第10話 出会い(2008年)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
慎吾のスピリチュアル事件簿 シーズン2
「アマデウスの謎」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前回までのあらすじ
2012年12月。
リナの携帯に、妹を誘拐したという電話が届く。リナは、1つ年下の後輩・慎吾と共に実家に戻った。
誘拐犯は身代金として1億を要求。
警視庁から2人の捜査官、後藤と藤岡が訪れ捜査を始めた。
リナの母親に届いたメールがこの事件の鍵を握るとよんだリナだが、そこから情報を引き出せずにいた。慎吾はそのメールを見て、これは暗号だと指摘する。
そして話は4年前・・・。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
第10話 出会い(2008年)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
2008年7月。
「その話、本当・・・ なんだな?」
「えぇ・・・ くわしくは調査中ですが・・・」
とある一室。2人の男が神妙な面持ちで会話をしている。
「我々はあなたに大きな借りがある。
今度は我々があなたを助ける番です」
青い眼をした男は、目の前に座っている黒縁眼鏡の男に語った。
「ふむ・・・」
眼鏡の男は深いため息の後、しばらく悩む表情を見せる。1分ほど経った頃、ゆっくりと口を開いた。
「君に・・・ 頼むしかあるまい・・・」
「任せてください。必ずや・・・」
リリリリリーン・・・
ふと机の上の電話が鳴り響く。眼鏡の男は受話器を手にした。
「私だ。どうした?」
「旦那様。警備担当の募集を見た安田という男が面接に・・・」
「わかった。美也さん、5分後にこちらへよこしてくれ」
「承知しました」
静かに電話を切る姿を見ながら、青い眼の男は静かに席を立つ。
「では・・・ お嬢さんに会うのを楽しみにしています」
男は笑顔を見せながら、部屋を後にした。
・・・ ・・・。
2008年8月4日(月)昼過ぎ。
リナ「ごちそうさま。美味しかった~」
15歳の羽鳥リナは、ひばりヶ丘にある自宅で昼食を食べ終えたところだった。
新城「お粗末様です」
長年羽鳥家で家政婦を務めている新城美也は、笑いながら皿を片付け始める。
新城「リナお嬢様。今日は1時からピアノのレッスンですよ」
時計は12時半をさしていた。
リナ「わかってる」
時計をちらりと見たリナ。食卓を離れ、2階の自分の部屋へ向かうため階段を上って行く。胸元まで伸びたセミロングの髪が階段を上がっていく度、上品に跳ねた。
勢いよく階段を上り始めたリナだったが、上り切る前にピタリと足を止める。
リナ「・・・ ・・・」
何かの違和感を感じた。
リナ「ピアノ・・・?」
意識を集中すると、違和感の正体がかすかに聞こえる小さなピアノの音だと気づく。リナは再び階段を下り、1階奥のピアノ部屋へと歩いて行った。
リナは週2回、自宅のピアノ室でレッスンを受けている。
学校のある日は放課後にレッスンがあるのだが、今は夏休み。
いつもなら午後1時に先生が来るのはずだ。
(リナ「まだ12時半だけど・・・」)
閉まっていたピアノ室の防音扉を静かに開くと・・・
こちらに背中を向けた何者かが、グランドピアノを弾いている姿があった。
黒くて短めの髪、細身ではあるが性別は明らかに男。いつもレッスンを受けている先生とは全くの別人だ。
(リナ「誰・・・?」)
見知らぬ男が勝手にピアノを弾いている姿に、警戒するリナ。
時折訪れる客の誰かが、勝手にピアノを弾いているのだと思い込んだ。
そして防音扉が開け放たれた事で、男の弾いている曲が何かを知る。
