LV 4
「静香!」
倒れた静香のもとに、弓枝が駆け寄る。だが、指し伸ばした手が静香に触れる前に、彼女の体は泡のように消えてしまった。
弓枝はガックリと膝を落とす。
「静香……」
そんな落胆している弓枝に、ポチは大きく手を振りかぶると容赦なく鋭い爪を叩き降ろして来た。
「弓枝! 危ねぇ!」
健一郎が叫ぶ。
弓枝は振り向くと、ギロリとポチを睨み付けた。
「許さない……。よくも静香を! 風よ我に力を! 『疾風』!」
そう弓枝が叫んだ瞬間、パーティ全員に緑色のオーラが現れる。
■疾風の効果
敏捷性と移動速度が大幅に上昇する。
ポチの攻撃が弓枝の体を切り裂く。だが、切り裂かれた弓枝の姿が陽炎のように揺らめいて消える。それは弓枝の残像だった。
「こっちよ、ノロマ」
慌てて振り向いたポチの顔面に、弓枝が放った矢が次々と刺さる。
「ギャオオオッ!」
顔面を押さえながら、ポチがのた打ち回る。そんなポチに、弓枝は冷たい笑みを浮かべながら、容赦なく矢を浴びせ続ける。
「まだよ、こんなもんじゃ許さないわ。どう? 痛いの? 苦しいの? でもね、静香はもっと痛い思いをしたのよ? もっと苦しみなさいよ。ホラホラ!」
ポチをいたぶり続ける弓枝の姿を見ながら、健一郎達は青ざめた表情を浮かべていた。
「あれが、あいつが手に入れた新しい言霊『疾』か。それにしても、あいつって怒らせると怖いのな……」
「拙者、この間、女版ランボーとか言ってしまったでござるよ……」
「それはヤバイね、タリー。後で絶対に殺されるよ」
「そ、そんな~! 拙者はまだ死にたく無いでゴザル! どうしたら良いでゴザルか?」
「殺される前に自害するしかねぇな」
「そういや、さっき切腹のアクションしていたじゃない。アレ使えるよ」
「拙者は死にたく無いでゴザル~!」
「そこの三人! くっちゃべってないで、さっさとこいつにトドメをさしてよ!」
「ラ、ラジャー!」
ビシッと敬礼ポーズを取った三人は、すぐに弓枝の元に駆け寄り、瀕死状態のポチをさらにタコ殴りにした。
『狩人』と『疾風』の効果で、命中率と敏捷性が上がっている健一郎達の攻撃をかわす事が出来ないポチは、その攻撃を全てまともに食らい、やがて倒れた。
「ギャオオオオオオンッ!」
断末魔の叫び声を上げ、ポチの姿は泡となって消える。その直後に、リザルト画面が表示された。
■EXP 100P
■パーティ報酬 50G
■取得熟語 狩人
続けて、別のウィンドウが表示される。
■クエストクリア!
おめでとうございます。
クエストNo.001 『野犬退治』をクリアしました。
広場に戻り、報酬を受け取って下さい。
「よっしゃ! クエストをクリアしたぜ!」
健一郎達は皆、ガッツポーズをした。だが、弓枝だけは浮かない顔である。
弓枝は、静香が消えた場所でガックリと膝をついた。
「弓枝……」
健一郎は、弓枝になんと声をかけてよいのか分からず、寂しげな彼女の背中を見つめた。
「何をそんなに悲しんでいるの……?」
「そんなの見れば分かるでしょ、静香が……って、静香?」
目の前で、ボーッと何事も無かったかのように佇む静香を見て、弓枝が慌てふためく。
「し、静香! あなた生きていて……」
「形代の術……」
ポツリと静香が呟く。
何が起きたのか分からないと言った表情を浮かべ唖然とする弓枝に、飛鳥がコホンと咳払いをしながら説明をした。
「彼女は、あらかじめ『形代』と言う言霊を発動させていたんですよ」
「形代?」
「この言霊は、受けたダメージを自分の分身に移し変える効果があるの……」
「そ、そうなの?」
目を白黒させている弓枝に、静香がコクリと頷いた。
「俺達はその事にすぐに気がついたんだけど、弓枝がすげー迫力だったからさ……」
「中々言えなかったでゴザルよ」
にへらと、健一郎達は作り笑いを浮かべる。
その言葉に、弓枝はプルプルと震えながら俯いていた顔をゆっくりと上げた。そこには、紛れも無い鬼がいた。
「あ、ん、た、た、ち~! 気がついていたなら、もっと早く言いなさいよ~! 私ってば本気で心配したんだから~!」
「ひえ~!」
