6
正気を取り戻したマリベルの第一声は「あなた弱すぎじゃない……?」であった。
「……なんでそんなに弱いのにイオルド様のペアなわけ? そもそも、あなたがいなければよかったのに……存在が私を不幸にする……。異常状態の理性のないわたしくらい、止められないでどうやって今まで生きていたの? ねえ、イオルド様に寄生してただけ? ……ほんと使えない」
などと、リューンがマリベルを止められなかったことを長々と責めると、次はケガをして立ち上がれないことを嘆いて泣き、リューンのせいだとまた罵倒し怒り、それが終われば「ここで死ぬんだ……」とさめざめ泣いた。
マリベルのケガの状態は、戦場でいうと、そう緊急性が高いものではなかった。おそらく脚が折れているかヒビが入っているのだろう。腫れてはいるが、骨が飛び出してはいない。ただ長時間立つのは難しそうで、落ちてきた崖を登るのは不可能な様子だった。
もちろん、リューンはもともとの身体能力的に崖登りはできない。
「……ねえ、なんであなた無事なの? 私でさえ脚が折れたのに……?」
「あーたぶん、この魔道具ですねぇ」
しゃらり、と腕輪を示すリューン。
それはイオルドから嵌められた魔道具で、そこから落下の瞬間にシールドのようなものが出現し、リューンをふんわりと包んで守ってくれた。
「……それって、イオルド様のやつじゃん。最悪、なんであんたが……」
チッと盛大な舌打ちをしたマリベルは「ほんと最悪」「何様」「あんたと死にたくないんだけど」と、ブツブツと文句を垂れ流す。
何も言えないリューンは乾いた笑みを張り付けて「そのうち助けが来ますよ」とだけ返事をした。
「そのうちっていつ……。どうしてそんなに落ち着いてるの……? ねえ、まさか、私をわざと崖から落としたの……?」
「違いますよ! 私も怖いです、でもきっとイオルドが来てくれますから」
しかしマリベルは、落ち着くどころか「イオルド様……きっと、呆れてる」と言うと、また泣き始めた。もうその泣き声だけでもうんざりとするのだが、マリベルは恨みがましい目でリューンを見上げてこうのたまった。
「……わたしのこと、恨んでるんだよね……今まで、殺そうとしたりとか、いじめたりとか、色々したから……。仕方ない、やるならやって。でもその代わり、私も死ぬ気で殺すから……!」
「勘弁してください。マリベルさんに勝てるわけないでしょう!」
二人きりの空間で向けられる殺意ほど、恐ろしいものはない。
二人が落ちたのは崖下百メートルほどのところにある、巨大な隆起した岩の上だった。
その根元はくぼんでおり、かまくらのようになっていたため、ある程度風をしのぐことはできる。幸い、季節的にも凍死することはなさそうであるため、リューンは助けを待てば何とかなると思っていた。
そのため「しばらく安静にしてましょう」と提案したのだが、マリベルの興奮は収まらない。
「あのゴミクズに荷物を全部持たせたのが失敗……! 回復ポーションはいくつか私に渡しておくとか、どうして配慮ができないんだろう……。ほんと、私の周りってゴミばっかり……!!」
リューンは知っている。
出発直前「どうせドラゴンの巣に行くまでは、イオルド様がいれば安心……」と、荷物を青年にすべて押し付けていたマリベルの姿を。
「最悪、足痛い……ほんと、あいつ許さない……」
「申し訳ありませんが、私も回復薬の手持ちはありません。補助魔法をかけましょうか? 少しマシになるかもしれません」
「いらない……! 薬がないのも知ってる……イオルド様に図々しく荷物を押し付けてたの、見た。……本当にあなた何様なの?」
怒りの矛先がリューンに向いてしまった。
何を言っても責められる、無限のループ。
リューンはコミニケションをあきらめた。
