蝕むもの[7.5話]
カランカラン、とドアベルが鳴る。
来客だ。
月宵亭の店主が顔を上げると、弓を肩にかけた青年がドアを開け、背の小さい子供が入ってきた。
「いらっしゃい」 店主が声をかけると、青年は軽く会釈をして壁際の商品棚へ向かう。
いつもの仕事前の買い出しだろう。
小さい子供はその背中を見送り、こっそり足音を殺すように進んでくるとカウンターの端からちょこんと顔を出した。
店主がほほ笑んで話しかける。
「こんにちは」
「こ、こんにちは」
その子は落ち着かない様子であいさつする。
それから内緒話のように小さな声で話し始めた。
「……あのね」
「この前のお薬すごいね」
先日渡した染料のことだ。
粗悪品を使っていたので質の良いものを適正価格で売り、試供品として長持ちする別種のものを渡しておいた。
渡した時は疑いの目で見られていたが、実際に使って安心したのだろう、目を輝かせていた。
「ちょっとくらい雨に濡れても全然平気だし」
「頭かゆくならないし」
興奮気味に話しながら子供は頭をかくしぐさをする。
強い薬で頭皮を痛めていたのだろうか。
青年に手入れをしてもらったのか、ぼさぼさだった髪は整えられ、つやが出ていた。
「ありがと」
気恥ずかしそうに笑顔を浮かべる子供は、素直でかわいらしかった。店主も思わず表情を緩ませる。
なるほど気難しいあの青年が世話を焼くわけだ。
その青年はというと、商品棚を見るふりをしながらちらちらとこちらの様子をうかがっている。
面白いので店主はわざと子供にかまうことにする。
「よかったらお茶を淹れますよ」
椅子をすすめるが、「ボク今日はついてきただけだから」と遠慮された。
「いいんですよ。これはね、宣伝費用ですから」
店主はアルコールランプに火を灯して三脚の上にやかんをのせる。
「買わないのに?」
「ええ。あなたがこの店を気に入ってくれたら、彼が買い物しようと思ったときに"月宵亭がいいな"って言ってくれるかもしれないでしょう?それで十分なんです」
「将を射るには馬からと言いますし」
「財布を握るために子供を人質にするなよ」
すかさず青年が釘を刺す。
とはいえ、彼はいつもより多く商品を手に取っている。
既に効果は十分といえた。
ポットに茶葉を用意する店主の手元を興味深そうに眺めている子供は、ふうんと生返事をする。
難しい言葉はわからないようだ。
見たところ10代後半にさしかかってはいたが、先日の様子から見るに教育などは受けていないだろう。
それどころか見るからに弱っていた先日の様子を思い出し、店主は尋ねた。
「他にお困りのことはありませんか?お客様の秘密は守りますから何でも相談してくださいね」
実のところいくつか気になる様子を青年から聞いてはいる。ただ、前回の来店時は警戒されていて何も聞けなかったのだ。
染料のことで少し信頼してもらえたのか、子供は迷った様子ながらポケットをごそごそと探る。
時折ちらちら青年の方を気にしているところを見ると、やはり話しづらい内容らしい。
「えっと、仕事の前にね、飲む薬なんだけど」
「はい」
「もっといいのあるのかな?」
子供が差し出したのは粉末状の薬だった。
"仕事の前"という言葉からして嫌な予感しかない。
背を向けたままの青年の雰囲気もぴりぴりしている。
「そうですね、お仕事の前に飲むのでしたら……」
「……で、何の薬を処方したんだ?」
翌日、一人で来店した青年が訪ねる。
「栄養剤の類です。……真っ当なハーブとかですよ。」
店主はため息をつく。
整備された街道によって辺鄙な村が交通の要所として発展し始めて十数年。
町の周縁部には貧困層が住まうようになり、有害な薬が流通していた。
「依存性は低い方だったのが幸いです」
「……そうか」
一市民に過ぎない店主や青年にはどうにもならない問題だ。二人の間につかの間苦い沈黙が落ちる。
「……以前の薬の分析結果はこちらに。」
「ああ、助かった」
依頼されていた書類を渡し、対価を受け取る。
「俺はまだ信用されてないからな」
「話を聞くにも一苦労だ」
自嘲気味に笑う青年に店主はそういうことではないと思ったが、黙っておいた。
家主と居候の関係は、深刻な問題がない限りは二人で築いていけばいい。
「まあ行き詰ったらお茶でも飲みに来てください」
「有料だろ?」
「お子様は無料です」
「成人だって言ってたけどな」
カラン、とドアベルを鳴らして青年が出ていく。
そのまま仕事に出るというので見送りに出た店主は、日差しに目を細め空を見上げた。
「ようやく止みましたか」
冬のこの時期には珍しく青空が広がっていた。
「よい旅を」
通りの向こうから小さな人影が青年に駆け寄ってきていた。