(リナ「月光・・・」)
男が奏でるピアノの音色は、リナの心に静かに入り込んできた。
(リナ「すごい・・・。何てステキな演奏・・・」)
男の正体を突きとめるよりも、その美しい旋律を聴いていたい・・・
リナは何も言わず、ただ静かに聞き耳をたてた。
しばらくして男は月光の第1楽章を弾き終える。すると静かに手を膝の上に置き、背中を向けたままリナに声をかけた。
男「拍手は?」
その透き通った声は月光同様、リナの体にすーっと入ってくる。
リナ「 ・・・ え? わ、私? 」
リナは思わず聞き返した。男は座ったまま、くるりと身を反転させリナの目を見つめる。
男「君しかいないだろ? 俺のピアノを聴いていたのは」
線の細い端整な顔立ち。黒い髪にはミスマッチに見える青い瞳。遠くを見るようなその眼は、吸い込まれそうな程深い青色をしていた。
見つめられたリナは「はっ」と息をのむ。
リナ「え、あ・・・ とっても素晴らしい演奏でした・・・はい」
声を絞り出したリナは小さな拍手をした。
男「本気で言ってる? 棒読みなんだけど・・・ 社交辞令ってヤツ?」
リナ「そ、そんな・・・ あんなにステキな月光、初めて聴いたわ。
ホントに聴き入っちゃった」
リナは思った事を正直に口にする。
男「そうかそうか。そんなにステキなムーンライトソナァタか。
ま、そりゃそうだろ。だって俺・・・」
男はリナを思いっきり睨み付けたかと思うと、両手で髪の毛をくしゃくしゃに逆立てた。そして左の眉を思いっきりつり上げ、しゃがれ声を出す。
男「だって俺。ベートーベンだから!」
男はそのまま、じっとリナを睨み付けた。リナはただポカンと、男を見つめる。
2人の間にしばらく沈黙の時が流れた。
男「・・・ ・・・」
その沈黙に耐えられなくなったのは男の方。表情を元に戻し口を開く。
男「参ったね・・・。
【ベートーベン違うし!】ぐらいのツッコミは欲しかったな・・・
これじゃ俺、タダの危ない人じゃん」
男はポリポリと頭をかきながら、未だポカンとしてるリナに笑顔を見せた。
男「My name is Hiro. Hiro Hargreaves.
Nice to meet you!」
(「俺の名前はヒロ。ヒロ・ハーグリーブス。よろしく」)
そういうと男は3m先に立っているリナに向けて、握手を要求するように右手を差し出した。
ポカンとしていたリナは眉をひそめる。
リナ「ふ・・・ Who are you?」
(「だ、誰?」)
思わず口から出た言葉だった。男は差し出した右手をゆっくり頭にもっていき、再度頭をかいた。
ヒロ「いや、だから・・・ヒロって言ったよ。それに日本語で通じるから。
父イギリス人、母日本人のハーフなんだ」
リナの眉間には、さらにしわが増える。
リナ「・・・ ・・・」
ヒロ「あ、いや、だから・・・ 俺、君のティーチャァ。ピアァノのね。
今日から君をレッスンするヒロ・ハーグリーブス。理解した?」
ヒロは両手を左右に広げるジェスチャーをしてリナに説明した。
少しずつ状況をのみこめてきたリナが口を開く。
リナ「え・・・? えっと・・・ 深田先生は?」
ヒロは小さく首をかしげた。
ヒロ「あれ? 聞いてない? ミズ深田は腰痛でしばらく休むって。
俺は彼女が復帰するまでの代役さ」
ようやく事態を把握したリナが、3度ほど縦に首をふった。
リナ「あー・・・ 確かにここ最近ずっと腰が痛いって・・・。
えっと・・・ ピアノの先生? 私の? でも若い・・・」
ヒロ「はっはー! 若く見える? ギリギリ20代なんだけどね。
25歳でも通じるかな? 嬉しいね~」
ヒロはにこやかに笑った後席を立ち、リナの元へ歩み寄ると再び右手を差し出した。
男「My name is Hiro. Hiro Hargreaves.