言い訳をさせてもらえるなら、リューンとイオルドは二人で一つの荷物を共有しているのだ。そしてより体力のあるイオルドが運ぶのが、二人の間の決め事だった。こうして動きが分断された時のため、回復薬をひとつは持つようにしていたのだが、それはマリベルに使用して尽きたわけである。
まあ、今はそんな説明も火に油を注ぐだけだろうと、リューンは口をつぐんだ。
しかし、何も言わなくとも、マリベルの恨み節は続く。
「……弱いくせに、なんで聖女なの……私なら恥ずかしくて言えない、最弱聖女なんて……! ほかの聖女様ならまだ諦めついたけど、あなたなんて認められない!」
感情の高ぶりのままに責めてくるマリベルに疲弊したリューンは、できる限り離れた位置に腰を下ろすと、彼女が落ち着くまで待つことにした。
日が高く昇り、そして傾き始めるまでの長い時間、マリベルは一人で感情を爆発させ続けた。泣いたり責めたり、睨んだり。それらを流しつつ、求められれば相槌を打って「ええ」「そうですか」と繰り返すだけのリューン。
日が落ちてきて、崖底からは冷気が這い上がってくる。
リューンはイオルドの『ケガをしてほしくない』という意向により全身をカバーするローブを羽織っているため、腕をその内側にしまいこんで膝をかかえた。温かい。
しばらくして寒気がしなくなったところで、リューンはマリベルの露出の多さに思い至る。厚着をしているリューンが寒いのだ、マリベルが寒くないわけがない。
いつも青白い顔をしているので気が付かなかったが、マリベルの顔は蒼白で、その唇は紅の禿げた部分がすっかり紫色になっていた。
「マリベルさん、寒くないですか」
「……見てわからない?」
かわいらしいゴシックロリータ調に改造された軍服は丈が短く、機動力はあるだろうが、防寒という観点には欠けている。
苛ついた様子で言い返してくるマリベルに、リューンは立ち上がった。己のローブを脱いで羽織らせ、そのままボタンを留めてやる。その行動に驚いた顔をしているマリベルは、いつものようにイヤミを言うわけでもなく、おとなしくされるがままだった。
そして、ぽつりとつぶやく。
「……私、ずっとあなたのこと、死ねばいいって思ってて。それを、周りにも言ってたから、私の周りの人間が、アナタにイヤなことをしてるのも何となくわかってて……でも、止めなかった」
「知ってます」
マリベルは、周囲をけしかけて集団で攻撃してくることはなかった。
本人が魔法を直接バンバン撃ってくる、イヤミを言ってくる、という単騎直接攻撃型の女である。
しかし周囲の取り巻きたちが勝手にすることを、止めることもしなかった。
その結果、リューンは軍を辞めることになったのだ。
「……じゃあ、どうして? たぶん、あなたが辞めたのも、私の影響力、あったでしょ……」
言葉を尻すぼみにして、どうやら悪いことをしたと自覚があったようで、マリベルはしゅんとした様子だ。
リューンは色々と言いたいことはあったのだが、それらの言葉は飲み込んで、今のことだけを伝えることにした。
「魔法で炎を出せばしばらく暖をとれるでしょう。でも、マリベルさんはしませんでした。魔力を温存してくれてるんですよね。いざという時に、戦うために」
「……あなたのためじゃない」
ここが崖の途中とはいえ、空を飛ぶタイプの魔物も存在する。
マリベルの言葉は拗ねた子どものようで、リューンは思わず苦笑した。
「それでも、たいして戦えない私は助かりますから」
リューンはそれだけ伝えると、元の位置に戻ってふたたび膝をかかえた。
ローブを失った分もちろん寒いが、もともとリューンの服装は長袖長ズボンである。膝裏に手を差し込んで暖をとれば、しばらくならやり過ごせるだろう。
しかし時は夕暮れにさしかかり、ぐんぐんと周囲の気温が下がり始めた。
