婚約破棄されたので契約魔術を解除します。王国が機能停止したようですが、今さら戻れと言われてももう遅いです
「ルシア・ヴァレンティア。私は貴様との婚約を破棄する!」
王立学園の卒業記念パーティー。
大勢の貴族が見守る中、王太子ガルティス殿下は私を指差し、高らかにそう宣言した。
隣には、最近殿下の側にいることが多くなった伯爵令嬢が立っている。名前は確か、エミリアだっただろうか。殿下の腕に縋りつき、こちらを勝ち誇ったように見ている。
なるほど⋯⋯。そういうことか。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「白々しい! 貴様はエミリアを虐げ、王太子妃の座に相応しくない振る舞いを続けた!」
「身に覚えがありません」
「黙れ! エミリアがそう言っている!」
「そうですか」
私は一つ頷いた。
それ以上言うことは無かった。
きっと殿下は、私が泣いて縋ると思っていたのだろう。もしくは、必死に弁明して、自分の無実を訴えると思っていたのかもしれない。
残念ながら、その予定は無い。
「分かりました。婚約破棄を受け入れます」
「ふん。ようやく自分の罪を認めたか」
「罪は認めません。ただ、婚約破棄を受け入れるだけです」
「同じことだ!」
全然違う。⋯⋯のだけれど、説明するのも面倒だった。
私は魔法袋から一枚の書類を取り出し、殿下の前に差し出す。
「では、こちらに署名をお願いします」
「なんだこれは?」
「契約解除届です」
「契約解除届?」
殿下が眉をひそめる。
意味が分からない、という顔だった。
「王家とヴァレンティア家の婚約契約が破棄される以上、それに付随する全ての契約を解除する必要があります」
「何を言っている」
「事務手続きです」
「こんな場で出すものではないだろう!」
「殿下がこんな場で婚約破棄を宣言されたので」
私がそう答えると、周囲の貴族たちが小さくざわついた。
殿下の顔が少し赤くなる。
「貴様、私を馬鹿にしているのか!」
「いいえ。ただの手続きです」
私はもう一度、書類を差し出す。
「署名を」
「ふん。良いだろう。どうせくだらん契約だ」
ガルティス殿下は近くの机に置かれていたペンを取り、乱暴に署名した。
「これで満足か?」
「はい。ありがとうございます」
私は書類を受け取り、内容を確認する。
⋯⋯問題なく、王太子ガルティスの署名。王家側による契約破棄の意思表示。
これで条件は満たされた。
「では、只今をもって王家、王城、王都、王国騎士団、国境防衛隊、王都外壁、物流転移門、王立病院への契約魔術を全て解除します」
「は?」
ガルティス殿下が固まる。
私は右手を胸元に当て、静かに魔力を流す。
——契約解除。
心の中でそう呟くだけで、私が十五年間少しずつ張り巡らせてきた契約魔術が、音も無く解けていく。
王都を守る結界、騎士団の身体強化、王城の防御魔術、物流転移門の安定化、王立病院の治癒補助、国境防衛隊の魔力供給、エトセトラエトセトラ。王都を支えてきた数々の契約魔術。
全部、私の契約だった。⋯⋯でも、もう関係ない。
私は王家の婚約者ではなくなったのだから。
「それでは失礼します」
「待て!⋯⋯今、何をした!?」
「契約を解除しました」
「だから、何の契約だ!」
「説明は先ほどしました」
そう言って私は一礼し、会場を後にした。
背後でガルティス殿下が何か叫んでいたが、振り返ることは無かった。
◆
私、ルシア・ヴァレンティアは契約魔術師である。
契約魔術とは、対象と契約を結ぶことで、一定の効果を継続的に与える魔術のことだ。
例えば騎士と契約すれば、身体能力を向上させることが出来る。
王城と契約すれば、防御結界を安定させることが出来る。
病院と契約すれば、治癒魔術の効果を底上げすることが出来る。
ただし、契約魔術は万能ではない。
維持には膨大な魔力が必要だし、契約内容も細かく設定しなければならない。そもそも契約魔術を扱える者自体が少なく、その中でも複数契約を同時に維持できる者は数えるほどしか居ない。
私はその数少ない一人だった。
幼い頃から王太子の婚約者として育てられ、王国を支えるために契約魔術を学ばされた。
最初は騎士団の身体強化、次に王城の防御。その次は王都の結界。他にも物流転移門や王立病院、国境防衛隊など。
気付けば、私は王国中に契約を結んでいた。
けれど、それを知る者は少ない。
国王陛下と宰相、騎士団長、魔術院長。あとは一部の重臣くらいだ。
ガルティス殿下には教えられていなかった。
いずれ王位を継げば、正式に説明する予定だったらしい。
その前に婚約破棄されたので、もう説明する必要は無い。だから私は契約を解除した。当然のことだ。
◆
翌日、王都は少しだけ騒がしくなった。
王城の廊下に灯るはずの魔灯が、三割ほど消えた。
