前編 「コレクター気質の父娘が残したお菓子」
朝食の仕込みをしようと冷蔵庫を開けた瞬間、私が先程まで感じていた目覚めの爽やかさは、まるで煙みたいに跡形もなく消え去ってしまったわ。
右扉の裏側に設けられたドアポケットは、本来なら鶏卵を収納するためのスペースであるはず。
だけど今そこに収まっているのは、形こそ卵に瓜二つだけれども、その実態は似ても似つかぬ代物だったの。
色は焦げ茶で微かに甘い香りが漂い、オマケに切れ目が入れられている。
こんな卵が、この世に存在してたまる物ですか。
そっと指先で持ち上げてみると、切れ目に沿って綺麗に半分に分かれ、中の空洞がハッキリと確認出来た。
その瞬間、私は全てを察したのよ。
「修久さんったら、また中のオマケだけ抜いてチョコを放ったらかしにしたのね…本当に、仕方のない人!」
未だ布団の中で夢を見ている真っ最中の夫に毒づきながら、私は卵型チョコレート菓子を思いっ切り噛み砕いたの。
「なかなかウィットに富んだ冗談じゃない、修久さん。御丁寧にも卵の透明パックの中に入れるなんて、手が込んでいらっしゃるわ。」
会社へ持って行く弁当を受け取りに現れた夫の鼻先に、私は卵型チョコレート菓子の下半分を突き付けたの。
「いや、その…外側のチョコレートが壊れないようにと思ったんだよ、樟葉…」
動かぬ証拠を突き付けられた夫は、媚びるような半笑いを浮かべるばかり。
視線も左右にウロウロと泳いじゃって、情けないったらありゃしない。
「修久さん…私は別に、『チョコ卵漫を買うな!』とは言いませんよ。修久さんが子供の頃から大好きだった怪獣のミニフィギュアがオマケに付いている事も、よく存じております。」
夫の修久は俗に言う「特撮マニア」で、巨大ヒーロー物の「アルティメマン」や等身大ヒーロー物の「マスカー騎士」といった特撮ヒーロー番組を熱心に視聴し、関連グッズも色々と集めている。
対象が何であれ、情熱を燃やせる心の糧があるというのは良い事だと思うの。
そもそも振り替えってみれば、私と夫の今の仲だって、大学時代に映研で製作したアマチュア特撮映画がキッカケなのだから。
「しかし、お菓子を放ったらかしてオマケだけ集めるなんて、それは少し虫が良過ぎるという…」
とはいえ、今は示しを付けなければならない時ね。
少し嫌味な口調になってしまったけれど、ここは妻としても母親としても毅然とした態度で臨まないと。
「ちゃんと後で食べるよ、樟葉!だけど、お菓子で満腹になるなんて娘に示しがつかないし…」
こんな形で娘を引き合いに出すなんて、父親としてどうなんだろう?
そもそもオマケ目当てでお菓子を残す行為も、示しがつかない点では同じだと言うのに。
「ああ、ゴメン!もう行かなくちゃ!今日は会社へ行く前に、コンビニでチケットを発券しないといけないんだ!」
こう言い残すと、夫はまるで私から逃げるように出勤していったの。
長女の京花が堺市立榎元東小学校から帰宅したのは、午後4時半を少し回った頃の事だった。
「あら?京花ったら、また買い食いをしてきたのね。」
「そうだよ、お母さん!通学路にある駄菓子屋に、『不可思議少女 ヤマトなヒミコ』のカードウエハースが入荷したからね。思わず買っちゃったんだ。」
京花は全く悪びれる様子もなく、玄関先でウエハースを頬張っていたの。
黄色い通学帽からはみ出たサイドテールが揺れる度に咀嚼音が響き、ウエハースの粉がポロポロと足元へこぼれ落ちていく。
どうやら京花は、カード欲しさに開封したウエハースを食べながら下校していたみたいね。
夫の影響か、或いは精神的遺伝なのか。
京花もまた特撮ヒーロー番組の熱心な視聴者で、ここ最近では女児向け特撮コメディの「不可思議少女」シリーズが特にお気に入りだった。
オマケの食玩目当てにお菓子を買い集めるのも夫同様で、スーパーや駄菓子屋へ行くと、不可思議少女シリーズのコレクションカードが付いているウエハースを必ず購入しているのよ。
「とにかく、今そうして持っているウエハースを食べてから上がってちょうだい。家の中に蟻さんなんか連れ込まないでよ。」
「はいはい。分かってるよ、お母さん…」
面倒臭そうに返答した京花は、また玄関先でウエハースをバリバリと頬張始めたの。
サイドテールに結った髪を黄色い通学帽で覆い、リコーダーの突き刺さった赤いランドセルを背負った、通学スタイルそのままの出で立ちでね。
ウエハースに口内の水分を持っていかれたのか、帰宅した京花は脇目も振らずに冷蔵庫へ直行したの。
「やったね、新品のサイダーがある!ホームサイズだけど開けちゃって良いよね、お母さん?」
京花は随分と機嫌が良いらしく、鼻歌に合わせて頭を左右にユラユラと振っていたの。
大方、お目当てのカードを引き当てられたという所だろう。
「サイダーは開けて良いけど、開封したウエハースを冷蔵庫に入れちゃ駄目よ。食べ切れないのにカード欲しさに袋を開けるなんて虫の良い考えは、お母さん許さないから。」
「うっ…!」
どうやら図星だったみたいね。
能天気な鼻歌は中途半端な所で打ち切られ、さっきまてリズミカルに揺れていたサイドテールもピタッと静止してしまっている。
まるでアジトへ踏み込んで来た政府軍に銃口を向けられた、敗色濃厚のゲリラ兵みたいね。
「アハハ…な〜んだ、気付かれちゃってたんだ。」
媚びるような半笑いを浮かべる娘の顔は、今朝方にも見たような気がする。
顔の造作だけは私に瓜二つなのに、性格や趣味は夫に似てしまったんだから。
子育てというのは、本当に一筋縄でいかない物ね。
「お父さんも罪作りだよなぁ…お父さんがチョコ卵漫を食べ切っていれば、私にまで迸りは来なかったのに。まあ、ダブった怪獣フィギュアを貰った私が言えた立場じゃないけどさ。」
お小遣いの限られている小学生の娘からすれば、たとえ父親がダブらせたフィギュアであっても有り難いだろう。
後は余ったお菓子さえ活用出来れば、本当に無駄が無いのだけれど。