拳を振り上げて襲い掛かってきた弓枝に、健一郎達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
そんな怒り狂う弓枝に、静香がそっと後ろから抱きついた。
「……心配してくれて、ありがとう」
「……フン。友達の事を心配するのは当たり前の事よ」
と言いつつも、弓枝の顔は真っ赤だった。照れ臭そうに鼻の頭をポリポリとかいている。
「とは言え、所詮ゲームの中の事だからなぁ。どうせ死んだって、教会とかで生き返らせてもらえるんだろ? そこまでマジにならなくてもさぁ」
健一郎の言葉に、弓枝がキッと睨みつける。
「何言っているの! あなた、このゲームを始める時に、注意事項とか見てないの?」
「注意事項? なんだそりゃ?」
首をかしげる健一郎に、弓枝は呆れたように溜息をついた。
「普通ゲームを始める時は、説明書とか注意書きとか見るもんでしょ」
「拙者達には、飛鳥殿が居たでゴザルからなぁ。ゲームの説明については、全部彼に一任していたでゴザルよ」
「そう言うこと。俺達に説明書なんてナンセンスさ。で、飛鳥。このゲームは死んだ場合、どうやって生き返らせるんだ?」
コホンと咳払いをしながら、気まずそうに飛鳥が説明をする。
「えっと、実はね、このゲームは教会とかみたいな、生き返らせる施設は無いんだ」
「え? じゃあ死んだらどうなるんだよ?」
「分からない」
その言葉に、健一郎とタリーが顔を見合わせる。
「ついでに言うと、回復施設もこのゲームには無い」
さらに告げられた事実に、パソコンの前で洋一は目を白黒させた。
「マ、マジかよ! かーっ! なんだよこのゲーム! そんなんでクリアできる訳ねーじゃねーか! 今時、回復手段が無いゲームなんて聞いた事ねーよ! クソゲーだ! このゲーム、クソゲー確定!」
そんな憤る健一郎の頭を弓枝がポカリと殴った。
「な、なにすんだよ!」
弓枝はフゥと溜息をはく。
「もう、どうしてあなたは学校の成績はいいくせに、そんなに早とちりなの? 飛鳥は回復や蘇生させられる施設は無いって言ったけど、そう言った手段が無いとは一言も言ってないわよ」
「え? どいうこと?」
頭を抑えながら、健一郎が聞きなおす。
「言霊を使えばいいのさ」
飛鳥の言葉に、洋一はハッと目を見開いた。
「注意事項には、体力の回復や死んだキャラクターを蘇生させられる施設はありません、って書いてあったけど、出来ませんとは書いていなかった。恐らく、『回復』とか『蘇生』みたいな、回復系の言霊を身に着ければいいんだと思うよ」
「な、なるほどな! ここは言葉が支配する世界。そう言った事も全て言霊でやれってことなんだな。深い! 深いぜ、コトダマ・ワールド!」
一転喜んだ健一郎の頭を再び弓枝が殴る。
「いってーな! ポカポカ人の頭を気安く殴るんじゃねーよ!」
「喜ぶのはまだ早いわよ。見た所、私達パーティの中で回復系に繋がる単語を持っている奴は居なさそうじゃない? 早いとこ言霊図鑑のLVを上げて守護漢字を増やすか、回復能力に秀でた新しい仲間を見つけるかしなくちゃ。野犬から受けたダメージも、少なからずある訳だし」
健一郎は、腕を組みながら自身ありげに仰け反った。
「へっ、何言っているんだよ。俺たちは、この山のボスをほぼ無傷で倒したんだぜ? さっきの戦いでLVも一気に3から5になったし、もうこの辺のザコどもからダメージを受ける事なんてそうそう無いだろ。そんなに焦らなくても平気だって」
「いや、そうも言ってられないんだよ」
飛鳥が神妙な面持ちで話す。
「どう言う事でゴザルか?」
「これも注意書きに書いてあったんだけど、このゲームにはもう一つルールがあってね。プレイヤーが死んだ時、倒したキャラクターはランダムで守護漢字を一つ奪って行く事ができるんだ」
「な、なにぃ? 守護漢字を奪っていく?」
驚く健一郎に、弓枝が前かがみになって指を立てた。
「そう。でね、ここからが重要なの。守護漢字を全て失ったキャラクターは一体どうなると思う?」
「どうなるって……。そんなの分かんねぇよ」
「守護漢字を全て失ったキャラクターは、このゲームに参加する資格を失い、『消滅』するんだ」
