月明かりに導かれ
文学フリマ東京42にて販売する月×クソデカ感情×SFオムニバス短編集「月からかえり君に会えたら」の第四話です。
なんとなく学校に行けなくなってしまった私は近所のプラネタリウムで過ごすことにする。プラネタリウムの職員との交流をきっかけに未来に向かって前向きになる学生の一幕です。
中学三年生の春、私は意味もなく学校に行くのを止めてしまった。クラス替えがあったわけでもなく、いじめられていたこともない。強いて言うならばついていけなかったというのが理由だが、何についていけなかったのかは定かではない。
クラスメイトも授業も私にとって嫌なものではなかった。ただ、急に現実感が失われてしまった世界で、ぼんやりと私は学校に行かなくなってしまったのだった。
最初は学校を休むという罪悪感でドキドキと心臓が鳴り緊張していた。しかし、一週間もすればそれも慣れた。お母さんは最初、体調不良だと思っていたみたいだけど、そうではないとわかると私に妙に気を遣い始めた。学校に行かなくても生きていけるから大丈夫よ、とお母さんは言うが、私は学校には行った方が将来安泰だと思う。それでも、私は登校する気分にはならず、家の中でゴロゴロと漫画を読んだりスマホを眺めたりする生活に馴染み始めてしまったのだった。
一緒に行動していたクラスメイトからは毎日連絡が来る。明日の持ち物とか、授業の内容とか。先生に言われて連絡をしているのだと思う。メッセージは良いよ、と言いたいけど感じが悪いのでありがとう、とだけ私は返信をした。
『体調良くなるといいね』
クラスメイトからの返信はそんな感じだ。お母さんは学校に体調不良だと言っているらしい。でも、学校のみんなはそうは思ってないと思う。多田隈さんは学校に来なくなった。所謂、不登校だ。私ら何か多田隈さんにしたかな? と一部のクラスメイトはこれまた私に気を遣っているに違いない。しかしながら、いてもいなくても同じような私を本当に心配してくれる人なんているんだろうか。
学校に行かなくなってからしばらくしたある日、妙に籠った部屋の中で落ち着かなくなり、私は外に出てみることにした。
このままだと何もせずに時間が過ぎていく。焦りという実感はなかった。ただ、そわそわと座っていられなくなったのである。
散歩の行先に選んだのは小さい時に訪れたことがある場所だった。陸橋の向こう側の古本屋とか区民センターとか。小さなプラネタリウムもその一つだった。
プラネタリウムは家の近所にある。昔、子供会の催し物で訪れたきりのその場所で、私はギリシャ神話のアニメーションを見たのを覚えていた。それ以降は特に訪れる機会はなく、ただ地元にあるよくわからない施設として認識をしていた場所だ。建物の中に入っていく人を見たこともない。私はそのプラネタリウムが営業しているのかが気になっていたのだ。
子供会だけが客ではないだろうが、大人向けの物があの小さな施設にあるのか、関心があった。CMで見るような大きなプラネタリウムではないからプログラムも地味かもしれない。特に期待はしていなかったが、さびれたプラネタリウムなんてこんな機会でもないと行くことはないだろう。私は妙に勢いよくそこに行くことに決めた。行動派ではなかったが私は行動力を発揮したのだ。内心では、現状を打破したいという気持ちもあったのかもしれない。
平日の昼間の街はそこそこ閑散としている。病院帰りのおばあちゃんや買い物帰りだと思われる女の人とすれ違う。みんな私を見るけどどうでもいいみたいだった。学校にいる時と同じく、私は自分が透明人間であるかのような気持ちになる。
ただ、交番の傍を通る時だけは緊張した。机に向かって何かしている警官を横目で見つつ、私は小走りでその前を通り過ぎた。ドキドキと心臓が鳴っていた。
私はプラネタリウムの入り口でポスターを眺めた。プログラムは午前と午後に一回ずつで、それぞれ二つのテーマを見ることができる。午前は子供向けのアニメーションが上映されていたらしい。私はこれから始まる午後の部を見ることに決めた。この昼間の時間帯にプラネタリウムを見に来る人なんているんだろうか、と思いながら。
