パトリック・ブルックスの体面‐十
『ドッドッドッ』
パトリック自身の鼓動なのか、それともペイジ先生の心拍なのか、判断がつかなかった。
「貴方に、怪我がなくて、良かった……」
絶え間なく、ペイジ先生から伝う汗が、パトリックの顔に滴り落ちる。
「貴方は、僕にとって、大事な人だから……」
ペイジ先生は、パトリックの顔に落ちた自身の汗を、ぐいっと親指で拭う。
――ペイジ先生の後ろから、影が伸びる。
「主語が抜けてるぞ?」
アーリヤが、ペイジ先生の首根っこを掴み、ノアに向かって投げ渡す。
「“誰にとって、大事な人なのか”をちゃんと言え。」
いつもの雰囲気とは違い、ペイジ先生に対して、不遜な態度を取るアーリヤ。
「貴方は、僕の『主』にとって、大事な人……だろ、“影”?」
アーリヤは口元だけ笑っていたが、冷たい目で、ペイジ先生を見下げていた。
「イテテ、怪我人ですよ?もうちょっと労わってくださいよ、“我が主”?」
そんなアーリヤの目線など気にもせずに、軽口を叩くペイジ先生。
呆けた顔をしたパトリックをよそに、二人が話を進めていく。
そして、パトリックも「……貴方だったんですか」と声を漏らした。
「わたしをっ、わたしを無視するんじゃないわよっ!!」
テイラーが、再び吠える。
この場にいた全員が、びくりと身体を強ばらせる。
テイラーは少し虚ろな瞳で、両手で短剣を持つ。
彼女の手は小刻みに震えていた。
まるで、何かに意識が乗っ取られているかのようだった。
硬直状態が続くかと思われた。
バサリ。
翼が羽ばたくような音。
――その時、テイラーの頭上だけに影がさした。
『あらやだ、包帯を取ってきてって頼んだだけなのに、なんでこんなことになってるのよ!』
テイラーの背後に誰かが降り立ち、彼女の耳元で呪文を唱えた。
その瞬間、テイラーの中から黒いモヤが逃げるように、外へ出るが背後の人物へと吸い込まれていった。
テイラーは意識を無くし、がくんと膝から崩れ落ちた。
完全に倒れ切る前に、テイラーの背後にいた“何者か”が、彼女を支える。
「……学園内に、魔族が入り込んでいるとは思っていたが、アンタが魔族だったのか。」
ペイジ先生に回復魔法をかけながら、ノアは“何者か”を見上げた。
全員が目を丸くして、人物を見た。
「保健医のイライジャ……!」
ノアの言葉に、ハッとしてパトリックは言葉を続けた。
「調べてもらいましたが、保健医に“イライジャ”なんて人はいませんでした。貴方、何者なんですか……!?」
イライジャの瞳と口元が、にんまりと弧を描く。
『やっだぁ!バレてたの?』
“どこで、認識阻害の魔法が解けちゃったのかしら?”
バレていたのに、気にもとめてない素振りを見せる。
なんなら楽しそうに、くすくすとイライジャは笑った。
『じゃあ、自己紹介してア・ゲ・ルっ!』
イライジャは、テイラーが持っていた短剣を手に取り、空中にくるりと投げる。
『名前は、みんなが知ってる通りのイライジャよ。』
空中から戻ってきた短剣を、イライジャは掴み取った。
イライジャは、語尾にハートが付きそうな声色で自己紹介を始めた。
『保健医は、人間の中に潜むための仮の姿……真の正体は……!』
「……魔王、イライジャ……」
気を失っていたテイラーが、うわ言のように呟いた。
その言葉を聞いて、この場にいる全員の空気が張り詰めた。
『ちょちょちょっ!待って待って!?ワタシが魔王様!?そんなわけないじゃない!』
『何言ってんの、この子は!』とイライジャは、本気で慌てている素振りを見せた。
『魔王様直属の部下ではあるけど、魔王様を名乗るなんておこがましいわ!』
“魔王直属”という言葉を聞いて、再び空気がピリつく。
ノアがカイルに目配せをした。
目線に気づいたカイルは、足元にあった小石をそっと拾う。
アーリヤは、パトリックを庇うように自分自身の後ろへと下がらせた。
パトリックは、左腕に付けていた大将の証をしゅるりと外した。
その後、しゃがみ込み、前傾姿勢を取った。
そして、ノアはイライジャに悟られないように、詠唱を始めた。
『いやんっ!か弱き乙女に何する気!?』
しかし、一連の動きに気付いたイライジャは、自身を抱きしめる仕草をした。
「……貴殿は、か弱き乙女というより、屈強な男性ではないか?」
ヘーレーが思わず、イライジャの言葉に茶々を入れる。
「たしかに、その厚い胸板は“巨乳”と言っても差し支えないが!」
カイルも参戦してきた。
「んなこと、言ってる場合じゃないでしょ……!」
意識が戻ったテイラーが、ふらつく足に力を入れる。
頭を押さえながらも、イライジャに向き直り、彼を指さす。
「なんで“激重感情系魔王”が“オネェ系”になってんのよっ!しかも、魔王じゃない!?意味わかんないんだけど!!」
テイラーは自分が今出せる、最大の声で叫んだ。
『激重……?オネェ……?なにそれ?』
イライジャは、不思議そうな顔でテイラーを見つめた。
テイラーは“あーもうっ!”と呻きながら、地団駄を踏む。
「もういいっ!とにかく、その“月下のフルーレ”を返してっ!」
物凄い形相で、イライジャに迫るテイラー。
――到底、主人公とは思えない顔だった。
『やぁよ!勝手に変な名前付けないで!これは、最愛の魔王様のホークラックスなのよっ!』
そう言うと、イライジャの背中から、黒い爬虫類の翼が広がる。
低い姿勢を取り、地面を蹴り、ばさりと音を立て宙へ飛ぶ。
「返しなさいよっ!この泥棒っ!オネェ!!」
『元はアンタのモンじゃないわよ!』
テイラーの甲高い罵倒に、ベーっと舌を出し、イライジャはそのまま飛んでいく。
『あっ、そうだ。』
イライジャが顔だけみんなの方へと向ける。
『事後説明が面倒だろうから、アンタたち以外の人間には、記憶改ざんの魔法をかけといてア・ゲ・ルっ!』
『サービスよぉ!』とパトリックたちに言いながら、
イライジャは応援席側の人間たちに投げキッスをおくる。
ピンクの光の粒が、パトリックたち以外全員に降りかかる。
その途端、バタンバタンと気を失っていく人々。
バタンッ
近くで倒れた音がした。
音がした方を見ると、何故かテイラーも倒れていた。
カイルが、倒れたテイラーに近づく。
「……ん?なんだ、これは?」
彼女の近くに、紙で折られた蝶々が飛んでいた。
カイルは、紙の蝶に触れてみた。
『それから、このオンナも面倒そうだから、記憶消しとくわネっ!』
どこからともなくイライジャの声がしたような気がして、辺りを見回す。
しかし、イライジャの姿はどこにもなかった。
ホッと安心したのか。
それともドッと疲れたのか、張り詰めた空気が緩むのを全員が感じていた。
――とんだ競技大会の幕引きであった。
ため息をつきながら、パトリックは空を見た。
空には少し灰色の雲が、流れてきた。
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