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 翌朝、リューンはいつもより早起きをしていた。

 なぜならイオルドは、太陽と共に起きる。


「ううっ、眠い」

 

 リューンは普段、太陽がそれなりに明るくなってから起きるのだが、村の人間は違う。早い者は日の出と共に起きだしては、朝食を済ませて外に出て仕事をしている。

 そんな村人たちに、リューンの家の外で筋トレをするイオルドを見られたら、どうなるか。

 筋トレをして、汗をかいて服を脱いだところを見られたら……もう目もあてられない。若い女の家の前に、半裸の若い男。


 もう、何を言われるかを考えただけで恐ろしい。


「軍に居た頃は、みなさんイオのトレーニング姿を見たくて無駄に早起きしてましたねぇ」


 汗をかくとすぐに服を脱いでしまうのは、イオルドの癖である。

 『人が多いと鬱陶しい』と彼は早朝にトレーニングをしていたのだが、その悪癖のせいで人がわらわら集まってしまって、よく怒っていた。脱がなければいいのに、とリューンは何度あきれたことか。

 顔、首、肩と想像し、胸の筋肉、そしてまるで彫刻のようなイオルドの腹まで思い出したところで、リューンはブンブンと頭を振って記憶を吹き飛ばした。


「あー、もうっ!」


 そして文句を時折口からこぼしつつ、イオルドがかつて好きだったスープを作り、ミニサラダを和え、秘蔵していたミルク感たっぷりの美味しいチーズをパンにのせて皿に盛ったところで、家の扉がゴンゴンと音をたてた。


「開いてますよ~」


 すぐに扉が開いて、ひょっこりと顔をのぞかせたのは、当然イオルドだった。

 朝の光に金髪が透けてまぶしく、リューンは思わず目を細める。ドアを閉めたイオルドは、「不用心だな。鍵をしめたほうがいいぞ」と、勝手に鍵をかけた。


「この村ではみんな鍵なんてしませんよ、開けてていいんですぅ」

「みんなしてなくても、リューンだけはかけててくれ」

「なんでですか」

「一応、若い女だろ」

「え、もしかして心配してるんですか?」

 

 イオルドはそれには答えず、キッチンにやってくると「お、まそうだな!」と声を弾ませ、勝手にテーブルに皿を運び始めた。リューンもそれを見て、カトラリーやカップ、ティーポットや蜂蜜の瓶を次々に出していき、イオルドはどんどんそれを受け取って並べてゆく。


