TANT'È AMARA CHE POCO È PIU MORTE
墓地に刻まれたラテン語は、
この様に語る・・
TANT'È AMARA CHE POCO È PIU MORTE.
それは苦く、死に限りなく近い
ああ、友よ。
この美しい大地とは、
命の死骸で作られている。
土壌は、
貂熊や線虫の排泄物で作られ、
それらは死体である。
故に、
この世界は
深い陰鬱な墓地であり、
自我など、
その美しい輝きや、形状を
絶望の土で維持する事ができない。
我々は理性と共に、
墓地を歩いている・・
ああ、希望を秘め、
地上を這い回る肺である我らは、
しかし、捻髪音を響かせながら、
擦った傷口から
可能性という
滲出液をしたたらせ、
失っていく・・
その滲み出た血も、死である・・
やがて、それらは土となる。
墓地に刻まれたラテン語・・
TANT'È AMARA CHE POCO È PIU MORTE.
それは苦く、死に限りなく近い
という文字からは、
クー・デュハと呼ばれる
無数の黒いカタツムリが這い出し、
この貝共は、
世界を審判の時まで
半永久的に這い続ける。
彼らは生来的な骨肉腫を患っていて、
崩壊し続けはするが、
その頑丈な貝のおかげで消失はしない。
すなわち、
病んだ臓物である。
さて、
我らは、命の無い墓地に生まれた
命という異物である。
息をする異質な肺である我らは
やがて最も安定した形状・・
すなわち[死]という状態に
治療されていく。
しかし、
肺は、貝と違い、
歌を歌う・・・
その美しい歌は[罪]と呼ばれる。
罪は、安定した数にとっての剰余であり、
こうした四捨五入されるべき
罪の数式のおかげで
世界は美しく混沌としている。
この歌が記された罪のネウマは、
黒いカタツムリによって
湿り気を帯び、滲んで消える。
やがては、
最初から何も無かったかの様に・・
それでも漆黒のカタツムリの貝には、
黒い見えない文字が
こう刻まれているのだ。
罪に自覚的である者は、
常にその罪に身を焼かれ、
それ故に魂は楽園で満たされる・・
ああ・・
わかりますか?
大天使ミカエル・・
我が友・・
この世界は
深い陰鬱な墓地であり、
自我など、
その美しい輝きや、形状を
絶望の土で維持する事ができない。
また、それを美とするしかない・・