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「『げ』とは何だ、『げ』とは。懐かしい相棒の顔だろ、喜べ!」
いつだって自信満々。
傲岸不遜が滲み出た、ニヒルに上がる口角。しかしそれを見た人間を不快にさせない、圧倒的な美貌。
サラサラとした金色の髪、目が覚めるような澄んだ色の碧眼の男。その大きな瞳は長いまつげに縁どられて、形の良い柳眉からは高い鼻筋がおりて影を描く。
その顔を呆然と見たリューンは「どうして、ここが」と、口から疑問をすべらせた。
「どうしてって? 探したんだよ! どんだけ探したと思ってる⁈ 二年もかかって見つけた俺って、健気なヤツだろ」
「イオ……ほんとに?」
リューンの口からこぼれ落ちたのは、かつて何度も何度も呼んだ愛称だった。
その男は、イオルドという。
軍人時代、幾度となく作戦行動を共にした、相棒とも呼べる、あの男だ。
背の高い体は鋼のようにしなやかで、見惚れるほどに引き締まっている。服の上からでも分かるその筋肉を縮めて、イオルドはその場で膝をついてリューンに手を差し出す。
「俺と一緒に来てくれ」
哀願するような声がリューンの耳朶をくすぐった。動けずに固まったまま、リューンは混乱で何も言うことができない。黙りこくる彼女に、イオルドは畳みかけるように乞う。
「リューンの補助魔法が必要だ。生活も厳しいと聞いた、冬支度もできないほどなんだろう? ストーブだって外套だって、本だって、甘味だって、なんだって買えるだけの給金は弾む! 頼む、俺のサポートをしてくれ!」
「あ、補助魔法ですか。……はぁ、なるほど」
思わず胸をときめかせていたリューンは、全身から力が抜けて「はぁ」と、もう一度ため息をついた。そしてイオルドの腕を引いて立たせる。
「冗談はいいので、早く立ってください」
「なんだよ。俺は真剣だぞ!」
「ハイハイ」
そして「きゃ! らぶなのぉ? え、リューンちゃんの何ィ?」といいながら観客よろしくこちらを見て楽しんでいるドンに、昔の知り合いなので心配しないでほしい旨を伝え、やたらめったら目立つ容貌をしているイオルドを家へと招き入れた。外で話すよりマシだろう、という判断だ。
でも明日には、村中の人間が知っているに違いない。
リューンはもう一度、盛大にため息をつきながら後ろ手でドアを閉めた。そしてぞんざいにイオルドをダイニングテーブルへと押しやる。
「もうちょっと自分の外見を自覚してください! どうして外で、あんな、め、目立つことをするんですか!」
「どれだよ」
「膝! 膝なんてついちゃって、ガラじゃないでしょう、まったく!」
恥ずかしいやら驚くやらで、リューンは怒り心頭だ。内心を示すように、椅子を乱暴に引いて腰かけた。
イオルドも対面に座り、二人はテーブルを挟んで対面する。
「あーもう、普通に言えばいいじゃないですかっ。あんなに目立つことをして、もうっ!」
「なるほどな。悪かったよ」
久しぶりのイオルドの顔は、昔からまったく変わっていない。怒るリューンを見つめる碧眼は、視線が合うと嬉しそうに弧を描いた。
リューンは美しい顔が緩む久々の高破壊力に、再び胸を抑える。
「どうした? 胸が痛いのか?」
「っ……なんでもないですっ! それと、さっきのですけど! 私の欲しいもの、なんで知ってるんですか?」
ストーブに外套、本に甘味。
すべてリューンが欲しいな、と思っているものだった。
むっとした顔を維持しつつ問いかけるリューンに、イオルドはすんなりと情報源を暴露した。
「チラシの張ってあった雑貨屋の店長だよ。買い物をして、昔の話をちょっとしたんだ。そしたら快く最近のリューンについて教えてくれた、いい人だったな」
「ドン店長ですか、なるほど」
昔の知り合いと聞いて、きっと警戒心もなくぺらぺらと色々話したのだろう。ドン店長の善意しかない笑顔が目に浮かぶようだった。