その不吉な単語に、洋一の顔が青ざめる。
「しょ、消滅って、まさかあの有名RPG『ウィザードリィ』とかで言う所の……」
「そう、ロスト。ようするに、このゲームから存在が無くなるって事。当然、蘇生させる事は出来ない。本当の意味でのゲームオーバーさ」
「マジかよ!」
飛鳥と弓枝が頷く。
「で、これはネットに書かれていた情報なんだけど、キャラクターがロストしたら、普通は一から作り直そうって思うじゃない? でも、どうやらこのゲーム、複数のアカウントを所持する事は許されていないみたいなんだ」
「そ、それって、まさか同じパソコンからIDを二つ取得して、別のキャラを作ったり出来ない……って事か?」
飛鳥が頷く。
「そう。このゲームは、一人につき作れるキャラクターは一体まで。そして、ロストしたらやり直しはきかない。て、ことはだ。ようするに、このゲームでロストした人間は、二度とこのゲームで遊ぶ事が出来なくなるって事なんだ」
ここまで聞いたところで、洋一はさっき慶子がマジになった理由にやっと気がついた。
キャラクターが死ねば、ロストに繋がる。そして、ロストした人間は、このゲームで遊ぶ事が二度と出来なくなる。たかがゲーム、されどゲーム。せっかく皆で楽しめる物に出会えたのに、一人だけ参加が出来なくなるなんて嫌に決まっている。特に、慶子と美香は幼馴染の親友だ。心配して当然なのだ。
「そして、さらに困った事に、このゲームではPKが許されているのよ」
「……PKって何?」
「そっか。静香はあんまりネットゲームをやった事無いから知らないのか。PKとは、PLAYER KILLERの略。ようするに、プレイヤーを殺す人の事よ」
「PK……」
何かを想うかのように、静香はその単語をポツリと呟いた。
「今、ネットで調べていたんだけど、既にこのゲーム内でもPKはあちこちで発生しているみたいだね。今、このゲームでは、熟語を集めて地道に言霊辞典のLVを上げ守護漢字を増やしているプレイヤーと、PKで守護漢字を強奪しているプレイヤーの二つに分かれている。ちなみに、この旭川にもPKは居るみたいだね。あるプレイヤーのブログに、『弾打団と名乗る三人組に襲われ守護漢字を奪われた』って記事が書いてあったよ」
「弾打団……なかなかセンスのある名前でゴザルな」
タリーがうんうんと感心したように頷いている。
「マ、マジかよ……」
洋一の頭の中に、昨日出会った康子の事が浮かんだ。
彼女はあの時一人でゲームをやっていた。今日はまだ姿を見ていないけど、無事なのだろうか? まさかすでにPKに襲われたりなんかしてないだろうな……。
「健一郎?」
微動だにしない健一郎に向かって、弓枝が心配そうに覗き込む。
「あ、わりぃ。なんでもねぇ」
「そう? ならいいけど……」
なんとなく健一郎の様子がおかしい事に気がついた弓枝だが、それ以上は言及しなかった。
「旭川広場みたいな、非戦闘区域ではPKを行う事は出来ないけど、ここ旭山みたいな戦闘区域では、PKもやりたい放題さ。特に、このクエストは初心者なら誰しもが最初にやるイベントだからね。もしかしたら、初心者狩りを狙ったPKがいつ来るとも限らない。とにかく急いでふもとまで戻って旭川広場に帰ろう」
飛鳥の提案に皆が頷いたその時、突然自分達の周りだけ薄暗くなった。何事かと見上げると、彼らの頭上から巨大な岩が今まさに落ちてこようとしているのが見えた。いきなりの事に皆が慌てふためく。
「あ、危ねぇ!」
いち早く気がついた健一郎が皆を突き飛ばす。巨大な岩は、ズズズンと地鳴りと土煙を立てつい先ほどまで健一郎達が居た場所に派手に落ちた。
「ガーッハッハッハッ! 惜しい惜しい! もうちょっとで、てめぇらをペチャンコに出来たのによ!」
見ると、三人組のプレイヤー達が岩場の上に佇んでいるのが見える。
その姿を見た飛鳥が、驚愕の表情を浮かべた。
「ま、まさか……あいつらは……」
燃え盛るような赤い髪をした女キャラクターが、ニヤリと妖しい笑みを見せた。
「そう、私達が噂の弾打団よん♪ あなた達の守護漢字、全部私達がもらっちゃうから」