心が痛んで、リューンは深くうなだれる。
わざわざ探しだして依頼するほどに、イオルドはリューンの補助魔法を評価してくれているのだ。期待を裏切りたくない気持ちも、もちろんある。
「でも、きついですねぇ」
つぶやいて、リューンは深く深くため息をついた。そうしてじっとしながら、ぐるぐると『ちょっと離れたい』『でも呆れられたくない』『でも一緒にいるのはきつい』と、考えを堂々めぐりさせる。
「おい、おい!」
パッ、とリューンが顔を上げると、いつのまにかイオルドがすぐそばに立っていた。
「あ、イオ」
「何してるんだ。上がるぞ、補助魔法かけてくれ」
「ちょっと、イオ、私もおんぶでいいですよ」
「リューンは非力なんだから、抱えて上がる。別に片手で問題ない」
イオルドは、まるで幼子にするようにリューンの両脇に手を入れるとひょいっと持ち上げて、己の右骨盤にリューンをのせ、体を密着させるようにして抱え込んだ。そしてそのまま、ひょいひょいと片手と足で器用に岩肌を登りはじめるので、リューンは慌てて詠唱をする。
崖の中腹程度まで来ただろうか。
イオルドのテンポよい岩を蹴る音と、少し上がった息遣いだけが響く中、無言でしがみついていたリューンが口を開いた。
「あ、あの。すみません、でした。……結局、ひとりでドラゴンを討伐させてしまいましたね」
「いや、補助魔法が効いてる間にダメージをかなり入れた。それで勝てたようなもんだ。魔法の効果が切れた後は、まあ、ガルガンドがいて助かったかな」
「ガルガンド?」
「マリベルの下僕。アイツはサポートが上手い」
あんな感じなのにそんな強そうな名前だったのか、とギャップを感じて「へえ!」と声を上げるリューンに、イオルドが笑った。
「なんだよ、名前も知らなかったのか?」
「残念ながらお伺いする機会がありませんでした」
「この後も会うだろ、覚えておけよ」
「あ、そのことなのですが。もうドラゴン討伐が終われば、戦況は好転しますよね」
イオルドは「ああ、まあな」と言い、続けて「なんだよ」と、ちょっと嫌そうな顔をした。
「それでしたら、少し戦況が落ち着いたら村に帰りたいのですが」
「なんでだよ」
「その、ちょっと……えっと、やり残したことを思い出しまして。というかそもそも、ドラゴンほど強い魔物がいなければ、イオは一人でも大丈夫ですよね?」
「リューンが居たほうが断然ラクなんだが」
渋い顔をされたが、何度かリューンがお願いすれば、イオルドは最終的には頷いてくれた。
そうして話をしつつ地表に出れば、マリベルが回復薬をラッパ飲みしている。何本目なのだろうか、足もとには瓶が数本散らばっていた。
青年が慌ててそれを隠そうとするが、彼女は邪魔くさそうに、慌てるその尻を蹴り上げる。
「……もういいの。……そんなことより、リューン、こっちきて」
引き止めようとするイオルドの腕をすり抜けて、リューンはマリベルに近寄る。もう大丈夫だろう、という確信がリューンにはあった。
ぱさっとローブを突き出しながら、小さな声で「……ありがと」と言ったマリベルの頬がうっすらと赤く染まっているのを見て、リューンは思わず口元を抑える。
「マリベルさんって、かわいいですねぇ」
「……は?」
サッと耳まで赤くしたマリベルは「……調子にのらないで」と目を吊り上げつつも、魔法を打つことはなかった。そんな様子を見たイオルドがひそかに眉根をよせるが、リューンもマリベルもそれには気が付かない。
「……生意気!」
「だって、反応が可愛いんですもん。あ、ごめんなさい、魔法はやめてください!」
「……分かればいい」
あからさまに手を前に出して威嚇していたマリベルは、しっしっとリューンを手で追い払った。苦笑いで彼女から離れたリューンがもどってきて、イオルドの横に並ぶ。しかし硬い表情でイオルドは固まったままで、リューンが「イオ? どうしました?」とその顔を覗き込む。
「いや別に。随分と仲良くなったんだな、と」
「まあ、半日以上二人きりでしたからね」
「……そうか」
