一身上の都合 4
アントワーヌは、ロズウェルドから戻って以来、荒れていた。
ジョゼフィーネを失ったこともだが、それよりも。
「ディーナリアス・ガルベリー……あいつが、ジョージーを変えた……っ……」
ロズウェルドという大国の次期国王。
リフルワンスの王太子よりも、ずっと格上だとは、わかっている。
が、逆に、それがアントワーヌの心を荒れさせていた。
自国内であれば、アントワーヌは、自分の上を見ずにいられる。
多少の気遣いは必要だが、貴族であっても、アントワーヌの上に立つことはできないからだ。
リフルワンスにおいて、アントワーヌは最高位の権力者だった。
これまで、上から下を見ることしか知らずに生きてきている。
初めてだった。
玉座に座る誰かを見上げて話すなんて。
王太子としての自尊心を傷つけられ、ひどい屈辱感をいだいている。
これまでは、ある程度の公平さを持って、ロズウェルドを見ていられたが、今のアントワーヌは寛容さを失っていた。
ほかの不公正な者たちと同じように、ロズウェルドに憎しみを感じている。
ロズウェルド王国建国から、およそ3百年ののち、リフルワンスは建国した。
元々、ロズウェルドに併合されなかった小さな民族が寄り集まってできた国だ。
百年後には、領土や領民の数、生活水準も、ロズウェルドに並ぶほどになった。
そこで、ロズウェルドに戦争をしかけたのだ。
もう自分たちは、ロズウェルドに引けを取らない国になったのだから、と。
そして、惨敗。
民族の集合体だったリフルワンスは、内乱で、あっという間に散り散り。
元の小国に戻ってしまった。
今は、王室のある、この国だけがリフルワンス国と呼ばれている。
「魔術さえなければ、我が国が勝っていた……私の足元に、ひれ伏していたのは、あの男のはずだったのだ」
「アントワーヌ、飲み過ぎだぞ」
ファビアンが、アントワーヌの手からワイングラスを取り上げる。
なんの装飾もされていない木製のテーブルに、それを置いた。
リフルワンス王都内に、こんな場所があったのか、というくらい薄汚れた家。
そこに、2人はいる。
ファビアンに連れて来られたのだが、もちろん意味があってのことだ。
「しかし、ノアルク公爵の娘2人を蹴飛ばすとはね。さすがに、俺も驚いた」
「あの男は、嘲笑いたいのさ。私が、婚姻を誓っていた女性を奪ってやったと」
アントワーヌには、そう思える。
大国の次期国王が、貴族教育もまともに受けておらず、しかも愛妾の子を正妃にするなどと、普通は考えられない。
知らずに婚姻することはあるだろう。
だが、知ってなお、さらに言えば、より好条件の女性2人との交換にも応じないほど、ロズウェルドの次期国王は、彼女に、こだわっている。
リフルワンスの王太子を虚仮にしたいからだ。
それしか理由を思いつけない。
あの尊大で、傲慢な物の言いかたを思い出すにつけ、屈辱感に体が震える。
『ジョゼは、俺の嫁だ。なにがあっても、絶対に返さん』
『俺の嫁に、ふれるな』
嫁というのが、どういう意味か、明確には知らない。
おそらく「自分のもの」というロズウェルドの言葉なのだろう。
その言葉を、何度も繰り返し、聞かされている。
ジョゼフィーネを「自分のもの」だと誇示していたに違いない。
アントワーヌは、その後「なぜ決闘を申し出ないのか」と問われていた。
返事のできなかった自分を、内心では恥じているのだが、自覚していない。
そのせいで、怒りの矛先が、完全にロズウェルドの次期国王に向いている。
「そうかもしれないな。せっかく、俺が、ノアルク公爵を、その気にさせたのも、無駄になってしまった。それどころか……」
アントワーヌは、物憂げに言うファビアンのほうに顔を向けた。
今にも崩れそうなイスには座れなかったため、2人とも立っている。
背は、ファビアンのほうが少しだけ高い。
「ノアルク公爵に、出入り禁止を言い渡された」
「そんな……あの男のせいで、きみが不利益を被ることはない! 私から……」
「アントワーヌ、俺は友人に借りを作らせたくないんだ。ノアルク公爵のことだ、きっと、婚姻を条件に持ち出すに決まっているからな」
「ファビ……本当にすまない……」
「謝ることはないさ。俺の見立て違いもある。彼女にこだわるとわかっていたら、ロズウェルドとの間に正当な縁を作れば大きな後ろ盾ができるだなんて、ノアルク公爵に、言いはしなかったよ」
ノアルク公爵が考えを変えたのは、ファビアンからの助言によるものらしい。
ジョゼフィーネの2人の姉が、ロズウェルドに向かったことは知っていた。
拒絶され、戻ってきたことも、ファビアンから聞いている。
「彼女を、取り戻させてやれなくて、俺のほうこそ申し訳なくてな」
「ファビ、きみは私のために、手を尽くしてくれた。感謝している」
アントワーヌに手を貸すことで、ファビアンは、大きな取引先を失ったのだ。
もちろん、アントワーヌが口添えをすれば、ノアルク公爵もファビアンの出入り禁止を解くだろう。
とはいえ、ファビアンの言うように条件は出される。
2人の娘のうちの、どちらかとの婚姻だ。
「アントワーヌ、自由を奪われることはするなよ。たとえ俺のためでも」
「ああ……わかった」
軽く肩を叩かれる。
信頼できるのは、ファビアンだけだった。
王室は、アテにできない。
王太子であるにもかかわらず、力を振るえないことに不満が募る。
ディーナリアス・ガルベリーは好き勝手をしているのに。
国の力が、そのまま個の力に、比例している気がした。
力に応じて、手に入るものも、与えられる自由も違うのだ。
「俺が思うに、彼女は……魔術で操られているんじゃないか?」
言葉に、ハッとなる。
ロズウェルドは魔術師のいる国だ、と言われたのを思い出した。
なぜ、そのことに気づかなかったのかと、激しく悔やむ。
ジョゼフィーネに怒るのではなく、連れ去るべきだったのだ。
「大丈夫だ。俺が、必ず彼女をここに連れて来る。だから、魔術を解いて、彼女を自由にしてやれ」
「そうだな。私にしか、ジョージーを助けられないのだから」
「そうだ。だが……どうしても魔術が解けない時は……彼女を殺せ」
驚いて、アントワーヌは、目を見開く。
ファビアンが、悲しげに目を伏せる。
「一生、魔術で操られ、あの男の玩具にされるんだぞ、アントワーヌ」
どくりと、心臓が音を立てた。
ファビアンの言葉が、アントワーヌの心を侵食していく。
「……そのほうが、幸せ……ということもある、か……」
「魔術が解けさえすれば、彼女は戻ってくるさ」
そう願いたい。
でなければ、彼女を救うための手立てが、ひとつしかなくなる。