Nice to meet you!」
(「俺の名前はヒロ。ヒロ・ハーグリーブス。よろしく」)
リナは緊張しながら、ヒロの右手を握る。
リナ「ま、マイネームイズ・・・リナ・ハドリ・・・。
ナ、ナイストゥミーチュー・・・トゥ・・・」
ヒロはリナの右手を力強く握り、上下に3度ふった。
ヒロ「英語は緊張するかな?」
リナは照れ笑いを浮かべながら小さく頷く。
リナ「は、はい・・・ 英語、とっても苦手なんです・・・。
数学はけっこう好きなんですけど」
ヒロ「OK! 数学が出来るのはいい事さ。
これからはなるべく日本語で話すようにするよ」
リナ「あ・・・は、はい。お願いします。ヒロ先生」
ようやく笑顔を見せてくれたリナに、ヒロは早速指示を出す。
ヒロ「じゃぁ早速・・・行ってみようかな。
ミズ深田からは、君の事をあまり聞いてなくてね。
手始めに何か弾いてみてくれないか? 君の実力を知りたい」
リナ「え、あ・・・? い、今ですか?」
ヒロ「オフコース。それとも予定通りジャスト1時からにするかい?」
一瞬迷いを見せたリナだが、初対面の先生に対して失礼にならないよう
リナ「いえ! 弾きます!」
と、声をかけてピアノの前の椅子に静かに座った。
リナ「えっと・・ 何を弾きましょう・・・?」
ヒロは小さな腰掛けをリナの斜め後ろに置いてゆっくり座る。そして腕組みをしながら声をかけた。
ヒロ「弾きたい曲。君が好きな曲でも、得意な曲でも、あえて苦手な曲でも。
ただしタイトルは言わないで。俺があてるから」
逡巡した後、リナは応える。
リナ「わかりました。では・・・」
す~っと深呼吸をしたリナは、鍵盤の前に両手を静かに置いた。そして・・・
タン タ~ン タンタタ~ン ・・・
ゆっくりと演奏し始めた。直後背後で、ドサッという大きな音が聞こえた。
慌てて演奏を止めたリナが振り返ると、ヒロが小さな椅子から落ちたように床に伏せっていた。
リナ「あ、あの・・・ 大丈夫ですか?」
ヒロは腕組みをしたまま、地面に横になった状態で固まっている。
ヒロ「・・・ ・・・」
しばらくしてゆっくりと起き上がり、再度腰掛けた。
ヒロ「いや・・・ トロイメライのアレンジかと思ったけど・・・
まさか出会って3分で【別れの曲】とはね。
君もやるじゃないか」
ヒロは苦笑いを見せる。リナは先ほどとは違う意味で「はっ」とした。
リナ「あ、いえ・・・。初対面で【別れの曲】は・・確かに失礼でした。
でも、そんなつもりじゃなかったんです」
間髪入れずにヒロが質問を入れる。
ヒロ「じゃぁ、どんなつもりだったのかな?」
リナ「えっと・・・」
一瞬言葉に詰まったものの、すぐに自分の考えをまとめて口にした。
リナ「この曲、とても優しい音色で・・・。とても好きな曲なんです。
へたくそだけど・・・ それでも先生にも聴いてもらいたいなって」
ヒロはその言葉を聞いてニコッと笑う。
ヒロ「そうか。そうだと思ったよ。俺がコケたのは気にしなくていいよ。
俺は友人の結婚式でそれを弾いた事があるからね。ははは。
是非、君の【別れの曲】を聴かせてくれ」
そう言うとヒロは背筋を伸ばし、再び腕組みをした。
リナ「はい・・・」
選曲をミスったかなと思いつつ、気を取り直したリナは自分の大好きなショパン【別れの曲】を弾き始める。
ヒロは腕組みをしたまま目を閉じて、リナの奏でるショパンを体全体で聴いた。技術的には楽譜通り弾けてないところが多く、音も未熟だし音とびもある。
それに本来のショパンのスピードについていけない部分も多々あった。それでもヒロはリナの演奏に心酔した。
数分後、ところどころ音がひっかかりながらもリナは演奏を終えた。
ヒロは立ち上がり、大げさな拍手をする。
ヒロ「エクセレン! リナ! 素晴らしい演奏だった!」
ヒロの賛辞の言葉は、リナにとって正直心苦しかった。
いっぱいミスもしたし、音とびもたくさんあったのはわかっている。
きっと先生は、生徒を褒めて伸ばすタイプなんだとリナは思った。
リナ「あ・・・ でも、ホントにへたくそで・・・ すいません」
ヒロ「オー・・・日本人はすぐ謝る。それは悪い癖だと思うけどな。
俺はホントに素晴らしいと思ったからこそ褒めたんだよ」
リナ「でも・・・ コンクールに出る人たちの演奏を聴いたら・・・
私の演奏なんて・・・」
ヒロ「OK! じゃぁ、もう1度君に質問するよ。
君は何故、この曲を俺に聴かせたのかな?