イオルドはサッと横を向いて、リューンと視線を合わせず歩き出した。
その態度を疑問に思いつつも、イオルドの歩幅は広く、リューンは「待ってください!」と追いかけるのに必死になる。
そうして四人は一旦基地へと帰還し、翌日からは西の森の討伐戦線に加わることになるのだった。
*
ドラゴンの討伐から、西の森の戦況は一気に好転。
遊撃隊として本体とは別の動きを続けたリューンとイオルド、マリベルとガルガンド四人の功績はすさまじく、大型中型の魔物をあらかた狩り尽くし、一般兵だけでも対応可能な状況をあっという間に整えた。あとはもうローラー作戦で残った魔物を殲滅する運びとなり、リューンはいよいよ村へと帰ることを決めた。
「それではみなさん、お世話になりました!」
マリベルの態度の軟化によって、リューンに向けられていた敵意はまったくといっていいほどになくなった。
失恋により、イオルドに対してぎこちない態度をとってしまいそうだと心配をしていたリューンだったが、それもマリベルが「……リューン、こっちきて」「……お菓子いる?」「……補助魔法かけて」「……明日、朝、ここで集合だから」などとやたらとかまってくることでうやむやとなり、杞憂に終わった。
「……また、来たら?」
「もうしばらく遠慮しておきます。私だけでは足手まといですし」
「……私が、組んであげてもいい」
別れの挨拶をした後のこと。
遠まわしに遠慮するリューンに、マリベルが「……まあ、戦地じゃなくても、会ってあげてもいい。王都にきたら、声かけて」と、耳を赤くして誘ってくれた。
それには笑顔で頷いて、軽くハグをして別れを惜しむ。
この基地に来るまでには、思ってもみなかった展開である。
人生とは何が起こるかわからないものだと、リューンは感慨深くなりつつ、マリベルを含む魔道第一部隊の面々と別れた。
そうして荷物を置いてある天幕までついてきてくれたイオルドに、リューンはぺこりと頭を下げる。
「さて、みなさんに挨拶も終わりましたし、イオもここで大丈夫ですよ。アルド村の近くまで、物資補給の馬車に乗せてもらえることになりましたし」
「ああ、そうか、そうだったな」
二人きりの会話は、ぎこちなくもなければ、盛り上がりもしない。
ただ平穏だ。
にこり、リューンは笑みを浮かべた。
「イオも誘ってくれてありがとうございました。この後も、特にイオなら問題ないでしょうが、お気をつけて任務にあたってくださいね!」
「……お前はいつだってそうだ、俺なんて居なくても、気づけば楽しそうにしてる」
「え?」
イオルドも笑って返してくれるとばかり思っていたリューンは、固まった。
彼の表情は硬く、どこか暗く、何よりその目の様子はどろりと濁り、リューンを見ているようで見ていない。
「俺がいなければお前は幸せになれるんだよな。でもな、俺は違う。ごめんな、ごめん」
「意味がわからないです、イオ。どうしたんですか?」
「……また、村に行ってもいいか?」
こくん、と頷くリューンに、イオルドは口元をゆがませて手を振った。
そして『行け』とばかりに背中を押されて、リューンはされるがままに馬車へと乗り込む。
イオルドの様子が気にかかるリューンであったが、考えてみれば、いつから元気がなかったかも定かではない。
崖に落下してからずっと、マリベルやガルガンドもそばにいて、イオルドと二人きりで話すというタイミングがそう多くなかったためだ。考えれば、前々から元気がなかったような気もしてきて、心配になったリューンは馬車の入り口からひょっこりと顔を覗かせて「待ってます!」と、言葉を投げた。
くしゃっと顔をゆがめて笑ったイオルドの目は、光にきらきらとした、澄んだ碧色だ。
リューンは先ほどの暗い表情は見間違いだったかな、と思ったが、馬車にゆられながら思い出してみれば、その顔は泣きそうだったようにも思えてきてしまう。
「イオ、会いに来てくださいね。……待ってます」
そうして壊れたはずの恋心やら、心配やら、よくわからない安堵やら、複雑な気持ちを抱いたまま、リューンはアルド村に帰還するのだった。