コワモテ騎士団長が「おっぱいを揉ませてくれ」と言ってきたので、平手打ちしようとしたところ
この物語はフィクションです。深く考えずにお読みください。
また、身体的な接触は、必ず双方の合意のもとで行ってください。
「君のおっぱいに触れてもいいだろうか?」
いったい誰がそのようなことを言ったのだろうかと、フィオレンは耳を疑い、金色のまつげの間から青い瞳をこらす。
「すみません。団長は今、なんとおっしゃいましたか?」
フィオレンは目の前の男を、ふと見上げる。彼は騎士団長をつとめ、フィオレンの上司でもあるガイウス・アークレン。アークレン伯爵の嫡男でもあり、由緒ある家柄の男だ。
その彼の口から「おっぱい」という単語が聞こえたような気がする。
「おっぱいに触れてもいいだろうかと……いや、それよりも、おっぱいを揉んでもいいだろうか?」
「団長……」
フィオレンはすっと右足を引いて、右手を振り上げる。
「歯を食いしばってください!」
* * *
フィオレンはミエール子爵家の第一子として生を受けた。金糸のような髪も澄みきった湖を思わせる青い瞳も、父親のミエール子爵から受け継いだもので、そっくりの父娘とよく言われている。また、五歳年下の弟も見目はフィオレンによく似ており、彼は今、学園に通って勉学に励んでいた。
両親の仲もよく、幸せを絵に描いたような家族に見えるが、ミエール子爵家には一つだけ問題があった。
それは貧乏だということ。
いろいろあって領地が損害を受け、国からの援助を受けて再建中なのだ。
とにかく何かと入り用で、弟の学費は苦しいかもしれないとぼやいた両親を助けたく、フィオレンは学園を卒業した年に騎士団への入団を決めた。
そこからがむしゃらに剣を振るって鍛錬に励み、二十歳になった今は、貴重な女性騎士として重宝されている。騎士団からの報奨は実家に送って、弟の学費の足しにしてもらっていたが、さすがにあのときから数年経てば、領地のほうも落ち着いた。
家のために騎士団で仕事をしているフィオレンを、両親が気にしているのはわかっている。
たまにやりとりをする手紙では「そろそろ騎士団を辞めてはどうだろうか」「そろそろ家に戻ってこないか」「そろそろ結婚を考えてはどうだろうか」と、年頃の娘を心配する文章が並んでいた。
この国では二十代で結婚する者が多く、結婚にまだ焦るような年齢ではないものの、フィオレンもまた騎士団を辞めようかどうしようかと悩んでいたのも事実。
ミエール子爵家が、国への借金を返し終えたのは一年前。そのときから家に戻ってきてはどうか、という連絡が続いているのは、借金も返し終えたし、何もフィオレンがお金を稼がなくてもいい状況になったためである。
それでも騎士団を辞めると即決できなかったのは、騎士団に残りたいとフィオレン自身が強く願ったからだ。
目の保養、心のオアシスとかよく言うけれど、フィオレンにとってそれに該当する人物が騎士団の中にいて、まだ許されるのであれば、彼の近くで仕事をしたいと願う自分がいた。
騎士団に入団したばかりの頃、右も左もわからぬフィオレンにやさしく声をかけてくれたのが彼である。黒い髪は短く刈り上げられ、紫色の瞳は鋭く、さらに身体の大きな彼は男性騎士からも恐れられているように見えた。
だけどフィオレンに声をかけてくれたのは彼――ガイウスだけだった。当時はまだ騎士団長ではなく、それに次ぐ地位におり、主に若手騎士の指導にあたっていた。
女性が騎士団に入団するというのは珍しい。よっぽと剣技が好きか、よっぽど金に困っているかのどちらかと言われているなか、よっぽど金に困って騎士になる道を選ぶ女性はさらに少ない。数少ない剣技に優れた女性は要人の警護についており、新人騎士の訓練に付き合えるような時間はない。
となれば、男性騎士が新人の指導をするわけだが、小柄なフィオレンはすぐに辞めるだろうと思われていたのか、誰も気にしなかった。
そんななか、指導者の責任者でもあるガイウスだけがフィオレンを気にかけ、剣の持ち方から姿勢、そして体力作りなど、男性騎士と同じように扱ってくれつつも、その指導内容はフィオレンの身体にあったものだった。
そのおかげか、今ではフィオレンも要人の警護につくときもある。
それでもこうやって書類を山盛り運んでいるのは、フィオレンの尊敬するガイウスが、書類仕事がすこぶる苦手だというのが理由だ。
ガイウスを恐れない人間、ガイウスに対してずばずばものを言う人物として、騎士団長ガイウスの補佐官として任命されてしまった。
目の保養、心のオアシスと共に仕事ができる環境であれば、なおさら騎士団を辞めたくないと思うのも自然な流れだろう。
