パトリック・ブルックスの体面‐三
『次は、借り物競走です。』
昼休憩前の種目であった。
パトリックは、ある一点を見つめていた。
ぼんやりと放送を聞き流しながら、テントの中で、自分が出場する競技まで待機していた。
「パトリックさん、どうぞ。」
そう言われ、声がした方に顔を向ける。
涼しげな笑顔を浮かべながら、カップを差し出すペイジ先生がいた。
小さく「ありがとうございます」と言って、カップを受け取る。
中身を見ると透明な液体だった。
パトリックは「ただの水か……?」と、しげしげと見ていた。
「水に、レモンを絞って、少しだけはちみつを混ぜたものです。」
ペイジ先生はくすっと笑い、もう片方に持っていたカップを一口飲む。
パトリックは、恐る恐る口に含む。
さっぱりとして飲みやすかった。
「何を見ていたんですか?」
ペイジ先生はパトリックに尋ねながら、彼女の隣に腰掛ける。
「――婚約者を見ていました。」
両手でカップをぎゅっと握りしめ、顔を上げ、先ほどと同じ場所を見つめる。
ペイジ先生もパトリックの視線を追い、向こうを見る。
そこには、踵をならし、スタート地点に立つノエルがいた。
「ノエルさん、頑張ってますよね。競技がない時は、救護班で出ずっぱりでしたもんね。」
……『王子の笑顔事件』と勝手に命名された、さっきの二人三脚での出来事。
ノエルも救護班として、搬送や看護に当たっていた。
それが一段落してからの、借り物競走である。
「頑張って、ますよね。」
どうも歯切れの悪い返事になってしまった。
『よーい、』
――パンッ
校庭内に、参加者が走り出した音と、周りの応援の声が混じる。
パトリックの耳には、開始の合図がいつまでも鼓膜に残っていた。
ノエルは、頑張っている。
彼女が認められるのは嬉しいはずなのに、むず痒いような焦燥感があった。
……頑張っている姿を誰にも見せたくない。
何故か、そんな想いが胸から、どろりとこぼれ落ちる。
今だって、「ノエルを見ないでください」とペイジ先生の目を塞ぎたくなる。
でも、なんでそう思うのかが、わからない。
カップを握る手に力がこもる。
もう一度、ノエルへと視線を向ける。
ノエルは、走った先の箱に手を入れた。
紙を引き、それを開く。
直後、真っ赤になって固まってしまった。
体調不良かもしれない。
パトリックは立ち上がるために、少し腰を浮かせた。
クシャッと紙を握りしめ、ノエルは視線を彷徨わせる。
ザァと風が通り抜ける音がした。
そして――
――お互いに目が合った。
「パディさまっ!」
息切れしているノエルが、パトリックの元へ駆け寄ってくる。
借り物のお題が、私に当てはまったものだったんだろう。
そう当たりを付けて、立ち上がろうとした。
しかし、立てなかった。
――ペイジ先生の手によって。
「顔が少し赤く見えますね。」
少しだけ無機質な声。
パトリックはグイッと顔を強制的に、ペイジ先生の方へと向けられた。
心配しているような瞳。
……しかし、その瞳の奥が冷たいと思ってしまった。
想定よりも顔が近かった。
突然の事で、反応が遅れてしまった。
鼻先が当たる――
と、思った次の瞬間。
「パティ!僕と一緒になってくれ!」
「トリシア!頼むっ、お前じゃなきゃ……!」
「パット、来てくれ!」
「赤薔薇よ、我が手を取ってくれ!」
四人から同時に声をかけられる。
若干一名、おかしいセリフの王子がいたが、いつものことなので、無視をしておく。
『先頭を走っていた四人が、一人を巡ってアツい睨み合いをしております!』
応援席からざわざわと、嬉しそうな歓声が聞こえる。
その中でも、はっきり聞こえた「また、私の邪魔をしてっ!」という声。
……テイラーなので、こちらも無視をする。
放送マイクを使って、変な実況をつけてるのは誰だ。
競技大会が終わったら、覚えてろよ。とパトリックは、心の中で独り言ちた。
そもそも、なぜ揃いも揃って、私なのか?
もっと近場の人間で済ませばいいのに。
「失礼。」
ペイジ先生の手を退かし、パトリックは、たった一人の手を取る。
―――
『一着は、このお二人です!』
放送係の生徒が、二人にマイクを向ける。
「――ありがとうございます、パディ様……!」
「一番最初に、手を伸ばしたのはノエルでしたからね。」
一番最初に手を伸ばしたのは、確かにノエルだった。
しかし、一番遠い場所にいたのもノエルであった。
パトリックは四人を全員押し退けて、彼女の手を取りに行ったのだ。
『お二人とも、まだ終わりじゃないですよ?』
“では、借り物の内容を確認しましょう!”とノエルが握りしめていた紙を、素早く抜き取る放送係。
『おっ、当たりお題ですね!お題は――“好きな人”です!当たってますか?』
ノエルは、顔を真っ赤にしながら少し俯く。
数秒固まった後、大きくこくりと頷いた。
途端、口笛や激励、嬉声が校庭全体を包んだ。
『お相手様、感想をお願いします!』
マイクが、パトリックの方へと向けられる。
……走るために握った手が、小さく震えていた。
「私は悲しいです。彼女が、私を――“好きな人”だと思っていることが。」
静まり返る校庭。
マイクを向けていた放送係も、気まずそうにマイクを少し傾ける。
握っていたノエルの手が、力が抜けるように離れかけた。
「私は、こんなにも彼女のことを“愛している”のに。」
離れそうだったノエルの手を握り直し、彼女の爪に口付けをした。
――誰かが、息を飲む音が聞こえた。
次の瞬間、校庭内どころか、王都内に鳴り響くのではないかと思うほどの盛大な歓声が上がった。
『カッ、カッコイイ〜!オレも真似しよ〜!』
はしゃいでいた放送係に“おアツい二人、ありがとうございましたー!”と見送られ、その場を後にする。
――握られた手が、離れることはなかった。
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