パトリック・ブルックスの今世‐三
「貴方が書いたとか、父親が返事をしたとか、もうどうでもいいの。私を馬鹿にしたことを、後悔して、謝罪なさって?……許しは、しないけれど。」
「(……自分が思っていた以上に、返事の手紙に腹を立てていたみたい)」
冷笑を浮かべ、ノエルを見下しながら“こんなに感情的になる予定などなかったのに”と考えていた。
過呼吸気味になっているノエルが、青い顔をして口を開いたり、閉じたりを繰り返す。
やはり、ノエルの父親が、無自覚に彼女を貶めたという推測は当たっていたらしい。
なんなら、おつむが弱いっていう推測も当たってたみたい!
「餌を欲しがる魚の真似?とても似てるわね。そんなことで、私の機嫌が取れると思ってるなら、私の推測は、半分以上、当たっていたってことね!」
だんだん荒い息になっていくノエルを、無感情に見つめる。
子鹿のように、ぷるぷると震える足で立ち上がり、ぐっと左手首を握りしめる。
部下たちが調べた情報によると、極度の緊張状態もしくは、恐怖を感じていると左手首を握りしめる癖があるらしい。
あら、そんなに握りしめてると血が出ちゃうわよ?
「大変、申し訳ございませんでした。」
腰を直角に曲げて、ノエルが謝罪の言葉を口にする。
あら、貴族の令嬢が安易に頭を下げるなんて!
……なんて、ノエルが家族の尻拭いのために、迷惑をかけた貴族や各所に頭を下げているのも調査済である。
なんて、哀れな娘。
―――
五分は経っただろうか。
ノエルのつむじを、ぼんやり見つめていたパトリック。
夢の中の未来で見た聖女の姿を、不意に思い出す。
……聖女は、あの時わたくしに意見したのよね。
そう思ったら、無意識に口から言葉が漏れていた。
「(あの聖女も、この子みたいに頭を下げていれば……あの時、聖女が口答えしなければ、わたくしは……)」
『首を斬られることもなかったのに』
忘れていたわけじゃない。
それなのに、斬首された場面が、鮮明に呼び起こされる。
うなじがチリチリと熱くなる。
痛くない。そんなものは、気のせいだ。
――そう思いたいのに、“目を背けるな”と言わんばかりに痛みにも似た熱がうなじを襲う。
――突然、視界が暗くなる。
意味がわからなかった。
最初、痛みで気を失ったのかと思った。
しかし目は開いているし、意識があるのも理解できた。
頭の上から声が聞こえる。
「差し出がましいとは思いますが、どうか泣きたい時にお泣きください。今は、貴方様と私の二人だけですから。」
この時ようやく、抱きしめられてるのだと気づいた。
すぐに引き剥がそうとした。
“勝手なことを言わないで!”
“わたくしのことを、何も知らないくせに!”
……何故だか、身体が動かなかった。
『首を斬られた時は、涙なんて出なかったのに。』
泣いても、喚いても、助からないと知っていた。
だから、あの時は泣かなかった。
こんな醜態を晒すのなら、首が斬られる時に泣いておけばよかった、なんて考える。
そういえば、泣くのは何年ぶりだろうか?
記憶を辿ってみても、今世で泣いたのは、斬首される夢を見た時以来だろうか?
夢の中の幼少期も、泣いていたというより、ただの癇癪だったと今なら思える。
泣き方なんて覚えてないけど、とりあえず目から溢れ出す涙を拭わないままにしておく。
とめどなく零れる涙を拭う作業に、終わりがあると思えないから。
肺まで届かない息を吸うことのもどかしさが、そこまで苦じゃなかったのは、
規則的に頭を撫でられていたせいだ、ということにしておく。
―――
「……こんな、無様な姿を晒すとは、思ってませんでした。あの失礼すぎる手紙をダシに、こちらが優位に立てる条件の、婚約をしようと思っていたのに……」
すんすんと鼻を鳴らしながら、椅子に座り直すパトリックと、「“座って”」と促されるノエル。
「あの、差し支えなければ、お手紙を拝読させていただいてもよろしいですか?」
うーん、と考える。
原本は机の引き出しの中。
顔合わせの前夜に、一つ一つ説明させようとしていたからいいか。と思い、ノエルに手紙を差し出す。
本当に手紙に関わっていないのか、とパトリックは少し驚いてしまった。
ノエルは「“失礼します”」と受け取り、右から左へと視線を動かした。
だんだん眉間にシワが寄っていき、握られている手紙が『ぐしゃ』っと音を立てる。
「この度は、とんでもないご無礼を働き、大変申し訳ございません。私共々家族を、煮るなり焼くなり好きにしてください。」
ノエルが再度立ち上がり、深々と頭を下げた。
左手首に爪は立てられていなかった。
先ほどより、堂々とした姿……なんというか謝り慣れているといった様子に、少し面食らってしまった。
「ふっ……っあははは!貴方、面白いですね!さっきまで散々、脅されてた人間の泣き顔を見たくらいで、“煮るなり焼くなり好きにしろ”なんて!一家全員家畜の餌になれって言ったら、なってくれるのかしら?」
絵画のような冷笑ではない。
あどけない子供のように笑うパトリック。
目尻の水滴を拭く動作をする。
「“声が遠くなるから、頭をあげて?”」と声をかける。
ノエルは、一瞬身体を強ばらせるが、パトリックを見つめる目線は、力強かった。
「こちらの貴族階級が二つも下ですのに、縁談を持ちかけていただいたにも関わらず、結納金の増額をのぞみ、
あまつさえ毎月の送金まで求めるなんて、家畜の餌になれと言われても、致し方ないことです。」
視線が少し迷ったが、意を決したように再びパトリックを見据えるノエル。
――この子は、わたくしの怒りを、自身の命をもって償おうとしている。
………
うふっ、素敵!
そろそろ、私のために命を投げ出せる人材が欲しかったのよね!
婚約者、ひいては妻という立ち位置なら、街の視察や、会食に連れ出しても違和感がない。
家族のことで、罪悪感があるから早々逃げ出すということもしないだろう。
家を継ぐだけの役割でしかなかったけれど、一石二鳥どころか、一石三鳥ね!
喉元過ぎれば熱さを何とやら。
先ほどまでの首の痛みも忘れて、上機嫌で契約書もとい、婚約証明の手続きを準備するパトリックであった。
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