影と日向 3
後ろから抱きしめてくれる腕に、安堵が広がった。
アントワーヌを睨んでみたものの、膝はガクガクだったのだ。
ドレスで隠れていなければ、ジョゼフィーネの怯えは隠しきれなかっただろう。
「む、迎えに……」
「俺は、片時も愛しき嫁と離れてはおれぬのでな」
すり…と、髪にディーナリアスが頬ずりするのを感じる。
その言葉と仕草に、どきどきした。
そんな場合でもないのに。
「そ、そんな女は、わ、私のジョージーではない! 魔術師などに成り下がって、人の心を盗み見るとは……っ……」
アントワーヌが声を上げる。
びっくりしたのと同時に、焦った。
(ち、ちが……っ……魔術師になった、とは、言ってない!)
アントワーヌに誤解させ、警戒心をいだかせるつもりはあったが、あまりにも、勘違いが、はなはだしい。
魔術みたいなものが使えるのと、魔術師になったというのとでは、まるで違う。
少なくともジョゼフィーネの中では。
「その通りだ」
ディーナリアスが、簡単にうなずいたことに驚く。
アントワーヌは、はっきりと「心を盗み見る」と言った。
その話は、まだディーナリアスにしていなかったのだ。
いつから魔術師になったのかと、不審に思うところではなかろうか。
「ジョゼは、お前のジョージーではない。俺の嫁だ」
そっちですか。
ディーナリアスが肯定したのは、アントワーヌの言葉の前半部分らしい。
彼は、ジョゼフィーネを、ずっと抱きしめたままでいる。
肩口から回された腕が、首元でゆるく交差していた。
「時に、そのナイフはなんだ? なぜ、そのようなものを、俺の嫁に向けておる」
アントワーヌの手の中で、ナイフの先が小刻みに震えている。
アントワーヌ自身が震えているからだろう。
顔色は青どころか白くなっていた。
それほどに魔術師が怖いのかもしれない。
(前に……ディーンに、ぱしんってされたから……)
アントワーヌは、ディーナリアスに、以前、雷の魔術を、足元に落とされたことがあるのだ。
サビナの攻撃魔術を見たあとでは、あれが、いかにささやかだったか、わかる。
さりとて、アントワーヌにとっては、同じに違いない。
魔術を、命の危険に直結するものとして理解している。
するん…と、ディーナリアスの腕がほどかれた。
ジョゼフィーネの前に、ディーナリアスが立つ。
この前も、その前もそうだった。
この大きくて広い背中で、彼は、いつだって自分を守ってくれるのだ。
「言うまでもないが」
ディーナリアスが、人差し指を、ちょいっと軽く上下させる。
瞬間、アントワーヌの持っていたナイフの刃の部分が、ぬるりと溶けた。
柄のほうに向かって垂れ落ちて行く。
驚いたのか、恐怖からか、アントワーヌが、慌ててナイフ“だった物”を、放り出した。
「お前を殺す、いや、この世から消し去ることなど、造作もない」
ディーナリアスの声は、淡々としている。
対して、アントワーヌは声も出せずに震えていた。
そんな2人の姿に、複雑な心境になる。
アントワーヌには、本当に感謝していた。
が、自分を殺そうとしていたのも、わかっている。
ただ、それでも、11年という時間は短くはないのだ。
死んでほしいとは、思えずにいる。
思っていたよりも、ずっとアントワーヌが臆病だと知ったからかもしれない。
ジョゼフィーネも受け入れていたので、あえて言わなかったが、アントワーヌは、常に人目を憚っていた。
愛妾の子である自分との関係を、人に知られるのを恐れたからだ。
廃園でしか会わずにいたのも、屋敷でジョゼフィーネを無視していたのも。
こうなる前から、アントワーヌは臆病だった。
薄々、気づいていたが、今の姿を見れば、明白。
臆病さが罪だと言うのなら、自分にも罪はある。
自分が弱過ぎたから本心を言えず、アントワーヌの誤解をずっと正せずにいた。
「お前は、この国の王太子、つまりは、次の国王となる者であろう。それが、このような、国を危険に晒す真似をするとは、どういう了見か。戦争になれば、事は、お前1人の問題ではなくなる。大勢の民が犠牲になるのだぞ」
口調に、ジョゼフィーネは、ディーナリアスの強さを悟る。
彼が、怒っているのは間違いない。
しかし、アントワーヌを殺す気はないのだ。
それは、ディーナリアスが強いからだと、わかる。
「お前は、己の立場をわきまえておらぬ。俺1人に決闘を申し込むのならばよい。だが、ジョゼや自国の民を巻き込むなどとは、王太子のすべき行動ではなかろう」
アントワーヌは震えながら、ディーナリアスの言葉を聞いていた。
他国の王太子から諭されるなど、本来なら屈辱以外のなにものでもない。
よけいな世話だと、突っぱねることもできる。
が、ディーナリアスの言葉には力があり、威厳があった。
人を束ねる者としての資質にあふれている。
これが「王」なのだ。
自然に、そう思えた。
みんなが「この人に仕えたい」と感じるような魅力を、あたり前に持っている。
「この国がどうなろうと、俺は知らぬ。ただ、今回の件を見過ごしにするつもりもない。お前は、他国の妃を攫ったのだからな。代償については、我が国の宰相より追って沙汰する」
改めて思った。
自分も、少しずつでも、変わらなければならない。
ディーナリアスの隣に、ずっといたいから。
いつになるかわからなくても、彼に相応しい「嫁」になりたいから。
ジョゼフィーネは、その背中を抱きしめる。
この人のことが、愛しいと思った。
「……ウチに、帰りたい……」
自分の家は、もうリフルワンスにはない。
ロズウェルドの王宮が、自分の「ウチ」なのだ。
「む。そうであった。お前が疲れておるというのに、無駄口をきいておる場合ではなかったな」
疲れているというわけでもないのだが、やはりディーナリアスは、ちょっとだけズレている。
そんな彼が大好きだった。
面白くて。
ディーナリアスが、くるっと振り向き、ジョゼフィーネを抱きかかえる。
額に軽くキスが落ちてきた。
まだまだ慣れなくて、どきっとする。
ディーナリアスに微笑まれて、ふんわりと頬が熱くなった。
「では、帰るとしよう」
目の前に点門が開く。
ディーナリアスにも使えたとは知らなかったが、あまり驚かない。
ジョゼフィーネは、魔術の難易度など知らないからだ。
門を抜ける前、彼がアントワーヌに声をかける。
「俺は、嫁に関しては心の狭い男だ。次はない。それを心に刻んでおけ」




