ひとりじゃないから 2
ジョゼフィーネは、ゆっくりと目を開く。
視界に、灰色が映っていた。
瞬きをするうちに、それが何かわかる。
石でできた天井だ。
硬いベッドの感触がある。
(ここ……どこ……?)
王宮でないのは確かだった。
ジョゼフィーネは、ディーナリアスの私室から、あまり出ない。
外に出るとしても、王宮内の庭くらいのものだ。
どこも綺麗で、汚れた場所などなかった。
それに、周囲は薄暗い。
王宮で眠る前に灯される明かりは、ほんのりとはしているが、暖かいやわらかみのある光を投げかけてくる。
ここには、陽が落ちてから訪れた時の、あの「廃園」に似た雰囲気があった。
さりとて、室内であるのも間違いない。
屋敷に連れ戻されたわけではなさそうだった。
「ジョージー、大丈夫かい?」
体を起こしたジョゼフィーネの傍に立っていた人物を見上げる。
声で、気づいていた。
「トニー……?」
アントワーヌが、ベッド脇に立っている。
まだ状況に、理解が追い付かない。
けれど、アントワーヌがいるということは、ここはリフルワンスなのだろう。
なんとなくロズウェルドでない気がするのだ。
なにしろアントワーヌは、ロズウェルドには入れなくなっているのだから。
「こういう方法しかなくてね。本意ではなかったけれど、魔術師に、きみを連れて来てもらったのだよ」
「魔術師……」
だんだんに、記憶がはっきりしてくる。
私室に現れた魔術師と戦ってくれていたサビナ。
圧倒的にサビナのほうが強かったが、結局、自分は攫われてしまったのだ。
もっと早く4人目に気づくべきだった。
(サビナ……心配してる……ディーンも……)
ロズウェルドのことばかりが気にかかる。
なにより、ジョゼフィーネは、ここに居たくない。
ロズウェルドの王宮に帰りたかった。
ディーナリアスの元に。
「きみが言ったことは……本心ではなかったと、思う。きみは、魔術をかけられているのだよ。おそらくはね」
見つめる先にあるアントワーヌの瞳が、濁っている。
酒を飲んでいるようだ。
周囲にも酒の匂いが漂っている。
だからだろうか、アントワーヌを知らない人のように感じた。
「魔術師のいる国だと、あの男も言っていた。そのことを考えておくべきだったと悔やんでいる。魔術をかけ、あの男はきみを操っていたのだろう」
アントワーヌの言うことは間違っている。
とまでは、言い切れないかもしれない。
ジョゼフィーネは、実際的な魔術については知らないのだ。
もしかすると人の心を操る魔術だってあるかもしれない、とは思う。
前世の記憶にある漫画やアニメの中で、そういう話は少なくないし。
(でも……ディーンは、そういうこと……しない……する必要ないから……)
少々、自虐的ではあるだろうが、自分にそこまでの価値はない、と思える。
ディーナリアスは大国の王太子だ。
好きに正妃を選ぶ権利がある。
他国の女性だとの条件があったとしても、あの大広間に並びたがる者は大勢いるはずだった。
なにも「自分なんか」を選ばなくてもいい立場なのだ、ディーナリアスは。
魔術で操ってまで自分にこだわる理由がない。
そして、もし仮にそうだったしても、かまわない気もする。
ディーナリアスが自分にこだわってくれるのなら、それはそれで嬉しいからだ。
さりとて、やはり彼はそんなことはしないのだ。
(魔術なら、簡単かもしれないけど……ディーンは、ちゃんと話をしてくれる)
人の心を操れるのなら、あんな手間のかかることはしない。
ぐずぐずと泣き言ばかり言う自分との会話など、とっくに打ち切っている。
ジョゼフィーネの中には、生真面目に対話を試みようとするディーナリアスの姿が焼き付いていた。
ジョゼフィーネが泣いただけで狼狽える姿も見える。
魔術を使うのであれば、はなから泣かないようにしておけばいい。
なんでも都合良く、言うことを聞かせられるだろうし、思いのままだ。
にもかかわらず、ディーナリアスは、常にジョゼフィーネと話をしようとする。
ちゃんと待ってくれる。
「ジョージー、私はきみにかけられた魔術を解いてあげたいと思っている」
その言葉を、ジョゼフィーネは否定しかかって、やめた。
アントワーヌに呼び出されて会った時のことが、頭をよぎったからだ。
ジョゼフィーネの本心に、アントワーヌは怒っている。
何を言っても聞いてくれそうになかった。
むしろ、危うい。
ジョゼフィーネは、そう感じる。
本音を口にしたり、アントワーヌの言葉を否定したりするのは危険。
怒らせれば、何をされるかわからない。
もとより彼女は、自分に向けられる悪意には敏感なのだ。
心を守るすべがないから、ことさらに危険を避けようとするし、逃げもする。
その鋭敏さが、ジョゼフィーネに警鐘を鳴らしていた。
今、目の前にいるのは、幼馴染みで優しかったトニーではない。
そして、自分も、アントワーヌの望む、ジョージーではないのだ。
「きみは、私のものだ、ジョージー」
アントワーヌが手を伸ばしてくる。
その手に、そっとジョゼフィーネは、自分の手を乗せた。
アントワーヌに手を引かれ、ベッドから出て、立ち上がる。
ホッとした顔をするアントワーヌに、背筋が冷たくなった。
殺されるかもしれない。
直感的に悟っている。
アントワーヌは、アントワーヌの望む「ジョージー」しかいらないのだ。
それ以外は受け入れようとしない。
どんな自分であれ受け入れてくれたディーナリアスとは違う。
ディーナリアスといる時の安心感とは真逆の危機感をいだいていた。
(私のせい……? 私のせいで……)
思いかけて、その思考をストップさせる。
アントワーヌが自分のせいで変わったのだとしても、ジョゼフィーネは、もう「ジョージー」には戻れない。
はっきりしているのは、ここで死ぬわけにはいかない、ということだけだ。
この人生は。
ディーナリアスとともに生きていく人生だけは、諦めたくなかった。




