深夜0時の甘い時間
深夜の静かなエレベーター。
階数を表示する画面を見ながら、伊勢くんがつぶやいた。
「1階に引っ越そうかな」
「え?」
僕は驚いて彼を見上げた。
ここは、伊勢くんの自宅、都心の高層マンション。24時間セキュリティ対策万全なのに。
「え、どうしてですか?防犯面もあるので、1階はちょっと……。どうしてもなら物件を探しますが」
「だって、長いだろ?15階まで」
伊勢くんの言葉に、僕はすぐに意図を理解できなかった。
伊勢くんは僕の目をまっすぐに見つめ、口角を少し上げた。その瞬間、瞳の奥に、僕だけに向けられた情熱を感じた。
「早く抱きたいのに」
スルッと腰を抱き寄せられ、僕の身体は一瞬で熱くなる。
「ちょっ、優くん!人に見られますって!」
「誰もいない」
「防犯カメラ、付いてます!」
僕が慌てて小声で抗議すると、伊勢くんは不貞腐れたように手を離した。
だが、彼の表情はすぐにアイドルから恋人へ戻り、熱を帯びたまま僕を見つめる。
「毎回、駐車場からエレベーターで上がるの、時間がもったいないと思わないか?」
「うーーん、飛行機を待つ時間の方が、よっぽど長かったですよ」
伊勢くんは、初の高級ブランドのアンバサダー就任のため、他のスタッフと共にイタリアにいっていた。
数時間前、羽田空港に迎えに行ったけど、予定より1時間遅れだった。
「確かに長かったな。おかげでもう深夜だ」
「だから、疲れてるなら、今夜はゆっくり寝てくださいって、言ったじゃないですか」
「嫌だね」
彼はそう言いながら、僕の唇を細い人差し指でそっと撫でた。その色気のある目線に、思わずぞくっとした。
「久しぶりに、二人きりになれるのに」
TOMARIGIのマネージャーになってから、1週間も会わなかったのは、これがはじめてだ。
伊勢くんは、急に真顔になって囁いた。
「1週間も離れてて、さみしくなかった?」
「そ、それは……すごく、さみしかったです」
スケジュール帳を開く度、帰国の日を指折り数えた。その切実な思いが、彼にも伝わったのだろう。
「蒼真とずっと一緒だったよな?変なことされてないか?」
突然の問いに、僕は思わず吹き出しそうになった。蒼真くんが僕に?好きになればあばたもえくぼってことかな?
「あるわけないでしょう、考えすぎですよ」
「そうかな?意外と蒼真は『こっち側』だと思うけどな」
意味深な間があった。
そして、エレベーターがようやく15階に着く。
扉が開いた瞬間、伊勢くんは片手にスーツケース、もう片方の手で、僕の手を引いた。
ガラガラとおとを立てながら、廊下を足早に進む。
脚の長さが違うから、僕はもう小走りだ。
少しでも早く2人になりたいという、抑えきれない気持ちがひしひしと伝わってくる。
バタンッ、と玄関の扉が閉まる。
鍵がかかると同時に、逃がさないと言わんばかりに、僕を壁にトンッと押し付けた。
「んっ、あっ……!」
そのまま深いキスが始まる。かみつくような、貪欲なキスだった。
伊勢くんの愛情表現は分かりやすい。口づけが深いほど、彼の僕への独占欲がストレートに伝わってくる。
「会いたかった」
ぼくの頬を両手で包み込む。
「はい、僕もです」
「このまま、ベッド直交でいいよな?」
「……あ、あの、でも、荷物は?」
明日も仕事がある。スーツケースの中身を出して、洗濯もしてあげたい。
「後でいい」
低い声とともに、再び唇がふさがれる。
疲れているはずなのに、そんな素振りは一切ない。むしろ久しぶりの再会で、火がついたようだ。
「せめてシャワーを……」
「それも、後でいい」
必死の抵抗もむなしく、伊勢くんの手がシャツのなかに滑り込んできた。
このままでは、ベッドどころか、玄関ではじまってしまいそうだ。
「あ、っん、ちょっとだけ、まって」
伊勢くんの動きが、その一言で少しだけ止まる。
その隙を逃さず、僕は彼の腕の下をすり抜ける。
「僕、やっぱりシャワー浴びたいです!」
僕は半ば逃げるように、バスルームへ避難した。
「あ、こら!」
背後で伊勢くんの叫ぶ声を聞きこえた。
深夜0時。
眠れない夜。僕たち二人の秘密の関係は、いつもこの甘く危険な緊張に満ちていた。