たしかに軍属時代のリューンとイオルドはかなり親密な付き合いであったし、イオルドは決してリューンを害そうとか、噂を吹聴してやろうとか、そんなことに聞いた話を使ったりはしない。そこらへんは、商人なだけあってドン店長もきちんと見極めたのだろう。
軍を辞めた直後は、もちろん連絡をとれる状態ではなかった。
しかし二年も時間があれば、連絡を取ろうと思えば、いくらでもできたのも事実。
それをしなかったのは、リューンに複雑な思いがあったから。
しかしそんなリューンの都合はドン店長の知るところではない。だから仕方がないのだが『せめて貧乏なことまでは暴露しないでほしかった』と、恥ずかしさからリューンは思わず渋い顔になる。
「……で、他には何か聞きました?」
「家の隙間風がひどい話と、リューンが村の人気者って話くらいかな」
ぐるりと部屋を見渡したイオルドが「そこと天井に隙間があるな。これは風だけじゃなくて、雨漏りもあるだろう」と、数日前のドンのごとく、家の欠陥を言い当てる。
恥ずかしいのを通り越して、情けない気持ちになってきたリューン。
「……すみませんね! お金がなくて修理ができないんです! そんなに雑談をするなんて。雑貨店で、それはたくさん買ったんでしょうねぇ!!」
「そんな言い方は心外だな。必要なものを買ったんだ」
彼はにやりと笑うと、担いでいた荷をテーブルの上へと広げ始めた。そこには本やランタン、リューンの好きなお茶やお菓子、暖かそうな靴下やマフラー、それから大きな蜂蜜の瓶が。
「こ、これは、妖精の蜂蜜ですか⁈」
「そう。これ好きなんだろ」
その瓶のラベルに描かれている絵は、金色の妖精。
リューンが買いたくても買えない、最高級品の蜂蜜だ。たまに王都に買い出しに出かけた際に奮発して喫茶店で頼む紅茶に、ひとさじ分だけついてくる。とても甘くて、花の香りがして、とにかく美味しい蜂蜜である。
思わず釘付けになった彼女に、イオルドは声を出さずに笑った。そして「全部リューンへのお土産だぞ」と、その大瓶を差し出す。
「えっ、いや、さすがにこんな高いもの、いただけません!」
「俺が一回前線に出たら、いくら出ると思ってる?」
そしてささやかれた金額に、リューンはバッと顔を上げて目を見開いた。「出世したんだよ。金には困ってない」と、イオルドが口の端を吊り上げる。
「そ、それでも! 貰う義理もありませんし」
「そんなものでリューンが釣れるなら、店ごと買い取ってくるぞ。いや、ちがうな」
言ってから、顎に手をあててイオルドは少し考え込む。そして言葉をよく選んだことが伝わる、ゆっくりとした口調でこう続けた。
「店ごと買い取れるくらい、リューンに貢ごうか。だから頼む、もう一度俺と組んでくれ」
「私なんかに、やめてください! というか、正気ですか⁈」
「本気だぞ」
「無理、無理です! さっきからなんなんですか⁈」
叫ぶように断るリューンを見て、イオルドは喉を鳴らすように笑う。ぐいぐいと押し付けられて、リューンは思わず蜂蜜の瓶を受け取ってしまった。パッと手を離したイオルドは、返却は受け付けない、と示すように両手を上げる。
「さて、受け取ったな。どうして無理なんだ?」
「どうしてって……もう私は前線から離れて二年もたちますし」
「村人たちを見て、リューンの力が衰えていないのはよく分かったよ。どれだけの人数に、あんなに高度な補助魔法を重ね掛けしてるんだ? さすが聖女だな」
「やめてください。……所詮〝最弱聖女〟ですから」
自虐気味につぶやいたリューンは、下を向いて両手をぎゅっとにぎりしめた。
イオルドはそんな様子に眉を顰めると「俺はな」と、少しばかり大きめの声を出す。
「自分よりできるやつに、会ったことがなかった。俺は、常に俺が一番だった」
「なんですか、いきなり自慢ですか?」
「いいから聞け!」
最弱聖女と呼ばれたリューンと対照的に、イオルドは歴代最強ともいわれる〝勇者〟である。
超人的身体能力に、膨大な魔力量、魔法も全属性を使いこなし、体力も底なしで魔物を狩り尽くす。誰から見ても軍で単騎最強の兵士はイオルドだろう。
しかもその外見は、まるで物語から飛び出てきたかのように美しい。
