ひとりじゃないから 4
ディーナリアスは、ここに、ジョゼフィーネがいないことを知っている。
が、あえて「寄り道」をしていた。
いずれにせよ、待つ必要があったからだ。
さりとて。
目の前にいる男に興味などない。
リフルワンスにも興味はない。
なのに、ジョゼフィーネが巻き込まれている。
彼女を大事に想うディーナリアスに、腹を立てるなというほうが無理なのだ。
リフルワンスを、更地に変えたいくらいの気持ちにはなっている。
けれど、ジョゼフィーネがいるのだから、そうもいかない。
「これはこれは、ディーナリアス殿下。ようこそ、我が屋敷に」
その男が、何者であるかは知っていた。
ファビアン・ソルローという商人だ。
王室御用達の商人らしく、大きな屋敷に住んでいる。
室内も貴族の屋敷に見劣りしないほど豪奢だった。
調度品も装飾品も、財がかかっているのが、よくわかる。
それらを見れば、ファビアンという男の性質も読み取れた。
非常に自己顕示欲が強い。
にもかかわらず、抑圧されている。
ファビアンは、金のかかった服を仕立てさせてはいるようだ。
が、貴族的ではない。
タキシードの丈も形も、フォーマルさには欠けていた。
気取りがない気軽な略式礼装とも見えるが、それにしては仕立てが良過ぎる。
目立ちたいが、目立ち過ぎると貴族らの反発を招きかねない。
その妥協点として、こうした服を身につけているのだろう。
ファビアンの内側には、貴族や王室に対しての不満があふれている。
それを隠し、商人などをやっていれば、抑制しなければならないことも多かったはずだ。
「座って、お話でもいかがですか? なにしろロズウェルドの次期国王と、お会いできる機会など、そうはありませんからね」
大きなソファをファビアンが勧めてくる。
当然だが、ディーナリアスに座る気はなかった。
彼は、ジョゼフィーネを迎えに来ただけなのだ。
ファビアンの思惑など、どうでもいいと思っている。
ディーナリアスが室内に現れても、ファビアンは驚かなかった。
魔術師に慣れているといった態度だ。
「お掛けくださらない? それでは、立ち話でもいたしましょうか」
基本的に、魔術師はロズウェルドにしかいなかった。
魔術師は国王との契約に縛られているため、王宮との関係を断ち切れない。
国外に行けば、契約は破棄される。
そうなると魔力の分配が受けられなくなり、魔術師ではいられなくなるからだ。
「私の元には、魔術師がいましてね。よく働いてくれていますよ」
ただ、何事にも、例外はある。
魔術師ではないが、それなりの魔力を持つ者が存在していた。
王宮魔術師たちは、そうした者たちを「半端者」と呼ぶ。
王宮に属していないのに魔力を維持できる、どっちつかずの者、という皮肉だ。
その「半端者」たちの共通点は、ただひとつ。
王宮を、極端に忌避しているということだった。
だから、ファビアンになびいていたとしても、不思議はない。
ロズウェルドでは異端とされるため、己の魔力を隠しておかなければならないが、リフルワンスでは重宝されるだろうし。
とはいえ、ディーナリアスからすると、予測の範囲内の話だった。
わずかにも驚きはない。
王宮内の魔術師の中にも、ファビアンに手を貸している者がいると踏んでいる。
エドモンドの件があった時から、ディーナリアスにはわかっていた。
そのためエドモンドに対して容赦しなかったとも言える。
王宮内にいる「裏切者」に警告する意味もあった。
それでも、ファビアンの財力の魅力には抗えなかったらしい。
魔術師でいることより、リフルワンスでの優雅な生活を選んだのだ。
魔術師には格というものがあり、上に行けるのは、ひと握りの者だけだった。
しかも、ディーナリアスが即位すると決まった時点で、魔術師長という役目も、最側近であるリロイが横滑りすることに決まっている。
上級魔術師といえど、誰もが己の評価に満足しているわけではない。
不満をいだく者をかかえこむのは、簡単だっただろう。
「私は、リフルワンスの王室や貴族が嫌いなのですよ。民から搾り取っているとの自覚もなく、贅沢三昧。少しは、民を尊重する姿勢を見せろ、という話です」
ディーナリアスは、ファビアンの言葉を、いっさい信じていなかった。
貴族を「贅沢」だと批判しながら、ファビアン自身、たいした違いはない。
ファビアンは、ただ、上に立つ者が気に食わないだけなのだ。
それを、あたかも「民の意思」のように語っている。
「アントワーヌは、いい例でしてね。あいつは、俺を友人だと抜かす。そのくせ、夜会などでは、“ああ、ファビアン、すまない、ここは貴族しか入れない”なんぞと言う。本音では、俺を友人などとは思っていないし、見下している」
ディーナリアスは、ファビアンの「愚痴」を聞き流していた。
アントワーヌから受けた仕打ちを恨んでいるようだが、それならリフルワンスを去れば良かったのだ。
ファビアンは商人であり、財力もある。
ほかの国に行っても成功できただろうに、あえて居座っているのは、自己顕示欲を満たすために過ぎない。
そして、そんなつまらないことのために、ジョゼフィーネを巻き込んだ。
ファビアンがリフルワンスをどうしようが、ディーナリアスには関係なかった。
王宮内にいる「裏切者」たちは、いずれリフルワンスに移住する。
それならそれで、掃除ができていいとさえ、思っていたのだ。
ジョゼフィーネを巻き込むことがなければ、ファビアンも、裏切者の魔術師も、半端者たちも、放っておくつもりでいた。
ディーナリアスの腹立ちは、ジョゼフィーネを危険に晒していること。
その1点に尽きる。
「ロズウェルドから正妃をとの申し入れがあったのは、まさに好機だった。根回ししてきた甲斐があったというものさ。ロズウェルドの貴族も魔術師も、リフルワンスの奴らと変わらず、金には弱くてね」
ファビアンは、自分の策を誇らしげに語っていた。
その声だけが響く室内の空気が、じわりと変わる。
ディーナリアスの待っていた風が吹いていた。
「お前は、勘違いをしておる」
すうっと、体からリスに与えられていた魔力が消えていく。
これを、ディーナリアスは、待っていたのだ。
(判断が遅いではないか、リス)
リスの判断が遅いから、くだらない話を延々と聞かされるはめになった。
と、ちょっぴり、リスに腹を立てる。
「お前は、俺が何者かを知らぬのだ」
ディーナリアスは、少しだけ顎を持ち上げた。
そして、目を伏せ、頭を軽く左右に振る。
ふわりと、髪が揺らいだ。
ゆっくり目を開く。
「……そ、そん……っ……」
ファビアンが、狼狽えた声を上げた。
ディーナリアスは、本来の姿を見せている。
黒髪、黒眼。
それは、リスも知らない、本当の姿。
かつてリフルワンスの兵、数十万を皆殺しにし、戦争を終結させた英雄であり、恐怖の象徴でもある人物。
大公こと、ジョシュア・ローエルハイド。
ディーナリアスは、その血の力を、受け継いでいる。