王立病院では、治癒魔術の効果が落ちた。
物流転移門は不安定になり、荷物の到着が遅れた。
王国騎士団では、訓練中に負傷者が続出した。
ただし、まだこの時点では、誰も本当の意味で危機感を持っていなかったらしい。
「ルシアの嫌がらせだろう」
ガルティス殿下は、そう言ったそうだ。
別に間違ってはいない。契約を解除したのは私だ。⋯⋯けれど、嫌がらせではない。婚約契約が終わったから、付随契約を解除しただけである。
その二日後。
東の国境で小規模な魔物の群れが出た。
普段なら、国境防衛隊だけで処理できる程度の数だったらしい。しかし、防衛隊は大きく苦戦した。
理由は簡単だ。私の契約による魔力供給と身体強化が消えていたからである。防衛隊の兵士たちは、今まで自分たちの実力だと思っていた力の半分近くを失っていた。
魔物は討伐された。ただし、負傷者は例年の五倍。
そして数日後には、王都近郊の街道にも魔物が現れた。
王国騎士団が出動した。結果は、惨敗に近い辛勝。
騎士団長が負傷し、副団長は腕を折り、若い騎士たちは自分たちの剣が急に重くなったと口々に訴えたらしい。⋯⋯だから言ったのに。いや、言ってはいないか。
説明しようとした時には、殿下が署名していたんだった。なら仕方ないかー。
◆
契約解除から一週間後。
ヴァレンティア家の屋敷に、騎士団長が訪ねてきた。
応接室に通された彼は、私を見るなり深く頭を下げた。
「ルシア様。お願いです。騎士団との契約を戻してください」
「嫌です」
即答した。騎士団長が顔を上げる。
「そこを何とかお願いできませんか!」
「嫌です」
「このままでは、騎士団が機能しません⋯⋯!」
「そうでしょうね」
「国境防衛にも支障が出ています!王都の民にも被害が⋯⋯!」
「だから、何ですか?」
騎士団長の顔が引きつった。
たぶん私がもっと動揺すると思っていたのだろう。けれど、今さらそんなことを言われても困る。
「私は婚約破棄されました。王家への協力義務も無くなりました。つまり、王国騎士団との契約を維持する理由もありません」
「契約料なら増額します」
「いりません」
「では、条件を————」
「条件は一つだけです」
騎士団長の表情が明るくなる。
私は紅茶を一口飲み、告げた。
「ガルティス殿下から正式な謝罪を」
「⋯⋯それは」
「難しいでしょう?」
私は笑った。
騎士団長は何も言えなくなる。
ガルティス殿下はプライドが高い。たとえ王都が混乱しても、私に頭を下げることなど出来ないだろう。
そして私は、別に戻りたいわけではない。
謝罪が無ければ戻らない。謝罪されても戻るとは言っていない。それだけの話だ。
「騎士団長」
「はい」
「これは私の契約魔術に依存し続けた結果です。これからは自力で頑張ってください」
「ルシア様」
「お帰りください」
騎士団長はしばらく黙っていたが、やがてもう一度深く頭を下げ、応接室を出ていった。
◆
さらに一週間後。ガルティス殿下本人が来た。
正直、思ったより早かった。
もっと粘ると思っていたのだが、状況がそれどころではないらしい。
「ルシア!」
応接室に入るなり、殿下は私を睨みつけた。
「何の御用でしょうか?」
「貴様、よくもやってくれたな!」
「何のことでしょう」
「契約魔術だ! 貴様が契約を解除したせいで、王都が大混乱になっている!」
「そうですね」
「そうですね、ではない!」
ガルティス殿下は机を叩く。
「今すぐ契約を戻せ!」
「嫌です」
「命令だ!」
「私はもう殿下の婚約者ではありません」
「王太子の命令だ!」
「では陛下の署名入り命令書をお持ちください」
「貴様⋯⋯!」
殿下の顔が赤くなる。怒りか、焦りか。⋯⋯どちらでもいい。
「ルシア。これは国家の危機だ。⋯⋯お前のせいで国が傾き、民が苦しむ」
「そうですね」
「貴様はそれでも良いのか!」
私は少しだけ首を傾げた。
「殿下は、私が婚約破棄された時に助けてくださいましたか?」
「何?」
「大勢の貴族の前で、一方的に断罪された私を、殿下は助けてくださいましたか?」
「それは⋯⋯」
「事実確認もせず、証拠も確認せず、私を切り捨てましたよね」
「それは、エミリアが————」
「エミリア様がそう言ったから、ですか?」
殿下が黙る。
私は微笑んだ。
「では今回も、エミリア様に助けてもらえば良いのでは?」
「ふざけるな!」
「私は真面目ですよ」
たぶん、殿下から見れば私は酷い女なのだろう。国が困っているのに助けない。騎士団が苦しんでいるのに契約を戻さない。王都の民に被害が出ているのに、紅茶を飲んでいる。
確かに、優しい人間ではない。しかし——私も人間だ。都合の良い道具ではないのだ。
「ガルティス殿下。貴方は私との婚約を破棄しました」
「⋯⋯」
「私は王家との契約を解除しました」