 何を言わずとも通じ合う二人は、そうして連携し、あっという間に朝食の支度を整えた。

 椅子を引いて腰を下ろし「「感謝を」」と、食前の祈りを重ねる。


「このドレッシング、懐かしいな。胡椒が効いててうまい」

「手作りですからねぇ」

「チーズはリューンの好きな味だな。今度似たものを買ってこよう」

「あ、これ最初にドン店長から差し入れで貰って、美味しくてずっと買い続けてるんですよ」

「あの店にあるのか」


 二人はぽつぽつと会話を交わして、それなりに量があった朝食をぺろりと食べ終えた。

 そしてまるで昨日までもそうしていたかのように、食事が終わればイオルドが食器を下げて洗い、リューンはその間に茶を淹れて待つ。


 ゆったりとした空間に、茶葉の芳醇な香りが満ちた。

 イオルドが座り、言葉もなく二人で茶を口に含む。


「「ふぅ」」


 二人して茶を口にして胸から空気を出すように声を出し、顔を見合わせて笑う。


「声でちゃいますよねぇ」

「……リューンが熱いお茶を飲むとそうやって言うから、俺はマネをしただけ」

「そうだったんですか⁈」

「昔からだぞ」


 リューンにとっては、もう二度と戻れないと捨てたつもりの、過去に戻ったかのような穏やかな二人の空間だった。

 自分の手からは離れたはずの、当時は何より大切だったもの。幸せだなぁと噛みしめて、そしてリューンは何も言えなくなる。



 その沈黙の中で徐々にイオルドは真顔になり、そして「なあ」と、重い声を落とした。



「どうしてあの時、俺を待たなかった」

「あの時とは?」

「前線から送り返された時だ。俺を待てば、あんなヤブ医者の診断なんて、どうとでもなった」


 何も言わない、動かないリューンに、イオルドは淡々と「勝手に軍を辞めることもなかっただろ」と、畳みかけた。

 その言葉にムッとして、リューンは視線を尖らせる。


「……勝手にって。強制的に辞めさせられたんですよ」

「だとしても! 俺に一言もなかったのはどうしてだ? 書置きくらいできただろ?」

「イオはあの日、一人で西の最前線に出たじゃないですか。私を置いて」

「それは、深夜にたたき起こされたんだよ! リューンは東の安全なところでの作業を割り振るから頼むって!」


 イオルドも言いながら怒りが込み上げてきたのが、苛立ちを逃がすように横を向いて拳を太腿に打ち付けた。


「それが戻ってみれば、リューンは東の前線に行かされて⁈ 重症を負って前線を引いただって⁈ そして挙句の果てには、軍部を辞めたと!」


 反対の手で、ぐしゃりと髪をかき上げてため息をついたイオルドは「それを聞いた時の、俺の気持ちがわかるか?」と、顔を下に向けたまま、目だけでリューンを捉える。

 その鋭い目線にリューンの肩が揺れた。


「……わかりません」

「見捨てられたと思ったよ。それと……心配で。心配で、気が狂いそうだった」



 怒れるイオルドの語尾が萎み、そしてうなだれるように視線も下を向く。感情をうかがえなくなったイオルドを、リューンはどうしていいかわからずに、しかし、謝りかけて言葉を飲み込んだ。



『ありがとう』『どうして』『助けてほしかった』『つらかった』『ごめんなさい』ぐるぐると言葉がまわり、リューンの喉を詰まらせる。



 当時のリューンにだって、色々と事情があった。

 問題の核となるのは、イオルドのことを熱心に好いていた、少将の娘だ。

 彼女は同じ魔道部隊に所属し、イオルドを追いかけまわしていた。少将に気を使って、上官たちもイオルドと彼女を組ませたがったので、リューンは軍上層部から邪魔者扱いをされ、結果。


 前線で放り出される形となり、大けがを負った。

 しかも『回復は絶望的』なんて嘘の診断をされて、退役を余儀なくされたのだ。リューンの意思ではない。



「見捨てるだなんて、そんな……」


 

 『全部、あなたのせいです』と、責めたらよかったのだろうか。

 仲間外れ、陰口、嫌がらせ。

 リューンに向けられる悪意は、イオルドという鮮烈な光の影だ。


 イオルドは嫌がらせの痕跡を見つければ烈火のごとく怒り狂い、原因を潰して回った。しかしそうすればそうするほどに、より巧妙に、より陰湿に、リューンを取り巻く悪意は進化をするのだ。

 

 イオルドのことは忘れたことはなかったし、特別な思いを、今も抱いてはいた。

 しかし二年前、リューンは結局どうすることもできず、イオルドの隣に立ち続ける努力を放棄してしまった。



 今更、何も言えはしない。



「ご心配おかけしたみたいで、すみませんでした。今は平穏に暮らしています、ご安心ください」

「ああ。それはよかったよ。でもな! 連絡くらいくれたって良かっただろ」

「当時は思いつきませんでした」


 すこし拗ねた顔をしたイオルドに、リューンは淡々と答えた。

 そして立ち上がると茶器を片付け始める。



「さて。補助魔法をかけてほしいという村の方が来ますので。お茶も終わりましたし、そろそろお帰りください」



 イオルドは何か言いたそうにしつつも「わかった、ごちそうさま」と素直に従った。


「また夕方くる」

「……今日は夕方から村の方のおうちに伺いますので、不在です」

「じゃあ、また明日の朝来る。朝なら居るだろ」


 リューンの返事がないのを、イオルドは待たなかった。

 リューンも拒否をすることはなく、イオルドの背中を見送る。







 



 二人にはまだ、時間が必要だった。















「なあ、この家」



 朝食を一緒に食べるようになって、一週間も過ぎた頃。

 いつものようにリューンが用意し、イオルドが片付け、その間にリューンがお茶の準備をして……という一連の流れが終わり、二人でホッと一息ついている時だ。


「隙間風、雨漏りだけじゃないよな。床は微妙に傾いてるし、ドアの立て付けも悪くてナナメ。外壁もボロボロだ」


 イオルドはリューンに向かって、並び立てるように家の欠陥を指摘し始めた。

 しかしそれら全てが事実であり、リューンはムッとしつつも「お金がなくて修理ができないんです」と答えた。


「これは修理のレベルを超えてるだろ。建て替えたほうが安くつくぞ」

「建物って、解体するのにも費用がかかるのをご存じですか?」


 イオルドはあきれたようにため息をつく。


「リューンは、俺がドラゴンも倒せるってこと忘れてないか?」

 