受付の若いおじさん──おじさんほどでもないけど、若いというほどでもない──からチケットを買い、私はプラネタリウムを楽しむこととした。プログラムは海外の夜空を旅して巡る星に関するものと、月と人間との関係性を探るというものの二本立てだった。
プラネタリウムは星空を投影するものだと思っていた私は、月のプログラムを見て意外さを感じた。満天の星空が頭上で周りオルゴールの音が流れていた幻想的なプログラムから一転、月のプログラムは迫力のある映像と明朗な女性の声の解説で構成されている。
私は宇宙旅行に連れ去られたかのように月の世界へと引き込まれていた。月とは何か、神話としてどういった位置づけにいるのか、空に浮かぶ星々との関係、そして現代の月と私たちの暮らしについての解説もあった。私は月の情報と一緒に宇宙空間を飛び、月に飛来して地球を眺めることとなった。
印象に残ったのはかぐや姫の話だ。昔話のかぐや姫ではない。月で実際に行われている〝かぐや姫計画〟の話である。
かぐや姫計画とは、幾人もの人間の脳を機械に繋ぎ、人々の思考回路を元として演算する生体コンピュータの一つらしい。何年も前に発足した計画で、当時は志願者も多かったようだ。
ほんのりとしか情報を持ちえない私は、詳しく説明されたかぐや姫計画について真剣に聞き入っていた。現在、私たちが使っている検索システムKaguyaもかぐや姫計画に関連しているものだと知り私は驚く。私の知らない世界が地球の外に広がっている、それに衝撃を受けたのだ。
星空巡り、それから月探査の時間はあっという間だった。
プラネタリウムが終わった後、ちょうどチケットを売ってくれた男の職員に会った。
「あの、月のプラネタリウム、面白かったです」
私は男性職員に感想を言った。あまり人と話すのは得意ではなかったが、入場料六百円だけで心を揺さぶられた経験を誰かに伝えたかったのである。
職員は驚いた顔をして、私を凝視し始めた。そして、待ってて、とぶっきらぼうに言い残して事務室の奥に入ってしまったのだった。待ってて、と言われてもなんの用事だろう。大人らしからぬ態度に私は困惑する。
職員はすぐに戻ってきた。手にはいくつか何か持っており、それを私に手渡してきた。月のプラネタリウムに関するちょっとしたパンフレットだった。私にくれたのだ。
男の職員はプログラムを作ったのは自分だと話した。
「ずっと月に行くために勉強をしていて、それが高じて月のプログラムを作ってみたんだ」
強張った顔で職員は私に話した。話したこともない大人と話す経験なんてほとんどないから私も緊張した。まさか気まぐれで来たプラネタリウムでこんな風に捕まるなんて思いもよらなかったのだ。
職員は私が平日の昼間からプラネタリウムに来ている理由なんて聞かずに、もしよかったら色々見ていっていいよなんてのんきなことを言っている。
私の内心を知ってか知らずか、職員は急に自分の身の上話について話し始めた。なんでも高校の時から月探査チームを目指していたのだけれども、学力が足りずに数年前に目指すのをやめたのだという。
「月に行くのはやっぱり選ばれた人間だけみたいだ」
知らない大人にそんな話をされるのも初めてで、急に日常に挟み込まれた人間関係に動揺した。私は小声で返事をした後、そそくさとプラネタリウムを後にしてしまった。
もしかしたら、男性職員も自分の作品に感想を貰って嬉しかったのかもしれない、と家に帰ってから気が付く。私が同じ立場だったら、きっと驚いて同じ行動をとってしまうかもしれない。注目されて話しかけられることなんて滅多にないから。そう思って、私って意外と見つけてもらいたい欲があるんだな、と少し恥ずかしくなった。
プラネタリウムには再び行くことになった。貰ったパンフレットに月のプログラムが月末で最後になるという事が書いてあったからだ。私はそれをもう一回見たかった。またあの職員に話しかけられる可能性があるが、私は月のプログラムの没入感にもう一度浸りたいと思っていたのだ。
