準備万端
―――あれから一週間後の、昼下がり
太陽が人々を真上から照らす時間帯。週末である今日は、子供たちは公園で遊び、大人たちはデートをしたり、各々の週末を過ごしている。
そんな中、町中のとある二階建ての家の一室にいるその子供は、部屋の隅っこにあぐらをかいて座ったまま、目をつぶり眉すらも動かさずに、かれこれ三時間はずっとこうしている。
彼の前は、というより彼のいる部屋全体をさして言っても良いことだが、酷く散らかっている。
元々、彼の部屋には、実にいろいろな本が置いてある。生物の本、天文学の本、様々な国の歴史書といった学問に関しての本の他、推理小説や御伽噺、童話、そのほか著名な作家の作品から、本屋の隅に置いてあったマニアックな内容の本まで、実にたくさんの本が壁際に設置された本棚にぎっしりと埋められているのだ。
しかしながら今日は、その棚の一部に隙間ができ、床に本が広げられたままになっていたり、紐に瓶、鉄製の棒、草木や砂、絵画に生きた魚、何かの薬液まで、とにかくいろんなものが地面一杯に広がっている。当然、この子供もそれに気づいている。気づいてはいるが片付けるよりも、もっと重要なことがあるためにほったらかしにしている。
そんな中である。ひとつの変化が起こった。もちろん、それは今までに起きたようなこの部屋を散らかすものではない。三時間の末に、彼の望んでいたような変化が起こりだしたのだ。
目の前にあったでこぼこの鉄の塊が宙に浮き、更にはその形を変えていく。粘土のように、グネグネと動き、まるで手で揉まれているような動きで何かの形を模っていく。
細長く、七三の比率で、長い方は薄く平らに、短い方は丸く筒状に。どんどんと形はハッキリとし、ついにその形が完成する。鋭くとがった剣先に、滑らかで直線の刃、握りやすい下半身。
それは直系、約四十センチほどの短剣だった。
「...っ、たはぁぁぁぁあああ。疲れたけど、ようやくできたっ!」
ようやく、その子供『ハベル』は目を開け姿勢を崩す。五日間かけて試行錯誤を繰り返し生み出した、自分なりの魔法。仮にこれが魔法でないといわれても、僕にとっては魔法以外の何でもない。だって何の道具も無しに、たった数分で鉄製の短剣を作ったのだから。しかも手を触れずにだ。魔法でなくとも、不思議な力を使っているのは間違いない。
「...ようやく、魔法を使えたんだ」
この一週間で、身体能力の出力調節の仕方や五感の鋭さの調節の塩梅を把握し、ついに今日魔法を使えるようにな...失礼、まだ分からないので魔法(仮)を使えるようになったということにしておこう。
とにかく、僕は周りの人たちが絶対にできないことができる力を手に入れられたのは間違いない。疑いようもない、不思議な力だ。あの日以来、体に何が起ころうとも少しばかり、魔法が使えるなんて嘘なんじゃないかと思っていたけれど、杞憂だったみたいだ。
何も教わらずとも、鉄を供物に剣を生み出すことができたのだから。
これでようやくシャングルファンさんから、魔法を教わることができるはず。さっそく明日にでも、あの場所に行こう。今からでも行きたいところだけれど、いつ帰ってこれるか分からないし、流石に今日行くのは...
「でも、まだお昼だし?ちょっと行って、少しだけ魔法のコツか何かを教えてもらって...」
そのくらいならいいんじゃないか?
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―――結局、自問自答をしていながら、体は正直で、自然に足が林へと向かっていた。
そうして例の林に来て、この間、茂みを見つけたあたりまでやってくる。しかし当然、というかなんとなくそうなんだろうな、と思っていた通り、そこには茂みの影も形もなかった。
だから魔法の地図を広げる。彼から貰った、あの場所へ戻るための地図だ。
しかしこの地図、あの日帰ってきてからすぐに一度見たけれど、変わらずに白紙だ。あの日から何の変化もない。
地図の見た目は、少し古びていて、端っこがボロボロになっている。恐らくだけど、だいぶ前のモノなのだろう。少なくともここ数年で作られたものではないはずだ。
さて、彼は魔法が使えれば自然とその地図であの場所へと行ける、みたいなことを言っていたはずだ。
つまり、この地図を持って何かしらの魔法を使わなくちゃならない、とかそんな感じだと思う。でなきゃああいうことは言わないはずだ。
そうなると、僕が今使えるのは材料を想像した物に変化させる魔法だけ。これが合ってるのか、それとも見当違いのものに時間をかけてしまったのかが分かる。まあ、彼は具体的なことを一つも言わなかったんだし、そんなに難しいものではないのも確かだ。少なくとも、数日で習得できる何かのはず。
「...だとしても、この地図になにをすればいいの?」
結局、なにも解決していなかった。僕は一体なにをしていたんだろう?魔法が使えると有頂天になっていて、色んな魔法を覚えられる機会を失ったなんてことになったら、僕はショックで寝込んでしまう自信がある。
うだうだ考えていても何にもならないし、とりあえず彼の...シャンさんのいたあの場所をこの地図に映し出せるかやってみよう。
容量は、今日までに幾度となくやってきたやり方と同じ。結果を想像して、力を込めるだけだ。そしてその間、どういう過程を踏んで表すのかを想像することが成功する鍵になる。家で魔法を使った時に、それを重要視してやった結果成功したのだから、これが大事だという可能性は大いにあるだろう。
僕は、地図を目一杯広げて、目をつむる。頭に思い浮かべるのは、違和感のある茂み、永遠と続く一本道、そして背の高い木に囲まれ、印象的な煙突のついた小屋。
それをぐるぐると頭の中で何回も、そこを入り口から目的地までを歩く想像をする。そうすると次第に、体の中から不思議な力が腕を通して流れていくのがわかる。これだ、家で魔法を使った時と同じ感覚。うまくいっている証だろう。
そうしてしばらくすると、力が流れる感覚が弱まっていき、ある時を境にパッタリと止む。成功したのか、失敗したのか、気持ち的には、結構長い間力を使ったし、成功していてほしい。
というか、そもそもこれで成功しなかったら、他の解決策でも見つけない限り、僕はもうあそこには戻れないことになる。
それに合わせて目を開ける。
「ーーーよく戻ったな」
ついこの間みた、例の悪魔が僕を見てニッコリと笑っていた。