 補助魔法を極めた者を聖女と呼ぶように、ドラゴンを単独で倒した者には〝勇者〟の称号が与えられる。

 ドラゴンは魔物の中でも最上位の強さを誇り、その知名度は抜群だ。比較的よく見られる小型のドラゴンでも、百人は兵力が必要とされている。


 つまりこの発言は、イオルドが『俺がこの家を破壊して魔法で燃やすなりして、更地にしてやろう』という意味であった。

 リューンは少しの抵抗感を抱きつつも、解体費用が浮くとなれば背に腹は代えられぬ、と「じゃあ、壊すときは連絡します」と頭を下げた。


「任せろ。こんなボロ家、一発で壊してやる」

「人の家をボロ家呼ばわりするのはやめてください」

「ははは。最近ドラゴンも狩ってないし、腕がなまってるかもしれないな。……リューンがきてくれるなら、報酬は山分けで倒しに行くのに」

「えっ」


 とてもとても魅力的な提案に、リューンは思わず声を上げていた。

 なぜならドラゴンの討伐報酬は、抜群に良い。大金が入るのである。


 リューンの様子に、イオルドはにぃっと口の端を吊り上げた。


「何匹かドラゴンを狩れば、新しい家も建つんじゃないか?」


 リューンの脳内で、一瞬にして、新築の家屋にての快適な生活が鮮明に描かれる。今の家も気に入っているが、昨年の冬が寒すぎて辛かったのだ。

 隙間風のない快適な冬、雪が降っても大丈夫な家、寒くない、足先が冷えすぎて痛まない朝を迎えられる家……! と、想像をしてうっとりするリューン。


「しかも! 俺とリューンで倒せそうなドラゴンに心当たりがある!」

「な、ななん、ですって⁈」

「西の果ての森だ。……魔物の大暴走の予兆があって、軍も出動してるところの近くだ。うかうかしてると、どっかの手柄を立てたい貴族の坊ちゃんに取られちまうかもなぁ」

「ぐ、ぐぬぬぬ」


 単騎討伐はできなくとも、ドラゴン討伐を指揮したというだけで、貴族の中でハクがつくらしい。そのため情報を聞きつけてから、多額の出資をして子弟を軍に入れる貴族がたまにいるのだ。

 そんな理由で基地の近くのドラゴンはそう長く放置はされないのである。


「でも、その条件なら、討伐許可が下りないんじゃないですか⁈ とっておけばお金になるんですから」

「いやそれが、割と活発なドラゴンらしくてな。前線までは来ないが、食料の補給に被害がでているらしい。しかも、今のところは手を挙げているお貴族様はいない。……な、今が狩り時だろ?」


 リューンは喉の奥で唸った。

 家を建てるまではいかずとも、一匹でもドラゴン討伐の報酬があれば大型のストーブを買って、家の隙間を塞ぐことくらいはできるだろう。そうすれば冬を楽に、快適に過ごすことができる。


「リューンが臨時で復帰できるように話はつけてあるんだ。軍の基本給に、俺からのお礼ものせるし、ドラゴンボーナスで……家の頭金にしちゃ多すぎるくらい稼げるぞ~?」

「やりましょう!!!」


 反射的に叫ぶがハッとしてリューンは口を覆う。が、もうすでにイオルドは「よっしゃ!」と、ガッツポーズを決めて立ち上がっていた。



「じゃあ俺は軍にリューンの臨時雇用の件を知らせてくる。期間は西の森の掃討作戦の完了までだからな! 三日後には出るぞ!」



 言いながら走って出ていく背中に「ちょっと、少しだけ考えさせてくださいっ」と声をかけるも、聞こえないフリか本当に聞こえていないのか、そのままイオルドは出て行ってしまった。





「……村の人たちになんて言おうかな」



 



 リューンは少しの気恥ずかしさを滲ませて、頬をぽりぽりとかくのだった。







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