学校に行ってないことも友達から毎日メッセージが来ることもよくわからなかった。だけど、プラネタリウムの月が迫りくるあの空間で、私は日常のことを忘れることができた。
施設を訪れ、プログラムを二度目に見て、やはり私はあの職員と対面し、やっぱり面白かったですと感想を言った。そういう流れになることはわかっていたから今度は緊張しなかった。職員はやはり驚いた顔をしたが、今度はぎこちなくぼそぼそと私に礼を言った。
男性職員は平沢と名乗り、今度は月のコーナーを作っている一角を見せてくれる。月のプログラムが終わるから別の月特集をし始めるらしい。平沢職員は相当、月が好きらしかった。
建物の中には星空投影シアターだけではなく図書コーナーもあり、私は学校に行く代わりにそこに行くことに決めた。本だけではなく音声や動画も揃っていて時間つぶしになる。私は平沢職員に古いメディアを再生する機械を教えてもらった。一週間でも見切れないほどの映像と本に囲まれて私の世界は少し広がる。
中学生が真っ昼間に学校に行っていないのに、平沢職員は何も言わなかった。それを良いことに、私は図書館での資料閲覧に没頭する。
友達が心配して連絡をくれるものの私は変わらずに曖昧に返信をした。友達の優しい言葉はありがたいものに違いない。しかし、どうやって学校に戻ればいいのかわからない気持ちもあった。授業はどんどん進んでいるだろうし、卒業はできるだろうけどこんなにも休んでしまって、その先に何が待ち受けているかわからない。がけっぷちに立たされているような気がするのに、なぜかそこから翼で飛んでいけそうなふわふわとした感覚で毎日を生きていた。天体に没頭している時間はそのふんわりとした焦りをなくしてくれた。
ある日、平沢職員がポスターを貼っているのを発見した。
彼が去った後に見てみるとそれは天体観測の案内だった。皆既月食があるのでそれを観測するのだという。
「たまに催し物をやってて、今月は月食なんだ。夜だけど」
私がポスターを見ているのを目ざとく見つけた平沢職員に誘われて、私は天体観測に行ってみることにした。
***
皆既月食の夜のプラネタリウムはそこそこ盛況だった。ひと気のない平日の昼間と違い、親子連れや友達連れがいっぱいで私は少し怖気づいた。帰ろうか。しかし、平沢職員にこんばんは、と挨拶をされてしまい、帰るに帰れなくなってしまった。
今日の月食について説明があった後、参加者が交互に望遠鏡を覗く。月は徐々に暗くなり、それから、完全に隠れて赤くなった。〝皆既月食〟という言葉を〝怪奇月食〟だと思っていた私は、幻想的な色をみて怪奇だなあ……と思った。思わず携帯端末で写真を撮る。きれいに写るように結構頑張った写真を誰かに見せたいと思い、ふとクラスメイトのメッセージが浮かんだ。
天体観測が終了し、参加者が帰った後、私は平沢職員に片づけを申し出ていた。普段からただで閲覧室を使わせてもらっているのでそのお返しのつもりだった。
「どうしてプラネタリウムで働いているんですか」
私は気になっていたことを聞く。月の探査チームに入るのはものすごく大変なことだと知った。そのチームに入れるように努力をしてきた人なのだから、こんな田舎のプラネタリウムにいるのが不思議だったのだ。
「探査チームになれなかったけど、月に関係する仕事には付きたかったんだ」
夢破れて地元に帰ってきてから、プラネタリウムがあるのを知った。それでここに就職した、と平沢職員は話した。プラネタリウムでは夜空の月と共に過ごすことができるから、と。。
「月が好きだったんですね」
「月が好き、か。そう言ったらそうだし、そうじゃないと言われればそうでもある。俺が月探査チームを目指したのは月に友達がいるからなんだ」
平沢職員は月で仕事をしている友人にまた会うために探査チームに行きたかった、と話した。友達と同じ職に就きたいからという理由で仕事を選ぶのは考えられないな、と私は思う。しかしながら、平沢職員にとってはそれだけ仲のいい友達だったに違いない。
「まあでも、もう月には行けないと思う。俺は才能がなかったし、もういろいろと遅いからね」
