第三章 獄
佐原は天領である。そこで犯した罪は幕府によって裁かれる。
継次は捕縛されると、そのまま江戸は辰の口評定所へ送られた。押し借りについての審理を受ける為だ。
幾度も重ねられる吟味。口書が作られ、やがてそれに爪印を押す。それで終わりではない。刑が定められるには奉行の審理を待たなければならない。
花吹雪の春が往き、蝉時雨の夏が過ぎ、風儚き秋が深まり、暦が巡っていく。
養子に入った下村家とは、妻の死を境に縁を切った。
ひとり息子を託した下村家に、連座の魔手が伸びることはないだろう。幼い子供の柔らかな頬の感触と汗のすえた甘い匂い。
あと三年もすれば下村家の嫡男として元服を迎える齢に達する。父親としての務めはなにも果たせなかった。
思い起こすのは、父親を見上げる幼い仕草や抱き上げた腕に眠る重さばかり。
妻に逝かれた時期が、あまりに若く、
現実を容易に受け止めることができずにいた継次は、尊王攘夷の活動に身を投じることでなんとか心の均衡を保っていた。天狗組は継次にとって逃げ場だった。
息子に会わずに十年が経つ。
牢の中に居ると、失くしたものや捨ててきたものを思い出し、鬱々としてしまうのだった。
やがて江戸での審理は終わり身柄は水戸藩へ引き渡される事になった。
江戸での幽閉生活は持ち込んだ金がものをいい、さしたる不自由もなく過ぎて行ったが、
水戸細谷の獄ではそれは通用しない。扱いは士分以下。獄中の生活は過酷を極めた。
継次を匿った芹沢家は閉門。当主の次兄は蟄居を命じられた。父親から叩き込まれた尊王攘夷の思想は次兄にも強く根差し、それくらいのことは受けてたつ家風だ。継次はその家風に支えられていた。そして感謝した。
東禅寺イギリス公使館襲撃は予定通り決行され、天狗組への弾圧はますます激しいものになった。
残った者達の希望は暗澹たる港から船出したまま未だ流浪している。
何も届かない。俺の声も魂も、この獄から外へでることはない。
継次らが捕縛される前に自首していた天狗組の最高幹部大津彦五郎は水府の卑怯なやり方に憤怒し、自ら食を断ち餓死した。
自首と引き換えに追随した者を許すという約束だった。が約束はいとも簡単に反故にされた。
天狗組の主だった者が次々と捕縛される現実を憤った、
それは凄まじい意志だった。
--俺には何ができる。
やり場のない思いが、継次をつき動かした。
意識が蒼白になる。
気付くと継次は自分の薬指の肉を食いちぎっていた。ブチリと鈍い音を発て、魅き千切られた肉の断片から朱黒い血液がゆっくり溢れ指を伝い掌に溜まる。
疼きの中から熱い哀悼と激しい憤りの歌が生まれた。
雪霜に
色よく花の
咲きかけて
散りても後に
匂ふ梅が香
白い懐紙に書かれた血文字は、静かな叫び声を発し獄の闇に沈んでいった。
引き回しの上暫罪極刑が与えられた。しかしそれには及ばない。すでに体力は限界にきている。彦五郎のように食を断てばあっという間に死の谷へと転がり落ちて行くだろう。
怖くはない。すでに盟友達がそこでまっている。
彦五郎の死への強い哀悼の念が極まり、継次も食を断った。
冷たい壁にもたれ、静かに死の時を待つ。目を閉じたまま、乾いた唇を舐めた。
やがて幻覚が始まる。どういう訳かいつも兄の姿が見えた。
迎えに来たのだろうかとはじめは思った。しかしそうではないらしい。兄は優しい頬笑みを浮かべ語りかける。
「玄太。」
継次を幼名で呼ぶ。
「蒼い闇を行け。その先にお前が望む夜明けがある。怯むな。お前のその激しさで、乗り越えていけ。」
そして継次の頭をなでる。
兄よ。俺は、あんたの齢をやがて越えようとしている。そして今、あんたは俺になにを託そうとしている。
