4
その後のリューンは慌ただしく、補助魔法をよく頼んでくれる常連の家を訪れては、しばしの不在を知らせて回った。
「すみません、少し昔のツテで仕事をすることになって、村を離れます」
「あらぁ、寂しくなるわねぇ。……リューンちゃんがいなくなっちゃうなら、そしたら今日雑草抜いて、種まきしちゃおうかしら」
「そうですか、そしたら今魔法掛けちゃいますね」
軽い詠唱をするリューンの前で、ドン家の老婆は黙祷するように目を閉じた。
「ありがとうねぇ、これで楽々畑仕事ができるわぁ。それじゃあ、お金お金……」
「今回は大丈夫です! すみません、ご予定もあったでしょうに、私の都合で種まきをズラしてしまって」
ドン家の老婆は、ふふふと笑って「じゃあこれは餞別ねぇ」と、札束をリューンのポケットにねじ込んだ。
「ちょっ、料金にしても多いです!」
「旅にはお金がかかるもの、貰っておきなさいねぇ」
「そんな、申し訳ないです」
「いいのいいの。あ、お芋干したのもあげるわねぇ」
持っていきなさいよと、グイグイと干し芋の袋を押し付けてくる老婆。それだけで終わらず、乾燥肉やら、タオルやら、砂糖菓子やらと、次々に荷物を増やされる。
「こ、こんなに貰えません」
「備えあれば憂いなしって言うじゃなぁい」
遠慮するリューンを「気を付けて行ってらっしゃいよぉ」と、朗らかに手を振って家から追い出すドンの手腕は鮮やかで。リューンは大荷物を抱え、次の家の訪問は断念して一度家に帰ることにした。
「ああ、荷造りもしないと……! でもまだ二軒ご挨拶にもいかなくちゃいけませんし……ああ、もたもたしてるとイオが来ちゃいますっ」
机上に散らばる旅支度をぐいと押しのけて、ドンに貰った品々をとりあえず置いたリューンは、慌てて次の訪問先へと飛び出した。
イオルドがやってくるまで、あと数刻ーーーー。
*
帝国軍第一師団、魔道部隊。
第一師団というのは花形で、基本的に配属されるのは強者。
イオルドは当然そこの部隊に所属しているのだが、強さと功績ゆえ、師団長に意見ができる立場にあるらしい。
「というわけで、もう部隊の奴らに挨拶とかはしなくていい」
「そんなわけにはいきませんよ⁈」
「夜に上官には挨拶したろ」
迎えに来たイオルドに連れられて、リューンが西の森の前線基地に到着したのは夜半だった。
リューンは止めたのだが、イオルドは「この時間ならまだいる」と、前線司令部に直行し、司令官と師団長にリューンを引き合わせた。
二人とも穏やかなお人柄で、イオルドに引きずられるようにして連れてこられたリューンを「大変だったね」「この言うこと聞かない頑固者のせいでごめんね」などと労ってくれた。しかも予想していた時間外の来訪だったろうに、臨時復帰の職務発令を正式にしてくれる有能っぷり。
それからイオルド専用だという天幕に戻り一眠りして、今は朝である。
貰った書状を小さく折りたたみ、リューンは胸のポケットに今もそれを入れていた。
どこかで何かを言われたら、書状をサッと取りだして見せるのだ。
「俺は単騎で動く方が戦果が上がるから、別動隊としていつも個人で動いている。リューンはそのサポートになるから、別に部隊のやつらとは関わることもないぞ」
「それでも、何かあるときに一般人が居ると思われたら困りますから。もう朝ですし、みなさんちょうど食事時でお揃いではないですか?」
ゴネたリューンに、イオルドは小さくため息をつく。
「……そんなことより、村を出る前に魔法をかけまくって回ってただろ? 魔力は復活したのか?」
「しました。もういつでも行けますよ……みなさんにご挨拶の後であれば、ですけど!」
「ちっ」
ガシガシと金髪をかき乱したイオルドは「見せたくねぇな」と、荒っぽい口調でつぶやく。
そして険しい顔で数秒考えた後に、己の腕からバンクルを外し、リューンの腕にそれを通す。やたらと輝きが強い地金に、彫られた模様は精巧な草模様で、等間隔に澄んだ石があしらわれている。それを見てリューンはぎょっとした。
「これ、魔道具、ですか」
「そんなたいしたものじゃない」
「嘘! 魔石も高いやつでしょう⁈」
魔道具自体が高価なものだが、さらに純度の高い魔石ほど、透明に近いのだ。
『絶対高い、壊したら大変』と、そう確信したリューンは腕からバンクルを抜こうとする。が、先ほどまでイオルドの腕にはまっていたはずなのに、今はリューンの手首にぴったりと寄り添って外れなかった。