「失礼します、フィオレンです。来月の予算資料をお持ちしました」
扉を開けてガイウスの執務室に入ると、彼は執務席の前をぐるぐると歩き回っていた。
「団長、どうされました? もしかしてハムスターのように一日何キロ以上走らないと欲求不満になるとか?」
そう口にしたフィオレンだが、ガイウスにそんな本能があるとは知らなかった。新しい一面を知ることができて、心がきゅんと音を立てる。
「違う、俺にそんな本能はない!」
なかったのか……と、今度はフィオレンの心はガラガラと音を立てて崩れていく。
いや、それよりもまずは手にしている書類を渡すのが先だと、フィオレンは山のような書類を机の上にドン! と置いた。
「これ、明日までにお願いしますね」
「あ、うん。いや、それは……」としどろもどろになったガイウスは、「なんでこんなに問題ばかり」と額をおさえて項垂れる。
そもそも書類仕事は問題ではないとツッコミをいれたいフィオレンだったが、そう思いたくなるくらいの問題がガイウスに襲いかかっているのだろう。
「団長、何かあったんですか?」
声をかけてガイウスの話を聞くのもフィオレンの役目である。
入団当初、フィオレンを気にしなかった騎士団の彼らは、フィオレンが猛獣使いのようにガイウスと接するのを見て考えもあらためたようで、とにかくガイウスに何かさせるにはフィオレンに頼むのがいいと周知されている。
何より他の者では萎縮してガイウスとまともに話ができないし、彼と言葉を交わし「仕事をしろ!」と渇を入れられるのはフィオレンだけ。
「あぁ……実は、先日。王妃様主催のパーティーに出席したのだが……」
王妃様主催のパーティーとは、ある種のお見合いパーティーである。年頃の男女を招待し、出会いを促すパーティーなのだ。
フィオレンも招待を受け、着飾って参加してみたものの、着飾りすぎたせいか誰もフィオレンをフィオレンと認識してくれなかった。と同時に、知り合いにすら声をかけられないフィオレンは、壁の花になっていたのだ。
そのお見合いパーティーにガイウスも出席していたのは知っている。知っていたけれど、その場で彼に声をかけられなかったし、ガイウスもフィオレンがパーティーにいたことなど、まったく気がついていないらしい。
それはそれで仕方ない。ガイウスだけでなく、他の騎士団メンバーもフィオレンを認識してくれなかったのだから。
それだけ普段のフィオレンと装いが異なっていたということだ。
「そこで出会った女性が忘れられなくて……どうしたらものかと……」
ガイウスの告白に、フィオレンの胸が嫌な音を立てた。ギシギシと軋む床のような音が聞こえてくる。
「左様ですか。ですがあのパーティーは男女の出会いを促す場です。もし団長がその女性ともう一度会いたいというのであれば、王妃様にお願いするとよろしいかと。ただ、その後は団長の頑張り次第になりますけれど」
パーティーで意気投合した男女はそのままお付き合いをし、婚約、結婚という流れになる者も多いが、自分から気になった異性に声をかけられるという人間ばかりではない。気になったけれど自分からはちょっと……という控えめな者には、王妃が間を取り持ってくれる。
ただ王妃が取り持ってくれるのは、二人だけで言葉を交わせるような茶会のセッティングだけ。それ以降は自分で頑張りなさいと突き放すのは、王妃の権力によって二人がくっついたと思われないようにするためだとも聞いている。
「だが……名前を知らない」
ぐるぐる動き回っていたガイウスはピタリとその場に立ち止まり、片手で肘を押さえると、もう片方の手で額に触れる。
「相手の方の特徴を王妃様に伝えると、探していただけるかと……」
胸の奥が痛くなりつつも、フィオレンはできるだけ落ち着いた口調で伝えようとした。それでも心臓は大きく音を立てており、少しだけ呼吸が苦しい。
「特徴か……」
ぽつりと呟いたガイウスの手は額から顎へとうつる。
「実は……顔はよく覚えていない。ドレスの色は鮮やかな赤い色だったが……」
となれば、彼はどこを見てその女性に惹かれたのだろうか。
「彼女と再会したとき、本当にあのときの彼女であるかどうかを確認するためにはどうしたらいいのか……」
顎をつまんでいた彼の手はするりと落ちて、今度は腕組みをする。
先ほどからガイウスは何を悩んでいるのかと、次第に苛立ちも募ってくると同時に、目の保養と心のオアシスと別れるときが来たのだと、フィオレンは腹をくくった。
「とにかく、彼女の特徴を王妃様に伝えて、心当たりの令嬢と出会えるセッティングをお願いしたらどうですか?」