これは子供の頃から兄によって貼り付けられた意識だ。呪縛のように現れては消え、俺の背中を押していく。
妻を亡くし鬱々とした日々を送っていた時も背中を押したのは、あんたの言葉だった。
乗り越えていけ。
今はまだ死の時ではないのか。俺に生きろと言うのか。得体の知れない時代の渦の中を導も持たない俺にどうやって泳ぎきれと。
継次は、幻覚に苦悩した。果てしのない苦悩だった。
しかしやがて幻覚すら見なくなった。
生き長らえている苦痛だけが続いている。
そうしているうちに藩政がまたしも翻った。尊穣激派の武田耕雲斎が家老職に復帰し、穏健派は一掃された。幕府も弱体化し、安政の大獄で囚われた政治犯は朝意により赦免された。
継次は自分の刑罰が引き回しの上暫罪から牢屋敷内での暫首晒首に変わったことを知る。
処遇が一段階上になった。とはいえ継次にとっては何も変わらない。死期を待つことにはかわりはないのだ。
しかし二年にも及ぼうとする幽閉生活は、晴天の霹靂の如く終りを迎えた。
武田耕雲斎の助命嘆願が功を奏した。と思いたかったが、様子が少し違うようだ。
幕府が内々に準備を進めている浪士組の設立に参加せよというのだ。そうすれば無事釈放それ以降おかまいなしの身上となる。
芹沢家の閉門も、兄の蟄居も不問になるというのだ。
将軍上洛の警護という目的のため、浪士組は募られる。が、それは名目上のこと。
実際のところ、暗躍する尊穣激派の浪士達の活動を掌握できず、幕府の政策は足踏み状態だ。なんとかしてこれを掌握したい。それには主だった浪士を幕府方に取り込む必要があった。そして攘夷を唱える浪士達を取り込むことで朝廷への対面を繕い、薩摩、長州、土佐の動きを封じこめようというのだ。
真っ先に名前が上がったのが清河八郎だ。
何故、清河八郎なのか。浪士組募集に向けての幕府側中心人物である山岡撤舟と八郎は剣術の同門である。顔見知り以上の関係だ。最初からふたりの間で密かに策が練られていた。
幕府の思惑は利用された。
そして未だ釈放に至らない天狗組激派の継次ら数名の名が清河八郎の思惑という名簿に書き連ねられた。
幻覚の中で亡き兄が示唆していたのはこのことなのか。継次は、納得した。ならば行かねばならないだろう。
思惑はもうひとつ。将軍の上洛に伴い水戸藩主徳川慶篤も上洛する。激派の藩士がこれに随行する。士分でない継次らは随行が許されないので浪士組として先に上洛して欲しいというのである。
これが水戸藩家老武田耕雲斎の脳裏にあるもうひとつの思惑だ。
有能な幹部を次々と亡くした天狗組玉造勢は今、藤田東湖の四男小四郎を総領に迎え新たな時を刻もうとしていた。
士分である小四郎は、藩主に随行して上洛する手筈になっている。継次らは、浪士組参加を隠れ蓑に、別動隊として上洛し彼らと供に水戸藩と薩長間を周旋せよ。
「これは藩命と思ってくれてよい。」
耕雲斎はにべもなく告げた。否応なしということなのだろう。
「以降おかまいなしか。」
芹沢家の閉門もこれで解ける。
自分の事はともかく、芹沢家のことを考えると承知せざるを得ない。芹沢家を人質に取られている。
耕雲斎も悪知恵が働く。継次は藁ってしまった。おそらく藤田小四郎も巧く耕雲斎に乗せられているのだろう。考えることはなかった。継次には異存はない。
もう天狗組も以前とは違う。時は同じように流れ、熱い思いは同じはずなのに、いつの間にか色が違っている。空白は継次の中で埋めようのない隙間となって広がっていった。
継次はすでに自分の物ではない命を懐に抱え獄を出た。文久二年十二月十八日のことであった。