「なんで⁈」
「お守りみたいなモンだ。外れたら困るだろ」
「ちょっと、これどういう魔道具なんですか⁈」
イオルドは再度「お守りだって」と言うと、立ち上がって二人専用の天幕の入り口を持ち上げた。どうやら挨拶に行けるらしいと察したリューンも、慌てて追いかけ、身なりを整え背筋を伸ばす。
「うちのメンバーは十人。今は食事の配給の時間だから、食堂に向かう」
歩きながら説明をするイオルドは、視線を足元に落として「それから、リューンも知ってる顔がいる」と、声を硬くした。
「どなたでしょうか」
「マリベルだ」
マリベル、その名前を聞いた瞬間に、猫のような大きな釣り目がリューンの脳内にパッと浮かんだ。
そして血のように赤い唇が『この下民が』と、軍属時代に耳にタコができるかと思うほど言われた罵倒を再生する。
「あの、マリベルさんですか」
「そう、あのマリベル。挨拶、やめておくか?」
「……いいえ、それこそ、戦闘中にうっかり攻撃されてはたまりませんので。遭遇する可能性のあるイオルドのお仲間さんたちには、ご挨拶しておかないと」
「俺と離れなければ、問題ないだろ」
イオルドは言いながらリューンの手をとると、己の肘へと導いた。まるで舞踏会のようにエスコートをするつもりらしい。
手を引っ込めようとするも、やんわりと反対の手で押さえられてしまい、なされるがままに歩くリューン。どうしようかと考えあぐねているうちに、ガヤガヤとした人の多い区画にたどり着いた。
食堂といっても、木箱を積んで作られた簡易的なテーブルとイスだ。もちろん木箱の中身は物資であり、おおよそ食事処とは思えぬ土埃と弾薬のにおいが充満している。その中をイオルドが迷うことなく進み続けると、ぽっかりと周囲に人がいないが存在した。
リューンはすぐに彼女に気が付いた。
そして、彼女も、きっとすぐに気が付いたのだろう。
「は、なんで、下民が……?」
その赤い唇が素早く言葉を紡いだ。
そして数秒後、イオルドの肘に添えられたリューンの手に、マリベルの病的なほどに白い肌に青筋が浮かぶ。ビキビキと見開かれた目のすぐ上で、ぱっつんと切られた一ミリの隙もない重い前髪、その上に着けられたフリルたっぷりのカチューシャが怒りに揺れた。
「無理やり、ついてきた……てこと?」
ガタリ、立ち上がった彼女の太ももに、分厚いパニエが白いレースを覗かせながら沿う。マリベルは、周囲とは一人だけ軍服の意匠が違う。
それは、ゴシックロリータと呼ばれるのだろうか。その要素をふんだんに取り入れた改造軍服の丈は短く、レースがたっぷりとあしらわれている。父親が軍部の権力者であるマリベルにしか許されない、派手な作りだ。
リューンは『相変わらず凄い恰好だな』と、それをどこか遠い目で眺めていたのだが、イオルドは眉をひそめて「失礼な物言いはやめろ」と、マリベルをけん制した。
「俺が頼み込んで今回だけ復帰してもらったんだよ。職務発令も出てる」
「は? イオルド様のためにならない、そんな……」
「補助魔法で、リューンに勝てるやつはいない。彼女は聖女だ、それも歴代の中でも飛び切り優秀な」
「でも、自分の身も守れない人間が、戦場に居るのは迷惑……」
ぼそぼそと「その女には、この部隊からは出て行ってほしい……」と言うマリベルに、その場にいる半分ほどの人間は同調し、リューンに向かって鋭い目線を向けた。
親が権力者というだけではなく、マリベル自身も魔法の才能にあふれている。
軍というのは場所柄どうしても、強い者は一目置かれるのだ。しかもマリベルは個性的ではあるが美しい女で、そのミステリアスな雰囲気に集まる人間は多い。
リューンはこちらを見てくる数多の目に、視線をそらす。
そして指をすべらせて胸に忍ばせた書状をなぞると、気が付いたイオルドがその手を握る。
「俺の専属だ。部隊には関係ないし、迷惑もかけない」
そしてマリベルの言葉からも、無数の視線からも守るように、イオルドは斜めに体をずらして前に出た。
「司令官からも許可が出ている。……ちなみに、他の雑務は一切引き受けさせないし、俺の傍から離れず補助魔法をかけ続けてもらう。一応、顔を見せておこうと思って連れてきただけ」
ギリギリと歯噛みするマリベルは、怒りの形相を隠そうともせずに「司令官、何考えてるの……?」と、机を蹴った。それに身を縮こませたのは、マリベルの正面に座っていた青年だ。びくびくとした様子で、彼はイオルドに向かって挙手をした。