多くの兵士は彼に憧れ、彼の戦う姿を見た民衆は熱狂した。
そんな彼が戦場でのパートナーとして選んだのが、皮肉にも〝最弱聖女〟だったわけである。
お偉いさんの娘さんが熱を上げずとも、周囲は皆『お前はイオルドにふさわしくない』と、リューンにその席を空けるように求めてきた。
だから、本当は。
あの事件がなくとも『いつか誰かに排除されるだろうな』という予感は、いつもリューンにつきまとっていたのだ。ただ、まっすぐにこちら見つめるその碧眼には、そんなネガティブな自分を映したくなくて。
リューンはいつも一人ですべてを抱え込んだ。
だからだろうか、イオルドがこうして二年越しに追いかけてきてくれたのは。
だとしたら、必死に見栄を張っていたあの頃の自分がむくわれるな、とリューンはぼんやりと思考した。
「でもな、俺はリューンのことは尊敬してる」
「は?」
まさかのイオルドからの『尊敬』の言葉に、あんぐりとリューンの口が開いた。
イオルドはあまりにも強く、その強さゆえに傲慢な部分があった。それが許される存在だった。
つまり、イオルドが他者を尊敬している姿など、リューンは見たことがなかった。
「なんで私なんか」
「リューンの補助魔法、俺には絶対できないから。どれだけ極めてやろうと思って、もしも俺が必死に修練したとしても、リューンの域には達しない」
「いやいや」
「人生でそんなことを思った相手は、リューンだけだ」
大きく拒否をするように首を振ったリューンに、イオルドは「だからそうやって、自分を卑下するのはやめてくれ」と、圧をかけるようにじっと見つめた。
「だって、でも……」
軍人時代、リューンは使い勝手の悪い駒として、かなり持て余されていた。
戦場では二人一組で動くのが基本。しかし補助魔法をかけ終われば、リューンはただのお荷物と貸す。死なないように必死で逃げ回るくらいしかできない、そんなリューンと組みたがる人間はいなかった。
ただ一人、イオルドを除いて。
イオルドだけは、リューンの補助魔法を『お前は最高だ!』と、べた褒めし、実際どんな魔物もなぎ倒し、リューンのところに危険を近づけさえしなかった。
『俺はリューンと組みたい』と、常に上官に訴え続け、イオルドと組みたい人間は山ほどいたというのに、彼はいつもリューンを相棒に選んでくれた。
「俺はリューンの魔法があれば、なんだって一人で倒せた。俺はリューンに攻撃力は求めない。昔だって、そうやって二人で戦って、うまくいってた。何も知らない外野がゴチャゴチャうるさかっただけだ。……シンプルに考えてくれ。俺たち二人の間に、何か問題があったか?」
そう言い切ったイオルドは、苦虫をかみつぶしたような顔をして「俺の階級も上がった、今度はリューンを傍から離さないだけの権限もある」と、過去を悔やむようなことを口走る。
後悔、というのもまた、イオルドにはない感情だと思っていたリューンは、驚きに目を見開いた。
「イオでも、過去を悔やんだりするんですね」
「するさ。俺も人間だ」
「……どうして私なんですか?」
「どうしてわからない? リューンの魔法は最高だって!」
イオルドはふっと目力を緩めると、少し微笑んで「まあいい」と、小さく囁くように口にした。
「少し考えてくれ。しばらくこの村に逗留しようと思っているから」
「考えても、変わりませんよ」
「変わるさ。俺が毎日説得に来るからな」
イオルドは立ち上がった。
机に投げ出された、お土産の入っていた革袋を指さして「明日、それ取りに来るから」と、ドアへと向かう。その背中にリューンが声を上げた。
「今持って帰ればいいじゃないですか!」
「明日来る、朝からな。リューンの飯が食べたい」
「何時に来るつもりですかっ」
イオルドが、声を上げて笑う。
「起きて身支度ができたらすぐだ。リューンが寝てたら外で待つ。筋トレでもしてるから、ゆっくり寝てていいぞ」
そんなことを言われて、ゆっくり寝ていられる人間がいるものかと、リューンはイオルドが出て行った扉をにらみつけるのだった。