平沢職員が珍しく投げやりな調子で言った。私が顔を上げると顔を歪めてそっぽを向く姿があった。大人の拗ねた様子を見るのは初めてだった。
「な、何かをやるのに早いも遅いも才能もないと思います」
私は思わず月並みな言葉を口に出していた。子供が大人に対して、生意気もいいところだろう。しかし、私は平沢職員がプラネタリウムで情熱を傾けて作った月の特集を知っているのだ。努力を重ねた人に才能がない訳がない。私と違って、彼は毎日、月との対話を積み重ねているのだから。
言葉にできない焦りで身体を熱くさせた私を平沢職員は怒らなかった。代わりに、まだ頑張れるかな? と私に問いかけてきた。
「できると思います。私は月のプラネタリウムを見た時に、これを作った人はすごい、と思いました」
もう月のプログラムの感想を言うのは三回目だった。平沢職員はやっぱり驚いた顔をした。しかし、ぶっきらぼうだった一回目ともぎこちなかった二回目とも違い、平沢職員は笑顔になった。
***
プラネタリウムから家に帰ってきた後、私は自分が平沢職員に言ったことを反芻していた。何かをやるのに早いも遅いもない。才能も関係ない。衝動的に口にした言葉だから印象に残ったのかもしれないが、とにかくその一言は私の脳内を周っていた。平沢職員を慰めようとした言葉だったにも関わらず、私は私自身にも同じ言葉を掛けられるんじゃないかと思ったのだ。がむしゃらにやろうなんて思いながら行動したことはないけれど、何か一歩踏み出してみることは悪いことではないのかもしれない。月の下にいたあの時、私の言葉は私の心に素直に入ってきたのだった。
何度もメッセージを書き直し、結果として『怪奇月食』とだけ書いて、私はクラスメイトに月食の写真を送った。続けて、月曜日の時間割を聞く。学期が変わって時間割の変更があったから。私は学校に行ってみることにしたのだ。遅い時間だったにもかかわらず、クラスメイトは時間割を教えてくれた。『皆既月食だよ』というメッセージも添えられて。
学校に再び行った週の日曜日に私はプラネタリウムを訪れていた。平沢職員はおらず、代わりにもっとおじさんの職員が出てきて彼は休職しているのだ、と教えてくれた。
すっかり報告をし損ねてしまったな……と私は残念に思った。
***
高校生になり、私はプラネタリウムでボランティアをしている。今日の夜は地域の天体観測の催しがあり、私はその準備をしていた。
「今もプラネタリウムに来てくれているなんて嬉しい」
私に声をかけてきたのは平沢職員だった。記憶の中よりもいくらかがっしりとしていたが、すぐにわかった。私も挨拶を返し、近況を話す。再会できて嬉しかった。
「あれから、学校に行きはじめて、卒業もできました。今は高校生をしています。それと、ボランティアでプラネタリウムに来てます」
学校に行くのを再開して悪いことは起こらなかった。勉強は追い付くのが大変だったけど、クラスメイトはノートもプリントも用意してくれていた。アウェーかと思ったけどそうではなく、私はすぐに学校に溶け込むことができた。ずっと家にいたのかと聞かれて、毎日プラネタリウムに行っていたことを話すと、何人かでプログラムを見に行くことにもなったりした。そんなことを平沢職員に報告する。今は天体関係の仕事に就くために理系の科目の勉強を頑張っているとも言った。
「体調が悪かったんですか?」
私の問いに彼は首を横に振った。
「何かをやるのに早いも遅いもない、だからね」
平沢職員が今はこれをやってる、と見せてきたのは月探査チームの身分証だった。
「大変だったけど、どうにかチームに入れることになったよ。これから月に行くんだ」
彼は休職して再び月探査チームを目指していたのだ。そして、その夢を叶えたのだった。
「君の言葉で勇気が出た。ありがとう」
平沢職員が手を差し出してきて、私はその手を握り返す。
私の言葉が誰かの力になった。その実感が、私自身も前を向いて歩こうという気持ちにさせていた。
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