「ひっ、あの、イオルド様とそのぉ、お連れ様? は、どんな作戦で動くんですかッ! きょ、今日は僕たちは、前線基地の前進のためにですね、大型の魔法で魔物を掃討することになっていまして!」
「ああ、俺たちのことは気にしなくていい」
討伐戦における広範囲型の魔法は、術者が目視できる範囲を炎や氷でなぎ倒していく。しかし、この森というフィールドは見通しも悪く『うろちょろされたらうっかり巻き込んでしまうかもしれない』というようなことを、青年はオブラートに包みながらも必死に訴えていた。
イオルドは懸念顔の面々に向かってひらひらと手を振る。
「ドラゴンの居る崖を目的地として、基地から魔物を掃討しながら進む。この後すぐに出発するから、進度的にカチ合うこともないだろう。そっちはそっちでいつも通り好きにやってくれ」
「おっ、お二人でドラゴンを討伐されるんですか⁈」
驚く青年に向かって、イオルドは「中型まではいける。な?」と、リューンに向かって同意を求めた。それにまた「ひぇっ」と驚く青年。
「お連れ様の補助魔法は、そんなにすごいんですね⁈」
「……は? 全然、すごくないし……」
「そ、そうなんですかッ?」
声を上げた青年は、マリベルにギンッと視線で刺された。
マリベルが「この女は、もう軍人でもなんでもないパンピーなの……」と言うのに、リューンはあいまいな笑みを浮かべて頷いておく。
対するイオルドは「引退しても、リューンはすごい」と満足気に頷いていた。確かに軍属時代、二人で中型のドラゴンを討伐したことはある。今回はほぼ中型と聞いているので、時間はかかるかもしれないが倒せるだろう。
しかし、これは『リューンの補助魔法がすごい』というより『イオルドがすごい』に尽きるのだが。
「じゃ、挨拶も済んだな。出発しよう」
イオルドが話をまとめて終わらせようとすると、マリベルが「待って……ッ!」と甲高い声で叫んだ。
「わたしも、ついてく……」
「機動力を重視して、リューンと二人で動く作戦で上官からも許可が出ている」
「ど、ドラゴン討伐なら……うちの父から、できればわたしも参加するようにって、言われてるから……」
マリベルの父親というと、少将である。
イオルドはあからさまに面倒臭いという顔になった。
「今日中にはドラゴンと戦い始めたいんだ。ゾロゾロ集団で移動してたら間に合わない」
「わたしともう一人だけ……ツーペアでの活動ってことで……」
そしてマリベルは先ほど発言した青年の襟首をガッとつかむと、イオルドに向かってその首を差し出した。青年は「僕ですか⁈」と喉を絞られた悲痛な声を上げたが、マリベルのひと睨みですぐに口を閉じる。
イオルドは親指でグリグリと己の眉毛を押して、頭が痛いといったポーズをとった。
「はぁ、仕方がない。半刻後には出る、遅れたら置いてくぞ」
「すぐ、じゅんびする……!」
マリベルは青年の首根っこを掴んだまま身をひるがえしたが、最後にリューンをギンッとにらみつけることも忘れなかった。
げんなりとした顔をしたリューンがこめかみを指でもむと、イオルドが『だから挨拶なんてやめときゃよかったんだ』と言わんばかりの顔で「な?」と言う。
リューンは口をへの字にして、肩をすくめておいた。
「さあ、時間ができたから軽く何か食べていくか」
「イオの高速移動に付き合うと吐くので、やめときます」
「マリベルたちがいるならどうせぬるい感じになる。平気だろ」
「うーん」
「リューンはただでさえ細っこいんだから、ちゃんと食えって。ほら行くぞ」
そんな気安い二人の様子を見ていた周囲は驚いた顔をして、イオルドとリューンが歩き始めれば「あれって昔辞めさせられた人でしょ……?」「え、仲悪いんじゃ」「迷惑してるって話だったけどな」「イオルド様に付きまとってクビだろ?」といったコソコソ話が背中に刺さった。リューンが辞めた後、どうやらさんざんな噂になっていたようである。
聞こえないふりをして歩くリューンに、本当に聞こえていない様子のイオルド。
周囲が何を思っていたとしても、彼は揺るがない。だから、周囲を気にする必要もないのだ。
昔からマイペースなのは、彼のいいところでもあり、悪いところでもある。しかしそんな一面も懐かしいなぁと、リューンはまた妙に切ない気持ちになるのだった。