変な先生と別れたいから?」
即座にリナは否定する。
リナ「そんな事はないです! この曲は・・・
なんかとても優しくて、温かくて・・・
それでいて、何か強い思いを表現しているような・・・
そういうところが私、大好きなんです」
ヒロは満面の笑みを浮かべた。
ヒロ「素晴らしい意見だ。では教えてあげよう。
この曲を【別れの曲】と言ってるのは日本人だけなんだよ」
リナ「え? そ、そうなんですか・・・?」
リナは驚いた表情を見せる。
ヒロ「あぁ。俺も日本で初めてそれを弾いた時、【別れの曲】だと言われてね。
びっくりして調べたら、勝手に日本人がそう名付けたと知ったのさ。
日本以外じゃ、これを結婚式に演奏するのも珍しくはない」
リナ「じゃぁこの曲・・・
ショパンは【別れ】のつもりで作曲したんじゃないんですね?」
ヒロ「その通り! ショパン自身
【こんな美しい旋律は、2度と見つけられないだろう】
と言ってるぐらいだ。君はショパンと同じ気持ちになっていたんだよ」
リナは大きく深呼吸をした。
リナ「うん・・・この曲が別れの曲って・・・
小さい頃からおかしいとおもってたんです、私」
大好きな曲が別れをイメージした曲ではなかったと初めて知ったリナは、とても嬉しそうな表情を浮かべる。
ヒロ「いいかい? ピアニストには2通りある」
ヒロはリナにVサインを見せた。
ヒロ「1つは、スコア通り完璧に演奏して、音を忠実に再現するタイプ。
そして・・・
もう1つは、コンポーザーの魂に触れて演奏するタイプだ」
※スコア = 楽譜 ※コンポーザー = 作曲家
リナ「た、魂・・・?」
ヒロ「あぁ。ショパンやベートーベン、モーツァルトにバッハ・・・
彼等は名曲と呼ばれる作品を無から生み出したわけじゃない。
彼等の生い立ちや境遇、そして苦悩や葛藤、怒りや愛・・・
それらの思いの中から、彼等は旋律を生み出していったんだ」
真剣な眼差しでリナに身振り手振りも交えて語るヒロ。
ヒロ「ごく一部のピアニストは・・・。
スコアよりも彼等の魂に近づこうとする演奏をする」
ヒロはピアノの鍵盤を1つ叩いて音を響かせた。
ヒロ「時にその旋律は共感をよび、人々に感動をもたらすものなのさ。
君の別れの曲は確かに未熟だ。
しかしショパンが感じたものを表現しようと、彼の魂に近づいていた」
リナの目を見つめながら、ヒロは語り続ける。
ヒロ「だからエクセレンと言ったんだ。
お世辞でもなんでもない、俺は心からそう思ったんだ」
熱く語るヒロだが、リナは彼の言う事の半分も理解はしていない。ただ、すごく褒められたようだと感じていた。
リナ「あ、ありがとうございます・・・」
照れながら頭を下げる。
ヒロ「その曲は難易度最高の【F】だからね。
完璧にマスターしたらどんな風になるんだろう」
暖かい視線をリナに送るヒロ。リナは視線をそらしながら苦笑いを見せた。
ヒロ「よし! じゃぁ今度は俺の番だ! 何かリクエストあるかい?
ティーチャァとしての腕前を、生徒に見せつけておかないとな」
子供のようにな笑顔をリナに見せる。
リナ「あ・・・ じゃぁ・・・」
リクエストしたい曲は決まっていた。
リナ「さっきの・・・月光。ベートーベンの月光を、もう1度聴きたいです」
ヒロ「え・・・?」
反射的に暗い表情を見せたが、ヒロはすぐ笑顔に戻る。
ヒロ「OK! 我こそはルートヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン!
ムーンライトソナァタを弾いてしんぜよう」
先ほどと同じ、しかめっ面を見せたヒロ。
ヒロがベートーベンの物真似をしているんだと、リナはこの時気づいた。
「ソナタ」のアクセントが気になりつつもヒロの真横に立つ。
さっきは背中越しにステキな旋律を聴いたが、今度は間近でその演奏も見られるとウキウキした。
リナ「確かこの曲・・・。
盲目の少女のためにベートーベンが即興で作ったんですよね?
ステキな話だわ・・・」
ヒロはちらりとリナの方を見る。
ヒロ「It's wrong.」
(違うよ)
リナ「え?」
リナの言葉をかきけすようにヒロは重低音の音を奏で始めた。
(ヒロ「月光か・・・。ベートーベンだけに・・・
何かの運命を感じるな・・・」)
直感的に嫌な予感をもちながらも、ヒロは少しずつベートーベンの魂に近づいていく。
ヒロ「・・・ ・・・」
ヒロは、この曲がどのようにして生まれたのかをよく知っていた。
この曲こそ・・・
愛する者に別れを決意したベートーベン・・・その魂が生み出した旋律だという事を。
(第11話へ続く)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
次回予告
新しいピアノ講師のヒロは、リナにとって今まで見た事のない新鮮な先生だった。いつしかリナは恋心を抱くようになる。
その頃、リナの父親は画期的なセキュリティソフトを開発し、ロンドンにいる妻の瞳とその販売に向けて慌ただしく動いていた。
次回 「 第11話 初 恋 (2008年) 」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~