第23章:嫉妬心
先生のライブに同行する権利を強引にもぎ取ったなるかは、当日、車で迎えに来てもらい初めてのライブハウスへ足を踏み入れる。しかし、そこで待ち受けていたのは、圧倒的な透明感を放つ共演者の女性シンガー・村沢玲奈だった。
「女性」という二文字が、夜の冷たい空気のなかに不意に響いた瞬間、私のなかの小さなガラス瓶が音を立てて割れた。胸の底からドス黒い澱のようなものが一気にせり上がってきて、私の喉の粘膜を焼いた。
「へえ……そうなんだ」
「えっ……何そのめちゃくちゃドライな返事。怖っ」
「別にー?」
「いや、絶対機嫌悪くなってるじゃん」
頭では「子供っぽいからやめろ」と冷ややかな理性がブレーキを踏もうとするのに、拗ねたトーンは勝手に声のトーンを落とし、私の口の端を引き攣らせた。そんな自分の分かりやすさが少しだけ恥ずかしくて、私はわざと顔を背けた。
「ねえ、せんせ。そのライブ、私も観に行きたい」
「ん? ああ、別に構わないけどさ……。まあ、なるかも最近ウクレレとか触ってるし、色んな音楽に触れるのはいい勉強になるだろ」
「やった! 決まりね!」
不機嫌の理由にはあえて触れさせないまま、私は強引にその予定をもぎ取った。女性シンガーの名前なんてどうでもいい。そのステージのいちばん近くで、あの人の視線を独り占めするのは私だという既成事実さえ作れれば、それだけで今の私にとっては百点満点の勝利だった。
先生の演奏当日。驚いたことに、先生は私の自宅近くの寂れたコンビニの駐車場まで、わざわざ車で迎えに来てくれていた。
「お待たせ!」
爽やかな朝の光みたいな顔をしてハンドルを叩く先生に、私はこそばゆい笑みを返して助手席に滑り込む。
「せんせ、今日はどこでやるの?」
「今日はね、新谷戸駅の近くにある『Magic Bird』ってライブハウスだよ」
ライブハウス。不良か、あるいは一握りの選ばれた人間しか足を踏み入れないような、私のこれまでの人生で最も縁遠かったその単語に、私は少しだけ身構えた。
「へえ……ライブハウスか。私、行ったことない!」
「だろうね。まあ、自分で楽器やってるか、相当な音楽ファンじゃないとなかなか来ない世界だわな」
車は渋滞の車列をすり抜けながら、一時間ほどで新谷戸駅の裏手にある薄汚れたビルの地下へと私たちを運んだ。
「お疲れ様です!」
車を降りるなり、先生は慣れた手つきで重い防音扉を押し開き、ライブハウスの薄暗いフロアに足を踏み入れた。私もその後ろを、ひよこのような顔をしてこぢんまりとついていく。
「あ、今日はちょっと弟子を連れてきてまして」
スタッフの若い男が「お疲れ様です!」と振り返り、私に気さくな笑顔を向けた。
ステージの上には、まだ客の入っていないガランとしたフロアを見下ろすように、リハーサルの準備をすすめる一人の女性が座っていた。先生は自然な足取りでステージの淵に近づき、「お疲れ! 今日もよろしくね」と声をかける。
「あ、そうそう。今日は教え子の吉田なるかも同行してるんだよ」
私は慌てて背筋を伸ばし、ぎこちなく小さく頭を下げた。
「あ、そうなんだ! 初めまして、なるかさん。私、今日歌う村沢玲奈です」
その女性がふわりと振り返った瞬間、私の息が止まりそうになった。整った顔立ちという言葉だけでは片付けられない、ステージの照明が当たっていなくても肌そのものが発光しているような、圧倒的な透明感と自信。飲み込まれてしまいそうになるほどの光を放つその人に、私は反射的に目を細めた。
「……初めまして。吉田なるかです」
精一杯、愛想よく明るい声を絞り出したつもりだったけれど、今の私の声はちゃんとあの人に届いただろうか。




