風変わりな次期君主 1
バタバタバタ!
荒い足音が聞こえてくる。
どんどん近づいていた。
聞こえてはいたが、リロイは、とくに慌てもしない。
すぐに、バンッ!と、扉が開かれる。
「リロイ! お前、逃げやがっただろっ!」
自室の書き物机の前に、リロイは座っていた。
リスが、ずかずかと歩み寄ってくる気配がする。
が、視線も顔も上げずにいた。
リロイは、ディーナリアスの側近なのだ。
リスの部下ではないし、叱責する権利も、リスにはない。
だから、涼しい顔でいる。
「ディーンのせいで、嫁が倒れたことくらい、わかってたんじゃねーのかよ!」
「我が君のせいではありませんよ、リス。妃殿下に、教育をすることを、怠った者たちのせいです」
建前で言っているのではなかった。
リロイは、本気で、そう思っている。
そして、わずかばかりの苛立ちと不快さも感じていた。
(我が君は、さぞ御心を痛めておられるでしょうね……)
自分の「嫁」が、碌な貴族教育もしてもらえずにいたのだ。
その境遇に、ディーナリアスは、きっと胸を痛めている。
リロイの主は「嫁」を大事にしようとしていた。
主の気持ちを思うと、「ディーンのせい」というリスの言葉は、到底、受け入れられない。
「たしかに、それはそうだな」
言葉に、顔を上げる。
リスは、すでに、いつもの冷静な表情を浮かべていた。
ブルーグレイの髪と瞳。
キツネのような細い目の奥にある瞳は丸く、目全体の大きさには、不釣り合いなほど、大きい。
細身でひょろっとしており、軟弱そうに見える。
が、それは、リスが、そう見せているに過ぎないと、リロイは知っていた。
魔術が使えない分、剣の腕には長けているのだ。
どかっと、リスが体を投げだすようにして、カウチに腰かける。
深くもたれかけ、両腕を背もたれの上に引っ掛けていた。
のけぞっていて、なんとも傲慢そうな座りかただ。
さりとて、リロイは気にしない。
リスは、ディーナリアスの役に立っている。
リロイの、人に対する価値の判断基準は、それだけだった。
教養だの礼儀だのに優れているかどうかなど、どうでもいいのだ。
「ディーンは、ずいぶんと、あの嫁を気にいっているみたいじゃねーか」
「それはそうでしょう。元々、我が君が仰られたことですし」
「あれには、ウチの国以外の女って意味しかねーよ」
ディーナリアスの兄、現国王カルディサス・ガルベリーは病に伏している。
魔術師も侍医も、あと1年ほどだと口を揃えて結論していた。
そのため、早々に次期国王を決めなければならない。
空位は、絶対に許されないからだ。
次期国王は、ガルベリーの直系男子が条件となっている。
大勢の王族から選ばれたのがディーナリアスだ。
もちろん、絶対条件は満たしている。
ディーナリアスは、ガルベリー11世ザカリー・ガルベリーの玄孫だった。
そして、その兄、ユージーンの曾孫でもある。
つまり、父方の高祖父がザカリー、母方の曾祖父がユージーンなのだ。
血筋としては、申し分ない。
しかも、独り身だった。
次期国王は、正妃選びの儀をもって正妃を選び、即位する。
それが通例でもあった。
だから、即位を避ける王族の者は、さっさと婚姻してしまうのだ。
昔は、即位までの間、許婚とし、建前的に、正妃選びの儀を執り行う、といったこともしていたようだが、今では、そんなことはしない。
(国王とは、国の平和と安寧のための存在ですからね。平和な時には、ただ王宮で暮らすのみ。退屈であるのが、ある意味、求められているのでは……誰も、やりたがりませんよね)
が、リロイとしては、ディーナリアスが国王になることを望ましいと思う。
本人は否定するだろうが、彼は「国王向き」なのだ。
生真面目過ぎるほど、生真面目なところとか。
それを自覚しておらず、苦にもしていないところとか。
「それにしても、リス、あなたには呆れますよ」
「ディーンを逃がすわけにはいかなかったんでね」
リスは、悪びれもせず、平然としている。
ディーナリアスは、即位から逃れようとして、条件を出した。
それが「正妃とするのは他国の女性」だったのだ。
ところが、リスは、とっくにディーナリアスの条件を予測済み。
言われる前から、準備済み。
正妃選びの儀まで、ちゃっかり段取りをつけていた。
ディーナリアスは、あの日に初めて「即位しろ」とリスに言われている。
そこから、正妃選びの儀まで、約半日。
あっという間に、ディーナリアスは、次期国王の座につかされてしまった。
「即位から逃げるってなれば、それしか手がねーからな。ロズウェルドの女だと、誰だってディーンの嫁になりたがっちまうだろ」
さも簡単だと言わんばかりに、リスが肩をすくめる。
リロイも馬鹿ではないつもりだが、リスの頭の回転には、ついていけないところがあった。
だからこそ、リスはディーナリアスの役に立つのだけれど。
「なぜリフルワンスだったのですか?」
「あの国が、気に食わねーからさ」
「あのような小国が、我が国に敵対するとでも?」
「敵対云々じゃねーんだよ」
よくわからないが、リスには「なにか」思うところがあるらしい。
リロイは、少し眉をひそめる。
「言っとくが、あの国を併合する気なんざねーぞ。あんな純潔並みに面倒くせえ国、併合したって損するだけだ」
「リス……」
「今のは、ディーンの嫁を皮肉ったわけじゃねーからな。告げ口すんなよ」
リスが慌てて言い訳をした。
口のききかたはともかく、リスもディーナリアスを尊敬している。
叱責されるのは嫌なのだろう。
リロイは、小さく溜め息をついた。
「リフルワンスは妃殿下の祖国です。手加減は必要ですよ?」
「あ~それは、どうだろうな。ディーン次第ってとこ」
「我が君が動かれると言うのですか?」
「いずれは動くんじゃねーかな?」
ようやくリスの「魂胆」を理解する。
ディーナリアスは「嫁」を大事にするのだ。
その「嫁」は、どうも祖国に虐げられていたようだし、なにかあれば、彼自らが動くことも考えられる。
「オレが、選んだわけじゃねーけどサ」
ディーナリアスを利用しているわけではない、と言いたいのだろう。
相手が大人しくしてさえいれば、なにも起こらないのだ。
さりとて、リスは相手が大人しくしているなどとは思っていない。
気に食わないというのは、なにかがあるからなのだし。
「本当に、あなたには呆れますね、リス」
リロイの言葉に、リスが、ニッと笑う。
キツネのような細い目が、意地悪そうに光っていた。
「まぁ、オレの読みじゃ、あいつらは自滅の一途を辿るだろうぜ」