2.
成績順位表を見ている学生たちの後ろを通り過ぎようとした時、ふと学生たちの会話が耳に入ってきた。
「今回も総合トップはミゼンか」
「一年の時から譲らないもんな」
「でも、あいつはさ」
ミゼン。
その名前を学院で知らない人はいない。
有名な血筋でも才能がある家系でもない。およそ魔術師になるのが不思議な家柄の出身。その家柄の息子は突然変異の一つである『邪眼』を持っているらしい。
その邪眼を持ってさえいれば、あらゆる魔術を瞬時に識別することができる。
特徴的なほどの夏空のように澄み渡った空色の瞳には、識別ができればあらゆる術を無効にすることができる、一目見ただけで術式をコピーできるとかいう嘘か本当かもわからない噂もあるほどだ。歴史上でも存在したのは数えるくらいらしい。
そんな奇跡のような眼を持つミゼンは、同級生のみならず、先輩たちの中でも、入学当初から話題の中心にいる。教師でさえも、その優秀すぎる能力に困惑することも言われている。
アピロにその能力があれば、少なくとも退学候補者リストに上がることは無かったはず。座学は何とかするとして。
今は、人をうらやむ前に、まずはスポロス先生に試験要綱を確認するのが先だ。
学術棟を目指して、人垣をようやく抜けると、少しずつ人がまばらになっていく。アピロと同じように学術棟に向かっている学生が少なからずいるが、そのほとんどは恐らくアピロと同じだろう。もしくは、論文指導を受けている学生か、卒業を控えたものの就職先がまだ見つからない学生くらいだろうか。
重苦しい学術棟の扉を開けると、講義期間も終わった棟内は物音がしないほど静かだった。人が少ないせいか冷房設備も使っていないらしく、外と中の温度にあまり差がない。汗を手の甲で拭ってから、ローブのボタンがしっかりとまっているか確認する。ため息を小さく吐いて、アピロはエレベーターホールに向かうと、自分以外の学生たちも同じように、それぞれの担任の執務室に向かうべく、重苦しそうな足を懸命に動かして、このエレベーターホールに向かってきている。他に乗っている学生も、乗る人もいないので、目的階のボタンを押してから、背中を壁に預ける。同じエレベーターに乗る学生たちの顔もアピロと同じように絶望感に溺れていた。
スポロス先生はクラス担当教授であり、専門は魔術戦闘基礎学。
魔術が発達し、生活や文化は飛躍的に向上した。大陸続きであるこの国の技術を欲しがる国は意外にも多いものの、国王は周辺の国王たちと友好な関係を築くことができているため、国同士の争いは歴史の教科書に載るくらい昔のこと。
それでも、中には魔術を悪用する者もいるし、国境周辺には魔物もいる。国に災いが起きた時にはこの学院の出身者のみならず、住んでいる魔術師は誰もが協力しなければならない。それは国としての決まり事だ。そういったことに対応するための技術を学ぶのが魔術戦闘基礎学。アピロ達三年生は防御と簡単な攻撃術式を使える必要がある。上級学年になれば、魔物やテロの対策警備部隊を志すコースを選び、戦闘学を主に選ぶ人もいると聞く。
それを専門としているスポロス先生が出す課題は恐らく魔術戦闘基礎学に違いない。そしてそれには、基礎以上の魔術操作を求められる。苦手なだけに、課題をクリアすることができるか今から不安しかない。
ふと、自分のローブをアピロは見る。自主練含めて、どのくらい失敗したのかもうわからない。裾や袖が擦り切れてしまっていた。ローブは学年が上がれば新しいものは配布される。学年を示すボタンも変わるし、より最新の防御術式が組み込まれたものになるのだ。上級学年になればなるほど、危険な術式や道具を扱うためだ。一年でアピロほどボロボロにしている学生はあまり見かけたことが無い。それはそれだけ簡単な授業であること以外の理由はない。
ポーン。
最上階にたどり着き、スポロス先生の執務室の扉の前に向かう。悩んでいても仕方がない。アピロが執務室の扉にノックするとすぐに中から返事が聞こえてきた。ゆっくりと扉を開け、中を覗くと甲冑が並び、槍や楯が壁に飾られていた。さすがは戦闘学を専門にしているだけあり、書物よりも武具や術具が多い。
「ああ、アピロ君。課題の件だね」
部屋の一番奥にある窓に目を向けながら、スポロス先生は穏やかに声をかけてきた。
しかし、言われる言葉にはいつも圧力を感じる。
「エリート血筋の家系でありながら、その実力は嘆かわしいね。最も、突然変異種のような家柄ではないですし、本来の君の家系の血筋としての能力も発揮すれば造作もない課題ですよ。ことは、その紙に書いてあります」
丸められた羊皮紙を指示される。こちらを一度も見ようともしてこないスポロス先生の声はどこまでも穏やかだけど、どこか険がある。少しの苛立ちを覚えてから、シュルっと羊皮紙を開くと、そこには一文だけ書かれていた。
『担当教諭が指定する相手を行動不能にさせること』
見たこともない課題に首をかしげる。それに、これまで魔術戦闘基礎学では対人戦はしたことが無い。やったことがあるのは低級人工ゴーレムくらい。その時のアピロは攻撃魔術の術式が上手く展開できず、得意な武術で乗り越えてしまった。人が殴る力でノックダウンできるくらいのレベルで良かったと、あの時は胸を撫でおろしたものだ。
この課題も最悪素手で拘束すれば良いとして、問題は。