体の芯が冷えてきたリューンは「くしゅんっ」と、くしゃみをひとつ。
マリベルはそれから数秒後、耐えきれなくなったように立ち上がってリューンを指さした。
「……補助魔法、かけて。獣除けにもなるし、しばらく、炎出すから……」
驚いたリューンが固まっていると、マリベルは早口で「暗くなるから。あなたのためじゃない……はやくして」と、リューンをせかした。
言われるがままに補助魔法をかける。
一度、二度、三度と重ね掛けをして、もういいかなというところで頷けば、マリベルの手が空を向き、炎が吹き上がる。
「……補助魔法だけは、本当に上手なのね」
そういってマリベルは炎を絞って調整し、焚火ほどの炎を指先から噴射するスタイルに落ち着いた。楽な体制を探って座った彼女に合わせて、リューンも元居た場所に腰かける。
「……炎、無駄にしないで。もっとこっちに……」
「いいんですか」
もぞもぞと近寄って、そうだ、とリューンは懐を探る。
取り出したのは、出がけに村の老婆に渡された干し芋だった。それを炎であぶって二つに裂くと「お口に合うかはわかりませんが」と言いつつ、一つをマリベルに差し出す。
マリベルは一瞬ためらったが素直に受け取り、がぶり! とかみついた。
「……甘い」
「よかったです」
「……これ、何? お芋?」
「紅い芋を干したもので、干し芋と呼びます」
「……それだけ? 砂糖も入っていないのに、こんなに甘いの?」
驚いた顔のマリベルは、残りもあっという間にたいらげた。
お口に合ってなによりです、とリューンはホッと息を吐き、自身も干し芋をかじりだした。ちびり、ちびりと食べ進めるリューンを見て「……そうやって食べるものなの?」と、マリベルがやけに絡んだ。
「そうですね。乾物ですので、そんなに一気に食べるものではないです」
「乾物……たしかに、ドライフルーツも少量ずつ食べる」
「そんな感じです」
今までにないマリベルの感じに、リューンは少し戸惑ったが、まあそんな気分なのだろうと「私の村では、同じ紅い芋を使った芋煮が伝統料理なんですよ」と返す。
「……あなたの村って、あのド田舎の? 美味しいの?」
「寒い日に食べると最高ですよ。たくさんのお野菜と、お肉と煮込むんです」
「……ふぅん……ねぇ、あんな田舎で、普通に暮らせるの?」
馬鹿にしたわけではなく、本当に疑問に思っている声色で「……だって、お店も病院も何もないんでしょ? 人が暮らせるの?」と、マリベルは尋ねた。
「普通に、かは分かりませんが。私は楽しく暮らしてますねぇ」
「楽しいの⁈」
何をそんなに驚くのだろうと、リューンは「野菜を育ててみたり、のんびり暮らすのも悪くないんですよ」というと、マリベルはホッとしたように笑った。
「……逃げ隠れてイヤイヤ住んでるのかと思ってた。『イオルド様に近寄れないようにしておこうかな』って思ったときに、田舎すぎて手だしができなかったから……」
「何しようとしたんですか」
「……今はもうそんなこと思ってない。安心していいよ」
*
炎がパチパチと音を立てて、薄暗くなってきた周囲を照らしている。
リューンはその光と温かさに落ち着きを覚えて、不思議とリラックスした状態になっていた。
「マリベルさんは、どうしてイオが……いや、イオルド様がそんなに好きなんですか」
そうして暇つぶしではないにしろ、何かしら話してみようかな、という気分になったリューン。
この際だから聞いてみようと、マリベルに質問を投げかけた。
「……彼は、完璧だから」
その盲目な発言に、聞いたくせにリューンは返答に詰まるが、当の本人は「……容姿、能力、年も若い」と、気にした様子もなく続ける。
「……私、イオルド様くらい完璧な方に熱を上げてないと、ダメ。……周りが、十も二十も年の離れた人との婚姻話を持ってくる」