「⋯⋯」
「それだけです」
殿下は何も言えなかった。
しばらくして、殿下は低い声で呟く。
「戻ってくれ」
「嫌です」
「頼む。王国が本当に危ないんだ」
「そうですか」
「ルシア!」
「何度言われても答えは同じです」
私はカップを置き、殿下を見る。
「今後のことは、ご自分でどうぞ」
それが最後だった。
◆
ガルティス殿下が帰った後、事態はさらに悪化した。
王都の結界が不安定になり、小型の魔物が外壁付近に現れた。王立病院の治癒能力低下によって、負傷者の回復が遅れた。物流転移門の不調により、食料や薬の流通も滞った。
ここまで来ると、もはや私一人の問題では済まない。——王宮では調査会が開かれた。
そこで初めて、多くの貴族たちは知ったらしい。王国の重要契約の大半を、私が維持していたこと。ガルティス殿下が、その私を公衆の面前で断罪し、婚約破棄したこと。⋯⋯契約解除届に自ら署名したこと。
そして、契約解除後も謝罪せず、命令で戻そうとしたこと。
結果は早かった。
ガルティス殿下は王太子の地位を失った。
さらに王位継承権も剥奪され、王都から遠く離れた辺境の離宮へ追放された。
エミリア様も虚偽の証言をした罪で処罰され、社交界から姿を消した。
死刑や投獄といった罰は与えられなかったが、彼らが二度と王都へ戻ることは許されない。
ガルティス殿下にとっては、それが一番苦しい罰なのかもしれない。⋯⋯知らないけど。
◆
それからしばらくして、王宮から正式な謝罪文が届いた。
差出人は国王陛下。
内容は、婚約破棄騒動への謝罪と、契約魔術の再締結依頼だった。
条件は悪くなかった。
契約料は以前の五倍。契約対象は必要最低限に絞る。契約維持の負担を軽減するため、補助魔術師を複数名つける。そして何より、私は王家の婚約者ではなく、一人の契約魔術師として扱われる。
私は少し考えた後、必要最低限の契約だけを結び直すことにした。
王都の結界、王立病院、国境防衛隊。この三つだけ再契約を行った。
騎士団の身体強化は戻さなかった。物流転移門も一部だけ、王城の防御結界も最低限。
今まで私が背負いすぎていたのだ。これからは、必要な分だけで良い。
「本当にこれだけでよろしいのですか?」
契約書を確認していた宰相が、不安そうに尋ねてくる。
「はい」
「騎士団の強化は⋯⋯」
「自力でどうぞ」
「物流転移門は⋯⋯」
「運用を見直してください」
「で、では、王城の防御は⋯⋯」
「王族の方々がちゃんと危機感を持てる程度には残しておきます」
宰相が何とも言えない顔をしているので、私は気になって宰相に問いかける。
「何か?」
「いえ。ルシア様は、随分と変わられましたな」
「そうでしょうか」
「以前はもっと、何もかも背負おうとしておられました」
それはそうかもしれない。王太子の婚約者として、未来の王妃として、王国を支える者として、私は何でも引き受けていた。⋯⋯けれど、それはもうやめた。
「私はただの契約魔術師ですから」
私は契約書に署名する。
「必要な契約だけ結びます」
その日から、王国は少しずつ立て直されていった。
もちろん、以前のように全てが上手くいくわけではない。騎士団は弱くなり、物流も不便になった。王城の防御も完璧ではなくなった。
でも、それで良い。
国というものは、一人の契約魔術師に全部背負わせて回すものではないのだから。
◆
数ヶ月後。
私は王都にある自分の工房で、新しい契約術式の研究をしていた。
王宮には戻っておらず、社交界にも出ていない。新たに誰かと婚約もしていない。
でも、仕事は順調だった。
むしろ王家との契約が整理されたことで、個人依頼を受ける余裕が出来た。商会、病院、地方都市、冒険者組合。色々な場所から契約魔術の依頼が来る。
全部を引き受けるつもりは無い。必要なものだけ、無理のない範囲だけ。それが今の私の方針だ。
「ルシア様。辺境離宮から手紙です」
侍女がそう言って、一通の封筒を持ってきた。
差出人を見る。————送り主は、ガルティス。
私は封を開けずに、机の端へ置いた。
「読まないのですか?」
「必要ありません」
「ですが」
「契約外です」
そう言うと、侍女は少し困ったように笑った。
私は窓の外を見る。王都は今日も騒がしい。
けれど、以前より少しだけ健全になった気がする。
王家も、騎士団も、魔術院も、私一人に頼ることをやめた。
なら、これで良かったのだろう。
私は新しい契約書を手に取る。今度の依頼は、地方の小さな病院からだった。
必要な人に、必要な分だけ。これからはそうやって生きていく。
もう誰かの都合で、私の契約を使わせたりはしない。——私は静かにペンを取り、次の契約書に目を通した。
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