「だが、そうやって会ったとしても、本当にそのときの彼女かどうかがわからない。何より、顔をはっきり覚えていない」
フィオレンは、きゅっと頬の内側を噛みながら、ガイウスの話を聞いていた。そんな自信満々で言われても、言葉が出てこない。
「あぁ、だが一つだけ覚えていることがある。なぜかあのとき、彼女が気になって声をかけようとしたんだ」
ガイウスがそこまで女性に対して積極的な行動を取った事実に驚きを隠せないと共に、ガイウスの心を射止めた女性とはどういった人物なのかと、興味が湧いてきた。いや、嫉妬だ。
「だけど彼女はちょうどその場から離れようとしていたときで、何かの拍子につまづいて転びそうになったから、思わず手を出してしまった」
フィオレンの背筋に冷たい汗が、つつっと流れ落ちる感覚があった。
「そのとき彼女に触れた。だからもう一度触れれば、わかる!」
「どうやってその女性にお声がけをするつもりですか?」
荒波のように暴れていた心臓は、もうすでに凪いでいる。
「ふむ、そうだな……」
腕組みを解いたガイウスは、右手で顎に触れてからしばし考え込むように、視線を動かした。
「君のおっぱいに触れてもいいだろうか?」
「すみません。団長は今、なんとおっしゃいましたか?」
「おっぱいに触れてもいいだろうかと……いや、それよりも、おっぱいを揉んでもいいだろうか?」
この人は、初めて会うような女性に対して、なんてことを言うつもりなのか。失礼極まりないだろう。
いくら相手がガイウスとはいえ、許せる行為と許してはならない行為があり、今回の場合はもちろん後者である。
その言葉をかけられたらと想像したとき、怒りがふつふつと湧いてきて無意識のうちに右手を振り上げていた。
「団長……歯を食いしばってください!」
一気に右手を振り下ろしたフィオレンだが、ガイウスの動きのほうが早かった。右手は空を斬り、そのままフィオレンは勢いあまって倒れそうになったところを、ガイウスがしっかり抱きとめる。
だが、フィオレンの身体を支えるガイウスの様子がおかしい。いや、今日の彼はずっとおかしいままだが。
「フィオレン……? もしかしてあのときの彼女は、君なのか?」
ガイウスの右手は、フィオレンの胸に触れていた。いや触れていただけではない、もみもみもみと三回揉んだ。
「やはり……あのときの感触と相違ない」
さらに彼はもみもみと二回揉んだ。
「だ、団長……? あの……離していただけないでしょうか」
いったい、自分は何をされているのかと、フィオレンの頭の中は混乱している。
「あぁ……すまない。探し求めていた女性を見つけた喜びで、つい我を忘れてしまった」
そう言ったガイウスはフィオレンの身体を横抱きにすると、休憩用のソファの上にぽすんとおろした。
「団長……?」
「あのとき……パーティーで俺が抱きしめた女性はフィオレン、君だったんだな?」
ガイウスの話を聞いていたとき、フィオレンの脳内もカチリと何かが当てはまる感覚に陥った。
赤いドレスの女性、そしてガイウスが抱きとめた女性。そのどちらにも、フィオレンには覚えがあった。
「そう……かもしれないですね。私もあのパーティーに参加していましたから。でも、誰も私に気づきはしませんでしたけど」
少し自嘲気味に微笑むと、ガイウスも「すまない」と静かに謝罪の言葉を口にする。
「俺は、人の顔を覚えるのが苦手だ。特に女性に関しては、すべてが同じ人間に見える」
いきなりの告白にフィオレンは「ん?」と軽く首を傾げる。
「すべてが同じ人間というのは?」
「なんだろう……とにかく、人形のように同じ顔に見える。瞳の色の違いくらいはわかるが……わかるのはそれくらいで、とにかく同じ人間になるから、顔の善し悪しを自慢されても、俺にはさっぱりわからない」
「つまり、私の顔と王妃殿下の顔は同じように見えると?」
「そこなんだ」
ガイウスはずずいと顔を近づけてきた。
「フィオレン、君だけは他の女性と違う。その澄んだ青い瞳も、整った鼻も、愛らしい唇もわかる。だから、君を補佐官に任命したんだ。さすがに補佐官の顔を間違えたらいけないと思ってな」
てっきり恐れることなくガイウスにずばずばものを言うから、彼の補佐官に任命されたのだと思っていた。
「私が騎士団に入団したばかりのときに、私に声をかけてくれたのは?」
「そのときは、ただ君が不憫だったからだ。そして正直に言えば、あのときは君の顔もよくわからなかった。ただ他の者たちとも距離をとっている人物がいて、気になった」
「つまり仲間はずれにされていたから、私に声をかけた?」
「仲間はずれにされていたから、君だとわかった。あのときは君を君だと判断できる要素がそれしかなかった」