彼女は、明け透けに熱狂的な恋の根源を教えてくれた。
それはつまり、政略結婚からの逃避行動、ということだろうか。
目を見開いたリューンを見て、マリベルは少し笑うと「……お父様は尊い血に嫁ぐことが幸せだと、本気で思ってらっしゃるから」と付け足す。
「……でも、私はイヤ。同じ年くらいの、容姿端麗な男性がいい」
マリベルは面食いらしい。
「それも、キザったらしい舞台役者みたいなのじゃなくって、強い男性がいいの……でもね、たいていの男性は、私より弱い」
「それは、そうですよねぇ」
思わずリューンは深く頷いてしまった。
リューンの記憶では、イオルドを除いて彼女に模擬戦闘で勝った者はいなかったのだ。頬をひきつらせて「難しい条件かと」とリューンが言うと、マリベルはやれやれと首を横に振った。
「……お父様も、そう言う。だから、親の選んだ尊い血の方に嫁げば幸せになるから、そうしろって……」
「親心ですかね。きっと、理由があるんでしょうけど、マリベルさんからすると嫌ですよね」
今度は、マリベルがきょとんとした顔になった。
「理由」と、口の中で小さく繰り返す。
そしてその華奢な細い手で顎を抑えると、うーんと悩み、ぶつぶつと己の考えを小声で口にした。
「……理由、理由……確かに、どうして。聞いたことない。……お父様は野心家でもない……なのに、どうして、あんなに年上の殿方との見合い話を……?」
そして下唇を噛んで何度か頷くと、リューンに向かってだろうか、己に言い聞かせたのだろうか「きいて、みる」と少し大きめな声で発する。
「……理由ね、聞いてみる」
「そうですね。聞いてみないと、分からないこともありますから」
「……うん。……イオルド様のそばをウロチョロしてるの、本当にウザかったけど……あなた、根がいい人なのね。……補助魔法も、確かにすごいし。イオルド様のこと、これからも死ぬ気で支えなさいよ」
しかしリューンは苦笑いしつつ、ゆるやかに首を振ってそれを拒否した。
「ありがとうございます。でも、今回限りにしておこうかと」
「……どうして?」
「いえ、その、実は私! あの、イオのことが……好きで」
リューンが割と決死の覚悟で告白したにもかかわらず、マリベルは無表情でコテンと首をかしげて「……だから?」と言う。
「……あんなの、好きにならない方がおかしい。若い女はみんなイオルド様のこと、すき」
それは言い過ぎではないか、とは思いつつも、確かにイオルドはものすごくモテるので、何かを言うのは控えておく。リューンは渋い顔で「それで、あの」と、何度か口ごもりつつも、マリベルの無表情からにじむ『早く言え』オーラに押されて続きを口にした。
「私、マリベルさんとの会話を聞いてしまって!」
「は?」
「『俺は誰も愛さない』って言ってましたよね。私、失恋してもあの人とべったり行動してサポートできるほど心が強くないというか……辛くてですね……ちょっともう、色々と勘違いしていた自分が恥ずかしくて、穴に埋まりたいといいましょうか……その、すぐ帰りたいくらいなんです!」
必死にリューンが心情を吐露しているというのに、マリベルはうつろな目つきで己の指先から噴射し続けている炎を見つめていた。
「……え、バカなの?」
「え、マリベルさん? どうしてまた悪口を」
「いや、だって……なんかもう、こっちがバカらしくなっちゃう……」
マリベルはモゴモゴと口を動かして何かを言いあぐねた様子だったが、結局は言葉を飲み込んで黙ってしまった。
しばらく沈黙が流れ、日がとっぷりと暮れてくると、マリベルの指先から噴射する炎で周囲は赤く染まる。その光は、崖上にも届いていたのだろう。
上から「おーい!」という声が響いた。