愛しの生真面目君主様 3
明日は、いよいよ婚姻の儀の初日。
正妃選びの儀から、たったの半年。
けれど、自分もジョゼフィーネも変わったと感じる。
ジョゼフィーネは、よく笑うようになったし、言葉数も増えていた。
なにより、ディーナリアスに向ける視線が変わっている。
それを感じるたびに、胸が暖かくなった。
同時に、自分の中の変化にも気づくのだ。
ディーナリアスは、今まで誰かを「愛しい」と感じたことがない。
好ましいとか、良い人物だと思うことはあっても、積極的な好意をいだいたことがなかった。
女性とベッドをともにしていてさえ「愛」とは無縁で、過ごしてきている。
避けていたのではなく、本当に、そういう気持ちが、わからなかったのだ。
ジョゼフィーネを大事に想うようになって、初めて知った。
それまでは「愛」が、どのようなものか想像もできずにいたが、彼女との関係の中で、実感するようになっている。
(ジョゼとでなければ、愛し愛される婚姻は望めなかったやもしれぬ)
ディーナリアスは、書に従い、愛し愛される婚姻を目指してはいた。
さりとて、言葉で言うのと、実際的なものとは違う。
言うだけなら簡単なのだ。
本物には成り得ない。
それも、今だからこそ、わかる。
「ディーン……どうしたの?」
就寝前の、ひと時。
いつものようにベッドに入っているが、今日は、字引きはなし。
体は起こしているものの、ただ寄り添っているだけだった。
ディーナリアスが黙っているので、不思議に思っているのだろう。
ジョゼフィーネが首をかしげて、彼を見ている。
ディーナリアスは、彼女の頭を、ゆっくりと撫でた。
薄い緑の髪に、菫色の瞳をしているジョゼフィーネは、たおやかに見える。
変わりつつあるとはいえ、急激な変化があったわけではない。
彼女は、未だ頼りなげな雰囲気をまとっている。
そんなジョゼフィーネが、やはり愛おしいし、守りたいと思った。
「緊張しておるか?」
「う……うん……大勢の前に立つなんて、初めてだし……」
「案ずるな。俺が隣にいる」
婚姻の儀では、儀式そのものが終わったあと、民への「姿見せ」がある。
明日から3日間、王宮に民が入ることが許されるのだ。
新年の祝時の際にも、似た行事があるため、ディーナリアスは慣れている。
ただ、今回は自分が中央に立つことになるのが、いつもとは違うところだった。
「ど、どのくらいの人が、来るの?」
「1,2万人程度……いや、3万人ほどであろうな」
「そ、そんなに……想像つかない、よ……」
ジョゼフィーネが、少し不安そうに瞳を揺らがせる。
その瞳を見つめ、ディーナリアスは目を細めた。
2人で、民の前に立つ姿を想像する。
ジョゼフィーネは、ぷるぷるするかもしれない。
「王宮の立ち見台から、手を振るだけだ。回数が多いゆえ、ずっと緊張しておると疲れるぞ」
「お昼前と、お昼のあと、2回ずつ、だよね?」
「そうだ。3日間で6回もあるのだし、すぐに慣れる」
立ち見台にいる2人と、民との距離は、それなりに離れている。
1人1人の顔の判別がつくかつかないか、くらいだ。
至近距離ではないので、慣れれば緊張もほどけるだろう。
ディーナリアスも、いつも、たいして「にこやか」な演技などしていないし。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネの両手を、自分の手のひらに乗せる。
その手を、じっと見つめた。
ジョゼフィーネが怪我をした時と同じ仕草だ。
「ジョゼ」
「……はい……」
ジョゼフィーネは、本当に鋭敏な「察する」という能力を持っている。
悪意から身を守るすべだったのだろう。
人の放つ「雰囲気」を察して、緊張したり、危険を察知したりするのだ。
今は、ディーナリアスの声音に、緊張している。
「俺は、明日、国王となる」
「はい……」
「それで何が変わるということはない。俺自身はな」
ジョゼフィーネの手から、彼女の顔に視線を移した。
瞳を見つめて言う。
「だが、国王とは民の平和と安寧のための存在だ。国の乱れを、治めねばならぬ」
ディーナリアス個人の意思とは無関係に、その責任を負うのだ。
即位に応じた際には、自分1人の責だと思っていた。
負うのは自分だけだという勘違いに、今さらに、気づいている。
もちろんジョゼフィーネに、同じだけの責を負わせるつもりなどない。
ただ、無関係でもいられないのが、現実なのだ。
「そのために、俺は……お前に、どうしても言えぬことがある」
自分とリスとの関係。
与えられる者と与える者としての役割分担。
これは、たとえ「嫁」であっても、口にはできない。
ジョゼフィーネを、信頼しているとかいないとかの問題ではなく、知る者を限定することに意味があるのだ。
「いずれ必ず話す。それまで、待っていてほしい」
ジョゼフィーネは、前世の記憶のこと、心を見る力のことを話してくれた。
秘密にしておくのが心苦しかったに違いない。
(嫁に隠し事をするなら墓場まで……これは、とてもできそうにない)
ディーナリアスだって、隠し事をするのは後ろめたいのだ。
とくに、ジョゼフィーネは打ち明けてくれているのに、との気持ちがあるので、なおさら罪悪感をいだいている。
ディーナリアス個人からすれば「たいしたことではない」と思ってもいた。
ただ「国王」としては「たいしたこと」として扱わなければならないのだ。
「ディーン、真面目、だね」
ジョゼフィーネが、なぜか笑っている。
ディーナリアスの隠し事について気にした様子もない。
「隠し事は……黙ってするもの、だよ……隠し事があるって、言わなくても」
「それはそうかもしれぬが、隠し事を持っていることが、落ち着かぬのだ」
「…………隠し子、とか、じゃない、よね……?」
「いや、違う。そういう方向ではない、隠し事だ」
「だったら、大丈夫。話してくれるまで、待つ、よ」
ジョゼフィーネは、気を悪くしてもいないらしく、にっこりする。
その笑顔に、胸が、きゅっとなった。
彼女からの本当の信頼が得られていると感じる。
ディーナリアスは、ジョゼフィーネを抱き寄せた。
ぎゅっと抱きしめて、頬に頬をすりつける。
「俺の嫁は、なんという出来た嫁だ」
言葉でも態度でも、彼女を傷つけるようなことはするまい、と心に誓った。
ディーナリアスの頭に、改めて書の言葉が蘇る。
ユージーン・ガルベリーの書
第1章第2節
『嫁(妻となる女、または、妻となった女の別称)は、いかなることがあっても守り、泣かせてはならない。また、誰よりも大事にし、常に寄り添い合い、愛し愛される関係を築く努力をすべし』