喜んでいいのか悲しんでいいのか微妙なところだ。
「だが、それから一年くらい経った頃だろうか……。なぜか、君の顔がはっきりわかるようになった」
そこは喜ぶべきだろうか。
むしろ、なぜ一年前に、フィオレンの顔だけはっきりわかるようになったのか。その理由を問いただしたいところだが。
「そして先日のパーティーで、君と同じように顔がわかる女性がいたんだ。声をかけようとしたら、その女性がなぜか倒れそうになって、俺が受け止めた。そのとき、たまたま胸に触れてしまった」
壁の花になっていたフィオレンだが、向こう側からガイウスがやってくるのがわかった。しかも彼はフィオレンに向かって真っすぐ歩いてきているではないか。
彼と話をしたいと思う反面、この姿を見られるのは恥ずかしいという気持ちもあった。だからその場から逃げようとしたのだが、慣れないドレス姿とヒールで、大きくバランスを崩した。
そのとき抱きとめてくれたのがガイウスだったが、まさかあのとき、胸を触られていたとは思ってもいなかった。
「助けていただきありがとうございます」とだけ告げ、さっさと会場から逃げ出したからだ。
「それで、パーティーで気になった女性がいると、王妃様に相談した。あのパーティーの主催者は王妃様だから、王妃様なら何かわかるんじゃないかと思って……。そして王妃様は、俺が人の顔を覚えるのが苦手だというのもわかっている」
宝石のように輝く紫眼がフィオレンを見下ろした。
フィオレンも同じように見返してみるが、その距離の近さに思わず喉をコクリと鳴らす。
「王妃様に、パーティーで出会った女性のおっぱいの感触しか覚えていないと正直に伝えた」
伝えたんだ、というのがフィオレンの率直な感想である。
「すると王妃様は、二の腕に触れるようにと言ってきた」
「なぜ?」
フィオレンは心の中で呟いたつもりだったのに、とうとう声に出てしまったらしい。
「どうやら二の腕とおっぱいの感触は同じらしい。だから二の腕に触れて、感触を確かめればいいと」
「団長は王妃様のおっぱい……ではなく、二の腕に触れたんですか?」
「国王陛下立ち合いのもと、触れてみた」
その状況を想像したら、フィオレンもその場に立ち合いたかった。いや、むしろ壁になって見守りたいところだ。
「何かわかったんですか?」
「あのときの女性のおっぱいの感触とは違うというのだけはわかった」
「それで、二の腕とおっぱいの感触は同じなんですか?」
「さすがに、それは確認できていない」
むしろそこを確認できなければ意味がないのでは? と思ったフィオレンだが、口にはしない。
きっと彼なりに悩み、相談したうえでの結果だったのだろう。それを許す国王と王妃は、さすが懐の広い人間である。
「となれば、やはり直接確認しなければならないと思った」
二の腕のやりとりは、まったくもって無意味だったというわけだ。
「それを王妃様に伝えたところ、フィオレンに相談するように言われた。フィオレンであれば、俺の最も近くにいる女性だから、俺のことをよく理解しているだろうと……」
なぜ王妃様がそう判断したのか、フィオレンにはまったく心当たりがない。いや、王妃はガイウスが人の顔を覚えるのが苦手だというのを知っていて、そのうえでフィオレンを指名したというのであれば――。
落ち着いたフィオレンの心臓が、再び暴れはじめた。
「だから、女性への声のかけ方を君に相談しようと思ったわけだが、まさか殴られそうになるとは思わなかった」
フィオレンは軽く空咳をする。
「団長、女性が下着で隠す場所は軽々しく触れていい場所ではありません。親しい仲でもない女性に対して、そこを触ってもいいかと尋ねるのは、変態以外の何者でもありません。わかりましたか?」
「すまない……あのときの女性を判別する方法が、そこしか思い浮かばなかった」
顔がわからないガイウスにとっては、そうなのかもしれないが、やはりダメなものはダメである。
「私以外の他の女性には、絶対にそんなことを言ってはダメです!」
フィオレンがずずいと顔を寄せてガイウスに訴えれば、彼は「ん?」と眉間に力を込めた。
「他の女性には言ってはダメということは、君だったら……?」
ガイウスに真面目に問い返されたフィオレンは、ふいっと顔を逸らすのだった。
【終わり】
主催者なので、王妃様はすべてお見通しだったというわけです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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それでは。




